モーツァルト:セレナーデ第10番「グラン・パルティータ」
指揮:フランス・ブリュッヘン
演奏:18世紀オーケストラ団員
CD:ユニバーサルミュージック UCCD 4285
セレナーデやディベルティメントさらにはカッサシオンなどと呼ばれるジャンルの一連の曲がある。これらは、1970年代から1980年代にかけて流行った(たった20年間!)管弦楽の楽曲形式のことを指している。要するの小曲を連ねた多楽章の管弦楽曲のことであり、特別に難しい定義があるわけでもなさそうだ。日本語では、セレナーデのことを小夜曲、ディベルティメントのことを喜遊曲と訳されているが、果たしてこの訳が適切であったどうか、何時も疑問に思ってきた。小夜曲と言われると、夜の情景しか連想できなくなるし、喜遊曲というとただ何となく楽しくしい曲としか考えが及ばなくなる。モーツァルトのディベルティメントなどには、憂いを含んだおおよそ喜遊などという言葉が思いつかない楽章を含んでいる曲があるからだ。カッサシオンなどに至っては、果たして日本語訳があるのかないのか、浅学の私は知らない。いずれにせよ、たった20年ほどの間に大流行した楽曲形式が、現代の今でも盛んに演奏される不思議さと幸運に感謝した方がよさそうだ。
セレナーデ、ディベルティメント、カッサシオンには特別な定義があるわけではないようであるのだが、それでは区別が存在しないのか言われれば、そうでもないから、ややっこしい。セレナーデとカッサシオンは、屋外で演奏される曲を指し、ディベルティメントは屋内で演奏される曲をいうことが多い。貴族が食卓を囲んで楽しく語らいながら、その側で演奏されるのがディベルティメント、貴族の館の庭園などで式典が行われる際に演奏されたのがセレナーデやカッサシオンというわけだ。いずれも貴族の生活を演出するために考案された音楽なので、生活の厳しさや人生の悲しみなどの雰囲気を求めるのは、無い物ねだりというものである。しかし、モーツァルトの凄さといおうか偉大さと言おうか、決して貴族の手慰めとしての音楽に甘んじないぞ、といった心意気が曲から溢れ出てくるから凄いのだ。例えば、モーツァルトのディベルティメント第15番K.287を聴いてみるがいい。ディベルティメントの華やかな感じで始まるのであるが、聴き進むうちに、憂いを含んだ楽章が現れてきて、およそ喜遊曲とは思われない雰囲気を醸しだす。私は、これなどは、モーツァルトが当時の権力者が好む音楽に名を借りて、実は自分の人生の心情を吐露した、その次にくるロマン派の音楽を先取りした革新的な曲だと考えている。
そんなわけで、今回のCDは、モーツァルト:セレナーデ第10番「グラン・パルティータ」である。1821年に書かれたこのセレナーデは「13管楽器のためのセレナーデ」とも名づけられいることでも分るように、管楽器主体のセレナーデであり、その意味では聴いていてちょっと他のセレナーデとは印象が違うので、一度聴くと耳に焼きつくこと請け合いの曲だ。この曲を演奏するに当っては、13人の優れた奏者を揃えることと、2本のバセットホルンを用いることが最低条件なのだそうである。オーボエ、クラリネット、バセットホルンが各2、ホルン4、ファゴット2それにコントラバス1という布陣だ。つまり正確に表現すると「13管楽器のためのセレナーデ」ではなく、「12管楽器とコントラバスのためのセレナーデ」とした方がよさそうだ。いずれにこんなに多くの優れた管楽器奏者を一堂に集めることは、そう簡単なことではなく、演奏会では滅多にお耳に掛かれない曲なのではなかろうか。そうなるとCDの出番であり、しかもフランス・ブリュッヘンの指揮で、手兵の古楽器演奏が専門の18世紀オーケストラ団員が演奏した録音が残されているので願ってもないことだ。
フランス・ブリュッヘンは、1934年にアムステルダムに生まれている。アムステル音楽院とアムステル大学に学び、ブロックフレーテ(リコーダー)やフラウト・トラヴェルソ(フルートの前身の古楽器)の演奏家として一世を風靡したことで知られている。1981年には、オリジナル楽器(古楽器)による演奏団体「18世紀オーケストラ」を設立し、自ら指揮を行う。要するにフランス・ブリュッヘンは、現在の古楽器ブームの火付け役となった人だ。このCDは、そんなフランス・ブリュッヘンが指揮し、18世紀オーケストラの団員が1988年6月にオランダでライヴ録音したもの。演奏内容は、実に伸び伸びと天才モーツァルトしかなし得なかったセレナーデの傑作の第10番「グラン・パルティータ」の真髄を心ゆくまで味わうことが出来る。例えば誰もが聴いたことのある第4楽章を聴いてみよう。管楽器の豊かな味わいが全面に溢れ、これはほんとに管楽器?とも思えるほど奥行きのある広がりに、思わず聞き惚れてしまう。これは単なる貴族のお遊びの音楽なんかではなく、モーツァルトの心の躍動であり、生きることの喜びを素直に表現した音楽なのだ、ということを実感できる。フランス・ブリュッヘンと18世紀オーケストラ団員の一体感は実に見事なもので、このため全部で7つある楽章もあっという間に終わってしまう。(蔵 志津久)