★ 私のクラシック音楽館 (MCM) ★ 蔵 志津久

クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

●クラシック音楽●<NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー>~堀米ゆず子、アントニオ・メネセス、田村 響による三重奏の夕べ~

2024-04-09 09:44:13 | NHK‐FM「ベストオブクラシック」レビュー



<NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー>



~堀米ゆず子、アントニオ・メネセス、田村 響による三重奏の夕べ~



メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 作品49
チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲 イ短調 作品50 「偉大な芸術家の思い出」
メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲 第2番 ハ短調 作品66から 第2楽章(アンコール)

ヴァイオリン:堀米ゆず子

チェロ:アントニオ・メネセス

ピアノ:田村 響

収録:2023年11月20日、武蔵野市民文化会館 小ホール

放送:2024年02月06日 午後7:30~午後9:10

 今夜のNHK-FM「ベストオブクラシック」は、2023年11月20日、武蔵野市民文化会館で行われた、ヴァイオリンの堀米ゆず子、チェロのアントニオ・メネセス、ピアノの田村 響の3人によるピアノ三重奏の夕べの放送である。


 ヴァイオリンの堀米ゆず子は、東京都出身。5歳からヴァイオリンを久保田良作氏のもとで始め、1975年より江藤俊哉氏に師事。桐朋学園大学音楽学部を卒業後、1980年、日本人として初めて「エリザベート王妃国際コンクール」で優勝。以後ベルギーを本拠としてベルリン・フィル、ロンドン響、シカゴ響、クラウディオ・アバド、小澤征爾、サイモン・ラトルなど世界一流のオーケストラ、指揮者との共演を重ねる。世界中の音楽祭に数多く招かれ、その中にはアメリカのマールボロ音楽祭、クレーメルの主宰するロッケンハウス音楽祭、ルガーノアルゲリッチ音楽祭(スイス)、フランダース音楽祭(ベルギー)などがある。室内楽にも熱心に取り組んでおり、これまでにルドルフ・ゼルキン、アルゲリッチ、ルイサダ、クレーメル、マイスキー、今井信子、メネセス、ナイディックなどと共演。1981年「芸術選奨新人賞」受賞。多くの国際コンクールの審査員にも招かれており、2016年仙台国際音楽コンクールヴァイオリン部門審査員長に就任。現在、ベルギー、ブリュッセルに在住し、ブリュッセル王立音楽院客員教授を務める。著書「モルト・カンタービレ ブリュッセルの森の戸口から」(NTT出版)、「ヴァイオリニストの領分」(春秋社)。

 チェロのアントニオ・メネセス(1957年生れ)は、ブラジル出身。10歳からチェロを始め、14歳でリオデジャネイロの交響楽団に入団し、16歳の時、南米ツアー中のチェロ奏者アントニオ・ヤニグロと出会い、渡独。デュッセルドルフのロベルト・シューマン大学、シュトゥットガルト音楽演劇大学でヤニグロの指導を受ける。 1977年「ミュンヘン国際音楽コンクール」、1982年「チャイコフスキー国際コンクール」で優勝。カザルス音楽祭、ザルツブルク音楽祭、プラハの春音楽祭、モーストリー・モーツァルト、ルツェルン音楽祭などの音楽祭に多数招かれている。2008年に解散した著名なピアノ三重奏団「ボザール・トリオ」のメンバーとしても活躍した。

 ピアノの田村 響(1986年生まれ)は、愛知県安城市出身。愛知県立明和高校音楽科を卒業後、ザルツブルクのモーツァルテウム音楽院にて学ぶ。2002年「ピティナ・ピアノコンペティション全国大会」において史上最年少(15歳)で特級グランプリを受賞。2005年度第16回「出光音楽賞」受賞。2007年「ロン・ティボー国際コンクール」ピアノ部門で優勝し、一躍世界に認められる。2008年「文化庁長官表彰・国際芸術部門」受賞。2008年度(第10回)「ホテルオークラ音楽賞」受賞。2013年大阪音楽大学大学院に入学し、2015年に修士号を得て卒業。2015年度「文化庁芸術祭賞音楽部門新人賞」を受賞。京都市立芸術大学講師。


 今夜の最初の曲は、メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番 ニ短調 作品49 は、1839年9月23日に完成し、この年の秋にライプツィヒで初演された。この時はメンデルスゾーン自身がピアノ、ヴァイオリンは友人のフェルディナンド・ダヴィッドが担当した。メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲は一般的に2曲が知られている。他にメンデルスゾーンが11歳のときの1820年に作曲されたピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラのためのハ短調のピアノ三重奏曲も存在するが、こちらは習作ともいえる作品であるため、作品番号が付けられていない。ピアノ三重奏曲第1番を聴いたシューマンは「ベートーヴェン以来、最も偉大なピアノ三重奏曲」だと評したという。曲は、4つの楽章からなる。

 今夜のメンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番 ニ短調 作品49の演奏は、この作品を聴くに相応しいロマン派の薫りが馥郁と漂う演奏に終始して、時間の流れを忘れるほど内容の充実した演奏となった。奏者3人の意気がピタリと合い、やや早めのテンポが結果的に聴きやすいものに仕上がっていた。ロマン派の作品はともすると、情緒に溺れる演奏内容となりがちだが、今夜の演奏のように、テンポをやや早めとすることで、現代の聴衆にも十分アピールできたようだ。今夜のメンバーは、かつての名ピアノ三重奏団「ボザール・トリオ」で活躍したチェロのアントニオ・メネセスの呼びかけで集まったそうであり、それだけに、あたかも常設のピアノ三重奏団のような気の合った演奏内容が特に心地よかった。


 今夜の次の曲は、チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲 イ短調 作品50 「偉大な芸術家の思い出」。この曲は、1881年から1882年にかけて作曲された。旧友ニコライ・ルビンシテインへの追悼音楽であるため、全般的に悲痛で荘重な調子が支配的である。作品に付された献辞にちなんで「偉大な芸術家の思い出」という副題(通称)で知られている。同作品、とりわけ第2楽章は、ピアノに高度な演奏技巧が要求される。50分近い演奏時間にもかかわらず、息を呑むような抒情美や、壮大かつ決然たる終曲によって、今なお人気が高い。表向き2つの楽章で構成されているが、第2楽章の最終変奏が長大なため、その部分が実質的な終楽章の役割を果たしている。

 今夜のチャイコフスキー:ピアノ三重奏曲 イ短調 作品50「偉大な芸術家の思い出」の演奏は、比較的ゆったりとしたテンポで、あたかも物語を紡ぎ出すような演奏に終始し、この曲の持つもう一つの側面を覗き見る思いの演奏内容であった。この曲の演奏は、チャイコフスキーの旧友ニコライ・ルビンシテインへの追悼音楽という側面だけ強調され、悲痛な感情がことさら強調されがちだが、今夜の演奏は、この曲が持つ雄大な構成力の表出に力を置き、これがものの見事に成功した演奏と言ってよかろう。第2楽章の変奏曲は、一つ一つの変奏曲の性格が丁寧にくっきりと表現され、なかなか小気味よかった。今後、この3人で常設のピアノ三重奏団が結成されたら、どんなに素晴らしいことか。
<蔵 志津久>
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●クラシック音楽●<NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー>~追悼 ”我らがマエストロ” 小澤征爾(1935年―2024年)~

2024-02-27 09:39:08 | NHK‐FM「ベストオブクラシック」レビュー



<NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー>




~追悼 ”我らがマエストロ” 小澤征爾(1935年―2024年)~



モーツァルト:ディヴェルティメント ニ長調 K.136(指揮者なし)
ハイドン:チェロ協奏曲第1番
モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」

チェロ:宮田 大

指揮:小澤征爾

管弦楽:水戸室内管弦楽団

収録:2012年1月19日、茨城県、水戸芸術館コンサートホールATM

放送:2024年2月13日 午後7:30~午後9:10

 今夜のNHK-FM「ベストオブクラシック」は、2024年2月6日に逝去した指揮者の小澤征爾を忍び、在りし日の小澤征爾が水戸室内管弦楽団を指揮した演奏会の特別番組の放送である。


 指揮者の小澤征爾は、2024年2月6日、心不全のため東京都内の自宅で死去した。享年88歳。小澤征爾は、1935年、満洲国奉天市(中国瀋陽市)に生まれる。齋藤秀雄の指揮教室に入門。桐朋学園短期大学(現在の桐朋学園大学音楽学部)を卒業後、1959年貨物船で単身渡仏。1959年パリ滞在中に第9回「ブザンソン国際指揮者コンクール」第1位となったほか「カラヤン指揮者コンクール」第1位となり、指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンに師事。1960年「クーセヴィツキー賞」を受賞。指揮者のシャルル・ミュンシュ、レナード・バーンスタインに師事。1961年ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者に就任。1970年タングルウッド音楽祭の音楽監督に就任。同年サンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就任。1973年にはボストン交響楽団の音楽監督に就任したが、以後30年近くにわたり同楽団の音楽監督を務めた。2002年日本人指揮者として初めて「ウィーン・フィルニューイヤーコンサート」を指揮。同年ウィーン国立歌劇場音楽監督に就任。2008年文化勲章を受章。2010年ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団により、名誉団員の称号を贈呈される。2015年「ケネディ・センター名誉賞」を日本人として初の受賞。2016年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団により、名誉団員の称号を贈呈される。

 水戸室内管弦楽団(MCO)は水戸芸術館の専属楽団として、1990年の開館と同時に、初代館長・吉田秀和(1913年―2012年)の提唱により誕生した。小澤征爾が、総監督、指揮者としてその運営にあたり、メンバーは、ソリストとして、またオーケストラの首席奏者として、世界的な活躍を続ける17名の日本人音楽家および6名の外国人音楽家たち。MCOは、水戸芸術館コンサートホールATMで定期演奏会を行っている。音楽家たちは、演奏会の度に、世界各地から水戸芸術館に集まり、集中的にリハーサルを行う。MCOの特性は、いわば「2つの顔」を自由に使い分けられることにある。1つは「指揮者を置かないアンサンブル」としての顔。もうひとつの顔は「指揮者に率いられたアンサンブル」。様々な個性の指揮者に出会ったときでも、MCOはメンバーの間にいわば共通の音楽言語が浸透しているため、その指揮者の音楽性に即座に適応しながら、自分たちの音楽を奏でることができる。1998年6月には、初のヨーロッパ公演(指揮:小澤征爾)を行い、ヨーロッパの聴衆から圧倒的な賞賛を得た。2001年3月には、第2回ヨーロッパ公演(指揮:小澤征爾)を実施し、フィレンツェ、ミラノ、ウィーン、パリ、ミュンヘンの各地から招聘を受け公演を行い、世界有数の室内管弦楽団との評価を確立した。

