サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付き」
指揮: ジャン・マルティノン
管弦楽:フランス国立管弦楽団
オルガン:ベルナール・ガボティ
CD:ワーナーミュージック・ジャパン WPCS 13440
サン=サーンス:交響曲全集(WPCS 13439~40)から
<ディスク:1> 1. 交響曲イ長調 2. 交響曲第1番変ホ長調op.2 3. 交響曲第2番イ短調op.55
サン=サーンス:交響曲全集(WPCS 13439~40)から
<ディスク:1> 1. 交響曲イ長調 2. 交響曲第1番変ホ長調op.2 3. 交響曲第2番イ短調op.55
<ディスク:2> 1. 交響曲ヘ長調「ローマ」 2. 交響曲第3番「オルガン付き」op.78
指揮のジャン・マルティノン(1910年―1976年)は、フランス、リヨン出身。パリ音楽院でヴァイオリン、作曲、指揮を学ぶ。ヴァイオリン奏者として出発するが、指揮者としても活躍。第二次世界大戦後は本格的に指揮者に転身、パリ音楽院管弦楽団、ボルドー交響楽団、コンセール・ラムルー、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、デュッセルドルフ交響楽団などの首席指揮者などを歴任。その後1963年にはシカゴ交響楽団の音楽監督、さらに1968年からはフランス国立放送管弦楽団の音楽監督を務めるた。生涯に1953年、1963年、1970年の3回、来日を果たしている。フランス音楽を得意としていたが、自身ドイツ系アルザス人の血を引いており、ドイツ音楽の解釈に対しても高い評価を得ていた。作曲家としても4曲の交響曲をはじめ、協奏曲や室内楽曲を遺している。
フランス国立管弦楽団(Orchestre national de France)は、パリ管弦楽団などと並ぶフランスの代表的なオーケストラの一つ。定期演奏会はパリのシャンゼリゼ劇場で行われている。 1934年に、フランスラジオ放送(RDF)専属のオーケストラとして創立。当初の名称は、「フランス国立放送管弦楽団」である。1964年以降は「Orchestre national de l'ORTF」( ORTF=フランス放送協会)となる。ジャン・マルティノンは、1968年~1974年音楽監督を務めた。1975年、ORTFの組織が7つに分割され、ラジオ・フランスに管理・運営が移管されるに伴い、現在の名称に改称し、チェリビダッケを初の音楽監督に迎えた。現在は、エマニュエル・クリヴィヌが音楽監督を務めいるが、2021年からは、ルーマニア出身の米国人指揮者で、ケルンWDR交響楽団(旧ケルン放送交響楽団)首席指揮者のクリスティアン・マチェラルが音楽監督を務めることになっている。
このサン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付き」のCDは、2枚組のサン=サーンス:交響曲全集(WPCS 13439~40)に収められている。交響曲第3番「オルガン付き」は、サン=サーンスがそれまでに作曲してきた交響曲の集大成といった意味合いを持つもので、その他の交響曲をたとえ聴かなくても支障はないが、この全集はサン=サーンスが如何にして交響曲第3番「オルガン付き」にまでたどり着いたかを知りたい人にとっては貴重な録音だ。最初の交響曲イ長調は、パリ音楽院に籍を置いていた1850年(15歳)の作品。次の交響曲第1番は、作曲コンクールで優勝した後で作曲の依頼を受けて書いた作品で、1853年(17歳)の作品。さらに交響曲第2番は、古典派としてのサン=サーンスの個性が出た作品で、1859年に書かれた。そして、交響曲第3番「オルガン付き」の前に書かれたのが、交響曲ヘ長調「ローマ」。この交響曲は、1856年に行われた作曲コンクールでの優勝作品で、翌年、「ローマ」と名づけられ初演された。ところが、出版もされず、交響曲作品としての番号も付けられていない。これはもしかすると、サン=サーンスとしては、次に手掛けることになる交響曲第3番「オルガン付き」に、交響曲作品として自己の持てるもの全てを盛り込みたかったためかもしれない。
