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★ 私のクラシック音楽館 (MCM) ★ 蔵 志津久

クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CD◇カルロ・マリア・ジュリーニ指揮バイエルン放送交響楽団のシューベルト:ミサ曲第6番

2017-08-08 09:34:39 | 宗教曲

 

シューベルト:ミサ曲第6番変ホ長調 D950

          第1曲 キリエ
          第2曲 グロリア 「天のいと高きところには神に栄光」
                     「神なる主、神の小羊」
                                「主のみ聖なり」 
                     第3曲 クレド 「われは信ず、唯一の神」
                             「聖霊によりて」
                            「聖書にありしごとく」
                     第4曲 サンクトゥス 「聖なるかな」
                                 「いと高きところの [神に] ホザンナ」
                     第5曲 ベネディクトゥス 「ほむべきかな」
                                    「いと高きところの [神に] ホザンナ」 
                     第6曲 アニュス・デイ 「神の小羊」
                                  「われらに平安を与えたまえ」 

指揮:カルロ・マリア・ジュリーニ

管弦楽:バイエルン放送交響楽団

ソプラノ:ルート・ツィーザク
アルト:ヤルト・ヴァン・ネス
テノール:ヘルベルト・リッペルト
テノールウォルフガング・ビュンテン
バリトン:アンドレアス・シュミット

合唱指揮:ミヒャエル・グレーザー

合唱:バイエルン放送合唱団

CD:ソニーミュージックジャパン SICC 270

 シューベルトは、生涯に600曲を超す歌曲(リート)を作曲し“歌曲王”として名高い。そのほか交響曲、管弦楽曲、室内楽曲、ピアノソナタなど多くの名曲を残しており、現在でもそれらの作品は多くの人々から愛し続けられている。一方、歌劇や宗教音楽でも多くの作品を遺したのも関わらず、現在ではこれらの作品が演奏会で演奏されることは滅多にない。例えば、歌劇・劇音楽では「ヴィラ・ベッラのクラウディーネ」(ゲーテ、1815年)、「魔法の竪琴」(ホフマン、1820年)、「アルフォンゾとエストレルラ」(ショーバー、1822年)など、未完成の曲も含めれば20曲以上の作品を書き上げている。しかし、現在それらの作品が上演されることはほとんどない。

 シューベルトは、生涯で45曲にも上る宗教音楽を遺している。それらは、ミサ曲が6曲、ドイツ語ミサ曲が1曲、ドイツ語ミサ曲が1曲、オラトリオが1曲、宗教合唱曲が28曲、宗教的独唱・重唱曲が6曲、宗教的カノンが2曲などである。これらの宗教音楽の中で、生前取り上げられることの多かったのが女声四重奏曲「詩篇23番D706」であるが、教会での演奏ではなく一般の演奏会で演奏されたということから、シューベルトの宗教音楽の当時の評価が窺えて興味深い。シューベルトは、宮廷礼拝堂の聖歌隊員から音楽の道に入ったわけであるので、もともと、宗教音楽に対しては関心が高かった。そのことは最初期の1812年から最晩年の1828年に至るまで宗教音楽を書き続けたことでも分かる。

 ミサ曲第6番は、シューベルトの死の年、すなわち1828年6月に作曲に着手され、その年の夏に完成された最後のミサ曲であり、シューベルトの全作品の中でもとりわけ傑作の誉れ高い曲でもあり、充実した作品である。シューベルト特有の美しい旋律に覆われたミサ曲であり、保守的な内容ながら感情表現に豊かさが溢れている。初演は、シューベルトの死の翌年の1829年10月にアルザーグルトンの三位一体教会において行われた。編成は、声楽がソプラノ、アルト、テノール2、バス(またはバリトン)の独唱に、混成4部の合唱、器楽は、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット各2、トロンボーン3、ティンパニ、それに弦楽5部からなっている。

 このCDでの指揮は、イタリア出身のカルロ・マリア・ジュリーニ(1914年―2005年)。サンタ・チェチーリア国立アカデミアに学び、最初はヴィオラ奏者であった。ローマRAI交響楽団首席指揮者、ミラノRAI交響楽団首席指揮者、ミラノ・スカラ座音楽監督、ウィーン交響楽団の首席指揮者、ロサンジェルス・フィルハーモニック音楽監督などを歴任。以後、フリーの指揮者としてウィーン・フィル、ベルリン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウなどヨーロッパの名門オーケストラを客演する。ここでのジュリーニ指揮バイエルン放送交響楽団の演奏は、この曲の持つ荘厳さが自然の形で表現され、聴いていて深く感動させられる。そこには、祈りの姿しか見えてこない。世界で戦火が絶えない今こそ、この演奏の持つ不滅の意義がある。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇クラウディオ・アバドのヴェルディ:レクイエム

2013-10-15 10:59:13 | 宗教曲

~今でもトップの座にあるクラウディオ・アバドの最初の録音 ヴェルディ:レクイエム~

ヴェルディ:レクイエム
          第1曲: レクイエムとキリエ
          第2曲: 怒りの日
          第3曲: 奉献誦
          第4曲: サンクトゥス
          第5曲: アニュス・デイ
          第6曲: 永遠の光を
          第7曲: われを解き放ちたまえ

指揮:クラウディオ・アバド

管弦楽:ミラノ・スカラ座管弦楽団

独唱:カーティア・リッチャレッリ(ソプラノ)
    シャーリー・ヴァーレット(メゾ・ソプラノ)
    プラシド・ドミンゴ(テノール)
    ニコライ・ギャウロフ(バス)

合唱指揮:ロマーノ・ガンドルフィ

合唱:ミラノ・スカラ座合唱団

録音:1979年6月26~29日、11月3、4日、1980年1月7日、2月21、26日 、ミラノ、CTCスタジオ

CD:ユニバーサル・ミュージック(ドイツ・グラモフォン) UCCG-4809(2枚組)

 このCDで指揮をしているクラウディオ・アバド(1933年生まれ)の今年10月の来日を首を長くして待っていたファンも多かっただろうと思うが、残念ながらクラウディオ・アバドは健康上の理由で、ルツェルン祝祭管弦楽団との今回の来日は中止となってしまった。現代の巨匠の一人に挙げられるクラウディオ・アバドは、イタリア、ミラノ出身。ヴェルディ音楽院およびウィーン音楽院で学んだ後、1959年に指揮者デビューを果す。1968年にミラノ・スカラ座の指揮者となり、1972年には音楽監督、1977年には芸術監督に就任。さらに、1979年にロンドン交響楽団の首席指揮者、1983年には同楽団の音楽監督に就任している。そして1986年に、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任した後、1990年、カラヤンの後任としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督に就任し、これによりアバドは世界のクラシック音楽界の頂点に君臨することになる。2000年に病魔に倒れるが、回復した2003年以降は、ルツェルン祝祭管弦楽団さらに、自身が組織した若手中心のオーケストラであるマーラー室内管弦楽団やモーツァルト管弦楽団などと活動することが多くなっている。

