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★ 私のクラシック音楽館 (MCM) ★ 蔵 志津久

クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CDレビュー◇モーツァルト:協奏交響曲 変ホ長調 K.364(320d)/協奏交響曲 変ホ長調 K.297b(Anh.C14.01)

2021-02-09 09:36:34 | 協奏曲



<クラシック音楽CDレビュー>



~モーツァルト:協奏交響曲 変ホ長調 K.364(320d)/協奏交響曲 変ホ長調 K.297b(Anh.C14.01)~



モーツァルト:協奏交響曲 変ホ長調 K.364(320d)
            (ヴァイオリン、ヴィオラと管弦楽のための)

            ヴァイオリン:トーマス・ブランディス
            ヴィオラ:ジュスト・カッポーネ
       
       協奏交響曲 変ホ長調 K.297b(Anh.C14.01)
            (オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと管弦楽のための)

            オーボエ:カール・シュタインス
            クラリネット:カール・ライスター
            ホルン: ゲルト・ザイフェルト
            ファゴット:ギュンター・ピースク

指揮:カール・ベーム

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

CD:ユニバーサルミュージック UCCG-5357

 協奏交響曲とは、バロックの協奏曲と古典派の交響曲の中間に位置する形態の曲で、独奏楽器がソロではなく複数であり、複数奏者とオーケストラとが演奏する協奏曲を指す。コレルリ、ヘンデルなどのバロック時代の合奏協奏曲に由来するものであり、18世紀後半から19世紀初めに掛けて作曲された。二つ以上の数個の独奏楽器をもった楽曲は、協奏曲ともとることもできるが、しかし、明らかに交響曲とは異なるジャンルの楽曲に属している。この協奏交響曲は、パリ楽派やカール・シュターミツなどのマンハイム楽派の作曲家によって多く書かれたが、ハイドンやモーツァルトにも作品がある。モーツァルトは、この中間的な性格を意識してか、後の仕事では、交響曲と協奏曲をはっきりと分けて、追究して行くことになる。事実上、協奏交響曲でありながら、協奏交響曲とは名付けられなかった作品としては、モーツァルトのフルートとハープのための協奏曲、ベートーヴェンの三重協奏曲(ピアノ、ヴァイオリン、チェロと管弦楽のための協奏曲)、ブラームスのヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲、20世紀になってからは、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番(ピアノとトランペット、弦楽合奏のための協奏曲 )、さらにシマノフスキが交響曲第4番に「協奏交響曲」(ピアノ協奏曲 )の名称を付けている。

 指揮のカール・ベーム(1894年―1981年)は、オーストリア・グラーツ出身。グラーツ大学で法律を学んだというから当初から音楽家を目指していたわけではなかったようだ。個人的レッスンで音楽を学び、1917年にグラーツ市立歌劇場で指揮者デビューを飾る。1921年からはバイエルン国立歌劇場の指揮者に転任。この頃、ベームは巨匠ワルターからモーツァルトを伝授され、以後、モーツァルトの権威者としての道を歩むことになる。1927年ダルムシュタット市立歌劇場音楽監督、1931年ハンブルク国立歌劇場音楽監督、1934年ドレスデン国立歌劇場総監督に就任。そして、1943年にはウィーン国立歌劇場総監督に就任した。第二次世界大戦後の1962年には、バイロイト音楽祭にも登場。さらに1967年、ウィーン・フィル創立125周年を記念し、特にベームのために創設された「名誉指揮者」の称号を授けられており、当時、カール・ベームは、文字通り世界の頂点を極めた大指揮者だった。初来日したは1963年。その後、1975年、1977年、1980年にも来日したが、2007年が最後に来日公演となった。作品の内容を掘り下げた、その重厚な指揮ぶりは、当時の日本のファンの心を虜にした。

 モーツァルトは、1777年から1778年にかけてパリを訪れたが、マンハイム楽派の影響を受けたモーツァルトは、1778年にパリで協奏交響曲変ホ長調 K.297b(Anh.C14.01)を書いた。その後、1779年にザルツブルクに戻ってから、もう1曲の協奏交響曲として協奏交響曲 変ホ長調 K.364(320d)を書いた。この協奏交響曲 変ホ長調 K.364は、既に作曲されていた5曲のヴァイオリン協奏曲と異なり、第1楽章と第2楽章にモーツァルト自身のカデンツァが残されているほか、技術的な面においても5曲のヴァイオリン協奏曲に比べて格段に高度になっている。この曲でまず気づくことは、第1楽章の始めにに出てくる、力強いオーケストラのクレッシェンドなどに見られるマンハイム楽派風の傾向である。また、全曲の細部にまで行き届いた統一感、さらにヴィオラが全体の響きを豊かなものにしていることなどが、この曲を特徴づけている要素として挙げられよう。モーツァルトの研究家として知られたドイツの著名な音楽学者で、後アメリカへ帰化したアルフレート・アインシュタイン(1880年―1952年)は、この曲を「モーツァルトがヴァイオリン協奏曲として追究したものの頂点である」と高く評価している。

 このCDでの協奏交響曲 変ホ長調 K.364(320d)の演奏内容は、ヴァイオリン協奏曲とは異なり、ヴァイオリンの華やかな存在を抑え気味に、その分ヴィオラの落ち着いた音色が冴えわたる。そして、オーケストラの音色も優美さに徹しており、交響曲との響きとは一線を画したものに整えられている。これは、指揮者のカール・ベームの意図を演奏者が十二分に消化した成果に他ならないのだろう。すべてが調和の意志で貫かれ、艶やかさの中にもバロック時代の優雅な雰囲気が横溢し、しばし、その演奏に酔いしれることができる。特に第2楽章のモーツァルトしか表現できない悲しげな表情を、さりげなく聴かせてくれるのが印象深い。

 モーツァルトは、これを遡る1年前の1778年にパリで、最初の協奏交響曲を作曲している。1778年3月、モーツァルトは母マリア・アンナ・モーツァルトと二人で、約12年ぶりにパリを訪れていた。 4月5日の手紙で、ザルツブルクに残る父レオポルト宛にに「フルートのヴェンドリング、オーボエのラム、ヴァルトホルンのプント、ファゴットのリッターのためにサンフォニー・コンセルタント(協奏交響曲)を1曲作曲しようとしている」と手紙で伝えているが、それが協奏交響曲 変ホ長調 K.297b(Anh.C14.01)であるとされている。 しかし、この曲は、一度も演奏されることなく,自筆譜は失われてしまった。そして、モーツァルトの母マリア・アンナ・モーツァルト は病弱のため、7月3日に他界する。 モーツァルトは、9月6日にパリを離れ、ザルツブルクへの帰途に着いた。しかし、この協奏交響曲の自筆譜は買い取られてしまい、モーツァルトの手元には無かった。ザルツブルクへ帰って再度書き上げるというはずだったが実現せず、この結果、この協奏交響曲の存在は失われてしまうのである。

