<NHK‐FM「ベストオブクラシック」レビュー>
~ルガーノのアルゲリッチ・プロジェクトから~
①モーツァルト(フィリップ・ウィルビー補筆完成版):ピアノとバイオリンのための協奏曲
ピアノ:酒井 茜
ヴァイオリン:木嶋真優
指揮:ユベール・スダーン
管弦楽:スイス・イタリア語放送管弦楽団
②レスピーギ:グレゴリオ風の協奏曲
バイオリン:ルノー・カプソン
指揮:ユベール・スダーン
管弦楽:スイス・イタリア語放送管弦楽団
③ベートーベン:ピアノ協奏曲第1番
ピアノ:マルタ・アルゲリッチ
指揮:ユベール・スダーン
管弦楽:スイス・イタリア語放送管弦楽団
収録:2013年7月3日、スイス・ルガーノ、スイス・イタリア語放送協会オーディトリウム
提供:スイス放送協会
放送:2014年2月5日(水) 午後7:30~午後9:10
今夜の「ベストオブクラシック」は、“ルガーノのアルゲリッチ・プロジェクトから”と題する三夜目の放送である。曲目は、①モーツァルト(フィリップ・ウィルビー補筆完成版):ピアノとバイオリンのための協奏曲②レスピーギ:グレゴリオ風の協奏曲③ベートーベン:ピアノ協奏曲第1番。3曲ともユベール・スダーン指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団の伴奏によるもの。ルガーノは、スイスのマッジョーレ湖とコモ湖の中間にあるルガーノ湖のほとりに位置し、ここで開催される音楽祭が「ルガーノ音楽祭」である。ピアニストのマルタ・アルゲリッチは、毎年“アルゲリッチ・プロジェクト”と名付けたコンサートを、2002年からこの音楽祭の会期中に開催している。マルタ・アルゲリッチは、アルゼンチンのブイノスアイレス出身の現代を代表するピアニストの一人。1957年ブゾーニ国際ピアノコンクールで優勝、さらに1965年ショパン国際ピアノコンクールで優勝して、その名が国際的に知られるようになる。1998年から別府アルゲリッチ音楽祭、1999年からブエノスアイレスにてマルタ・アルゲリッチ国際ピアノコンクール、2001年からブエノスアイレス-マルタ・アルゲリッチ音楽祭など、自身の名を冠した音楽祭やコンクールを開催し、後進の育成に力を入れていることでも知られる。1998年以降は別府アルゲリッチ音楽祭のため、毎年来日している。
最初の曲目のモーツァルト(フィリップ・ウィルビー補筆完成版):ピアノとバイオリンのための協奏曲は、1778年(28歳)のマンハイムで作曲が進められたが、モーツァルトが作曲したのは第1楽章の最初の120小節のみで、未完に終わっている。何故、作曲途中で止めたのかは謎であるが、最も考えられる理由は、モーツァルトがパリへ向かうためマンハイムを去ったためと考えられている。ウィルビーは、モーツァルトが同曲の作曲後に出版されたヴァイオリンソナタ第30番が、この曲のスケッチをもとに作曲されたと仮説を立て、第1楽章を補筆すると同時に、ヴァイオリンソナタ第30番の第2・第3楽章をオーケストレーションに編曲した。これが“フィリップ・ウィルビー補筆完成版”である。演奏は、ピアノ:酒井 茜とヴァイオリン:木嶋真優で、共に日本の女性演奏家の若手ホープとして活躍している。ピアノ:酒井 茜は、名古屋出身。桐朋学園大学を1999年に卒業後、ベルギーのレメンス音楽院に留学。現在ヨーロッパ、日本で演奏活動を展開中。アルゲリッチの共演者として信頼を得ている。一方、木嶋真優は、神戸市出身のヴァイオリニスト。2001年ケルン音楽大学へ留学し、ブロンに師事。2005年中、ロストロポーヴィチと、アメリカ、ヨーロッパツアーを重ね、好評を得た。2011年ケルン国際ヴァイオリンコンクール優勝。ここでの演奏は、まずユベール・スダーン指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団の如何にもモーツァルトらしい、明るく澄み切った伴奏が、実にしっくりと耳に沁みるところから始まる。酒井 茜のピアノ、木嶋真優のヴァイオリンも、伴奏のオーケストラの音とぴたりと合い、三者が如何にも楽しげに演奏する様は、理屈を超えてモーツァルトの音楽を存分に堪能することができた。
次のグレゴリオ風の協奏曲は、レスピーギが1921年に、グレゴリオ聖歌を引用して完成させた作品で、ヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲。レスピーギ41歳の時の作品で、同時期には「ローマの松」「ローマの祭り」などの作品がある。ルノー・カプソン(1976年生まれ)は、フランス出身のヴァイオリニスト。14歳でパリ国立高等音楽院に入学。1998年から2000年まで、クラウディオ・アバドの指名によってマーラー・ユーゲント・オーケストラのコンサートマスターを務めた。これまで、世界の主要オーケストラに客演している。「アルゲリッチ・プロジェクト」には、2002年の第1回から毎年出演している常連。このレスピーギ:グレゴリオ風の協奏曲は、“ローマ三部作”などと比べると、あまり聴くチャンスがない曲ではあるが、実に美しいヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲であり、演奏される機会が少ないのはもったいない気がするほど。時折、ハットするほどの閃きのある曲想に、リスナーは暫し、聴き惚れる。ルノー・カプソンのヴァイオリン演奏も、正統的で、しかも実にしっとりとした味わいを醸し出しており、古の情感を辺り一面に漂わせ、満足させられた。
最後のベートーベン:ピアノ協奏曲第1番は、アルゲリッチが10歳の時から演奏してきたお気に入りの曲だというので、聴く前からいやが上にも期待感が高まる。アルゲリッチが世界的に有名になってからも度々取り上げた来た曲だが、2002年から始まったアルゲリッチ・プロジェクトで取り上げるのは、今回が初めてという。ここでもユベール・スダーン指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団の伴奏の軽快で、何かリスナーが心安らかになる伴奏で始まる。ユベール・スダーンは日本でもお馴染みの指揮者であるが、改めてその見事な棒さばきには感心させられた。スイス・イタリア語放送管弦楽団は、あまり聴くチャンスに恵まれないオーケストラであるが、ここでの演奏は、一糸乱れぬバランスの良い演奏ぶりを聴かせる。チームワークの良さではかなり上位にランクされるオーケストラではないか。アルゲリッチのピアノ演奏は、肩から力を抜いた、自然体の演奏に終始する。これはアルゲリッチがこれまで、幾度となく演奏してきたベートーベン:ピアノ協奏曲第1番の到達点に立っての演奏ではないのか。この第1番を演奏するピアニストの多くが、若いベートーヴェンをイメージしてか、力に任せエネルギッシュに一気呵成に弾き挙げる。それに対し、ここでのアルゲリッチのこの第1番の演奏は、何かベートーヴェン中期か後期の作品であるかのような、スケールの大きさと気品を兼ね備えている。ベートーベン:ピアノ協奏曲第1番が、これほど情感豊かに弾かれた演奏は、私はこれまで聴いたことはない。伴奏との相性も申し分ない。さすが、“アルゲリッチ・プロジェクト”と名乗るだけの価値あるコンサートが聴けた一夜ではあった。(蔵 志津久)