 イタリア出身のアバドの指揮するヴェルディ:レクイエムのこのCDは、管弦楽がミラノ・スカラ座管弦楽団ということに加え、魅力的な独唱陣、それに合唱:ミラノ・スカラ座合唱団という布陣を揃えた本場中の本場の演奏と言える録音なのである。独唱陣を見てみると、ソプラノのカーティア・リッチャレッリは、フレーニの後を継ぎイタリア・オペラ界屈指のプリマドンナとして一世を風靡し、現在も現役で活躍中。メゾ・ソプラノのシャーリー・ヴァーレットは、アバドお気に入りの歌手の一人で、米国が生み出した黒人歌手の逸材。ご存じテノールのプラシド・ドミンゴは、現在も現役として活躍中。そしてブルガリア出身でバスのニコライ・ギャウロフは、残念なことに2004年に亡くなったが、現役時代は、ミラノ・スカラ座には欠かせなかった名バス歌手。アバドは、この録音の後に、ヴェルディ:レクイエム を2回録音している。それらは1991年のウィーン・フィルを指揮した盤、それに2001年のベルリン・フィルとのライヴ録音盤である。ところが、今でもこの一番古い録音がアバドの代表作として高く評価されているのだ(例えば「名曲名盤300ベスト・ディスクはこれだ!」<音楽之友社刊>において1位を獲得。因みに2位は、カラヤン指揮ベルリン・フィル盤)。

 このCDの演奏の特徴は、敬虔な宗教性と劇的なオペラ的要素とが巧みに融合されて、全体として実に統一感のある演奏に貫かれているということに尽きよう。ヴェルディというとオペラの巨人であることから、この曲をオペラのように劇的な面を強調した演奏が数多く見られるが、宗教性という側面を見落とすとベルディの真の意図を見失うことになる。そもそもこの曲は、イタリア・オペラ界最大の作曲家であるロッシーニを悼み、ベルディが12人の作曲家に1曲づつの作曲を呼びかけ、これをもとに一つのレクイエムを完成させようとしたことに始まる。結局、このベルディの案は実現することなく終わるが、この時ベルディは、この幻に終わったレクイエムの最終楽章「リベラ・メ」を作曲していた。丁度その時、ベルディは歌劇「運命の力」を作曲中であり、最も油の乗り切っていた時期の作曲だけに、未発表に終わっていた「リベラ・メ」の内容のレベルの高さもこれで推察できよう。さらに、ヴェルディが尊敬して止まなかったイタリアの愛国詩人アレッサンドロ・マンゾーニの死に直面し(1873年5月)、それまでお蔵入りしていた「リベラ・メ」を取り出し、新たにレクイエムを作曲しようとヴェルディは決意する。そして完成したのが、現在、モーツァルト、フォーレと並び「三大レクイエム」の一つに挙げられている傑作、ヴェルディ:レクイエムである。つまり、この曲は、もともと同郷の大作曲家ロッシーニと大詩人アレッサンドロ・マンゾーニを悼んで作曲されたもので、オペラの延長線から生まれた曲ではないのである。

 このCDで、このような作曲の経緯をクラウディオ・アバドは、実によく汲み取って指揮をしていることが、演奏内容によく表れている。この結果、録音からから30年以上経った今でも、多くの人が、数あるヴェルディ:レクイエム の録音の中でもトップに挙げる理由ではないかと私には思える。ところで今年は、ヴェルディ(1813年―1901年)がワーグナーと共に生誕100年を迎えた記念すべき年である。我々日本人にとってお馴染のオペラ「椿姫」の作曲者であり、ヴェルディのことは誰でもが知っているように見えても、実は意外とヴェルディの生涯は知られていないのである。ヴェルディは、オペラ作曲者以外に何百人の農夫を雇う大農場の農園主として経営者の顔を持つ人物であることをご存じであったろうか。さらに、国会議員として政治家の顔も持っていたというから驚きである。このほか、作曲家のための著作権の確立にも尽力したり、音楽家のための老人ホーム「憩いの家」を建設したりと、オペラの作曲以外に八面六臂の大活躍をした、類まれな人物でもあったのだ。ヴェルディが死んだ時、盛大な国葬が執り行われ、あの大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニのもと、スカラ座の合唱団が「行け、わが思いよ、黄金の翼に乗って」を歌い、20万人の人々が集まったという。シューベルトやシューマンなど、少なからぬ作曲家が不遇の死を迎えることが多い中、ヴェルディは例外であったのだ。そんなヴェルディの生涯に興味がある方は、この辺の詳細な経緯について書かれた、加藤浩子著「ヴェルディ―オペラ変革者の素顔と作品―」(平凡社新書)の一読をお薦めする。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇作曲者ブリテン自身の指揮によるブリテン:戦争レクイエム

2013-08-13 10:24:55 | 宗教曲

ブリテン:戦争レクイエム

  永遠の安息:主よ、永遠の安息を彼らに与え給え 
          家畜のように死んでゆく兵士たちに    
  怒りの日:その日こそ怒りの日である    
        夕べの大気を悲しげに    
        そのとき、この世を裁く    
        戦場で、ぼくたちはごく親しげに   
        慈悲深いイエスよ   
        汝の長く黒い腕が    
        怒りの日 
        罪ある人が裁かれるために   
        彼を動かせ
  奉献文:栄光の王、主イエス・キリストよ    
       かくて、アブラハムは立ちあがり    
  聖なるかな:聖なるかな、聖なるかな   
         東方から一筋のいなずまが 
  神の小羊:かりそめにも爆撃された    
  われを解き放ち給え:主よ、かの恐ろしき日に    
               ぼくは戦闘から脱出して    
               さあ、もう眠ろうよ  

指揮:ベンジャミン・ブリテン

管弦楽:ロンドン交響楽団

ソプラノ:ガリーナ・ヴィシネフスカヤ
テノール:ピーター・ピアーズ
バリトン:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

合唱:バッハ合唱団/ロンドン交響楽団合唱団/ハイゲート学校合唱団

オルガン:サイモン・プレストン

弦楽合奏:メロス・アンサンブル

録音:1963年1月、ロンドン、キングズウェイ・ホール

CD:ユニバーサル ミュージック クラシック UCCD‐3633~4

 今年も、広島に原爆が投下された8月6日、そして長崎に原爆が投下された8月9日がやって来た。68年前のことだ。そして終戦記念日の8月15日へと続く。しかし、今でも戦争はこの地球から無くなってはいない。それどころか、日本もいつ何時新しい戦争に巻き込まれるか、少しも予断がならない。日本国憲法改正の動きが出始め、第二次世界大戦後、日本が国是としてきた「戦争の放棄」が、根本から問い直されようとしている。「戦争も止むを得ない」の先には、徴兵制があることを、特に若い人は考えておくべきだ。「憲法改正は是か非か」「戦争放棄は是か非か」の前に、「戦争は年寄りが開戦を決め、若者が戦場で死んでいく」という万国共通の話を思い起こしてみることだ。国会議員の多くは、年を取っており戦場には行かない。戦場で死んでいくのは、皆、国会とは関係のない、ただの若者だ。「憲法改正は是か非か」「戦争放棄は是か非か」に評論家的意見は無用だ。戦場で、敵兵と対峙した時、あなたならどうする。機関銃の引き金を引かなければ、自分が殺される。自分が先に引けば相手が死に、自分が助かる。今、日本は大きな岐路に立たされていることだけは確かなようだ。