 このため、この協奏交響曲は、ケッヘル初版(1862年)すなわち「モーツァルト全音楽作品年代順主題目録」では消失した作品として扱われ、「Anh.9」という付録番号が与えられた。しかしその後、モーツァルトの伝記を書き遺したオットー・ヤーンの遺品の中から写譜が見つかり、楽器編成が一部異なる(フルートでなくクラリネットになっている)が、それが失われた作品と推定され、旧モーツァルト全集(1886年)では、その写譜を「補遺、オーケストラ作品 7a」として取り上げられた。 さらに、ケッヘル第3版(1937年)で、アインシュタインは、その写譜に「K.297b」という番号を与え、付録ではなく本体に組み入れた。しかし、ケッヘル第6版(1964年)では、ヤーンの遺品にあった写譜(K.297b)は疑(Anh.C14.01)とされ、本来あったはずのもの、すなわちケッヘル初版の「Anh.9」を「K.297B」とし、「消失した作品」に位置づけた。つまり、ヤーンの遺品から見つかった写譜(オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットの編成)は、モーツァルトの真作ではなく、他人の手が加えられているもの(改作)とされた。しかし、新全集では完全には排除されずに、その結果「 K.297b(Anh.C14.01)」になったという。つまり、この最初の協奏交響曲 変ホ長調 K.297b(Anh.C14.01)が、モーツァルト自身による作品か否かの正式な結論は、現在に至るまで残念ながら出ていない。しかし、この曲を聴く度に、この協奏交響曲の作曲者はモーツァルト以外にいない、と感じられるほど、完成度の高い魅力的な作品に仕上がっていることも事実である。因みに、ベーム以外に、カラヤン、アバド、小澤征爾も、この曲をモーツァルトの作品として録音している。

 このCDでの協奏交響曲 変ホ長調 K.297b(Anh.C14.01)の演奏内容は、 第1楽章の最初からオーケストラが全体を引っ張り揚げ、それに管楽器奏者たちが、それぞれ芸達者な演奏内容を繰り広げるという、何とも心がウキウキするような雰囲気に包まれる。モーツァルト以外に考えられない華やかさを、オーケストラと管楽器奏者が一体になり、心の底から謳歌している様が存分に聞き取れる。 K.364の第2楽章と同様、この K.297bの第2楽章も魅力たっぷりな楽章だ。管楽器の独奏者一人一人が心のいくまで、深々とした音色を駆使して、互いに会話するように、ゆっくりとしたテンポで弾き進む。そして、軽快な気分の第3楽章の粋な演奏内容も見事と言うほかない。(蔵 志津久)
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◇クラシック音楽CD◇オーボエの巨匠ハインツ・ホリガー指揮ヨーロッパ室内管弦楽団のR.シュトラウス:オーボエ協奏曲/変容(メタモルフォーゼン)~23人の弦楽奏者のための習作~

2019-03-12 09:34:51 | 協奏曲

R.シュトラウス:オーボエ協奏曲
          変容(メタモルフォーゼン)~23人の弦楽奏者のための習作~

オーボエ&指揮:ハインツ・ホリガー

ヴァイオリン:マリイケ・ブランケスティーン

管弦楽:ヨーロッパ室内管弦楽団

CD:ユニバーサルミュージック UCCD‐4775

 ハインツ・ホリガー(1939年生まれ)は、スイス出身のオーボエ奏者、指揮者、作曲家。ベルン音楽院とバーゼル音楽院で学ぶ。作曲は、ヴェレシュ・シャーンドルとピエール・ブーレーズに師事。オーボエは、スイスでエミール・カッサノウ、パリ音楽院でピエール・ピエルロ、ピアノはイヴォンヌ・ルフェビュールに師事。オーボエのソリストとしては、1959年「ジュネーヴ国際音楽コンクール」、1961年「ミュンヘン国際音楽コンクール」でそれぞれ優勝した国際的に名声ある演奏家。献呈されたオーボエ作品も数多い。オーボエ奏者としてのレパートリーは、バロック音楽から現代音楽にまで広範囲にわたり、ホリガー木管アンサンブルも主宰。また、指揮者としてはヨーロッパ室内管弦楽団のほか、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、クリーヴランド管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、バイエルン放送交響楽団などを指揮している。初来日は、1970年(昭和45年)。2017年には、東京オペラシティの同時代音楽企画「コンポージアム2017」に招かれ、自作の超大作「スカルダネッリ・ツィクルス(ヘルダーリンの詩による、ソロ・フルートと小管弦楽、混声合唱とテープのための)」が取り上げられた。このほかの大規模な作品としては、チューリッヒ歌劇場で自ら指揮をした歌劇「白雪姫」(1998)が挙げられ、ヨーロッパのテレビで放送されている。

 “世界で最も優れた室内オーケストラ”として知られるヨーロッパ室内管弦楽団は、イギリス・ロンドンを本拠地とする室内オーケストラ。1981年にECユース管弦楽団(現EUユース管弦楽団)の出身者を中心としてクラウディオ・アバドにより自主運営団体として1981年に設立された。その圧倒的な演奏能力は大きな話題を呼び、瞬く間にヨーロッパのクラシック界で大きな存在感を持つオーケストラとなった。年数回のコンサートやツアー、ペーザロ・ロッシーニ音楽祭やシティリアルテ音楽祭などの音楽祭に参加している。 音楽監督などは置かず、様々な指揮者・ソリストと共演。団員が若く、一般的には敬遠されるノーノやシュトックハウゼンなどの現代音楽もこなす幅広さを有する。これまでに、アバド、ショルティ、アーノンクールなどの世界的指揮者、ポリーニ、ピリスなどの世界的ソリストたちと数多くのレコーディングを行い、数多くの世界的な賞を数多く受賞している。公演はヨーロッパの主要都市で定期的に、時にはアメリカや極東でも開催される。ヨーロッパ室内管弦楽団は、主要なレコーディング会社と提携し、これまで250を超える作品をレコーディングする実績を誇る。これまで「グラモフォン・レコード・オブ・ザ・イヤー賞」を3回、グラミー賞を2回受賞。また、独自のレーベル「COE Records」を作成した最初のオーケストラでもある。

 オーボエ協奏曲は、リヒャルト・シュトラウス(1864年―1949年)の晩年に当たる、第二次世界大戦終戦直後の1945年に、スイスのチューリッヒ近郊で作曲された。当初、R.シュトラウスは、オーボエ協奏曲を書く意志はなかったようが、途中で気が変わりオーボエ協奏曲の作曲を始めた。初演は1946年にチューリヒで、マルセル・サイエのオーボエ独奏、フォルクマール・アンドレーエ指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団によって行われた。1948年に楽譜が出版された際、シュトラウスは全曲の終結部分を少し長めに書き足し、現在はその改訂版で演奏されることが多い。全3楽章からなるが、時として4楽章とされることもある。当時シュトラウスは、モーツァルトを勉強し直していたと言われており、その影響からか古典的で瑞々しい作風の協奏曲となっている。このようなことから、全体の曲想は、明るく、若々しさに溢れており、とても死の4年前、81歳の作曲家の作品とは思えない。此処でのハインツ・ホリガーのオーボエ独奏は、そんな作品を一層際立たせるかのように、特に輝かしい音色が強く印象に残る。メリハリがピリッと利いた演奏であり、少しの曖昧さもない。高度のテクニックに裏打ちされた演奏内容であることが、ここから十分に聴いて取れる。ヨーロッパ室内管弦楽団も、ホリガ―に寄り添い、若々しく、その演奏を一層引き立たせることに成功している。このオーボエ協奏曲を代表する録音であることは明白だ。