 チェロの宮田 大(1986年生まれ)は、香川県高松市生まれ、栃木県宇都宮市育ち。桐朋学園大学ソリスト・ディプロマコースを首席で卒業。2005年第74回「日本音楽コンクール」第1位。その後、スイスとドイツに留学。2009年にカルテットでスイスのジュネーヴ音楽院を卒業。2009年第9回「ロストロポーヴィチ国際チェロ・コンクール」(パリ)で日本人として初優勝。2013年にはソロでドイツのクロンベルク・アカデミーを首席で卒業。2006年第6回「齋藤秀雄メモリアル基金賞」、2010年第20回「出光音楽賞」、2012年第13回「ホテルオークラ音楽賞」受賞。


 今夜、最初の曲は、モーツァルト:ディヴェルティメント ニ長調 K.136。この曲は、当時16歳のモーツァルトが作曲した弦楽四重奏のためのディヴェルティメント。ザルツブルクで作曲されたことからK.136からK.138をまとめてザルツブルク・シンフォニーとも言い、この曲はその1曲目に当たる。シンプルに見えてかなりの精緻に富むこれらの曲は、ハイドンの影響が見られる。モーツァルトはディヴェルティメントを20曲以上作曲しているが、1772年に作曲されたK.136からK.138は、いずれも楽器編成が弦楽四重奏であること、ディヴェルティメントに欠かせないメヌエットがない3楽章から成り立っていることなどから、モーツァルト自身はこれら3曲をディヴェルティメントとは呼んでいなかった。ディヴェルティメントは、後世にて誰かがモーツァルトの自筆譜に書き加えたものという。

 今夜のモーツァルト:ディヴェルティメント ニ長調 K.136の演奏は、指揮者なしの水戸室内管弦楽団によって行われた。もともと水戸室内管弦楽団は、指揮者なしでの演奏も行われてきたことから、通常の演奏会の形態を踏襲したものであろう。第1楽章の出だしから、モーツァルト特有の流れるようなメロディーが耳に心地よく響く。もし、何もアナウスが無ければ、指揮者に率いられた水戸室内管弦楽団の演奏と思ってしまうほど、統率の取れた演奏を聴かせてくれた。一人一人の楽団員の自発的な演奏能力の高さが、演奏の隅々から聴き取れる。そして、一番の聴きどころは、楽団員一人一人の演奏する喜びが自然な形でリスナーの耳に届けられたこと。モーツァルトの初期の作品は、何より音楽に接すること自体が歓びであることが、表現できるかどうかにかかっている。その意味で、今夜の演奏は十分に満足させられるものとなった。


 今夜、次の曲は、ハイドン:チェロ協奏曲第1番。この曲は、1765年から1767年頃に作曲された。ハイドンは全部で6曲のチェロ協奏曲を作曲したといわれているが、第3番とト短調(Hob. VIIb:g1)は紛失し、第4番と第5番は偽作とされている(第4番はコンスタンツィ、第5番はポッパーの作といわれている)ため、ハイドンの真作とされているチェロ協奏曲は第2番とこの曲のみである。この曲は、リトルネロ形式や単調な伴奏音形など、多くの点でバロック式の協奏曲の名残が見られるが、両端楽章が快速なソナタ形式で書かれているなど、バロックと古典派の融合を図った初期のハイドンの創作意欲が現れた作品である。楽譜は長い間失われていたが、1961年にプラハで筆写譜が発見され、1962年にミロシュ・サードロのチェロにより復活初演された。自筆譜が散逸しているため、正確なオリジナル編成はわからない。全3楽章の構成。

 今夜のハイドン:チェロ協奏曲第1番の演奏は、チェロ:宮田 大、小澤征爾指揮水戸室内管弦楽団によるもの。チェロの宮田 大の演奏は、如何にも若者らしいキビキビとした演奏内容を聴かせてくれた。決して力むことなく、自然な形でのチェロ独奏が進む。チェロ独特の重々しい音の響きは失うことなく、チェロを軽々と弾きこなす、如何にも宮田 大らしい爽快な演奏内容を存分に聴かせてくれた。そんな宮田 大のチェロ独奏を見守るように、小澤征爾指揮水戸室内管弦楽団の伴奏が流れる。この演奏を聴いてみると、小澤征爾の音楽性と宮田 大の音楽性に何か共通性が感じられた。全体がすっきりとしていて、明解な表現に徹しきっている。だからといって、少しも無機質なところがない。緻密ではあるのだが、外に開かれた明るさが常に感じられる演奏なのである。多分、当日の演奏会で、二人はそのようなことを考えながら演奏していたのではないかと、勝手に想像してしまった。


 今夜、最後の曲は、モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」。この曲の原曲は、1782年にハフナー家のために作曲されたセレナードであり、同時期に交響曲へと編曲された。ハフナー(Haffner)とは、ザルツブルクの元市長の息子であり、モーツァルト自身にとっても幼なじみであったジークムント・ハフナーⅡ世(1756年―1787年)の姓に由来する。モーツァルトは、1783年3月23日の予約演奏会のために旧作であるハフナー家への第2セレナードを交響曲に編曲した。編曲に際して行進曲と2つあったメヌエットのうちのひとつ(散逸した方)を削除し、楽器編成に第1と第4楽章にフルートとクラリネットを加えている。この曲以降の6つの交響曲は”モーツァルトの6大交響曲”と呼ばれ、モーツァルト交響曲のなかでも特に人気が高い作品。

 今夜のモーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」は、小澤征爾指揮水戸室内管弦楽団による演奏。最初の音が鳴って、一瞬驚いた。何と力強いハフナー交響曲であろうか。小澤征爾はこの時77歳である。演奏内容は、大方、年齢によって徐々に変わってくる。例えば、ブルーノ・ワルターの晩年の演奏を聴くと、全体にゆっくりとしたテンポで、何か悟りのような境地の演奏内容となっている。ところが、この日の小澤征爾の指揮ぶりは、若い時の演奏内容を彷彿とさせるものがあった。小澤征爾特有の明解な指揮ぶりは健在であった。そしてボストン交響響楽団を指揮した録音に遺されていたあの緻密さに、いささかの衰えも感じさせない演奏となった。水戸室内管弦楽団は、室内管弦楽団の長所を最大限に発揮させ、小澤征爾の指揮に瞬時に反応し、切れ味の良い演奏を披歴していた。いずれにせよ、小澤征爾が指揮をすると、たちどころに演奏会場全体が何か沸き立つような雰囲気に包まれる。今夜の演奏会もその例外でなかった。”我らがマエストロ”小澤征爾は、亡くなるまで、心は青年だったのだ。

(以上、NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー)


 私には生涯手放したくない数冊の書籍があるが、その中の一冊が「ボクの音楽武者修行」(小澤征爾著、新潮社刊、新潮文庫、昭和55年7月25日発行)である。この本は、今のように簡単には海外旅行ができなかった時代に、たった一人で、旅費を浮かすために貨物船に乗船し日本を旅立ち、スクーターに乗ってヨーロッパ中を巡り、指揮の勉強に励んだとういう若き日の小澤征爾のストーリーで、当時、熱中して読んだ記憶が今でも鮮明に甦る。

 この本には、小澤征爾が、何でたった一人でヨーロッパに向かったのかの理由が、次のように書かれている。「やがて短大に進んだ。そして三十三年に桐朋を卒業する直前、桐朋学園オーケストラがブリュッセルの万国博覧会青少年音楽コンクールに参加する話が持ち上がった。ところがオーケストラを連れていくには資金が意外にかかることがわかり、残念ながら中止するはめになった。その時にぼくは堅い決意をしたのだ。オーケストラがだめなら、せめてぼく一人だけでもヨーロッパに行こうと」

 スクーターはというと「スクーターかオートバイを借りるために、東京じゅうをかけずり回った。何軒回ったかしれない。最後に、亡くなられた富士重工の松尾清秀氏の奥様のお世話で、富士重工でラビットジュニア125ccの新型を手に入れることができた。その時、富士重工から出された条件は次のようなものだ。一、日本国籍を明示すること。一、音楽家であることを示すこと、一、事故をおこさないこと この条件をかなえるために、ぼくは白いヘルメットにギターをかついで日の丸をつけたスクーターにまたがり、奇妙ないでたちの欧州行脚となったのである」

 そしてこの本の最後に小澤征爾は次のように記している。「日本から外国に行くということは、将来は変わるでしょうけれど、いまは非常にむつかしいことの一つとされています。ぼくはそのなかで、非常に幸運だった者の一人ですけれども、これから先そのむずかしい問題を通り抜けて外国に行く日本の若い音楽学生、ぼくたちの仲間の音楽家たちのために、いい点にしろ、悪い点にしろ、少しでも参考になれば、幸いだと思っています(昭和37年2月)」

 現在は、手軽に海外旅行ができる環境が整ってはいる。だからといって、何の志もなく、日本を飛び出しても得られるものは、たかが知れている。自分の青春の日々を記したこの本の中で小澤征爾が言いたかったことは、海外旅行のノウハウではなく、「志を持って外国に行き、どうしたらその志を現実のものにすることができるのか」であろう。