 今回、ブリテンの「戦争レクイエム」を改めて聴くことにした。この曲は、「永遠の安息」「怒りの日」「奉献文」「聖なるかな」「神の小羊」「われを解き放ち給え」の6つの部分から構成されている。基本的にはレクイエム(死者のためのミサ曲)であるので、ラテン語による教会の典礼文に則っている。そうなると一般的には、“三大レクイエム”と言われているモーツァルト、ヴェルディ、フォーレなどの宗教的なレクイエムの曲を想像するが、ブリテンの「戦争レクイエム」は、それら宗教曲としてのレクイエムとは大きく異なる。それは、ウィルフレッド・オーウェン(1893年―1918年)の英語による詩が、典礼文に挟まるようにして使われているからである。オーウェンは英国リバプール生まれで、第一次世界大戦に出征し、25歳という若さで戦死した詩人である。ブリテンは、通常のレクイエムの教会の典礼文をソプラノの独唱、児童合唱、混声4部合唱、オーケストラ、それにオルガンに演奏させる。一方、オーエンの第一次世界大戦に参戦した詩をテノールとバリトンの独唱と室内オーケストラに演奏させるという、それまで誰も思い付かなかった独創的なレクイエムの形式をつくり挙げたのである。

 音楽というか、絵画も含めた芸術全般に言えるのではあるが、聴いたり、見たりする前に、知識を取り入れたからの方が、より深く鑑賞できる作品と、まあ、どちらでもいい、という作品、さらには、余計な事前知識などは、かえって作品の鑑賞には邪魔になる、という三通りのケースがある。ブリテンの「戦争レクイエム」は、このうち、聴く前に必ず事前の知識を入れて聴いた方がより深く作品に共感を覚えることができる、という作品である。教会の典礼文はともかくとして、オーエンの詩をあらかじめ読んでからから聴くと、この曲の核心に直ぐに辿り付くことができる。このCDのライナーノートにある三浦淳史氏の翻訳から、この詩をほんの少しだけ紹介してみよう。「戦場で、ぼくたちはごく親しげに死神にむかって歩み寄っていった。死神と一緒に、冷静で、ものやわらかに、腰を下ろし、食事をした―死神の飯盒からこぼれ落ちる食べ物をぼくたちの手でうけて。ぼくたちは死神の吐息の濃厚な緑の匂いを嗅いだ―・・・」「かりそめにも爆撃された道路の裂け目で絞殺されるものなのか。この戦争では、主もまた四股を失った。だが主の使徒たちはばらばらに身をかくす。そして今、兵士たちは主とともに耐えるのだ」「われらに平和を与え給え。」・・・。

 この録音は、1963年1月にロンドンのキングズウェイ・ホールで行われた。指揮は、作曲者のベンジャミン・ブリテン(1913年―1976年)、管弦楽はロンドン交響楽団、そしてソプラノ:ガリーナ・ヴィシネフスカヤ、テノール:ピーター・ピアーズ、バリトン:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウという布陣だ。ベンジャミン・ブリテンは、指揮者としての活動も活発に行っており、自身の作品を指揮した録音を多く残している。この「戦争レクイエム」の録音は古いが、最新の音響技術によってリマスタリングされ、充分に聴きやすくなり、鑑賞には全く問題がないのが嬉しい。鬼気迫るものがある、と言っても過言でないほど、緊張感溢れる演奏内容となっている。オーケストラの進軍ラッパのような軽快な響き、爆雷を思わせる重苦しい響きに覆われる中、独唱陣および合唱陣が、よく通る歌唱力を存分に発揮し、戦争という重く、悲痛な思いを、リスナーに強く訴え掛けずにはおかない。このブリテン:戦争レクイエムは、その内容は重く、暗く、辛いものではあるが、人類の未来を見据えた貴重な音楽による遺産とも言えるのではなかろうか。この曲の最後は、合唱による「彼らを平和の中にいこわせ給え。アーメン。」という平和の祈りの言葉で終える。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇アンドレ・クリュイタンスのフォーレ:レクイエム

2012-01-17 10:41:26 | 宗教曲

フォーレ:レクイエム
      (I.入祭唱とキリエ II.奉献唱  III.聖なるかな IV.ああ、イエズスよ 
       V.神の子羊 VI.われを許したまえ  VII.楽園にて)

指揮:アンドレ・クリュイタンス

管弦楽:パリ音楽院管弦楽団

独唱:ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)/ヴィクトリア・ロス・アンヘルス(ソプラノ)

合唱:エリザベート・ブラッスール合唱団

オルガン:アンリエット・ピュイ・ロジェ

CD:EMIミュージック・ジャパン TOCE14011

 フォーレのレクイエム(死者のためのミサ曲)は、モーツァルトおよびヴェルディのそれと合わせて、「3大レクイエム」の一つに挙げられているレクイエムの傑作である。モーツァルトやヴェルディのレクイエムは、激情とも言えるほどの激しさを曲が内包しているのに対して、フォーレのレクイエムは、フォーレの他の曲と同様、決して激情を外に現すことはなく、全体が深い信仰心に覆われ、静かな悲しみと同時に安らぎに満ち溢れている。キリスト教の信者でなくても、この曲が根源的に持っている、人の命へ対する深い思いと神への祈りとが、聴くものに等しく切々と伝わってくるのである。このため数あるレクイエム作品の中でも、フォーレのレクイエムは、特に日本人に人気のある曲になっており、しばしばコンサートでも取り上げられている。例えば、第4曲の「ああイエズスよ(ピエ・イエス)」や続く第5曲「神の子羊(アニュス・デイ)」などを聴くと、そのあまりの天上的な美しさに、すべてのリスナーは等しく深い感動への世界へと誘われることは間違いない。