 「変容(メタモルフォーゼン)~23人の弦楽奏者のための習作~」も、R.シュトラウスの晩年の1945年、81歳の時の3部からなる弦楽合奏のための作品。オーボエ協奏曲とはがらりと雰囲気が変わり、内容は鎮魂曲のように重く、暗いが、その内容の深さから時に、この曲は“R.シュトラウスの最高傑作”と評価されることもある。この作品の標題の「メタモルフォーゼン」は、ドイツ語で変化、変身、変容の意味。基本的には変奏曲を指すが、主題に束縛されず、その展開がより自由に構成された作品のことをいう。また、この曲は、弦楽合奏曲だが、あくまでも「独奏弦楽器のため」のものであり、それぞれの楽器を独奏風に動かしている点に特徴がある。このようなことから、R.シュトラウスは敢えて副題に「習作」入れたとも言われている。第二次世界大戦によって、ドイツの都市、建築、劇場などのが消失されたことについての“なげき”を表わすと同時に、R.シュトラウス自身「わが過去の全生涯の反映」と述べているように、過去を追想する内容にもなっている。この曲においてハインツ・ホリガー指揮ヨーロッパ室内管弦楽団の演奏は、オーボエ協奏曲の時とは全く異なり、世界大戦によるドイツの文化財の崩壊に対する怒り、そして人生の最後を迎える晩年の悟りにも似た切々とした想いが、個々の奏者の豊かな弦の響きに込められ、リスナーの胸を打たずにおかない。この演奏で特筆すべきことは、単なる怒りや晩年の追想で終わらず、曲が終末へと向かうに従い、一条の光のような希望が自然と湧き起ってくる感情を巧みに取り入れていること。ハインツ・ホリガーが指揮者としても超一流の存在であることの証がここにはある。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇エマニュエル・パユとデイヴィッド・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団のハチャトリアン&イベール:フルート協奏曲/イベール:フルート独奏のための小品

2018-12-11 09:35:40 | 協奏曲

           

ハチャトリアン(ランパル編曲):フルート協奏曲
イベール:フルート独奏のための小品
             フルート協奏曲

フルート:エマニュエル・パユ

指揮:デイヴィッド・ジンマン

管弦楽:チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団

CD:ワーナー・ブラザーズ WPCS-50353

 フルートのエマニュエル・パユ(1970年生まれ)は、スイス、ジュネーブ出身。6歳からフルートを始め、ブリュッセルの音楽アカデミーを経て、パリ音楽院で学ぶ。1990年に首席で卒業後もバーゼルでオーレル・ニコレに師事。その後、ソリストとして活躍を見せ、世界の主要なコンクールで華々しい成績を収める。1989年から1992年までバーゼル放送交響楽団首席奏者を務めた。1993年から23歳でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者として演奏を開始(同楽団の歴史上最年少)。2000年ベルリン・フィルを一時退団したが、2002年に復帰し、現在、ソリスト兼ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席フルート奏者として活躍。また、音楽アンサンブル「レ・ヴァン・フランセ」のメンバーとしても精力的な活動を続けている。しばしば来日し、全国各地で演奏会を開催。主なコンクール入賞歴 は、「ドゥイノ国際コンクール」第1位(1988年)、第2回「神戸国際フルートコンクール」第1位(1989年)、「ジュネーヴ国際音楽コンクール」第1位(1992年)など。

 指揮のデイヴィッド・ジンマン(1936年生まれ)はアメリカ出身。音楽理論と作曲をミネソタ大学に学び、タングルウッド音楽センターで指揮活動を始める。その後1958年から1962年までピエール・モントゥーに師事。ロチェスター・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督、ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者を歴任。さらに、1985年から1998年までボルティモア交響楽団の音楽監督に就任し、同楽団を地方のアンサンブルからアメリカ屈指のオーケストラへと育て上げた。その後、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団音楽監督、ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者を務めた。チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団は、スイス、チューリッヒを本拠とするのオーケストラ。スイスに亡命したワーグナーがチューリッヒや近在の楽員を集めてオーケストラを組織化し、しばしば、コンサートを開催したが、これが評判を呼び、1868年、トーンハレ協会の設立に伴い、このオーケストラを母体として現在のチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団が創設された。NHK交響楽団の首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィが、2019年から同楽団の音楽監督兼首席指揮者を務める。

 このCDの最初の曲は、ハチャトリアン(ランパル編曲):フルート協奏曲。これは有名なハチャトリアン:ヴァイオリン協奏曲をジャン=ピエール・ランパルがフルート協奏曲に編曲した曲。ハチャトリアン:ヴァイオリン協奏曲は、1940年に作曲され、1940年11月16日、モスクワのソヴィエト音楽祭にてダヴィッド・オイストラフのヴァイオリン独奏、アレクサンドル・ガウクの指揮で演奏され、成功を収めた。ランパルが編曲したハチャトリアン:フルート協奏曲は、現在、フルート奏者にとっての必須のレパートリーの一つになっている。この曲でのエマニュエル・パユのフルート独奏は、疾走するパッセージを難なく弾きこなし、高度な技術力を存分に披露する。そして、何より安定した、伸びやかなフルートの音色がリスナーを引き付けて離さない。ふくよかなフルートの音が、分厚いオーケストラの音と巧みに融合し、フルート協奏曲の醍醐味を楽しませてくれるのだ。デイヴィッド・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団は、鋼のような強靭さに加えて大きなスケール感を発揮して、パユのフルート演奏を引き立てることに見事に成功している。エマニュエル・パユとデイヴィッド・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団のコンビによるこのCDは、ハチャトリアン(ランパル編曲):フルート協奏曲の演奏のメルクマーク的存在ということができよう。