 テレビでは、小澤征爾を偲び、2002年のニューイヤーコンサートでウィーン・フィルを指揮する小澤征爾の元気な姿を映し出していた。あの時こそが、日本のクラシック音楽ファンが永年夢見てきたものが、現実の姿となって現れた瞬間そのものであったのだ。そして多分、今頃、小澤征爾は、昔、先生であったミュンシュ、カラヤンそれにバーンスタインとともに、4人でかわるがわる”天国フィル”の指揮を執っているに違いない。(蔵 志津久)          心からの敬愛の意を込めて  合掌 
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●クラシック音楽●NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー~アリス・紗良・オットとファビオ・ルイージ指揮NHK交響楽団の共演~

2023-12-26 09:49:44 | NHK‐FM「ベストオブクラシック」レビュー



<NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー>




~アリス・紗良・オットとファビオ・ルイージ指揮NHK交響楽団の共演~



ハイドン:交響曲第100番 ト長調 「軍隊」
リスト:ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調
サティー:グノシエンヌ(アンコール)
レーガー:モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ 作品132

ピアノ:アリス・紗良・オット

指揮:ファビオ・ルイージ

管弦楽:NHK交響楽団

収録:2023年12月6日、サントリーホール

放送:2023年12月15日 午後7:30~午後9:10

 今夜のNHK-FM「ベストオブクラシック」は、2023年12月6日、サントリーホールで行われた「N響 第1999回定期公演」の演奏会。ピアノ独奏にアリス・紗良・オットを迎え、リスト:ピアノ協奏曲第1番、さらにハイドン:交響曲第100番、レーガー:モーツァルトの主題による変奏曲とフーガが演奏された。

 ピアノのアリス=紗良・オット(1988年生れ)は、ドイツ・ミュンヘン出身。父親がドイツ人、母親が日本人。ピアニストのモナ=飛鳥・オットは実妹。オーストリアのザルツブルク・モーツァルテウム大学で学ぶ。2003年バイロイト音楽祭に招かれ、ワーグナー愛用のピアノを使用してリサイタルを開催。2004年「イタリア・シルヴィオ・ベンガーリ・コンクール」優勝、同年中村紘子(1944年―2016年)の招きにより日本でのデビューを果たす。2005年「ヨーロッパピアノ指導者連盟コンクール」優勝。2010年「クラシック・エコー・アワード2010」にてヤング・アーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞。

 指揮のファビオ・ルイージ(1959年生れ)は、イタリア、ジェノヴァ出身。パガニーニ音楽院およびグラーツ音楽院で学ぶ。1984年グラーツ歌劇場で指揮活動を開始。1990年グラーツ交響楽団を創設し、1995年まで芸術監督を務めた。その後、ライプツィヒ放送交響楽団芸術監督、スイス・ロマンド管弦楽団首席指揮者、ウィーン交響楽団首席指揮者、シュターツカペレ・ドレスデン音楽監督、メトロポリタン歌劇場首席指揮者、チューリッヒ歌劇場音楽総監督、ダラス交響楽団音楽監督、デンマーク国立管弦楽団首席指揮者を歴任。 2013年メトロポリタン歌劇場とのワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」の録音によりグラミー賞を受賞。 2017年デンマーク国立交響楽団首席指揮者、2019年フィレンツェ五月音楽祭音楽監督に就任。2022年9月NHK交響楽団首席指揮者に就任。


 ハイドン:交響曲第100番 ト長調は、1793年から94年にかけて作曲された交響曲。いわゆる”ロンドン交響曲”のうちの1曲であり、「軍隊」の愛称で知られている。「軍隊」という愛称は、有名な”トルコ軍楽”の打楽器(トライアングル、シンバル、バスドラム)が第2楽章と、終楽章の終わりで使われていることによる。18世紀のヨーロッパの宮廷ではトルコがエキゾティシズムの象徴となり、様々な”トルコ風音楽”が流行として取り入れられた。初演は1794年3月31日にロンドンのハノーヴァー・スクエア・ルームズにおける第8回ザーロモン演奏会で行われた。

 今夜のハイドン:交響曲第100番「軍隊」でのファビオ・ルイージ指揮NHK交響楽団の演奏は、全体にキリリと引き締まったテンポで曲が進む。実に堂々とした構成力を持った、力強い演奏内容だ。ハイドンの交響曲というと、何か長年の慣習というか、しきたりのようなものが存在して、その枠からなかなか抜け出せないのが通例。しかし、今夜のファビオ・ルイージ指揮NHK交響楽団は、そんなことには一切お構えなしに、自らの信念に基づいて曲を進める。指揮者とオーケストラの奏者一人一人の心意気がピタリと合っている。N響のメンバーがァビオ・ルイージを信頼しきって演奏していることが、聴き進めるうちにじわじわと伝わってくる。この結果、ハイドンの交響曲が、現代の我々の感覚にも違和感なくストレートに伝わってくる。曲全体が生き生きした躍動感に包まれ、ハイドンの交響曲が光り輝いた一瞬が、そこには確かにあった。


 リスト:ピアノ協奏曲第1番は、1830年代から1856年にかけて作曲された。同曲の着想は、1830年代頃からすでに着手していたと考えられている。1835年に初稿が完成した。その後リストはこの初稿を単一楽章の形式に改訂を行い、1839年に初稿の改訂版をひとまず完成させている。再開したのは7年後の1846年で、1849年7月に最終稿を完成させた。しかし完成後すぐには発表せず、1853年に再び改訂し、初演後の1856年にはさらなる推敲が加えられている。初演は1855年2月17日、ヴァイマルの宮廷において、ベルリオーズの指揮と作曲者自身のピアノによって行われた。

 今夜のアリス=紗良・オットをソリストに迎えたリスト:ピアノ協奏曲第1番の演奏は、アリス=紗良・オットの入魂のピアノ独奏が際立った。何かピアノと決闘でもするかのような迫力がスピーカーを通して聴き取れた。ただ単にリスト風の演奏に徹するのではなく、一度リストから離れて、再度このピアノ協奏曲に挑戦するかのするような生々しさがある演奏だ。ロマン派のピアノ協奏曲をただなぞるのではなく、今生きる我々が、この曲からくみ取れるものは何かををトコトン追及した演奏が強く印象に残った。今夜のアリス=紗良・オットの演奏を聴いていると、新しいクラシック音楽の演奏の一つの答えがそこにはあるように感じられた。ベートーヴェンもシューベルトもリストも、当時の聴衆の感覚に合ったから高い評価が得られたのだ。アリス=紗良・オットが、今後、クラシック音楽の演奏の改革の旗手を務めるのではないかとさえ感じさせた演奏ではあった。


 レーガー:モーツァルトの主題による変奏曲とフーガは、主題、第1変奏~第8変奏、フーガからなっている。モーツァルトのピアノソナタ第11番「トルコ行進曲付き」の第1楽章から主題を取った変奏曲で、1914年4月から7月にかけて作曲された。初演は、1915年1月8日にヴィースバーデンでレーガーの指揮によって行われた。作曲にあたっては当時の音楽界の「混乱」、同時代人たちの作品の「不自然さ、奇妙さ、奇抜さ」への対抗の宣言という意図があったという。レーガーの作品のなかでも明快さと高い完成度を持つ代表作で、現在でも演奏機会は多い。

 今夜のファビオ・ルイージ指揮NHK交響楽団によるレーガー:モーツァルトの主題による変奏曲とフーガは、NHK交響楽団の持つ重厚な味わいをファビオ・ルイージが存分に引き出すことに成功した演奏となった。今夜の最初の曲のハイドン:交響曲第100番「軍隊」においては、華麗な仕上がりが特徴の、どちらかというとフランス系あるいはイタリア系のオーケストラを思い起こさせる軽快さに満ちていた。一方、レーガー:モーツァルトの主題による変奏曲とフーガでは、がらりと変え、ドイツ系あるいはオーストリア系のオーケストラの持つような重厚さを前面に打ち出した演奏となった。一晩の演奏で異なる感触の演奏が聴けるのも、生の演奏会ではの醍醐味であることを教えてくれた。特にレーガーの曲の最後の「フーガ」の演奏では、ファビオ・ルイージ指揮N響の奏でる何重にも重なり合った重厚な響きに圧倒され、暫し間、酔いしれた。(蔵 志津久)
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●クラシック音楽●<NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー>~アルゲリッチとバレンボイム指揮ベルリン・フィルの共演~

2023-10-24 09:59:21 | NHK‐FM「ベストオブクラシック」レビュー



<NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー>



~アルゲリッチとバレンボイム指揮ベルリン・フィルの共演~



シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 
ビゼー:「こどもの遊び」から「ままごと遊び」(アンコール)
      (ピアノ連弾:マルタ・アルゲリッチとダニエル・バレンボイム)
ブラームス:交響曲 第2番

ピアノ:マルタ・アルゲリッチ

指揮:ダニエル・バレンボイム

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 

収録:2023年1月6日、ドイツ、ベルリン、フィルハーモニー

放送:9月26日(火)午後7:30〜午後9:10

 ピアノのマルタ・アルゲリッチ(1941年生まれ)は、アルゼンチン出身。1955年家族とともにオーストリアに移住し、ウィーン、ザルツブルク、ジュネーヴ、イタリアなどでピアノを学ぶ。1957年「ブゾーニ国際ピアノコンクール」優勝。また、「ジュネーブ国際音楽コンクール」の女性ピアニストの部門においても優勝。1965年「ショパン国際ピアノコンクール」で優勝。その後、徐々に活動の中心をソロ演奏から室内楽に移していく。1990年代に入ると、今度は自身の名を冠した音楽祭やコンクールを開催し、若手の育成に力を入れる。日本においての「別府アルゲリッチ音楽祭」の取り組みなどが高く評価され、第17回「高松宮殿下記念世界文化賞」(音楽部門)受賞、「旭日小綬章」受章するなど、日本とのかかわりは深い。2007年「別府アルゲリッチ音楽祭」の主催団体であるアルゲリッチ芸術振興財団の総裁に自ら就任し、1998年以降は「別府アルゲリッチ音楽祭」のため毎年来日している。