指揮のジャン・マルティノン(1910年―1976年)は、フランス、リヨン出身。パリ音楽院でヴァイオリン、作曲、指揮を学ぶ。ヴァイオリン奏者として出発するが、指揮者としても活躍。第二次世界大戦後は本格的に指揮者に転身、パリ音楽院管弦楽団、ボルドー交響楽団、コンセール・ラムルー、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、デュッセルドルフ交響楽団などの首席指揮者などを歴任。その後1963年にはシカゴ交響楽団の音楽監督、さらに1968年からはフランス国立放送管弦楽団の音楽監督を務めるた。生涯に1953年、1963年、1970年の3回、来日を果たしている。フランス音楽を得意としていたが、自身ドイツ系アルザス人の血を引いており、ドイツ音楽の解釈に対しても高い評価を得ていた。作曲家としても4曲の交響曲をはじめ、協奏曲や室内楽曲を遺している。
フランス国立管弦楽団(Orchestre national de France)は、パリ管弦楽団などと並ぶフランスの代表的なオーケストラの一つ。定期演奏会はパリのシャンゼリゼ劇場で行われている。 1934年に、フランスラジオ放送(RDF)専属のオーケストラとして創立。当初の名称は、「フランス国立放送管弦楽団」である。1964年以降は「Orchestre national de l'ORTF」( ORTF=フランス放送協会)となる。ジャン・マルティノンは、1968年~1974年音楽監督を務めた。1975年、ORTFの組織が7つに分割され、ラジオ・フランスに管理・運営が移管されるに伴い、現在の名称に改称し、チェリビダッケを初の音楽監督に迎えた。現在は、エマニュエル・クリヴィヌが音楽監督を務めいるが、2021年からは、ルーマニア出身の米国人指揮者で、ケルンWDR交響楽団(旧ケルン放送交響楽団)首席指揮者のクリスティアン・マチェラルが音楽監督を務めることになっている。
このサン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付き」のCDは、2枚組のサン=サーンス:交響曲全集(WPCS 13439~40)に収められている。交響曲第3番「オルガン付き」は、サン=サーンスがそれまでに作曲してきた交響曲の集大成といった意味合いを持つもので、その他の交響曲をたとえ聴かなくても支障はないが、この全集はサン=サーンスが如何にして交響曲第3番「オルガン付き」にまでたどり着いたかを知りたい人にとっては貴重な録音だ。最初の交響曲イ長調は、パリ音楽院に籍を置いていた1850年(15歳)の作品。次の交響曲第1番は、作曲コンクールで優勝した後で作曲の依頼を受けて書いた作品で、1853年(17歳)の作品。さらに交響曲第2番は、古典派としてのサン=サーンスの個性が出た作品で、1859年に書かれた。そして、交響曲第3番「オルガン付き」の前に書かれたのが、交響曲ヘ長調「ローマ」。この交響曲は、1856年に行われた作曲コンクールでの優勝作品で、翌年、「ローマ」と名づけられ初演された。ところが、出版もされず、交響曲作品としての番号も付けられていない。これはもしかすると、サン=サーンスとしては、次に手掛けることになる交響曲第3番「オルガン付き」に、交響曲作品として自己の持てるもの全てを盛り込みたかったためかもしれない。
交響曲第3番「オルガン付き」は、ピアノと教会のパイプオルガンが盛り込まれていることで一躍その名が知れ渡り、フランス系の代表的な交響曲であることは勿論のこと、現在では、あらゆる交響曲作品の中の傑作として演奏会でしばしば取り上げられている。1886年の初演に加え、翌1887年1月9日のパリ音楽院演奏協会によるパリ初演も成功を収めた。この交響曲は、全体が循環主題形式により構成されており、通常の交響曲の4つの楽章は、ここでは2つの楽章に圧縮されている。このCDでのジャン・マルティノン指揮フランス国立管弦楽団の演奏は、細部にわたり彫りの深い、リスナーに強いインパクトを与えずにはおかない名演を聴かせる。あたかもライヴ録音のような緊張感に全体が包まれている。ジャン・マルティノンは、フランスの指揮者だが、同時にドイツ・オーストリア系の作品にも深い造詣を持っているため、ちょうどこのサン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付き」の持つ、ドイツ・オーストリア系的交響曲の雰囲気を醸成するのには、これほど適任の指揮者はいない。流れるような的確なリズム感を強調する一方では、深い叙情性をたたえた美しいメロディーを、これでもかと言うようにリスナーの眼前に朗々と提示してみせる。そしてオルガンとオーケストラの渾然と一体化したその演奏内容は、数あるこの曲のCDの中でも1、2を争う高いレベルに達している。このCDは、録音の質も極めて良好であり、その演奏内容の高さからも、今後長い生命力を持ち続けることは間違いあるまい。(蔵 志津久)