 イベール:フルート独奏のための小品は、1936年に書かれた無伴奏フルートのための作品。イベールは、20世紀前半にフランスで活躍した作曲家で、明晰で優雅な作風で知られる。この作品にもこうしたイベールの特徴がよく現れている。静かな序奏に始まり、やがて穏やかな主部が奏される。この曲でのパユのフルートの無伴奏演奏は、ハチャトリアンの協奏曲の演奏とはがらりと変わり、優美で穏やかなロマンの薫りが立ち込めるようなフルート演奏に徹する。その透き通るような優雅なフルートの音色は、パユの独壇場と言ったところ。3曲目のイベール:フルート協奏曲は、1932年から1933年にかけて作曲され、交響組曲「寄港地」と並ぶイベールの代表作であり、20世紀に書かれたフルート協奏曲のうち最も有名なものの一つとして知られる。全部で3つの楽章からなり、初演者であるマルセル・モイーズに献呈された。この曲の第1楽章(アレグロ)でのパユのフルート演奏は、ハチャトリアンの協奏曲の時のような圧倒的なテクニックを披露する。ここでも抜群のバランス感覚で危なげない演奏内容だ。特筆すべきは、第2楽章(アンダンテ)の演奏内容である。朗々としたフルートの魅力的な音色に暫し時が経つのも忘れるほどあり、聴くものにあたかも天界にいるような感覚を抱かせる“天上の音楽”的気分を存分に堪能できる。そして、最後の第3楽章(アレグロ・スケルツァンド)で、再び快活で歯切れの良いパユのフルート演奏に戻る。(蔵 志津久) 

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◇クラシック音楽CD◇ギターの名手ジョン・ウィリアムスのロドリーゴ:アランフェス協奏曲ほか

2015-08-11 10:51:21 | 協奏曲

ロドリーゴ:アランフェス協奏曲
       貴紳のための幻想曲
ヴィラ=ロボス:ギターと小管弦楽のための協奏曲

クラシック・ギター:ジョン・ウィリアムス

コール・アングレ:クリスティーヌ・ペンドリル(ロドリーゴ:アランフェス協奏曲第2楽章)

指揮:ルイ・フレモー(ロドリーゴ)
管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団(同上)

指揮:ダニエル・バレンボイム(ヴィラ=ロボス)
管弦楽団:イギリス室内管弦楽団(同上)

CD:ソニー・ミュージックエンタテインメント SICC 1829

 このCDは、ギターの名手ジョン・ウィリアムスの独奏により、ロドリーゴとヴィラ=ロボスのギターの名曲3曲を1枚に収めたもので、誠にもって心あたたまるアルバムに仕上がっている。ジョン・ウィリアムズ(1941年生まれ)は、オーストラリア出身。メルボルンで生まれた後、イギリスに移住する。ロンドンの王立音楽大学やイタリア・シエナの音楽アカデミアで学ぶ。1985年11月にデビューを果たすが、その時、師であるアンドレス・セゴビアは「彼の指には神が宿っているようだ」と語ったと伝えられている。1963年初来日を果たす。そして1964年にデビュー・アルバムを発表。当時、ジュリアン・ブリームがクラシック音楽の世界で、ギターの地位を高めるべく尽力していたが、ジョン・ウィリアムスはこれに共鳴。以後二人は意気投合して共演を果たし、この流れは70年代の後半まで続き、これによってクラシック・ギターの世界は大いに盛り上がった。その後、ジョン・ウィリアムスは、フュージョン・ミュージックにも興味を持ち始め、1979年には、フュージョン・グループ“SKY”を結成する。5年間に渡り、“SKY”においてジャズ/フュージョンの音楽活動を展開した。その後、再びクラシック音楽の世界に戻り、現在に至るまで幅広い分野で活発な活躍を見せている。

 最初の曲は、ロドリーゴ:アランフェス協奏曲。ロドリーゴ(1901年―1999年)は、スペインの作曲家。本人はピアニストであり、ギターは演奏しなかったようだが、クラシック・ギターの普及に大きな功績を遺した。とりわけこの「アランフエス協奏曲」は有名でスペイン近代音楽ならびにギター協奏曲の先駆けとなった曲とされる。ロドリーゴは、1924年に管弦楽曲「子どものための5つの小品」によりスペイン国家賞を授与される。1991年には、貴族に列せられ、「アランフエス庭園侯」の爵位を授かる。1996年アストゥリアス王太子賞を、1998年にはフランス文化勲章を授与された。アランフエスは、スペインのちょうど中央に位置する都市で、16世紀から王宮が建てられ、王宮と庭園を含んだ景観が2001年には世界遺産に登録されている。ロドリーゴ:アランフェス協奏曲は、1939年にパリで作曲され、翌年世界的ギター奏者のレヒーノ・インス・デ・ラ・マーサの独奏で初演された。1936年から3年にわたって続いたスペインの内戦により、アランフェスは大きな被害を受けたが、ロドリーゴは、これを憂い、平和の願いからこの曲を作曲したと言われている。この曲でのジョン・ウィリアムスのギター演奏は、第1楽章は、軽快に、如何にも心地よく進む。有名な第2楽章のアダージョは、しみじみと心に沁みわたるように展開し、ギター演奏の素晴らしさを、リスナーの心の奥へと送り届けてくれる。そして、第3楽章は、歯切れが良く、力強い演奏内容が印象的だ。伴奏のルイ・フレモー指揮フィルハーモニア管弦楽団の伴奏が、全体の雰囲気を盛り上げ、ジョン・ウィリアムスの演奏を、一層光り輝かせていることも見逃せない。

 次の曲は、ロドリーゴ:貴紳のための幻想曲。ギターと管弦楽のための協奏曲である。「アランフエス協奏曲」の作曲から15年を経た1954年の秋に、アンドレス・セゴビアの依頼で作曲された。17世紀スペインの作曲家のガスパル・サンスの小品をふと耳にしたのが、この作品を作る切っ掛けになったという。ガスパル・サンスは、バロック・ギターの名手でもあった。ロドリーゴは、サンスが著した教則本「スペイン・ギターによる音楽教育」の舞曲の中から6曲を選び、ギターと管弦楽のための幻想曲を完成させた。タイトルにある「貴紳」とは、原語で「宮廷に仕える紳士」という意味。編成は、独奏ギター、ピッコロ、フルート、オーボエ、ファゴット、トランペット、弦楽五部。1985年3月にアメリカで行われた初演では、アンドレス・セゴビアがギター独奏を務めた。第1楽章は、最初にビリャーノ(村人の踊り)、次にリチェルカーレ(前奏曲的な機能を有する器楽曲様式の1つ)が奏される。第2楽章は、中間部にナポリ騎兵のファンファーレが奏され、その前後にスペイン舞曲の古い様式のエスパニョレータが奏される。第3楽章は、躍動的で活気あふれるダンス音楽。そして、第4楽章カナリア諸島が起源の舞踏スタイル「カナリオ」が奏される。この曲は、どことなくレスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」を思い起こさせることのある、大変爽やかで、耳に心地良い音楽となっている。ここでのジョン・ウィリアムスの演奏は、演奏する歓びが、ひしひしとリスナーに伝わり、限りなく伸びやかなその演奏に引き寄せられる。ジョン・ウィリアムスが古き良き時代の音楽を、一つ一つ紐解いて聴かせてくれているようでもあり、音楽の楽しさが直接伝わってくるようだ。