 ダニエル・バレンボイム(1942年生れ)は、アルゼンチン出身で現在の国籍はイスラエル。両親からピアノの指導を受け、少年時代から音楽の才能を発揮する。7歳のときブエノスアイレスで最初の公開演奏会を開いた。1952年家族を挙げてイスラエルに移住。同年ピアニストとしてヨーロッパ・デビューを果たす。1957年にはニューヨークのカーネギー・ホールで米国デビュー。ピアニストとしての名声を確固たるものとした後、1966年からイギリス室内管弦楽団と弾き振りでモーツァルトのピアノ協奏曲の録音を開始し、指揮者としてのデビューも果たす。パリ管弦楽団首席指揮者、シカゴ交響楽団音楽監督、ミラノ・スカラ座音楽監督、ベルリン国立歌劇場音楽総監督、シュターツカペレ・ベルリン音楽監督を歴任。2019年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団名誉指揮者に就任。これまでウルフ賞、グラミー賞、高松宮殿下記念世界文化賞など多数の受賞歴がある。ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート指揮者は、これまで3回(2009年、2014年、2022年)務めている。

 ダニエル・バレンボイムは、今年(2023年)で81歳。2022年のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートを指揮した後に、体調不良でコンサートを相次ぎキャンセルし,長年勤めてきたベルリン国立歌劇場音楽総監督も辞任した。健康状態が不安視されていたが、2023年に入ると、1月に今日放送の演奏会、8月には自ら設立したウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団(1999年にユダヤ系指揮者のダニエル・バレンボイムとパレスチナ系文学者のエドワード・サイードにより設立されたオーケストラ)とヨーロッパツアーを指揮した。さらに秋にはベルリン国立歌劇場管弦楽団とブラームスの交響曲全曲演奏会を行うことが予定されているなど、健康にも回復の兆しが見えている。ダニエル・バレンボイムは、ベルリン・フィルとは、1964年にピアニストとして、1969年には指揮者としてデビューした。以来、数々の共演を果たし、その功績から2019年ベルリン・フィルとして初の名誉指揮者に任命されている。


 シューマンは、 1841年、後にピアノ協奏曲の第1楽章となる「ピアノと管弦楽のための幻想曲」を作曲した。1845年にそれを改作し、間奏曲とフィナーレの2楽章を加えてピアノ協奏曲として完成させた。この曲はシューマンの作曲した唯一のピアノ協奏曲となった。 曲は3楽章からなり、第2楽章と第3楽章の間は休みなしに演奏される。1846年1月1日、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスで、妻のクララ・シューマンの独奏、献呈者フェルディナント・ヒラー指揮で初演された。

 今夜のシューマン:ピアノ協奏曲のマルタ・アルゲリッチは、彼女独特の華やかで輝きに満ちたピアノ演奏を聴かせてくれた。この華やかさは、アルゲリッチ以外のピアニストには決して求められないものだ。80歳を超えてもまだ若々しいエネルギッシュなピアノ演奏に、一点の陰りもない。今夜のアルゲリッチの演奏を聴きながら、アルゲリッチが1971年に録音した、リスト:ピアノソナタ/シューマン:ピアノソナタ第2番のCDを思い出した。さすがに現在では凍り付くような凄みは少々影を潜めた感はあるが、50年を経過してもそのエネルギッシュな演奏にいささかの変わりはない。アンコールで弾いたダニエル・バレンボイムとの連弾は、二人の息もぴったり合い、ほのぼのとした響きが会場いっぱいに広がるのが聴き取れた。今夜の演奏を聴いて、マルタ・アルゲリッチは、今後まだまだ第一線のピアニストとして活躍することができそうだ、という印象を強く持った。


 ブラームスの交響曲第2番ニ長調作品73は、1877年に作曲され、”ブラームスの「田園」交響曲”と呼ばれることもある。1877年6月、ブラームスは南オーストリアのケルンテン地方、ヴェルター湖畔にあるペルチャッハに避暑のため滞在、第2交響曲に着手し、9月にはほぼ完成した。10月にバーデン=バーデン近郊のリヒテンタールに移り、そこで全曲を書き上げた。交響曲第2番は、1877年12月30日に、ハンス・リヒター指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演された。

 今夜のダニエル・バレンボイム指揮ベルリン・フィルのブラームスの交響曲第2番の演奏は、真正面からブラームスを捉え、実に堂々とした演奏を聴かせてくれた。バレンボイムは、1年ほど前から体調を崩し、ようやくカンバックを果たした最初の演奏会が今夜のコンサートなので、果たしてどのような演奏を聴かせてくれるのか少々不安に駆られた。ところがそんな不安を払拭するように実に力強いブラームスの2番を聴かせてくれた。今夜のベルリン・フィル弦楽器群は、バレンボイムに寄り添い、鋼鉄のような力強い響きを聴かせてくれた。それに加えて、管楽器群の各プレーヤーたちが思う存分腕を振るい、実に楽し気に演奏していたことが強く印象に残った。バレンボイムの指揮の優れているところは、万人に等しくその曲の醍醐味を伝え切ってくれること。決して奇をてらったり、晦渋さをことさら強調しない。今夜の放送は、アルゲリッチ同様、バレンボイムも、これからも第一線で活躍してくれることを予感させる素晴らしい演奏会となった。(蔵 志津久)
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●NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー●ティボー・ガルシア ギター・リサイタル

2023-09-26 09:38:32 | NHK‐FM「ベストオブクラシック」レビュー



<NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー>



~ティボー・ガルシア ギター・リサイタル~



ベートーベン(バリオス:編曲):ソナタ 作品27 第2「月光」から 第1楽章
バリオス:蜜蜂
     大聖堂
ショパン(バリオス:編曲):24の前奏曲 作品28 第20
バリオス:マシーシ
     フリア・フロリダ(舟歌)
     ワルツ ニ短調 作品8 第3
     ワルツ ト長調 作品8 第4
アルベニス:赤い塔
カタルーニャ民謡(リョベート:編曲):「アメリアの遺言」「聖母の御子」
アルベニス:アストゥーリアス
タレガ:「アランブラ宮殿の思い出」
ジュリアーニ:ロッシニアーナ 第1番
ラミレス:「アルフォンシーナと海」(アンコール)
マレー:「人間の声」(アンコール)

ギター:ティボー・ガルシア

収録:2023年6月21日、ハクジュホール(Hakuju Hall)

放送:2023年09月19日 午後7:30~午後9:10

 ギターのティボー・ガルシア(1994年生まれ)は、フランス、トゥールーズ出身。7歳でギターを弾き始める。トゥールーズで学び、ルノー・グラスのクラスで室内音楽の学位と、パウル・フェレのクラスで特待生としてギターの学位を取得。16歳でパリ国立高等音楽・舞踏学校(CNSMDP)に入学し、オリヴィエ・シャサンに師事して優秀な成績で学士号を得た。ジュディカエル・ペロワのプライベート・レッスンも受けている。2016年トゥールーズ・キャピトル国立管との協演でコンチェルト・デビューし、この後BBC響等と協演。2017年、イギリスのBBCニュージェネレーション・アーティストに指名され、2018年10月にロンドンのウィグモアホールにデビュー。室内楽では、エドガー・モロー、ジャン・フレデリック・ヌーブルジェ等と共演、またカウンターテナーのフィリップ・ジャルスキーとも共演&録音を行う。

 ティボー・ガルシアの主な受賞歴を挙げると次のようになる。2008年「ヴァジャ・デ・エゲス国際コンテスト」(スペイン)で1位。2011年「アナ・アマリア国際コンテスト」(ドイツ・ヴァイマール)で1位。2013年「セビリア国際コンテスト」(スペイン)で1位。2013年「テラ・シクロラム国際コンテスト」(ルーマニア)で1位。2014年「ホセ・トマス国際コンテスト」(スペイン)で1位。2015年「GFA国際コンテスト」(アメリカ・オクラホマシティ)1位。これらを見ても分かるようにティボー・ガルシアの力量は、世界第一級であることが裏付けされる。活躍の場は、コンサートに止まらずに、2019年11月公開の映画「マチネの終わりに」(福山雅治&石田ゆり子ダブル主演、原作:平野啓一郎)では、天才ギタリスト役で登場した。


 ギターは、弦楽器の一種で、フレットのついた指板、基本的に6本の(あるいは12本の)弦をそなえ、指やピックで弦を弾いたり掻き降ろすことで演奏する。弦楽器の中のリュート属に分類されるが、弦を弾くことにより撥弦楽器に分類される。クラシック音楽のほか、フラメンコ、フォルクローレ、ジャズ、ロック、ポピュラー音楽など幅広いジャンルで用いられる。ギターは、スペイン起源の楽器といわれる。ヨーロッパ中世後期の楽器であるギターララティーナをもとにして、16世紀初期に派生した。初期のギターは、現代のギターと比べてもっと細身で厚みがあり、くびれの程度も少なかった。そしてギターは、ビウエラという、スペインでリュートの代わりに演奏されていた、ギターに似た形の楽器と緊密な関係を持つ。17世紀に5組目の弦が加えられ、さらに18世紀の終わりころには6組目の弦が加えられた。この弦の増加は音域を広げることにつながった。そして、フランス、イタリアにおいて、現在使われている6単弦のギターが誕生。これによりギターの出せる音域が拡大し、楽器として広く利用されるようになった。

 このようにギターの歴史を紐解くと、スペインさらにはフランスへと行き着くことが分かる。ティボー・ガルシアは、スペイン系フランス人として、フランス、トゥールーズで生まれ育った。まさに、ティボー・ガルシアは、ギター演奏家として申し分のない血筋を持っていると言えよう。


 今夜の「NHK-FMベストオブクラシック」は、2023年6月21日、ハクジュホールで行われた「ティボー・ガルシア ギター・リサイタル」の放送である。今夜のティボー・ガルシアの演奏は、我々が思い描くギター演奏を遥かにしのぎ、深みを持った演奏内容に終始していた。よく ”ギターは小さなオーケストラ” と表現されるが、今夜のティボー・ガルシアの演奏を聴くと、真っ先にこのことが脳裏に浮かんだ。一音一音はとても繊細な演奏を聴かせるのだが、一曲一曲が終わると、その情熱の熱いほとばしりがリスナーを魅了して止まない。そして、すべての演奏に、どことなく哀愁味が含まれているところもティボー・ガルシアの大きな魅力だ。