 レクイエムとは、死者のためのミサ(キリスト教の典礼)を指すわけである。ミサ自体は、カトリック教会の典礼であり、儀式としての位置づけであるので、宗教そのものと言った方が分かりがいいが、レクイエムというと、宗教には変わりはないのだが、より普遍性を持った性格があるように感じられる。それは、誰もが避けられない“死”という厳粛な事実に対して、人はそれをどう捉え、死者へ対する思いをどう込めるのか、という問いかけが常に存在し続けるからだ。フォーレは、レクイエムを作曲するに際して、特別な思いを込めたようである。それは、通常のレクイエムには入っている「怒りの日」が省かれ、その代わり「ああイエズスよ(ピエ・イエス)」と「イン・パラディスム」が入っているのである。通常「怒りの日」は、激しい感情の吐露が作曲者の手によって劇的な音楽となって表現される。フォーレは、そんな劇的なレクイエムをつくろうとはしなかった。「ああイエズスよ(ピエ・イエス)」のような、静かに人の心に訴えるような作品づくりを目指したのだ。このことが、劇的なレクイエム以上に、激しく人の心を揺さぶるレクイエムの傑作を生み出すことに繋がった。

 このCDで指揮をしているのは、ベルギー出身の名指揮者アンドレ・クリュイタンス(1905年ー1967年)である。ベルギーはもともと多言語国家で、その関係もありクリュイタンスはフランス語のほかドイツ語にも通じ、音楽についても得意のフランス音楽と並んドイツ音楽にも造詣が深かった。「ベートヴェン交響曲全集」の録音も遺されているが、その演奏内容の高さには今聴いても感心させられる。クリュイタンスは、アントウェルペン王立音楽院で学び、1922年に王立歌劇場の合唱指揮者となる。1944年にパリ・オペラ座の指揮者を経た後、1949年にはミュンシュの後任としてパリ音楽院管弦楽団の首席指揮者に就任。さらに、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルとも客演指揮者として度々登場。フランス人系指揮者として初めてバイロイト音楽祭に参加もした。つまり、クリュイタンスは、20世紀を代表するドイツ音楽にも長けた、フランス系の名指揮者であったわけである。

 その名指揮者アンドレ・クリュイタンスがパリ音楽院管弦楽団と組み、名バリトン、名ソプラノのディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウおよびヴィクトリア・ロス・アンヘルスを迎えて録音されたのがこのCD。クリュイタンスの指揮は、単にフォーレのレクイエムの表面をなぞるだけではなく、輪郭をくっきりと付け、スケールも大きく、堂々とした広がりを持ったフォーレのレクイエムを描き切って見事である。テンポも出来る限りゆっくりと運ばせ、オルガンや合唱の響かせ方も、オーケストラとの微妙な融和の中で聴こえてくるので、その深みのある表現力にはいささかの人為的不自然さも感じられない。空間全体が静かな広がりの中に佇んでいる。ドイツ系のオーケストラでは表現不可能のような息遣いが聴こえてくるようだ。特に、天国的な響きを持った場面では、微妙なニュアンスの霧に一面覆われたような雰囲気を醸し出すことに成功している。それでいて、クリュイタンスの指揮は、決して情緒だけに溺れることなく、レクイエムとしての奥の深さも、同時にものの見事に表現し切っている。(蔵 志津久) 

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◇クラシック音楽CD◇オットー・クレンペラーのヘンデル:オラトリオ「メサイヤ」

2011-12-06 10:32:13 | 宗教曲

ヘンデル:オラトリオ「メサイヤ」

指揮:オットー・クレンペラー

管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団

独唱:エリザベート・シュワルツコップ(ソプラノ)/グレイス・ホフマン(アルト)/ニコライ・ゲッダ(テノール)/ジェローム・ハインズ(バス)

合唱:フィルハーモニア合唱団

CD:EMIミュージック・ジャパン TOCE 14073~74

 ヘンデルのオラトリオ「メサイヤ(救世主)」は、第1部:救世主キリストの出現の予言と誕生(21曲)、第2部:キリストの受難と死、復活(23曲)、第3部:この世の終焉と最後の審判、永遠の生命(9曲)からなっている。中でも第2部の最後を飾る合唱曲「ハレルヤ、全能の主、我らの神は統べしらすなり」、いわゆる“ハレルヤ・コーラス”が有名で、日本の一部のコンサート会場では、この部分に入ると聴衆は起立して聴く慣わしが現在でもあるようである。これは、1743年、初めてロンドンで演奏された際に、国王ジョージ2世が、ハレルヤコーラスの途中に起立したと言い伝えられていることによるもの。しかし、このこと自体、本当にあったかどうかも確認されておらず、この風習が残っているには現在では日本だけなのかもしれない。しかし、いずれにしても毎年暮れになると、ベートーヴェンの第9交響曲「合唱」と並び、このヘンデルの「メサイヤ」が演奏される。日本人は、暮れが迫るとどうしても1年のけじめをつけずにはいられない国民性があるようである。この2曲は、そんな場合、打って付けの曲なようだ。日本のクラシック音楽ファは、ベートーヴェンの「第九」で「歓喜の歌」を、そしてヘンデルの「メサイヤ」で「ハレルヤ・コーラス」を聴き、1年の禊を行ってきたのだ。

 ヘンデルは、バッハと同世代の大作曲家であるが、後に英国で活躍したことから、イギリスの作曲家という印象が強いが、あくまでドイツ出身の作曲家だ。17歳でハレ大学に入学し法律の勉強を開始する。同時に大学の大聖堂でオルガン奏者として活躍し、これが高じて大学を投げ打ってハンブルグへ、さらにはイタリアのフィレンツェなどに出向き、音楽の活動に熱を入れる。イタリアではオペラや教会音楽の作曲に力を入れたようだ。そして25歳の時、ロンドへと向かうのである。バッハの音楽は、厳格な様式に基づいて作曲したものがほとんどで、作風は厳格であるが、面白みに欠けるところがある。これに対し、ヘンデルは、大らかで自由な発想の作風の曲が多い。これは、バッハが当時音楽的には“田舎”と見られていたドイツ国内のみに留まっていたのに対し、ヘンデルが、当時の音楽先進国のイタリアで作曲のノウハウを吸収した違いが現れたといったところであろう。この「メサイヤ」も純宗教曲ではあるのだが、どことなく親しみやすく、伸び伸びとしたところがあり、この辺が「メサイヤ」人気の秘密なのかもしれない。ヘンデルが「メサイヤ」をオラトリオ形式で作曲したのは、当時のイギリスはオラトリオ人気が高かったため。オラトリオは、中産階級に聖書の浸透を図るため考え出されたれた音楽形式。いわば「宗教的な主題のオペラ」とも言うべきもので、演奏会形式で行われ、オペラのように演劇は付かない。イタリアでオペラ修行をたっぷりと積んできたヘンデルにとっては、オラトリオの作曲ははお手のもの。しかも、開放的なヘンデルの作風は、キリスト教の布教の面からも打って付けであったのであろう。