 最後の曲は、ヴィラ=ロボス:ギターと小管弦楽のための協奏曲。ヴィラ=ロボス(1887年―1959年)は、ブラジル出身の作曲家。クラシックの技法にブラジル独自の音楽を取り込んだ作風で知られる。特に「ブラジル風バッハ」の作曲者として名高く、ブラジルの旧500クルザード紙幣や切手にもその肖像が使用されていたほどの尊敬された作曲家であった。リオ・デ・ジャネイロの音楽院の院長を務め、ブラジルの民俗音楽に根ざした作品を創作し、世界各地で演奏を行った。その結果、ヴィラ=ロボスは、20世紀を代表する作曲家の一人にまで上り詰めた。12曲の交響曲、17曲の弦楽四重奏曲から9曲の「ブラジル風バッハ」まで、1,000曲近くに及ぶ膨大な作品を遺した。そのヴィラ=ロボスは、他の作曲者に比べ、ギターの作品を多く残している。「ギターと小管弦楽のための協奏曲」は、1951年に作曲されたが、後にカデンツァを加え、ヴィルトゥオーゾ作品に仕上げ、1956年にセゴビアのギター独奏により初演された。この曲は、構成力が明確で、がっしりとした印象を与える曲想。他のヴィラ=ロボスの作品と同様、ブラジルの民族色を強く感じることのできる曲となっている。このような曲想とギターの組み合わせが、これまで聴いたことがないような世界をリスナーにもたらす。ここでのジョン・ウィリアムスの演奏は、持てる技能をフルに発揮して、これまでの演奏では見せなかった、重厚で、力強い演奏に終始する。何かこれまでのギター演奏の壁を突破して、新しい境地に踏みこもうとするような、ジョン・ウィリアムスの意欲的な演奏内容が聴き取れる。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ウィーン出身の演奏家たちとベーム指揮ウィーン・フィルによるモーツァルトの協奏曲集

2014-11-11 10:21:44 | 協奏曲

 

モーツァルト:オーボエ協奏曲
         クラリネット協奏曲
         ファゴット協奏曲

オーボエ:ゲルハルト・トレチェック

クラリネット:アルフレート・プリンツ

ファゴット:ディートマール・ツェーマン

指揮:カール・ベーム

管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

CD:ユニバーサルミュージック UCCG‐6021

 このCDは、優れた3人のウィーン生まれの管楽器奏者たちと、名指揮者のカール・ベーム、それに優雅な美音を誇るウィーン・フィルとが、持てる力を如何なく発揮し合い、奇跡ともいえる音楽空間をつくり出すことに成功した貴重な録音である。オーボエ協奏曲、クラリネット協奏曲、ファゴット協奏曲の3曲は、如何にもモーツァルトらしい作風を持った作品であり、初心者からベテランに至るまで、あらゆるリスナーが納得いく選曲であると言える。ここで指揮をしているカール・ベーム(1894年―1981年)は、オーストリア・グラーツ出身。グラーツ大学で法律を学んだというから当初から音楽家を目指していたわけではなかったようだ。、個人的レッスンで音楽を学び、1917年にグラーツ市立歌劇場で指揮者デビューを飾る。1921年からはバイエルン国立歌劇場の指揮者に転任。この頃、ベームは巨匠ワルターからモーツァルトを伝授され、以後、モーツァルトの権威者としての道を歩むことになる。1927年ダルムシュタット市立歌劇場音楽監督、1931年ハンブルク国立歌劇場音楽監督、1934年ドレスデン国立歌劇場総監督に就任。そして、1943年にはウィーン国立歌劇場総監督に就任した。第二次世界大戦後の1962年にはバイロイト音楽祭にも登場。さらに1967年、ウィーン・フィル創立125周年を記念し、特にベームのために創設された「名誉指揮者」の称号を授けられており、カール・ベームは、文字通り世界の頂点を極めた大指揮者だった。初来日したは1963年。その後、1975年、1977年、1980年にも来日したが、2007年が最後に来日公演となった。作品の内容を掘り下げた、その重厚な指揮ぶりは、当時の日本のファンの心を虜にした。

 第1曲目のオーボエ協奏曲は、あらゆるオーボエ協奏曲の中でも、とりわけ有名な曲。フルート協奏曲第2番の原曲でないかとも言われている。もとの楽譜は行方不明になり、そのまま忘れ去られてしまっていたが、1920年にモーツァルト研究家のベルンハルト・パウムガルトナーがオーボエ協奏曲の草稿を発見し、1949年にロンドンで出版されたという数奇な運命を持った曲だ。このCDでオーボエを演奏しているには、ゲルハルト・トレチェック。1930年にウィーンで生まれる。15歳からウィーン国立歌劇場管弦楽団の最年少メンバーとして活躍し、25歳からは、ウィーン・フィルの首席奏者を務めた。ここでのトレチェックのオーボエの演奏は、実に軽快であり、情緒もたっぷりと持ち合わせているので、リスナーの耳に素直に入り込んでくる。曲想はモーツァルトの天使爛漫さが3つの楽章すべてに溢れ返っており、理屈抜きで楽しめる。それにしてもベーム指揮ウィーン・フィルの瑞々しい伴奏は、トレチェックのオーボエ演奏を何倍にも効果的にしている。

 第2曲目は、クラリネット協奏曲である。1791年に作曲された曲だが、モーツァルトの作全品の中でも人気の1、2を争うほどの名曲である。ウィーン宮廷楽団に仕えていたクラリネットとバセットホルンの名手のアントン・シュタードラーのために作曲した曲。当時まだ物珍しかった楽器のクラリネットの特性をモーツァルトは既によく捉えて、その後のロマン派の作曲家たちの作品の先鞭をつけた曲と見なされている。このCDでクラリネットを演奏しているのは、アルフレート・プリンツ(1930年―2014年)。ウィーンに生まれ、ウィーン国立音楽アカデミーで学ぶ。1945年、15歳の若さでウィーン国立歌劇場管弦楽団に入団する。1955年には師である名クラリネット奏者であったウラッハの跡を継ぎ、ウィーン・フィルの首席奏者となった。ここでのプリンツのクラリネット独奏は、ウィーン出身の演奏家らしく、端正なうえ、柔らかく歌うように演奏してリスナーを魅了して止まない。特に第2楽章の人生の諦観の境地を表現したかのような演奏は、聴いていて深く心を揺さぶられる。ここでも、ベーム指揮ウィーン・フィルは、プリンツの演奏にぴたりと寄り添い、微妙な色彩感を持った名伴奏ぶりを発揮する。やはり、ベームは、モーツァルトには一家言持った指揮者であったことがよく聴き取れる。