 例えば、第1曲目のベートーベン(バリオス:編曲):ソナタ 作品27 第2「月光」などは、いつもの聴きなれた「月光」とは ひと味違い、何とも人間味にあふれた演奏に心引かれた。今夜の演奏会の前半は、パラグアイのギタリスト・作曲家・詩人であるバリオスの作品を中心に演奏されたが、ティボー・ガルシアのバリオスに対する共感が一杯に詰まった演奏内容で、マイクからその思いが零れ落ちて来るかのようにも聴こえた。
 
 今夜の演奏会の候半は、スペインの作曲家アルベニスとリョベートを中心に演奏された。これらの作品では、やはりスペイン人の血が騒ぐのであろうか、曲の細部に至るまで神経の行き届いた演奏内容で、聴衆の心を掴んだようだ。ティボー・ガルシアの演奏は、少しも押しつけがましいところはない。聴衆に語り掛けるように演奏するのだ。これがなかなかいい。今夜は、ティボー・ガルシアのそんな身上がいかんなく発揮された演奏会となったようだ。<蔵 志津久>
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●NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー●ベルトラン・シャマユとベルチャ四重奏団のショスタコーヴィチ:ピアノ五重奏曲/フランク:ピアノ五重奏曲

2023-08-22 09:52:22 | NHK‐FM「ベストオブクラシック」レビュー



<NHKーFM「ベストオブクラシック」レビュー> 




~ベルトラン・シャマユとベルチャ四重奏団のショスタコーヴィチ:ピアノ五重奏曲/フランク:ピアノ五重奏曲~



ショスタコーヴィチ:ピアノ五重奏曲 ト短調 作品57
フランク:ピアノ五重奏曲 ヘ短調
ドボルザーク:ピアノ五重奏曲第2番 イ長調 作品81から第3楽章(アンコール)

ピアノ:ベルトラン・シャマユ

弦楽四重奏:ベルチャ四重奏団

収録:2023年4月13日、イギリス、ロンドン、ウィグモア・ホール

放送:2023年7月25日 午後7:30~午後9:10

 今夜のNHKーFM「ベストオブクラシック」は、2023年4月13日にイギリスのロンドン「ウィグモア・ホール」で行われたピアノのベルトラン・シャマユとベルチャ四重奏団によるショスタコーヴィチ:ピアノ五重奏曲のフランク:ピアノ五重奏曲の演奏会の放送である。2曲とも、あまりとっつき良い曲とは言いかねるが、じっくりと聴きこむと室内楽曲の至宝ともいえるその真価に触れることができる。


 ピアノのベルトラン・シャマユ(1981年生まれ)は、フランスのトゥールーズ出身。トゥールーズ音楽院のクロディーヌ・ウィロースに、さらにパリ音楽院のジャン=フランソワ・エッセールに師事し、15歳でパリ音楽院に入学。その後、ロンドンにてマリア・クルチオから個人的な指導を受けたほか、レオン・フライシャー、ドミトリー・バシキーロフからも薫陶を受け、マレイ・ペライアからは最大の影響を受けた。2001年「ロン=ティボー国際コンクール」第4位に入賞し、その後世界各国の主要な管弦楽団との共演、音楽祭への出演、室内楽の演奏などを行う。ロマン派音楽を中心的なレパートリーとするほか、ラヴェルさらにアンリ・デュティユー、ピエール・ブーレーズ、エサ=ペッカ・サロネンといった現代の作曲家の新作の演奏においても存在感を発揮している。2015年には芸術文化勲章「シュヴァリエ」を授与されたほか、「ヴィクトワール賞」を唯一3度受賞している。

 ベルチャ弦楽四重奏団は、1994年、ルーマニアのコリーナ・ベルチャ(ヴァイオリン)、ポーランドのクシシュトフ・ホジェルスキー(ヴィオラ)、その他2人の創設者と共に英国王立音楽大学で結成された。その後、フランスのアクセル・シャハー(ヴァイオリン)とアントワーヌ・レデルラン(チェロ)が加わった。伝統的なことに捉われず、様々な文化的背景に裏打ちされたダイナミックで自由な音楽解釈を持つ。この多様性が幅広いレパートリーを可能にしており、弦楽四重奏曲の全曲録音では、バルトーク、ベートーヴェン、ブリテンのほか、ブラームスのアルバムが「ディアパソン・ドール賞」を受賞。一方で数多くの現代作品の初演も行っている。2017~2022年にピエール・ブーレーズ・ザールのアーティスト・イン・レジデンスを務めたほか、2010年よりアルテミス弦楽四重奏団と共にウィーン・コンツェルトハウスのレジデンス・アンサンブルとして毎年登場している。なお、今回の演奏会では、ヴァイオリンのアクセル・シャハーの代わりにアポロン・ミューザゲート四重奏団のメンバーが加わり演奏している。


 ショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲 ト短調 作品57は、1940年夏に着手し同年9月14日完成した、5つの楽章からなるピアノ五重奏曲。第1,2楽章と第4,5楽章が続けて演奏されるので,全体的には第3楽章を中心としたシンメトリカルな構成となっている。ショスタコーヴィチの作品のみならず,20世紀の室内楽を代表する名曲の一つ。1941年にスターリン賞を受賞した。初演は、1940年11月23日、モスクワにおいて、ベートーヴェン弦楽四重奏団とショスタコーヴィチのピアノ演奏で行われた。

 今夜のベルトラン・シャマユとベルチャ四重奏団によるショスタコーヴィチ:ピアノ五重奏曲の演奏は、骨太といおうか、演奏の構成ががっちりとしていて、一部の隙も許さないような緊張感に包まれ演奏を披歴した。ショスタコーヴィチは、当時のソ連政府から社会主義リアリズムに沿った曲作りを陰に陽に強要され悩むが、この曲はそれに対するショスタコーヴィチの一つの回答となっており、全体に明解な曲作りを行い、それが成功しているようだ。しかし、第2、3楽章などは、ショスタコーヴィチの苦悩が顔を覗かせる。ベルトラン・シャマユとベルチャ四重奏団は、この辺の機微を実に巧みに演奏に盛り込むことに成功。ピアノのベルトラン・シャマユとベルチャ四重奏団の5人は、完全に一つに融合し合い、その下で力強く曲を弾き進める。その鮮やかな演奏技法に最後まで引き付けられた。


 フランクのピアノ五重奏曲 ヘ短調は、1878年から1879年にかけて作曲された。フランクは、ピアニストとしてキャリアをスタートさせ、創作の初期にはピアノ三重奏曲集を作曲するなど室内楽曲も手掛けたが、サント・クロチルド聖堂のオルガニストに就任してからの中期には室内楽曲から遠ざかっていた。1874年にワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」に触発されたフランクは、旺盛な作曲意欲を見せる後期に入るが、ここで彼は30年以上の空白期間を経て再び室内楽の分野に舞い戻り、有名な「ヴァイオリンソナタ」や「弦楽四重奏曲」などの傑作を生みだした。そうした一連の室内楽曲創作の口火を切ることになったのが、このピアノ五重奏曲である。このピアノ五重奏曲において、冒頭に提示されるモチーフによって全曲の有機的統一が図られる循環形式を採用。

 今夜のベルトラン・シャマユとベルチャ四重奏団によるフランク:ピアノ五重奏曲の演奏は、ショスタコーヴィチ:ピアノ五重奏曲の演奏に比べ、抒情見あふれる演奏を聴かせてくれた。ただ、このピアノ五重奏曲でも重厚な演奏の特質は変わらず、その構成力が一際さえわたり、フランクの音楽の持つドイツ音楽風な一側面が存分に発揮された演奏に終始していた。フランクはオルガン奏者としてもその腕を発揮したが、今夜のベルトラン・シャマユとベルチャ四重奏団の演奏は、どことなく深遠なオルガンの響きが聴こえてくるような荘厳さを秘めたピアノ五重奏曲の演奏と言ったらようであろうか。ピアノのベルトラン・シャマユの演奏は、透明感のある、伸びやかな音色で、しみじみとした説得力のあるもので、ベルチャ四重奏団の演奏と結び合い、今夜の演奏を滋味あふれるものにしていた。(蔵 志津久)
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●クラシック音楽●<NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー>~トン・コープマン指揮カメラータ・ザルツブルクのモーツァルト演奏会~

2023-07-25 09:36:48 | NHK‐FM「ベストオブクラシック」レビュー



<NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー>




~トン・コープマン指揮カメラータ・ザルツブルクのモーツァルト演奏会~



①モーツァルト:交響曲 第20番 ニ長調 K.133

  指揮:トン・コープマン

  管弦楽:カメラータ・ザルツブルク

②モーツァルト:ファゴット協奏曲 変ロ長調 K.191

  ファゴット:リッカルド・テルツォ

  指揮:トン・コープマン

  管弦楽:カメラータ・ザルツブルク

③モーツァルト(リッカルド・テルツォ:編曲):歌劇「フィガロの結婚」から「恋とはどんなものかしら」」(アンコール)

  ファゴット:リッカルド・テルツォ

  指揮:トン・コープマン

  管弦楽:カメラータ・ザルツブルク

④モーツァルト:フリーメーソンのための葬送の音楽 ハ短調  K.477(479a)

  指揮:トン・コープマン

  管弦楽:カメラータ・ザルツブルク

⑤モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調 K.622

  クラリネット:ダニエル・オッテンザマー

  指揮:トン・コープマン

  管弦楽:カメラータ・ザルツブルク

⑥モーツァルト:歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」から「さわやかに風よ吹け(アンコール)

  クラリネット:ダニエル・オッテンザマー、ウォルフガング・クリンザー

  バス・クラリネット:モニカ・ヴィースターラー

収録:2023年1月30日、オーストリア、ザルツブルク、モーツァルテウム大ホール

放送:2023年7月14日 午後7:30~午後9:10

 今夜のNHK-FM「ベストオブクラシック」は、2023年1月30日、オーストリア、ザルツブルク、モーツァルテウム大ホールで行われたトン・コープマン指揮カメラータ・ザルツブルクによる演奏会の放送である。曲目は、オールモーツァルトプログラムで、若い頃の作品2曲(交響曲第20番とファゴット協奏曲)それに晩年の作品2曲(フリーメーソンのための葬送の音楽とクラリネット協奏曲)の合計4曲である。