 キリスト教は、時に“歌う宗教”とも言われるが、このヘンデルの「メサイヤ」を聴いていると、正にこのこことを実感できる。今、エルサレムに世界の熱い視線が集まっている。それは何故であろうか。アブラハム一族の旅の始まりから物語が始まるわけであるが、その宗教としてのユダヤ教、それに派生しうまれたキリスト教、さらにはイスラム教、これらを合わせると現在、人類の最も多くが信仰している一大宗教の聖地に他ならないであるからである。中でもキリスト教は、音楽との結び付きが圧倒的に強く、クラシック音楽の発祥=キリスト教会での礼拝という関係を築き上げてきた。近年は別として、クラシック音楽の歴史的大作曲家でおよそキリスト教の宗教音楽を書かなかった人はいないであろう。バッハ、ヘンデルに始まり、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームスはもとより、ベルリオーズやブルックナーまで、多くの作曲家によって宗教曲の名曲が書かれ、現在でもコンサート会場でしばしば演奏されている。ところが面白いことにヘンデルがこの「メサイヤ」を作曲して、初演した頃(ヘンデル56歳の時)は、教会音楽をコンサート会場で演奏することに、抵抗感があったようで、さすがのヘンデルもおっかなびっくりで臨んだのだという。その後この「メサイヤ」(全曲で53曲、演奏時間に2時間以上)は、大曲でるにも関わらず徐々にイギリス社会に浸透を見せ、やがて世界中に広がっていった。これは、ここで使われている「メサイヤ(救世主)」という言葉が、必ずしもイエス・キリストをそのものをずばり指しているわけでなく、より普遍性を持たせていることと無縁ではあるまい。

 このCDで演奏しているには、オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団、エリザベート・シュワルツコップ(ソプラノ)/グレイス・ホフマン(アルト)/ニコライ・ゲッダ(テノール)/ジェローム・ハインズ(バス)の独唱陣、それにフィルハーモニア合唱団という豪華メンバーで、1964年2月―11月のロンドンで録音されたもの。演奏内容は、実に堂々としていて正統的な名演奏に仕上がっている。最近の「メサイヤ」演奏の流行は古楽器奏法であるようであるが、ここでの演奏スタイルは、あくまで従来の奏法に則ったものであり、ロマンの香りも感じ入られ素直で聴きやすいという特色が遺憾なく発揮されている。そ根源にあるのは、オットー・クレンペラーの「メサイヤ」に対する姿勢そのものにあると言える。厳格な宗教観に根差し、一部の隙もない緻密な演奏は、バロック建築の壮大な伽藍を連想させるようでもある。常日頃、宗教には縁のない日常を過ごして、1年の終わりを迎えようとしている者でも、この真摯な姿勢の演奏を聴くと、心を揺さぶられるような共感に身を置くことができる。そして安定した歌声を聴かせている独唱および合唱陣の充実ぶりが、この演奏の魅力の根源の一つになっていることは言うに及ばない。年の瀬に、このヘンデルのオラトリオ「メサイヤ」を聴いて(全曲では長すぎるというリスナーはせめて「ハレルヤコーラス」でも。因みにハレルヤとは、ヘブライ語由来の言葉で「主をほめたたえよ」の意味)、人類の来し方そして行く末に思いを馳せることは、今年東日本大震災という未曾有の国難に見舞われた我々日本人にとっては、宗派の別を越えて、とりわけ大切なことではなかろうか。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ベーム&ウィーン・フィルのモーツァルト:レクイエム

2011-08-30 10:32:33 | 宗教曲

モーツァルト:レクイエム(死者のためのミサ曲)

指揮:カール・ベーム

管弦楽・ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

独唱:エディット・マティス(ソプラノ)/ジュリア・ハマリ(アルト)/ウィスロウ・オフマン(テノール)/カール・リッダーブッシュ(バス)

合唱:ウィーン国立歌劇場合唱連盟

CD:ユニバーサルクラシックス(独グラモフォン) UCCG‐4639

 私にとってモーツァルトのレクイエムほど不思議な曲はない。最初に聴いた時から、今に至るまでこれは本当にモーツァルトの作品であろうかという疑念が常に頭をよぎる。今でこそ、モーツァルトはクラシック音楽の代表的作曲家であることに間違いないのであるが、モーツァルトが生きていた時代、それに亡くなって暫くは、必ずしも今ほど著名な作曲家ではなかった。それがケッヘルなどの努力により、作曲した作品の全容が人々の前に明らかになるにつれ、その偉大な作曲家像が築かれていったのである。このことは、モーツァルトの前の作曲家であってもそうである。よく、バッハの作品はメンデルスゾーンが再発見したかのように書かれているが、その前に、モーツァルトも盛んにバッハのフーガなどを研究していたし、そのモーツァルトの研究成果をベートーヴェンが学んだことも知られている。つまり、モーツァルトはバロック音楽を勉強し、その成果の上に立って古典美としてのクラシック音楽を完成させた大作曲家だったわけである。

 古典美のクラシック音楽の特徴は、中世音楽やバロック音楽の基づいた宗教的音楽あるいは王侯貴族の音楽とはことなり、ある特定の使命感を持つ音楽でなく、普遍的な美学に基づいた音楽である。要するにどんな人が聴いても「美しいな」と感じることの出来る客観的な音楽なのある。そこには、些細な曖昧さもないし、節度を持った音楽が構築されたわけである。我々が現在、モーツァルトの音楽に魅了されるのは、正にこのためなのである。ところがである。モーツァルトの全作品中、このレクイエムだけは、それまでのモーツァルト像をぶち壊してしまうほどのエネルギーに満ちた特異な作品だ。そこには、中庸を心得た節度のあるイメージはない。あるのは、怒りであり、激しい慟哭であり、そして祈りである。もうモーツァルトのトレードマークの古典美などというイメージは、吹っ飛んでしまう。モーツァルトはレクイエムの作曲について、次のような手紙を書き残している。「・・・人はだれも、自分の生涯を決定することは出来ないのです。摂理の望むことが行われるのに甘んじなくてはいけないのです。筆をおきます。これは僕の死の歌です。未完成のまま残しておくわけにはいきません」。 

 実際にはモーツァルトは、このレクイエムの作曲を半分にも行かないほどで生涯を閉じてしまう。後は、弟子のジェスマイアーなどが補作したものが、現在、我々が聴いているモーツァルトのレクイエムである。つまり、モーツァルトのレクイエムといっても、半分以上はモーツァルト以外が作曲した曲であり、このことも「レクイエムは本当にモーツァルトの作品なのか」という原因になっている。つまり、これまでジェスマイアーの補作をベースに幾人もの人が自己流に解釈してモーツァルトのレクイエムを“作曲”するという大変変則的な作品となっているのだ。それでも、今日に至るまでモーツァルトの代表作と言われるのは、そんなマイナス面をも凌駕するほど、我々現代人の心を捉えて離さない何かがこの曲には込められているからだ。もう古典的な美意識などはかなぐり捨てたモーツァルトの心の底からの叫びが聴こえてくる。日本は今年、国難とも言われる東日本大震災に見舞われ、多くの方々の命が奪われてしまった。このモーツァルトのレクイエムを聴いていると、あたかもモーツァルトが、日本の東日本大震災で亡くなった方々の御霊に向かい作曲したかのようにも聴こえ、涙を禁じえなくなる。それほどモーツァルトのレクイエムは、時空を超えて、我々一人一人の胸に訴えてくるものがある。