 最後のファゴット協奏曲は、まだモーツァルトが18歳の時の1774年の作品。モーツァルトの唯一のファゴット協奏曲であるが、あらゆるファゴット協奏曲の中でも最も有名な曲。当時、ザルツブルクで作曲した作品には、セレナーデやディヴェルティメントが数多くあるが、このファゴット協奏曲もそれらの延長線上にある作品と言える。楽しく、踊りだしたくなるような曲のつくりとなっており、若く弾んだ心のモーツァルトの当時の姿が素直に反映されている。ここでファゴットを演奏しているディートマール・ツェーマンは、1932年にウィーンに生まれる。ウィーン音楽院で学んだ後、3年間、南アフリカ共和国のヨハネスブルグ放送管弦楽団の奏者を務める。その後、23歳の時からウィーン国立歌劇場管弦楽団とウィーン・フィルのメンバーとして活躍。ここでのツェーマンのファゴット演奏は、コミカルなモーツァルトの作品に合わせ、躍動感のある演奏を聴かせる。しかも、ウィーン情緒たっぷりなところも持ち合わせており、トレチェックやプリンツの演奏と肩を並べた出来栄えで、実に堂々と演じきり、奥深い表現が特に見事だ。ここでもベーム指揮ウィーン・フィルの伴奏は、申し分ないものに仕上がっている。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇サビーネ・マイヤーのクラリネット演奏によるモーツァルト、ドヴュッシー、武満 徹

2013-06-18 10:42:26 | 協奏曲

モーツァルト:クラリネット協奏曲
ドヴュッシー:クラリネットのための第1狂詩曲
武満 徹:ファンタズマ/カントス

バセット・ホルン/クラリネット:サビーネ・マイヤー

指揮:クラウディオ・アバド

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

CD:EMIクラシックス TOCE‐14323

 ドイツのクラリネット奏者ザビーネ・マイヤー(1959年生まれ)は、シュトゥットガルト音楽院で学んだ後、1979年ドイツ音楽コンクールで第2位入賞を果たす。そしてバイエルン放送交響楽団にクラリネット奏者として入団する。1981年には、ベルリン・フィルの首席クラリネット奏者のオーディションを受けたが、ここからが大事件へと発展するのだ。当時、ベルリン・フィルの音楽監督兼常任指揮者で帝王と言われていたカラヤンは、マイヤーの入団を希望したが、楽団員はOKしない。そこは帝王カラヤンである、アメリカ公演に際し独断で、マイヤーを客員首席クラリネット奏者として参加させてしまったのである。翌年、楽団員の投票でマイヤーは入団を拒否されてしまう。これが世に言う「サビーネ・マイヤー事件」である。これ以後、帝王カラヤンとベルリン・フィルとの間に隙間風が吹き始め、最期にはカラヤンは、淋しくベルリン・フィルを去ることになるのである。そんな因縁のあるマイヤーとベルリン・フィルとが、新たに録音を行ったというので、このCDの発売当時はかなり話題を集めたものだ。

 このCDの最初の曲は、モーツァルト:クラリネット協奏曲。この曲は、モーツァルトが、当時のクラリネットの名手シュタードラーの噂を耳にして、クラリネットに興味を抱き、このクラリネット協奏曲とクラリネット五重奏曲の2曲を作曲した。いずれも、現在においてクラリネットの名曲中の名曲として多くのリスナーから親しまれている曲だ。クラリネット五重奏曲は、如何にもモーツァルトらしい明るく華やかな曲調に貫かれているのに対し、クラリネット協奏曲の方は、死の2ヶ月前に書かれたからであろうか、何か世を達観したかのような、深遠さが聴くものの胸を打つ。そしてこの曲は、バセットホルンのために書かれたことでも知られる。このCDでもサビーネ・マイヤーは、バセットホルンを使用している。バセットホルンは、「ホルン」の名が付いているが、金管楽器であるホルンの仲間ではなく、クラリネット属の木管楽器。ちょっと聴くとクラリネットと区別が付きづらいが、より低い音が出るため、暗い曲調を持つこの曲には相応しいのかもしれない。ここでのマイヤーの演奏は、あまりバセットホルン特有の特徴を強調することなく、伸びやかに軽快に演奏し、むしろ、しみじみとした中に爽やかな印象を与える。一瞬の淀みもなく弾きこなすその演奏を聴くと、カラヤンが高く評価しただけのことはある、一流の奏者であることが聴いて取れるのだ。

 次のドヴュッシー:クラリネットのための第1狂詩曲は、ドビュッシーが母校パリ音楽院のクラリネットのための課題曲とした作曲した作品で、後にクラリネットとオーケストラのための作品に編曲されたもの。「夢見るようにゆるやかに」という指示が書かれてあるとおり、如何にもドヴュッシーの作品らしく繊細で、優雅な面持ちを持ちがあり、何となく「牧神の午後への前奏曲」を思い起こさせるところがある。「第1狂詩曲」と書かれているが、別に「第2狂詩曲」があるわけではなさそうである。ドビュッシーは、書簡の中で「私の書いた作品のなかでも最も愛すべきもの」と述べているが、パリ音楽院のクラリネットのための課題曲とした作曲しただけに、その演奏は容易ではないという。ここでのマイヤーの演奏は、モーツァルトの作品のときとは、がらりと雰囲気を変え、幽玄な雰囲気を存分に発揮させて、聴くものを魅了せずにはおかない。何かチャーミングな妖精が辺りを駆け巡っているような雰囲気も醸し出す。クラリネットという楽器の特色を、思い切って表現し切っているようにも聴こえ、リスナーは鮮やかなその技巧に、ただただ聴き惚れるばかりとなる。その鮮やかな演奏の切れに脱帽。

 最期の武満 徹:ファンタズマ/カントスは、あまり聴くことのない曲だが、マイヤーがこの曲を選んだという、その選択眼にまずは敬服する。この曲は、武満 徹がイギリスBBC放送局からの委嘱を受けて1991年に作曲した、クラリネットとオーケストラのための作品。題名の「ファンタズマ/カントス」は、ラテン語の「幻想」と「歌」を意味するそうである。曲想そのものは、ドビュッシーの雰囲気を彷彿とさせるが、徐々に聴き進めると、クラリネットの音色が何となく尺八の音色にも聴こえ始めることになる。出だしは、西洋音楽でも、中に入り込むと、知らず知らずに日本の雰囲気がどこからとも湧き出してくるような不思議な気分に陥る。現に、藤井 宏氏によるこのCDのライナーノートには武満自身が「短い序奏のあと、明確な旋律線は色彩的な装飾の結果として曖昧のまま変容していく・・・作品の構造は、日本の回遊式庭園から示唆を得ている・・・」と書き残していることが紹介されている。聴き進めると内容の濃い作品ではある。そしてドヴュッシー:クラリネットのための第1狂詩曲と同様、優れた演奏家が演奏してこそ初めて、全体像を掴むことができる作品でもある。ここでのマイヤーの演奏は、武満の意図を完全に理解し、確信を持って演奏しているのが印象的。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇モーツァルト:「フルートとハープのための協奏曲」と「クラリネット協奏曲」