 指揮のトン・コープマン(1944年生まれ)はオランダ出身。古典学を修めた後、アムステルダム音楽院でオルガンとチェンバロを学び、音楽学をアムステルダム大学で学ぶ。1979年にアムステルダム・バロック管弦楽団を創設。1992年にはアムステルダム・バロック合唱団を併設し、高い評価を受ける。わけてもバッハの宗教曲やモーツァルトの交響曲の演奏・録音を通じて、オリジナル楽器演奏運動の先駆けとなる。ノリントン、ガーディナー、インマゼールといった指揮者たちが古楽のアプローチでロマン派音楽にも進出したのに対し、コープマンは、ハイドンやモーツァルトの作品は古典派ピッチではなくバロック・ピッチで演奏・録音を行い、ベートーヴェン以降の音楽については、オリジナル楽器アンサンブルで演奏することはない。コープマンはバッハのカンタータ全曲録音を2005年に完了した他、バッハのオルガン作品全集の録音を3度目の挑戦で成し遂げた。ソリストや指揮者としての数々の録音によって、数多くの受賞歴を持つ。

 カメラータ・ザルツブルクは、オーストリアのザルツブルクを拠点とする室内オーケストラで、指揮者でありモーツァルテウム音楽院の院長でもあったベルンハルト・パウムガルトナー(1887年―1971年)により1952年に創立された。以前は、モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ・ザルツブルクあるいはカメラータ・アカデミカ・ザルツブルクと呼ばれていた。メンバーはモーツァルテウム音楽院の教授と学生たち。①モーツァルトに最適な室内オーケストラの編成②パウムガルトナーという優れた指揮者③モーツァルトをよく理解している優秀なメンバー④ザルツブルクという好条件に恵まれたこと、などでカメラータ・ザルツブルクは急速にその活動を内外に広げた。特に、モーツァルトの初期の作品や全集など、数多くのレコーディングを行った。1971年のパウムガルトナーの死去以降は、ウルス・シュナイダー、アントニオ・ヤニグロ、シャーンドル・ヴェーグ、ロジャー・ノリントンが首席指揮者を務めた。


①モーツァルト:交響曲 第20番 ニ長調 K.133

 モーツァルト:交響曲 第20番 ニ長調 K.133は、弦楽とオーボエ2、ホルン2、トランペット2の楽器編成で全4楽章で構成されている。演奏時間は約28分。1772年7月、16歳の頃に作曲された。何故モーツァルトがこの交響曲を作ろうとしたのかは分かっていないが、トランペット2本が加えられていることから何かの祝祭イベントのために作曲したのかと推測されている。

 今夜の、この曲でのトン・コープマン指揮カメラータ・ザルツブルクの演奏は、躍動感がひと際印象に残る演奏で、その華やかで生き生きとした演奏を聴いていると、「何かの祝祭イベントのために作曲されたのでは」とい話が真実味を持って聴こえてくる。コープマンの指揮ぶりは、歳を感じさせない実にキビキビとしたもので、晩年の作品とは異なる、モーツァルトの原点ともいうべき簡素な響きを我々リスナーに余すところなく届けてくれた。


②モーツァルト:ファゴット協奏曲 変ロ長調 K.191

 モーツァルト:ファゴット協奏曲 変ロ長調 K.191は、モーツァルトが18歳の時の作品で、古今のファゴット協奏曲の中で最もよく知られた作品。この協奏曲が作曲された事情や初演についてはわかっていないが、1774年6月4日にザルツブルクで完成しており、ザルツブルクの宮廷楽団員のために書かれたと考えられている。3楽章からなり、演奏時間は約17分。

 ファゴットのリッカルド・テルツォ(1990年生まれ)は、イタリアのパレルモ出身。7歳よりマウリッツィオ・バリジオーネの下でファゴットを学び始める。同時に作曲とピアノを学び、ピアノではディプロムを取得。その後、モーツァルテウム音楽大学においてマルコ・ポスティンゲル、ミュンヘン国立音楽大学においてダーク・イェンセンに師事。2009年よりグスタフ・マーラー・ユーゲントオーケストラに参加。2010年よりモーツァルテウム管弦楽団の首席奏者を務める。ウィーン国立歌劇場管弦楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、チューリッヒ歌劇場等に首席奏者として客演。また「ロッシーニ国際ファゴットコンクール」、「IDRS国際ダブルリードコンクール」をはじめ、その他多くの国際コンクールで第1位。毎夏、オーストリアのバード・ゴイザーンやサルツブルク市内で行われるマスタークラスで講師を務める。2018年よりライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の第一首席奏者を務める。

 今夜の、この曲でのリッカルド・テルツォのファゴットは、一音一音を実に丁寧に、しかも明確に弾きこなし、ファゴットが持つ独特の音の奥深さをものの見事に表現し尽くしていた。完璧な技巧力に加え、どことなく、ほのぼのとした情感も巧みに醸し出すと同時に、何かユーモラスな一面も持ち合わせたその演奏能力の高さには感心させられた。


④モーツァルト:フリーメーソンのための葬送の音楽 ハ短調  K.477(479a)

 モーツァルト:フリーメーソンのための葬送の音楽 ハ短調  K.477(479a)は、1785年(29歳)にウィーンで作曲された。モーツァルト自身が作品目録に「同志メクレンブルクと同志エステルハージの死去に際してのフリーメイソンの葬送音楽」と書いている。モーツァルトはフリーメイソンのための音楽を多く作曲しているが、同作は最も有名な作品として広く知られ、後に作曲された「レクイエム」(1791年)に通じるものがある。

 今夜の、この曲でのトン・コープマン指揮カメラータ・ザルツブルクの演奏は、いたずらに悲壮感を強調するのでなく、この曲の持つ奥深さをさりげなく表現したことが、逆に鎮魂の思いを強く印象付ける結果になったようだ。曲は 69小節の短い曲で、3部で構成されている。教会作品でこそないが、宗教的な楽曲である。コープマンの指揮は、静かに深く深く沈潜し、モーツァルトの哀悼の思いを見事に描き切っていた。


⑤モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調 K.622

 モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調 K.622は、1791年(モーツァルトの死の年=35歳)に作曲された。モーツァルトが協奏曲のジャンルで遺した最後の作品であり、クラリネットのための唯一の協奏曲。当時、ウィーン宮廷楽団に仕えていたクラリネットとバセットホルンの名手のシュタードラーのために書かれた作品。当時まだ新参の楽器であったクラリネットの特性をモーツァルトはすでによく捉えており、特に最低音近くの音域を十分に鳴り響かせ、高音域との対照効果を巧みに引き出している。

 クラリネットのダニエル・オッテンザマー(1989年生まれ)は、オーストリア、ウィーン出身。ウィーン音楽演劇大学でヨナン・ヒントラーに学び、2006年にウィーン・フィルおよびウィーン国立歌劇場管弦楽団に入団。2009年よりには両団の首席クラリネット奏者となり、ソリスト、室内楽の分野で幅広く活躍し、世界各国の主要なコンサートホールに出演。2009年「カール・ニールセン国際クラリネットコンクール」の入賞をはじめとする国際コンクールでの数々の輝かしい受賞歴を持つ。2010年ベルリン・ドイツ交響楽団の首席奏者に就任。そして2011年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者オーディションに合格。2005年には、ともにウィーン・フィルの首席奏者である父親のエルンストと兄のダニエルとのトリオ“クラリノッッティ”を結成。このトリオのために多くの作品が作曲され、CDも発売されている。また2007年に創設された、ウィーン・フィル公認の室内アンサンブル「ザ・フィルハーモニクス」のメンバーであり、クラシック音楽のみならず、ジャンルを超えた音楽に幅広く取り上げている。

 今夜の、この曲でのダニエル・オッテンザマーの演奏は、輝かしくも伸び伸びとしたクラリネットの音色を自在に弾き分け、自己の世界を思う存分描き切っていた。第二楽章で披露した哀愁を含んだ巧みなクラリネット独特な表現も、リスナーにとって心地良いことこの上ない。今夜の演奏を聴くと、日本にも多くのダニエル・オッテンザマーのファンがいることが十分にうかがい知れる。


 今夜のNHK-FM「ベストオブクラシック」の放送は、モーツァルトの生涯に思いを馳せ、ヨーロッパの古を今に伝える優れた演奏の数々を聴くことができた。これが揺らがぬ”伝統の響き”というものなのであろう。(蔵 志津久)
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●クラシック音楽●<NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー>~パスカル・ロジェ ピアノ・リサイタル~

2023-06-27 09:37:40 | NHK‐FM「ベストオブクラシック」レビュー



<NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー>




~パスカル・ロジェ ピアノ・リサイタル~



サティー:ジムノペディ 第1番/第2番/第3番
フォーレ:8つの小品 作品84から 第5曲 即興
     即興曲 第2番 ヘ短調 作31
     ノクターン 第1番 変ホ短調 作品33 第1
     舟唄 第4番 変イ長調 作品44
ラヴェル:「鏡」から「海原の小舟」
     水の戯れ
     ソナチネ
ドビュッシー:映像 第2集 葉ずえを渡る鐘/荒れた寺にかかる月/金色のさかな
       映像 第1集から 水に映る影
       版画 塔/グラナダの夕暮れ/雨の庭

ピアノ:パスカル・ロジェ

収録:2022年11月30日、東京文化会館 小ホール 

放送:2023年4月19日 午後7:30 ~ 午後9:10

 今夜のNHK-FM「ベストオブクラシック」は、2022年11月30日、東京文化会館小ホールで開催されたフランスの名ピアニストのパスカル・ロジェのサティー、フォーレ、ラヴェル、ドビュッシーの演奏会の放送である。