 そんな、古今のレクイエムの名曲中の名曲を、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルそしてソプラノのエディット・マティスをはじめとした独唱陣および合唱陣が、考えうる最高の演奏を披露しているのが今回のCDである。1971年にLPレコードとして発売されたもので、今ではもう歴史的名盤の1枚に入るのかもしれない。その演奏は、白熱の限りを尽くしたものとなっており、ベームの指揮は、曲の核心を突く。少しもリスナーに媚びることなく、さりとて、独りよがりの世界にのめり込むこともない。独唱、合唱陣を含め、正統的な重々しい響きが辺りを覆い尽くし、聴いていて厳粛な気分に引き込まれてしまう。これほど分厚く、重々しく演奏されたケースは稀であろう。そして、そんな激しい感情の渦巻く間に、わずかな救いの音楽が時折聴こえてくる。あたかも、砂漠の中に迷い込みながら一時、オアシスで休息し、清流の水で喉を潤す思いがする。全ての演奏者がカール・ベームの棒に集中して一糸乱れない、見事としか言いようもほどの演奏には、ただ脱帽するしかない。集中度の高さ、完成度の高さ、緻密さ、どれを取っても一級の仕上がりを見せている名盤である。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇カール・リヒターのバッハ:ミサ曲ロ短調(1969年日本ライヴ録音)

2011-04-12 11:25:57 | 宗教曲

バッハ:ミサ曲ロ短調(1969年日本ライヴ録音)

指揮:カール・リヒター

管弦楽:ミュンヘン・バッハ管弦楽団

独唱:ウルズラ・ブッケル(ソプラノ)/マルガ・ヘフゲン(アルト)/エルンスト・ヘフリガー(テノール)/エルンスト=ゲロルト・シュトラム(バス)

合唱:ミュンヘン・バッハ合唱団

CD:ポリグラム(ARCHIV PRODUCTION) POCA-3004-5

 バッハのミサ曲ロ短調は、バッハ最後の作品として知られる。しかし、完成を見るまではいろいろと変遷があったようである。当初、1733年に「キリエ」と「グローリア」の2章からなるミサ曲を作曲し、フリードリヒ・アウグスト二世即位の際し献呈したのである。これは新候から宮廷作曲家の称号を得ようとしたためとされる。我々がバッハに抱くイメージとは少々異なるところが面白いと言えば面白い。そして、バッハは晩年に至ると「クレド」「サンクゥス」「アニュス・デイ」を付け加えて、完成させた。この付け加えたという意味は、当時のルター派とカトリック派の宗教上の和解を狙ったものとも受け取られており、単なるミサ曲とだけ捉える以上の意味合いが、この曲に内包されていることを知らされる。アニュス・デイの最後の合唱「われらに平和を与えたまえ」が歌われると、バッハの平和への思いがひしひしと伝わってくるようでもある。

 私のような宗教に疎く、不信心なものにとっては、ミサ曲やレクイエムという曲は、昔から聴き続けてきたクラシック音楽の重要なジャンルではあると認識はしているつもりだが、あまり日常的な曲とは感じられないのも事実だ。ミサ曲とは、キリスト教の定まった儀式である典礼に伴う声楽曲を指すわけだが、一般的にはカトリック教会でのイエス・キリストの最後の晩餐に由来するキリスト聖体拝領を伴うものを指すようである。一方、レクイエムとは、死者の安息を神に願うカトリック教会のミサのことを指し、死者のためのミサ曲とも呼ばれる。カトリック教会以外の、プロテスタント教会、東方教会、ルター派などでは、これらの用語の意味は異なるようであるが、これらは門外漢の私にとっては十分に理解し難い点でもある。しかし、このCDのバッハ:ミサ曲ロ短調をはじめとしたミサ曲、さらに有名なモーツァルトの作曲したレクイエム(どこまでモーツァルトが作曲したのか現在でも議論が続いているようだが)をはじめとした数々のレクイエムには、名曲が多数残され、その神秘的で崇高な雰囲気に感動させられることが少なくない。

 今回のCDであるバッハ:ミサ曲ロ短調は、同じくバッハが作曲したマタイ受難曲やヨハネ受難曲に比べ、取っ付き難いといった側面は確かにあるかもしれない。マタイ受難曲やヨハネ受難曲は、全体がドラマ仕立てとなっており、そのドラマチックな展開に、思わず手に汗を握るといった按配で、聴いているだけでその迫力に圧倒される思いがするし、聴いた後は一遍の小説を読み終えたような感じがなんともいえない。それに対し、ミサ曲ロ短調は曲の性格上、別段劇的な展開があるわけでなく、「マタイ受難曲やヨハネ受難曲に比べて抹香臭い曲」といった印象を持つ人だっている。しかし、妙な先入観念を捨て去り、曲の本質に迫る聴き方に徹すると、突然目の前に新しい世界が広がって来る。曲全体は、キリエ(憐れみの賛歌)、グローリア(栄光の賛歌)、クレド(ニケア信教)、サンクトゥス(感謝の賛歌)、アニュス・デイ(平和の賛歌)からなっており、歌詞もそんなにボリュームがあるわけではない。しかし、例え短いフレーズでも「神の子羊、世の罪を除きたもう者よ、われらを憐れみたまえ。われらに平和を与えたまえ」などの文言の内容は、現在の世界が抱える難問を考えると、その言葉の内容とと曲の響きに、門外漢の私でも深い共感を覚える。

 このCDで指揮をしているカール・リヒター(1926年―1981年)は、ドイツの指揮者、オルガン・チェンバロ奏者で、バッハ作品の指揮・演奏において当時一世を風靡したことを思い出す。1949年、聖トーマス教会のオルガニストに就任した。1951年、聖マルコ教会のオルガニストに就任。1953年、ミュンヘン・バッハ管弦楽団を設立した。1969年には、ミュンヘン・バッハ管弦楽団、同合唱団を率いて来日し、受難曲、カンタータなどを指揮、また個人でもオルガン、チェンバロを演奏し絶賛を博した。これらの来日公演はNHKによって収録、放送されたが、その中の一つが今回のCDのミサ曲ロ短調である。カール・リヒターは、敗戦国のドイツ国民にバッハ演奏を通じて自信を取り戻させたと言われているが、この録音を聴くとこのことがものの見事に裏付けられる。完璧な構成力を持ってバッハ最晩年のミサ曲を演奏しており、その指揮ぶりは宗教という範疇を超えて、あらゆる階層の人々の心を揺さぶる。その上、このCDはライヴ録音なので、スタジオ演奏に比べて緊迫感と説得力が数段優れているのが特徴だ。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽◇ショルティ&ベルリン・フィルのベートーヴェン:ミサ・ソレムニス

