
(ヴァイオリン、ヴィオラと管弦楽のための)
ヴィオラ:ジュスト・カッポーネ
(オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと管弦楽のための)
オーボエ:カール・シュタインス
クラリネット:カール・ライスター
ホルン: ゲルト・ザイフェルト
ファゴット:ギュンター・ピースク
指揮:カール・ベーム
指揮のカール・ベーム(1894年―1981年)は、オーストリア・グラーツ出身。グラーツ大学で法律を学んだというから当初から音楽家を目指していたわけではなかったようだ。個人的レッスンで音楽を学び、1917年にグラーツ市立歌劇場で指揮者デビューを飾る。1921年からはバイエルン国立歌劇場の指揮者に転任。この頃、ベームは巨匠ワルターからモーツァルトを伝授され、以後、モーツァルトの権威者としての道を歩むことになる。1927年ダルムシュタット市立歌劇場音楽監督、1931年ハンブルク国立歌劇場音楽監督、1934年ドレスデン国立歌劇場総監督に就任。そして、1943年にはウィーン国立歌劇場総監督に就任した。第二次世界大戦後の1962年には、バイロイト音楽祭にも登場。さらに1967年、ウィーン・フィル創立125周年を記念し、特にベームのために創設された「名誉指揮者」の称号を授けられており、当時、カール・ベームは、文字通り世界の頂点を極めた大指揮者だった。初来日したは1963年。その後、1975年、1977年、1980年にも来日したが、2007年が最後に来日公演となった。作品の内容を掘り下げた、その重厚な指揮ぶりは、当時の日本のファンの心を虜にした。
モーツァルトは、1777年から1778年にかけてパリを訪れたが、マンハイム楽派の影響を受けたモーツァルトは、1778年にパリで協奏交響曲変ホ長調 K.297b(Anh.C14.01)を書いた。その後、1779年にザルツブルクに戻ってから、もう1曲の協奏交響曲として協奏交響曲 変ホ長調 K.364(320d)を書いた。この協奏交響曲 変ホ長調 K.364は、既に作曲されていた5曲のヴァイオリン協奏曲と異なり、第1楽章と第2楽章にモーツァルト自身のカデンツァが残されているほか、技術的な面においても5曲のヴァイオリン協奏曲に比べて格段に高度になっている。この曲でまず気づくことは、第1楽章の始めにに出てくる、力強いオーケストラのクレッシェンドなどに見られるマンハイム楽派風の傾向である。また、全曲の細部にまで行き届いた統一感、さらにヴィオラが全体の響きを豊かなものにしていることなどが、この曲を特徴づけている要素として挙げられよう。モーツァルトの研究家として知られたドイツの著名な音楽学者で、後アメリカへ帰化したアルフレート・アインシュタイン(1880年―1952年)は、この曲を「モーツァルトがヴァイオリン協奏曲として追究したものの頂点である」と高く評価している。
このCDでの協奏交響曲 変ホ長調 K.364(320d)の演奏内容は、ヴァイオリン協奏曲とは異なり、ヴァイオリンの華やかな存在を抑え気味に、その分ヴィオラの落ち着いた音色が冴えわたる。そして、オーケストラの音色も優美さに徹しており、交響曲との響きとは一線を画したものに整えられている。これは、指揮者のカール・ベームの意図を演奏者が十二分に消化した成果に他ならないのだろう。すべてが調和の意志で貫かれ、艶やかさの中にもバロック時代の優雅な雰囲気が横溢し、しばし、その演奏に酔いしれることができる。特に第2楽章のモーツァルトしか表現できない悲しげな表情を、さりげなく聴かせてくれるのが印象深い。
モーツァルトは、これを遡る1年前の1778年にパリで、最初の協奏交響曲を作曲している。1778年3月、モーツァルトは母マリア・アンナ・モーツァルトと二人で、約12年ぶりにパリを訪れていた。 4月5日の手紙で、ザルツブルクに残る父レオポルト宛にに「フルートのヴェンドリング、オーボエのラム、ヴァルトホルンのプント、ファゴットのリッターのためにサンフォニー・コンセルタント(協奏交響曲)を1曲作曲しようとしている」と手紙で伝えているが、それが協奏交響曲 変ホ長調 K.297b(Anh.C14.01)であるとされている。 しかし、この曲は、一度も演奏されることなく,自筆譜は失われてしまった。そして、モーツァルトの母マリア・アンナ・モーツァルト は病弱のため、7月3日に他界する。 モーツァルトは、9月6日にパリを離れ、ザルツブルクへの帰途に着いた。しかし、この協奏交響曲の自筆譜は買い取られてしまい、モーツァルトの手元には無かった。ザルツブルクへ帰って再度書き上げるというはずだったが実現せず、この結果、この協奏交響曲の存在は失われてしまうのである。
このため、この協奏交響曲は、ケッヘル初版(1862年)すなわち「モーツァルト全音楽作品年代順主題目録」では消失した作品として扱われ、「Anh.9」という付録番号が与えられた。しかしその後、モーツァルトの伝記を書き遺したオットー・ヤーンの遺品の中から写譜が見つかり、楽器編成が一部異なる(フルートでなくクラリネットになっている)が、それが失われた作品と推定され、旧モーツァルト全集(1886年)では、その写譜を「補遺、オーケストラ作品 7a」として取り上げられた。 さらに、ケッヘル第3版(1937年)で、アインシュタインは、その写譜に「K.297b」という番号を与え、付録ではなく本体に組み入れた。しかし、ケッヘル第6版(1964年)では、ヤーンの遺品にあった写譜(K.297b)は疑(Anh.C14.01)とされ、本来あったはずのもの、すなわちケッヘル初版の「Anh.9」を「K.297B」とし、「消失した作品」に位置づけた。つまり、ヤーンの遺品から見つかった写譜(オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットの編成)は、モーツァルトの真作ではなく、他人の手が加えられているもの(改作)とされた。しかし、新全集では完全には排除されずに、その結果「 K.297b(Anh.C14.01)」になったという。つまり、この最初の協奏交響曲 変ホ長調 K.297b(Anh.C14.01)が、モーツァルト自身による作品か否かの正式な結論は、現在に至るまで残念ながら出ていない。しかし、この曲を聴く度に、この協奏交響曲の作曲者はモーツァルト以外にいない、と感じられるほど、完成度の高い魅力的な作品に仕上がっていることも事実である。因みに、ベーム以外に、カラヤン、アバド、小澤征爾も、この曲をモーツァルトの作品として録音している。
このCDでの協奏交響曲 変ホ長調 K.297b(Anh.C14.01)の演奏内容は、 第1楽章の最初からオーケストラが全体を引っ張り揚げ、それに管楽器奏者たちが、それぞれ芸達者な演奏内容を繰り広げるという、何とも心がウキウキするような雰囲気に包まれる。モーツァルト以外に考えられない華やかさを、オーケストラと管楽器奏者が一体になり、心の底から謳歌している様が存分に聞き取れる。 K.364の第2楽章と同様、この K.297bの第2楽章も魅力たっぷりな楽章だ。管楽器の独奏者一人一人が心のいくまで、深々とした音色を駆使して、互いに会話するように、ゆっくりとしたテンポで弾き進む。そして、軽快な気分の第3楽章の粋な演奏内容も見事と言うほかない。(蔵 志津久)