 ピアノのパスカル・ロジェ(1951年生まれ)はフランス、パリ出身。音楽一家に生まれ、オルガン奏者だった母からピアノを学ぶ。11歳の時、パリでデビュー。アメリカ出身の名ピアニストだったジュリアス・カッチェン(1926年―1969年)に師事した唯一のピアニスト。同期のフランス人ピアニストにはジャン=フィリップ・コラールなどがいる。1971年「ロン=ティボー国際コンクール」第1位。それ以降、世界の主要なコンサートホールに登場。オーケストラでは、パリ管、フランス国立管、ロイヤル・コンセルトへボウ管など、指揮者では、ロリン・マゼール、サイモン・ラトル、クルト・マズアなどと共演。フランスのピアノ奏法に典型的な優雅さと精巧さを体現するピアニストの一人とされ、サン=サーンス、フォーレ、サティ、ドビュッシー、ラヴェル、プーランクらフランス近代の作曲家のピアノ曲を全曲録音している。同時に、ハイドンからブラームスに至るドイツ・オーストリアのピアノ曲も得意としている。


サティー:ジムノペディ 第1番/第2番/第3番

 今夜のパスカル・ロジェのサティーの曲の演奏は、実にしみじみとした雰囲気を湛えた演奏に終始した。サティーの音楽を演奏するピアニストは、どちらかというと、何か研ぎ澄まされたような感覚で演奏することが多いように感じる。サティーは特別な存在の作曲家なのだという思いが強いからなのであろう。ところがパスカル・ロジェの今夜の演奏を聴くと、とても懐かしい感覚にあふれ、サティーは今でも私たちのすぐそばに存在する作曲家なのだという感覚で演奏が進む。サティーがとても暖かい雰囲気の中で味わえる演奏内容だったと思う。


フォーレ:8つの小品 作品84から 第5曲 即興
     即興曲 第2番 ヘ短調 作31
     ノクターン 第1番 変ホ短調 作品33 第1
     舟唄 第4番 変イ長調 作品44

 今夜のパスカル・ロジェのフォーレの曲の演奏は、実に伸び伸びとしたものとなり、フォーレにもこんなにも健康的で快活な面が存在するのだということを強く感じさせる演奏内容であった。時にはユーモラスな表情を湛えたその演奏は、心の奥底からフォーレの音楽を愛し、自然に湧き上がってくる響きの豊かさに思わず聴き惚れた。ノクターン第1番における演奏内容などは、ただいたずらに静寂さだけを求めるのではなく、構成力の実にしっかりとした曲であることを認識させられた演奏内容ではあった。舟唄の演奏となると、この傾向はさらに顕著となったように感じた。


ラヴェル:「鏡」から「海原の小舟」
     水の戯れ
     ソナチネ
    
 今夜のパスカル・ロジェのラヴェルの曲の演奏は、サティーやフォーレの曲の演奏とは、大分趣が異なり、何か華麗な雰囲気を演奏会場いっぱいに響き渡らせるかのようであった。ピアノの醸し出す奥深いこの響きは、パスカル・ロジェ以外のピアニストに果たして可能なのこと思わせるほどのレベルに達していた。「水の戯れ」などは、眼前に水のしぶきが飛び散るような生々しい情景が浮かび上がってくるほどだ。ソナチネになると、この傾向はさらに深まり、曲全体の躍動感が特に印象的だった。


ドビュッシー:映像 第2集 葉ずえを渡る鐘/荒れた寺にかかる月/金色のさかな
       映像 第1集から 水に映る影
       版画 塔/グラナダの夕暮れ/雨の庭

 今夜のパスカル・ロジェのドビュッシーの曲の演奏は、演奏会の最後を締めくくるにふさわしいものとなったようだ。伸びやかな演奏、華麗な絵画的な表現力の上に、さらに、これらとは別に神秘的と言ってもいいような奥深い表現が特に際立っていたように感じた。ドビュッシーの曲が内在する儚さや微妙な心理的な揺らぎというような複雑な音の響きをものの見事に表現し切っていたように思う。これらの演奏を聴くと、パスカル・ロジェは、一人のピアニストの前に一人の詩人であるのだという思いに至る。そして、このことが聴くものに感動を呼び起こさせずにはおかない。(蔵 志津久)
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◇NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー◇エフゲーニ・キーシンとミッコ・フランク指揮フランス放送フィルハーモニー管弦楽団の共演

2023-05-23 09:40:50 | NHK‐FM「ベストオブクラシック」レビュー



<NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー>



~エフゲーニ・キーシンとミッコ・フランク指揮フランス放送フィルハーモニー管弦楽団の共演~



①モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488

   ピアノ:エフゲーニ・キーシン

   指揮:ミッコ・フランク

   管弦楽:フランス放送フィルハーモニー管弦楽団

②モーツァルト:ピアノ・ソナタイ長調K.331「トルコ行進曲付き」から第3楽章(アンコール1)
③ショパン:ワルツ ホ短調 遺作(アンコール2)

   ピアノ:エフゲーニ・キーシン

④メシアン:「忘れられたささげもの」

   指揮:ミッコ・フランク

   管弦楽:フランス放送フィルハーモニー管弦楽団

⑤ドビュッシー:交響詩「海」

   指揮:ミッコ・フランク

   管弦楽:フランス放送フィルハーモニー管弦楽団、

収録:2022年10月7日、フランス、パリ、フィルハーモニー・ド・パリ

放送:2023年5月8日 午後7:30~午後9:10

 今夜のNHK-FM「ベストオブクラシック」の放送は、2022年10月7日にフランス、パリのフィルハーモニー・ド・パリで開催されたピアノ:エフゲーニ・キーシン、指揮:ミッコ・フランク、管弦楽:フランス放送フィルハーモニー管弦楽団の演奏会である。エフゲーニ・キーシンは、我々日本人にとっても身近な存在であり、その近況が聴ける演奏会とあって興味津々。


 ピアノのエフゲーニ・キーシン(1971年生れ)は、ロシア、モスクワ出身。モスクワ市立グネーシン記念音楽専門学校で学ぶ。10歳でモーツァルトのピアノ協奏曲第20番を弾いてデビュー、11歳で初リサイタルを開くなど、早くから神童ぶりを発揮。これまでコンクール入賞歴はほとんどないものの、国際的ピアニストとして世界が認めるピアニストであり、コンクール万能時代において、これはかなり珍しいことでもある。1986年初来日した後、1990年カーネギー・ホールにおいてアメリカ・デビューを果たす。旧ソ連生まれだが、2002年英国籍、2013年イスラエル国籍も取得している。レパートリーはショパン、リスト、チャイコフスキー、ラフマニノフ、ベートーヴェンなど幅広い。

 指揮のミッコ・フランク(1979年生まれ)は、フィンランド出身。シベリウス音楽院でヴァイオリンを学び、1996年からは同音楽院でパヌラ教授の指揮の授業にも参加。フィルハーモニア管弦楽団、ロンドン交響楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン国立歌劇場、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団のほか、北欧の主要なオーケストラにおいて次々に指揮デビューを果たす。2002年から2007年までベルギー国立管弦楽団の音楽監督・首席指揮者を務め、2006年から2013年までフィンランド国立歌劇場の芸術監督を務めた。2015年からは、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を務めている。

 フランス放送フィルハーモニー管弦楽団(ラジオ・フランス・フィル)は、フランス、パリにある放送局「ラジオ・フランス」付属のオーケストラ。1976年に、フランス公共放送フィルハーモニー管弦楽団、リリック放送管弦楽団、フランス公共放送室内管弦楽団の3団体が合併し、フランス放送新フィルハーモニー管弦楽団として発足。1989年に、現楽団名に改称した。歴代の指揮者として、ジルベール・アミ、エマニュエル・クリヴィヌ、マレク・ヤノフスキ、チョン・ミョンフンらがおり、2015年よりミッコ・フランクが音楽監督に就任している。


 今夜、最初の曲のモーツァルト:ピアノ協奏曲第23番は、モーツァルトが1786年に作曲したピアノ協奏曲であり、古典派のピアノ協奏曲の最高峰に位置する作品の一つ。同作は、第24番(K.491)とともに、1786年に3回開かれたモーツァルトの予約音楽会のために作曲された。モーツァルトはこの作品において、ピアノパート全体を最初から完全な形で書き記している。つまり、この作品では第1楽章のカデンツァについて完全に記されており、そして第2楽章にも第3楽章にもカデンツァは置かれていない。

 今夜のキーシンのモーツァルト:ピアノ協奏曲第23番の演奏は、終始ゆっくりとしたテンポで弾き進められた。ここでのキーシンは、モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番に真正面から向き合い、正統的な演奏に終始した。若い頃からその才能を遺憾なく発揮してきたキーシンに対する我々のイメージは、才気煥発を絵にかいたような演奏を思い描いてしまいがちだが、キーシンもこの演奏の3日後に51歳を迎えたそうで(初来日は15歳の時)、大家の雰囲気を漂わせ始めたかのように、実に堂々とした演奏に終始したのには、まことにもって感心させられた。少しも、奇を衒ったところがなく、モーツァルトの奥深い音楽の世界をいかに聴衆に届けようかというキーシンの熱意のようなものが、その演奏の裏に感じとることができた。第2楽章などは、協奏曲というよりは、何か室内楽を聴いているような、しみじみとした雰囲気を感じさせる、他にはあまり聴かれぬ演奏を披露していた。第3楽章は、昔のキーシンの才気煥発ぶりが所々に顔を覗かせ、実に楽しい演奏を聴かせてくれた。そして、アンコールで弾いた2曲は、いずれも密度の濃い、輝きに満ちた演奏内容で、”キーシンいまだ健在なり”を強く印象付けられた演奏となった。


 今夜、次の曲のメシアン:「忘れられたささげもの」(「忘れられし捧げもの」とも称される)は、”管弦楽のための交響的瞑想”という副題を持っている。タイトルの「捧げもの」は、人類のために血を流したイエスの十字架を意味し、それを忘れて罪に走る人類、そして聖体の秘跡が描かれる。1930年(21歳)に作曲され、同年にピアノ用に編曲された。メシアンの管弦楽作品の中で実際に演奏された初めての作品で、この作品によって彼の才能が世に示されたデビュー作でもあった。