2010-11-16 13:13:37 | 宗教曲

ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)

指揮:サー・ゲオルグ・ショルティ

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

ソプラノ:ユリア・ヴァラディ
メゾ・ソプラノ:イリス・ヴァーミリオン
テノール:ヴィンソン・コール
バス:レーネ・パーペ

ヴァイオリン・ソロ:コルジャ・ブラッヒャー

合唱指揮:ロビン・グリットン

合唱:ベルリン放送合唱団

CD:DECC 444 337‐2

 ベートーヴェンの後期の傑作というと、第9交響曲「合唱」を誰もが思い浮かべるが、この合唱交響曲と劣らず、あるいは、凌駕する傑作として荘厳ミサ曲Op.123が厳然と聳えている。ミサ曲というから我々は、直ぐにああ宗教曲か、と早とちりしてしまうが、このベートーヴェンの荘厳ミサ曲は、宗教儀式に際し演奏されるように作曲されておらず、ベートーヴェンが宗教曲の形式を借りて作曲した魂の塊みたいな曲と思って聴くと随分と違った世界がリスナーの前に広がってくる。第9交響曲と対をなす大作であることは確かである。これから暮れが近づくに従って各オーケストラとも申し合わせたかのように第9交響曲を演奏するが、荘厳ミサ曲はそのようなことはないようだ。こうなると、CDのリスナー一人として、意地でも第9交響曲と同時に、荘厳ミサ曲を同時に聴いてみたくなる。

 ベートーヴェンは、決して芸術至上主義者ではなかった。常に現実の社会で起こっている現象に敏感に反応した。クラシック音楽が神の音楽や王侯の音楽であったことに反発し、一人の人間としての自然な意思の表現の手段として作曲した。これに対し、ベートーヴェン以後のロマン派の音楽は、人間の内面を追求するあまり、少々独善的な性格を帯びてしまい、耽美な世界に逃避する傾向があると言わざるをえない。また、別の流れとしてワーグナーやリヒャルト・シュトラウスなどは、オーケストラ作品を肥大化させ過ぎ、現実の世界から遊離する傾向を持つに至った。このように見ていくと、ベートーヴェンほどリアリストに徹した作曲家は他に例を見ないかもしれない。閉塞感漂う古いヨーロッパの改革者として、ベートーヴェンはナポレオンに期待し、そのナポレオンに失望のあまり、第3交響曲の表紙を破り捨てたという(実際は破った事実はなかったようだが)。常にベートーヴェンが見つめていたのは、現実の“人間社会”なのだ。

 荘厳ミサ曲の作曲にベートーヴェンは、4年の歳月をついやした。その4年間は、精神の集中と楽譜との格闘に明け暮れたという。そのことは、この曲を通して聴いてみればたちどころに分る。最初から最後まで凄まじい緊張感が曲全体を覆いつくす。私は、交響曲第3番「英雄」の投げかけた自らの問いに答えたのが、この荘厳ミサ曲だと思っている。宗教曲の衣は纏ってはいるが、中身は人類の未来に対する祈りと限りない希望へと繋がる、ベートーヴェンの最後のッセージが込められた曲ではなかったか。ベートーヴェンはどんな困難が来ても決して屈することのない不屈の精神の持ち主であった(ハイリゲンシュタットの遺書は書いたがそれを乗り越えた)。仮に現実の世界は、戦争や争いごとが絶えないかもしれないが、ベートーヴェンは、人類は必ず克服すると真に考えていたのではないか(現実にはベートーヴェン死後多くの戦争が起こってしまったが)。逆に言えば、ベートーヴェンがこの荘厳ミサ曲に込めた、人類の未来への希望と平和への祈りとが、今の時代だからこそ余計求められているのだと思う。

 そんな気分で荘厳ミサ曲を改めて聴いて見ると、宗教曲の範疇を超えて、我々一人一人にベートーヴェンが必死に平和を訴え、理想の社会の到来を心から願っていたことが伝わってくる。そんな、曲にショルティは真正面から取り組み、スケールの大きい指揮を見せる。独唱陣もあたかもベートーヴェンの分身であるかのように全身全霊で歌う。そして合唱陣も同じように。決してこの演奏は、見てくれだけを追いかける演奏ではなく、ベートーヴェンの心の叫びを同感をもって演奏している。特に特にサンクトス以降の演奏は、聴いていて身が硬直する程の、静かではあるが凄みに貫かれた名演だと私は思う。これから聴く機会が多くなる第9交響曲は当然大傑作だが、その陰に隠れた荘厳ミサ曲は(第9ほど聴きやすくないが)、第9に劣らず(いや本当は第9以上の傑作かもしれない)、人類が作曲し得た音楽の真の大傑作であることをどうか忘れないでほしい。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇シャイー/ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団のバッハ:マタイ受難曲

2010-08-24 09:24:55 | 宗教曲

バッハ:マタイ受難曲

指揮:リッカルド・シャイー

管弦楽:ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団

独唱:テノール ヨハネス・チャム
    バス ハンノ・ミュラー=ブラッハマン
    ソプラノ クリスティーナ・ランズハマー
    アルト マリー=クロード・シャピュイ
    テノール マクシミリアン・シュミット
    バス トーマス・クヴァストフ
    バス クラウス・ヘーガー

合唱:ライプツィヒ聖トーマス教会聖歌隊(合唱指揮:ゲオルグ・クリストフ・ビラー)
    テルツ少年合唱団(合唱指揮:ゲルハルト・シュミット=ガーデン)

CD:DECCA UCCD-1260/1

 バッハは、1724年にヨハネ受難曲を作曲したのに続き、1727年のマタイ受難曲を完成させている。その後ヨハネ受難曲は3回改定され、現在演奏されるのは1749年に改定されたもの。一方、マタイ受難曲は、1736年に改定され、現在ではこの版が演奏されている。マタイ受難曲は、新約聖書「マタイによる福音書」の26-27章のキリストの受難を題材にした受難曲で、バッハの死後、長く忘れられていたが、1829年にメンデルスゾーンによって復活演奏され、その真価が広く知られることとなった。一方、ヨハネ受難曲は、新約聖書「ヨハネによる福音書」の18-19章のイエスの受難を題材にした受難曲。

 受難曲とは、新約聖書のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書に基づくイエス・キリストの受難を描いた音楽作品を言う。バッハが作曲したヨハネ受難曲とマタイ受難曲の2つの受難曲については、一般に、マタイ受難曲の方が完成度が高く、西洋音楽の最高峰に位置する曲とする評価が定着しており、ヨハネ受難曲については、劇的要素に優れているといった見方がなされているようだ。このCDの解説書で礒山 雅氏は、他の福音書に比較したマタイ福音書の特色について「①受難を旧約聖書における預言の成就とする②イエスを人間的姿で描く③イエスの死後起こった天変地異を劇的な筆致で強調し、そこにクライマックスを置く」と書いているが、このCDを聴くと正にこのことが実感できる。