2011-05-10 11:27:44 | 協奏曲

モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲
        クラリネット協奏曲

フルート:ジャン=ピエール・ランパル

ハープ:リリー・ラスキーヌ

クラリネット:ジャック・ランスロ

指揮:ジャン=フランソワ・パイヤール

管弦楽:パイヤール室内管弦楽団

CD:ワーナー・ミュージック・ジャパン WPCS‐21050

 モーツァルトの音楽には、リスナーを掛け替えのない安らぎと、例えようもない幸福感で満たしてくれる曲が沢山ある。その音楽があまりにも典雅で美しさに溢れているため、逆にその後の個人の美意識に包まれたロマン派や劇的要素が売りのワーグナー派のような音楽を生み出し、更に進んで不協和音を羅列して、モーツァルトに代表される、お行儀の良い音楽をひっくり返して新境地を切り開こうとした現代音楽に到達する。しかし、最後に到達した現代音楽が、果たして人類にとって住み心地の良い雰囲気かは、大いに疑問である。人生は、モーツァルトの音楽のように決して典雅ではなく、現代音楽が醸しだす不安や焦燥感の方がずっと身近なものであるはずだ、と説教されても現代人は、現代音楽をあまり聴かずに、300年もの前に現代音楽であったクラシック音楽を未だに聴き続けている。その理由は何か?多分、人類は音楽を通し、現実を直視するよりは、理想とする美の世界の方を選択する性癖が強いからであろう。

 そんなモーツァルトの音楽の中でも、天上的な美の極致を極めたと言ってもよいのが今回のCD「フルートとハープのための協奏曲」と「クラリネット協奏曲」である。しかも、演奏するのがフルート:ジャン=ピエール・ランパル、ハープ:リリー・ラスキーヌ、クラリネット:ジャック・ランスロ、指揮:ジャン=フランソワ・パイヤール、管弦楽:パイヤール室内管弦楽団という最上の演奏家の組み合わせなので、思わず溜息が出るほどだ。ここで聴かれる音楽は、現在では到底聴くことのできない豊穣な響きを持っている。現在は、科学技術が高度に発達し、この地球上には未知なものがかなり少なくなってきている。そんな世界に住む現代の演奏家は、どうしても夢物語の世界を思い描いて演奏することは、上手とは言えない。それに対して、このCD(1963年録音)で演奏している演奏家達は、いともたやすくモーツァルトの時代の雰囲気を再現して見せてくれている。私はその昔、この録音を、LPレコードを通して何度も聴き返していたことをつい昨日のように思い起こす。

 「フルートとハープのための協奏曲」は、モーツァルトがマンハイム=パリ旅行に旅立った時に作曲された曲。モーツァルトは、フルートの独奏曲は1年間で全て書き上げ、以後は作曲しなかった。これは当時のフルートが安定した楽器とは言えない状態に置かれていたためと言われている。「フルートとハープのための協奏曲」を聴くと、いつもモーツァルトがもっとフルートのための曲を作曲していてくれたならなあ、と思わざるを得ない。それほどこの曲は、リスナーの心を癒してくれるし、夢を与えてくれる永遠の名曲である。第1楽章の出だしからして何か心がうきうきして来る。演奏はゆっくりとモーツアルトの一音、一音を丁寧に再現して行く。フルートのジャン=ピエール・ランパルとハープのリリー・ラスキーヌが、あたかも互いに話を交わしているかのように演奏し、それの会話をパイヤールが微笑なら聴いている―そんな空間が目の前に浮かび上がる。第2楽章も限りなくゆっくりと始まる(今ではこんなテンポは滅多に聴かれない)。それにしてもランパルのフルートの音色の優雅な響きには、ただただ酔いしれるしかない。第3楽章は、軽快な曲想の楽章であるが、優雅さは少しも損なわれないところは、“よっ、さすがは名人芸!”と一声掛けたくなってしまうほどわくわくする演奏だ。

 「クラリネット協奏曲」は、モーツァルトが死の僅か2ヶ月前に書き上げた曲であり、文字通りモーツァルトの白鳥の歌だ。さすがに「フルートとハープのための協奏曲」ほどの華かさは陰を潜め、何か諦観みたいな雰囲気が全体を覆う。しかし、そんなときでも生命感みたいな躍動感がその背後に息づいている所が、他の作曲家とモーツァルトを区別するところであろう。第1楽章のランスロの演奏は、愛惜を含んだ中に遠くを見据えたような幽玄な表情が一際冴える。第2楽章は、ランスロのフルートは、あたかもこれまで歩んできた道程をゆっくりと噛み締めながら演奏する。心が震えるとは、こんな音楽のことを言うのであろう。絶対にモーツァルトの世界でしか味わえない空間が、そこに生まれているのだ。そして何かモーツァルトがこれまでの人生を反芻しているかのようにも聴こえる。数あるクラシック音楽の中の白眉の曲といってもよい。第3楽章は、哀愁の中にもモーツァルトらしい華やかさが僅かに点滅していて、心が癒される。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇林 英哲(和太鼓)の松下 功:和太鼓協奏曲「飛天遊」

2010-06-15 09:24:59 | 協奏曲

松下 功:和太鼓協奏曲「飛天遊」

和太鼓:林 英哲

指揮:オンドレイ・レナルト

管弦楽:新星日本交響楽団

CD:fontec FOCD2528

 クラシック音楽界は、西洋音楽をベースとして成り立っているわけで、この中に東洋的、あるいは日本的な要素を溶け込まそうとすると、それなりの努力といおうか、ある意味での違和感には目をつぶるざるを得ない要素がどうしても出てくる。この結果、日本の楽器である三味線、琴、琵琶、太鼓などが西洋楽器の中でどう融合させることができるかは、大きな課題だし、今後もこの難しい課題に日本のクラシック音楽界は、挑戦し続けることになろう。そしてこの難しい課題に挑戦して見事な成果を収めた一曲が、松下 功の代表作である和太鼓協奏曲「飛天遊」(1993年~1994年)なのである(「飛天の舞」「飛天の祈り」を加え“飛天三部作”)。

 林 英哲が演奏する和太鼓の音色は、ものの見事にオーケストラと調和して、違和感なく和太鼓の深遠でしかも壮大な力強さを描き出すことに成功している。この曲は、林英哲のソロにより、現在国内外問わず多く再演されており、2000年にケント・ナガノ指揮・ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による演奏がヨーロッパ・日本等で衛星中継された時には、演奏後に観客が、日本的な曲そのものと和太鼓の演奏の素晴らしさにスタンディング・オベーションで迎えたという(Wikipedia)。最近の演奏会でも演奏されることあるが、本来和太鼓というクラシック音楽とは異質な存在が、逆に新鮮味のある素材として聴衆に深い共感をもたらしているという。もし、まだこの曲を聴いていない方は、一度聴いてみていただきたい。クラシック音楽を通して、鋭い感性と直観力を持った日本音楽の再発見に繋がるかもしれないのだから。