 今夜のミッコ・フランク指揮フランス放送フィルハーモニー管弦楽団のメシアン:「忘れられたささげもの」の演奏は、イエスと罪深い人類とを対比させたこの曲の内容を、実に明確に描き分けることに長けていたと思う。欧米人の多くは、この曲の背後に横たわる物語を本能的に理解できるのだろうが、日本人であり、しかもキリスト教徒でもない私に、この曲が描く世界観を理解できるかと問われると、自信はないと、はなから答えざるをえない。しかし、この曲が持つ宗教的な深遠さや、人間の愚かさなどを表現しているだけは理解できる。それを前提に聴くと、今夜のミッコ・フランク指揮フランス放送フィルハーモニー管弦楽団の演奏の巧みな表現力には、強く引き付けられるものがあった。この作品は、なかなか戦争から抜け出せない人類の愚かさを表現している曲なのかもしれない。この意味からすると、今夜の演奏内容は、このことを巧みに表現し得た演奏内容といえるのではなかろうか。


 今夜、最後の曲のドビュッシー:交響詩「海」は、ドビュッシーが1903年から1905年にかけて作曲した管弦楽曲。副題の付いた3つの楽章(第1楽章「海上の夜明けから真昼まで」、第2楽章「波の戯れ」、第3楽章「風と海との対話」)で構成されている。1905年にフランスで出版された「海」初版のオーケストラスコア の表紙デザインには、ドビュッシー自身の希望により、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」の1つ「神奈川沖浪裏」が用いられた。

 今夜のミッコ・フランク指揮フランス放送フィルハーモニー管弦楽団のドビュッシー:交響詩「海」の演奏は、メシアン:「忘れられたささげもの」の演奏とは異なり、開放的で伸び伸びとした演奏内容が特に印象に残った。オーケストラの各パートがそれぞれぞれ美しく響きあい、互いに競い合うように演奏が進む。ミッコ・フランクは、フィンランド出身の指揮者らしく、オーケストラから幻想的な雰囲気を引き出す術に長けているようだ。時折、同じフランスのオーケストラであるトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団のようなきらびやかな音の響きも聴こえてくる。今夜の演奏は、交響詩としてのドラマティックな曲の盛り上げ方に、特に引き付けられた。(蔵 志津久)
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◇NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー◇ヴィクトリア・ムローヴァ ヴァイオリン・リサイタル

2023-04-25 09:35:40 | NHK‐FM「ベストオブクラシック」レビュー



<NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー>



~ヴィクトリア・ムローヴァ ヴァイオリン・リサイタル~



ベートーベン:ヴァイオリン・ソナタ第4番 イ短調 作品23
         ヴァイオリン・ソナタ第7番 ハ短調 作品30第2
武満 徹:「妖精の距離」
アルヴォ・ペルト:「フラトレス」
シューベルト:華麗なロンド ロ短調 D.895
ベートーベン:ヴァイオリン・ソナタ 第5番 作品24「春」から第2楽章(アンコール)

ヴァイオリン:ヴィクトリア・ムローヴァ

ピアノ:アラスデア・ビートソン

会場:神奈川県立音楽堂

収録:2022年11月22日

放送:2023年3月29日 午後7:30~午後9:10

 今夜のNHK-FM「ベストオブクラシック」は、ヴァイオリン:ヴィクトリア・ムローヴァ、ピアノ:アラスデア・ビートソンによる神奈川県立音楽堂における演奏会の放送である。ベートーベン:ヴァイオリン・ソナタでは、ムローヴァがガット弦の古楽ヴァイオリン、ビートソンがフォルテピアノを用いた。それ以外の曲では、スチール弦のヴァイオリンとモダンピアノを用いることによって、一晩で音色の異なるヴァイオリンとピアノの演奏を聴くことができた。


 ヴァイオリンのヴィクトリア・ムローヴァ(1959年生まれ)は、ロシア、モスクワ近郊ジュコーフスキー出身。モスクワ音楽院でレオニード・コーガンに師事。1980年「シベリウス国際ヴァイオリン・コンクール」、1982年「チャイコフスキー・コンクール」でともに優勝。1983年にフィンランドでの演奏旅行中に西側へ亡命。西側へ移住後、ウィーン・フィルやモントリオール交響楽団、サンフランシスコ交響楽団、バイエルン放送交響楽団など、世界の主要なオーケストラと共演。また、エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団やオルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティークといった古楽器オーケストラとも共演。1990年代半ばからムローヴァ・アンサンブルを結成して、イタリアやドイツ、オランダで演奏活動を行う。小澤征爾指揮ボストン交響楽団と共演した録音(チャイコフスキーとシベリウスの協奏曲)は、モントルーの「ディスク大賞」を受賞。1995年には、アバド指揮ベルリン・フィルとのブラームスの協奏曲の録音(サントリーホールでのライヴ録音)は、「エコー・クラシック賞」と「ドイツ・レコード批評家賞」ならびに「レコード・アカデミー大賞」(音楽之友社)を受賞。現在、世界を代表するヴァイオリニストの一人。

 ピアノのアラスデア・ビートソンは、イギリス、スコットランド出身。英国王立音楽大学でジョン・ブレイクリーに、インディアナ大学でメナヘム・プレスラーに師事。バーミンガム音楽大学で教鞭を執る。マルサック音楽祭を創設し、2012~18年に芸術監督を務め、2019年からはエルネンのスイス室内楽音楽祭の共同芸術監督を務める。古典派の作品に加え、シューマンやフォーレを得意とし、幅広いレパートリーを持つ。現代作曲家とも親密な関係を築いており、ソロと室内楽で幅広い活躍を見せている。


 今夜の演奏会は、3つのグループに分けられる。その第1のグループの演奏が、ムローヴァがガット弦の古楽ヴァイオリン、ビートソンがフォルテピアノを用いたベートーベン:ヴァイオリン・ソナタ第4番 イ短調 作品23とヴァイオリン・ソナタ第7番 ハ短調 作品30第2である。ヴァイオリンソナタ第4番は、1800年から1801年にかけて作曲され、初めての短調ソナタで第9番「クロイツェル」と同じイ短調。ヴァイオリンソナタ第7番は、第6番や第8番とともに、1802年頃に作曲されたと推定されている。第6番、第8番とともにロシア皇帝アレクサンドル1世に献呈されており、この3曲は、通称「アレキサンダー・ソナタ」とも呼ばれている。

 今夜のムローヴァの古楽ヴァイオリンとビートソンのフォルテピアノによるベートーヴェンのヴァイオリンソナタは、従来聴きなれたこれらの曲とはまた一味違った雰囲気を醸し出して興味深い演奏に終始した。ムローヴァのヴァイオリン演奏は、形式的に実にきちっと整理され、いささかの揺るぎもない。ベートーヴェンの作品ともなると演奏者は、どう解釈するのかという問題に固執するあまり、ベートーヴェンの音楽が後ろに隠れてしまう傾向が強くなる。これに対し、ムローヴァのベートーヴェン演奏は、自己の恣意的な気分を極力排し、ベートーヴェン自身に全てを語らせようとするかのように演奏する。何か長年に渡って演奏してきたムローヴァの演奏の到達点のようにも感じられた。ビートソンのフォルテピアノの演奏も、このことを十二分に理解した上での演奏内容となっていた。今夜のリスナーは、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタを、いつもと違い古楽器で味わうという、またとない機会に恵まれた。


 今夜の演奏の第2のグループの演奏が、武満 徹:「妖精の距離」とアルヴォ・ペルト:「フラトレス」。ここからは、普段聴くスチール弦のヴァイオリンとモダンピアノを使用した演奏となった。武満 徹:「妖精の距離」は、武満 徹(1930年―1996年)が瀧口修造(1903年―1979年)の詩「妖精の距離」にインスピレーションを受けて作曲した作品で、1951年に発表された。アルヴォ・ペルト:「フラトレス」は、エストニアの作曲家アルヴォ・ペルト(1935年生まれ)が作曲した室内アンサンブルのための作品で、後にいくつかの異なる楽器のために編曲されている。ペルトの作品の中でも演奏される機会が多い作品。

 この2つの作品でのムローヴァとビートソンの演奏は、ロマンあふれる曲想と現代感覚を取り入れた曲に相応しく、豊かな響きとダイナミックな表現を駆使して、鮮やかな仕上がりを見せた。武満 徹:「妖精の距離」では、静かに揺らめくような曲想を、ムローヴァとビートソンは、曲に寄り添うように一音一音を丁寧に弾き進める。西洋音楽とはどことなく異なる神秘的な空間を、2人は実に巧みに表現して、日本人である我々リスナーにも説得力のある演奏内容となった。アルヴォ・ペルト:「フラトレス」は、2人にとって自家薬籠中の曲であるかの如く、情熱の限りを尽くした熱演となった。確固とした技巧に裏付けられ、力の限り突き進む、ムローヴァの真骨頂が如何なく発揮されていた。


 今夜最後の曲がシューベルト:華麗なロンド ロ短調 D.895。この曲は、1826年に作曲され、シューベルトの凛とした作曲姿勢がよく表れているヴァイオリンとピアノのための作品。演奏時間は約16分と比較的短い曲ながら、シューベルトのヴァイオリンとピアノのための二重奏曲としては、幻想曲とならんで双璧を為す作品。

 シューベルト:華麗なロンド ロ短調 D.895での二人の演奏は、スケールを大きく取り、お互いに自由奔放に弾き進んで演奏が聴いていて実に心地よい。少しの権威主義的なところがなく、ただ演奏すること自体が楽しいのだ、とでもいうように演奏する。当日の聴衆を一緒に取り囲むように2人が弾き進むので、リスナーも自然体で楽しく聴き終えることができた。そして、アンコールで演奏されたのが、ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第5番 作品24「春」から第2楽章。この曲は普通あまりアンコールでは演奏されない。だが、アンコールでなく正規のプログラムとして聴くと、今夜の最初のベートーヴェンの古楽器によるヴァイオリンソナタにたどり着く。良く考え抜かれたアンコール曲であることが分かる。今夜は如何にもベテランらしいムローヴァのプログラムづくりにも感心させられた演奏会となった。(蔵 志津久)
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