 このCDは、2009年4月2-3日にライプツィヒ、ゲバントハウスで行われた演奏会のライブ録音盤である。このような種類の長時間の演奏を聴くにはCDは、もって付けのメディアであることを実感できる。ドイツ語で歌われる、バスによるイエスをはじめ、福音書記者、司祭長、ユダ、ペトロ、ピトラなどの言葉、そしてコラール(賛美歌)などを、解説書に付けられた日本語訳を眺めながら聴いていると、その内容がよく把握できるからだ。最近ではオペラの公演は、舞台の前に日本語表示されるので、劇の進展がよく把握できるのと同じことだ。もし、日本語訳なしの実演を聴かされたら、私みたいな不信心ものには、到底理解不能となることは明らかだ。日本語訳を眺めながら聴くと、礒山 雅氏が言うように、マタイ福音書が、イエスを人間的姿で描いていることと、イエスの死後起こった天変地異を劇的な筆致で強調し、そこにクライマックスを置いている―ということが実感きるのである。

 このCDのリッカルド・シャイー指揮およびライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団のコンビの演奏は、スピーディーで実に躍動感のある劇的な表現をしており、現代人である我々の感覚にピタリと合うことがなんとも素晴らしい。独唱、合唱陣もシャイー/ゲバントハウスに完全に一体化し名唱を聴かせる。このバッハのマタイ受難曲の録音は、西洋音楽屈指の名曲だけあって、昔からの名盤にはこと欠かない。しかし、演奏に長時間を要する曲だけに、リスナーを如何に曲にのめり込ませるかは、無視できない要素となってくる。この点、このシャイー盤は、イエスが十字架を背負いながらゴルゴタの丘を上らされる前後の風景描写など、キリスト教徒でなくても、手に汗握るような緊迫感を受ける。私はマタイ受難曲の名盤がまた1枚(CD2枚組だが)生まれたなと思つている。1953年ミラノ生まれのイタリアの指揮者のリッカルド・シャイーは、2005年ー2008年ライプツィヒ歌劇場音楽総監督を務めた後、2005年からライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団の楽長を務めている。今後、大指揮者へと上り詰めることが期待できる指揮者の一人だ。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇シューマン:オラトリオ「楽園とペリ」

2009-12-15 13:17:12 | 宗教曲

シューマン:独唱、合唱、管弦楽のためのオラトリオ「楽園とペリ」

指揮:ゲルト・アルブレヒト

管弦楽:チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

独唱:ソプラノ カリタ・マッティラ/ソプラノ カタリン・ピッティ/メゾ・ソプラノ ガブリ
       ーレ・シュレッケンバッハ/アルト アンネ・ギーヴァンク/テノール ヨゼフ・ク
    ンドラーク/バリトン ジョン・ブレヒェラー

合唱指揮:ルボミール・マートル

合唱:チェコ・フィルハーモニー合唱団

CD:日本コロムビア CO-4599→600

 来年は、シューマン生誕200周年の記念すべき年に当る。シューマンは、私の最も好きな作曲者の一人である。ピアノ曲、歌曲、室内楽曲、交響曲などどれをとっても、こくのある作品群が揃っており、いずれもロマンの香りをふんだんに持ったところが何ともいい。青春の息吹というか、昔の懐かしさに溢れた雰囲気が好きだ。そんなシューマンの作品群は、不思議なことに、大曲になればなるほど音楽評論家には人気がないのである。4曲からなる魅力的な交響曲にしても、音楽評論家には評判があまり良くない。シューマンは、素晴らしく美しいレクイエムもミサ曲も作曲しているのであるが、音楽評論家に取り上げられることが少ないないせいか、あまり知られていない。どうもクラシック音楽は、音楽評論家の意見がその曲の存在価値を決めてしまい、クラシック音楽リスナーは音楽評論家の顔色ばかりを窺っているように見える。

 そんなシューマンの大曲の一つが、今回のCDの独唱、合唱、管弦楽のためのオラトリオ「楽園とペリ」である。この曲はあまり知られてはいないが、一度聴くとそのメロディーの美しさと、誰にでも口ずさめそうなやさしさ(大衆性)が印象に強く残る、シューマンの隠れた名曲だと言ってもいいであろう。曲は第1部(1~9番)、第2部(10~17番)、第3部(18~21番)、第4部(22~26番)からなり、全部を通して聴けば、ゆうに1時間半にも及ぶ長さとなる。通常、1時間半もの長い曲だと、中だるみといおうか最後まで聴き続けるのは、なかなかしんどいものであるが、このシューマンの「楽園とペリ」だけは、そう長いとも感じられずに聴き通すことができる。理由は、美しく、やさしいメロディーが次から次えと現れては消えていく、といった按配で、アキが来ないからだろう。音楽評論家にあんまり受けが良くない原因は、どうもこの通俗性にあるらしい。クラシック音楽リスナーにとっては、音楽理論よりも聴いて楽しい方がずっとよい。

 ところで、オラトリオ「楽園のペリ」のペリとは一体何かというと、ペルシャ神話に登場する妖精のことで、本来はゾロアスター教の悪魔に使える身分であるため、救済を必要としている。彼女はひとえに救済を待ち望んでいる。楽園に入るためには、ペリは“天の最も愛する贈り物”をもってこなくてはならない。そこでペリは、いろいろなものを持っていくが門は開かない。最後に、罪深い男が汚れない子どもを見て流した涙を持っていき、ペリは救済されるのである。シューマンは、この物語をアイルランドの詩人トマス・ムーアが書いたメルヘン集「ララ・ルーク」によった。当時のヨーロッパ人は多かれ少なかれオリエント趣味があったようで、この物語も好んで受け入れられていたようだ。

 当初、シューマンはこの曲にオラトリオとは付けずに、ただ単に「独唱、合唱、管弦楽のための」と付けていたようだ。オラトリオは教会や修道院における説教音楽のようなもので、聖書からとった台詞に様々な様式の音楽が付けられていた。その後、オペラの形式も取り入れられて行った。シューマンは当初「楽園とペリ」をオペラにする構想があったようだが、最終的にはオラトリオ形式(オペラとは違い演劇の要素はなく、独唱と合唱それにオーケストラ演奏)にしたが、多分、宗教性を薄めるためにオラトリオという名前を使用しなかったのではなかろうか。いずれにしろ、この曲はシューマンにとっては、チャレンジ目標であったオペラへの挑戦であり、しかも大衆性を狙った誠に革新的な記念すべき作品なのだ。多くの人がこの「楽園とペリ」を、先入観なしに聴いてみてほしいものである。きっと気に入ってもらえると思う。このCDの録音は、1987年4月7-12日、プラハ「芸術家の家」。
(蔵 志津久)

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