 このCDは松下功作品集と銘打たれ、和太鼓協奏曲「飛天遊」のほか、「オーケストラのための『時の糸 Ⅲ』」「サクソフォーン四重奏とオーケストラのための『グラン・アートル』」が収められている。このCDのライナーノートに松下功自身が和太鼓協奏曲「飛天遊」についてこう紹介している。「和太鼓という伝統楽器は、『祭』という独自の儀式の中で、時として、天と地を結び付ける役目として発展してきた。その力強い音は、天にも達し、自由で繊細な音へと変質する。また、ある時は地の底へ達し、唸りとなって返ってくる。この作品『飛天遊』では「天に飛び、遊ぶ」という3文字に象徴される如く、3つの部分から成り立っており、全体は、和太鼓の自由な動きを中心に、静から動へと発展していく」と。

 松下功は、1951年生まれ。東京芸術大学、同大学院において作曲を南弘明、黛敏郎に学び、1979年ベルリン芸術大学に留学し尹伊桑に師事する。1977年毎日音楽コンクール作曲部門入賞、1985年ドイツ・メンヒェングラードバッハ市国際作曲コンクール第1位などこれまで内外の作曲賞の多くの受賞歴を持つ。和楽器とオーケストラのための曲というと武満徹が書いた傑作、尺八、琵琶とオーケストラのための「ノヴェンバー・ステップス」を直ぐ思いだすが、松下 功の和太鼓協奏曲「飛天遊」も是非とも思い出して、これからも聴いていってほしい。ここには日本人なら誰でも持っている自然への賛美のような、豊かな音楽が広がっており、十二分に共感できる世界が存在する。(蔵 志津久) 

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◇クラシック音楽CD◇モーツアルト:ホルン協奏曲第1―4番

2010-03-23 09:30:05 | 協奏曲

モーツアルト:ホルン協奏曲第1―4番

ホルン:リチャード・ワトキンズ

指揮:リチャード・ヒコックス

管弦楽:シティ・オブ・ロンドン・シンフォニア

CD:ファンハウス 28ED‐7048

 モーツアルトの4つのホルン協奏曲は、クラシック音楽リスナーの初心者からシニアまで、すべての人の心を明るく、そして楽しくしてくれる名曲ぞろいだ。これらの曲を聴くたびに、「もう理屈などどうでもいい、ただ聴いているだけで心が和むのだから」とそんな感じにしてくれる曲たちだ。こんな世界はモーツアルトの独壇場であり、元気溌剌と歌うときのホルンの音色に酔い、少々哀愁を含んだメロディーは、聴くものに限りなき哀愁の情を思い起こさしてくれる。

 これらの4曲は、当時のホルン奏者のゼフ・イグナツ・ロイトゲプのためにモーツアルトが書き下ろしたものである。このCDのライナーノートで石井宏氏が、このホルン奏者ロイトゲプについて面白い逸話を書いてくれている。これによると1777年(ベートヴェンが7歳のとき)ホルン奏者を辞め、何故かチーズ屋になってしまったという。チーズ屋の余興としてホルン奏者を続けたのか、お金のためにチーズ屋をしなければ食べていけなかったのか。今も昔も芸術家を続けるってことは、並大抵でないことが分る逸話ではある。
 
 第1番と第2番は、若いモーツアルトが全力で駆け抜けて、勢いあまって一気に書き上げたような、爽快感をリスナーに与えてくれる。第3番の第1楽章のメロディーは一度聴いただけで、リスナー人生の生涯にわたって、忘れられないような愛着のある曲である。第2楽章の牧歌的な雰囲気も、聴いていて誠にもって癒される。そして軽快な第3楽章で締めくくられる。第4番は、第1楽章の出だしのメロディーを聴いただけで、もうモーツアルトの魔術に嵌って抜け出せなくなること請け合いだ。これも、私のリスナー人生の生涯にわたって、忘れられない曲の一つだ。何んたって、単純なところがいい!

 クラシック音楽についてどの曲を聴いたらいいかをビギナーの人から問われれば、私はモーツアルトのホルン協奏曲第4番/第5番を第一に挙げたい。直ぐ好きになれるし、一生聴いても飽きないからだ。ところで、モーツアルトのホルン協奏曲全曲の録音は、天才ホルン奏者デニス・ブレインのCDが演奏内容に深みがあり最高だが、少々音質に鮮明さを欠くきらいがあった。そんなわけで買ったのがこのCDだ。ホルン奏者のリチャード・ワトキンズもデニス・ブレインと同じ英国人で、演奏内容は若さ漲る力演で、十分満足できる出来栄えだ。録音は1987年2月、ロンドンとある。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ザビーネ・マイヤーのモーツアルト:クラリネット協奏曲/協奏交響曲

2009-06-09 09:14:53 | 協奏曲

モーツアルト:クラリネット協奏曲/協奏交響曲

バセットクラリネット/クラリネット:ザビーネ・マイヤー
オーボエ:ディートヘルム・ヨーナス
ホルン:ブルーノ・シュナイダー
ファゴット:セルジオ・アッツォリーニ

管弦楽:ドレスデン歌劇場管弦楽団

指揮:ハンス・フォンク

CD:東芝EMI TOCE-3360

 このCDは、女流クラリネット奏者として名高いザビーネ・マイヤーを堪能することができるCDで、1990年6月にドレスデンで録音されたもの。ザビーネ・マイヤーというとその実力はともかく、“ザビーネ・マイヤー事件”があまりににも有名で、世界にその名を知らしめた。1982年にカラヤンの招きでベルリン・フィルのソロ・クラリネットテスト生となったが、ベルリン・フィル入団に際し、楽団側は正規の手続きを踏むようカラヤンに要請し、それが両者の紛争に発展してしまったのだが、自らこの争いから身を引き、以後ソロ活動に専念し現在に至っている。

 ザビーネ・マイヤーは1960年にドイツのバイエルン州に生まれ、父親からクラリネットの手ほどきを受ける。1971年、シュトゥットガルト音楽大学で学び、1979年にボンのドイツ音楽コンクールで第2位に入賞を果たし、1981年にバイエルン放送交響楽団に入団している。その後“ザビーネ・マイヤー事件”に巻き込まれ、ソロ奏者の道を歩むことになる。

 このほど、「トリオ・ディ・クラローネ」を率い来日。このトリオは、兄のヴォルフガング、それに夫のライナー・ヴェーレと結成したものである。ザビーネ・マイヤーは、その容貌やスキャンダル事件などから、派手目の印象を持ちやすいが、実際の演奏活動は、これまであまり紹介されてこなかった古典的曲を積極的に取りあげるなど、地道な活動が光る。

 このCDでのマイヤーも派手なところは少しもなく、伸び伸びとしかも優雅にモーツアルトの世界を描き切っており、その澄んだ音色に加え、オーケストラや他の独奏者とのコラボレーションを楽しんでいるかのような感覚がなんともいい。名前だけを見てCDを聴き始めると、強烈な個性を発揮するのかなという期待がものの見事外れてしまう。天衣無縫とでもいったらいいような、純粋に音楽を楽しんでいる様子が窺えて何か微笑ましくなるほどだ。(蔵 志津久)

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