
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
ヴァイオリン:アンネ・ゾフィー・ムター
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CD:ドイツ・グラムフォン 419 241-2
このCDは、1988年のザルツブルク音楽祭の実況録音盤で、ヴァイオリンが“ヴァイオリンの女王”ことアンネ・ゾフィー・ムター当時25歳、指揮がヘルベルト・フォン・カラヤン当時80歳で、死の1年前のライブ録音である。カラヤンがムターの才能を見抜き、広く世界へ紹介したことがその後のムターの将来を大きく花開かせたことは、あまねく知られているが、このコンビの歴史的な録音とも言えるのがこのCDなのである。今では、ムターは“ヴァイオリンの女王”と呼ばれ、カラヤンの予言通り、世界のヴァイオリン界に君臨する存在に成長を遂げている。日本へはもう何回も来ているが、今年も来日を果たし、円熟した演奏を披露してくれた。来日中は、彼女として生まれて初めてCDショップでのサイン会を開催するなど、気さくな一面も覗かせてくれた。
さて、このCDでのムターの演奏は、第1楽章の出だしから、それはそれは実にゆっくりと弾き始める。しかも、名優が舞台の中央に静々と歩むような雰囲気でもあり、聴衆はというと、その名優の目の動き、手の動きのなど一挙手一投足に完全に釘付けにされてしまっているようだ。この辺の雰囲気を醸し出す才能は、ムターは若いときから備えていたようであることを窺い知ることができる。要するのスター性を備えたヴァイオリニストしか持ち得ない資質なのであろう。ここでのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の演奏スタイルは、あくまでドイツ・オーストリア音楽風に昇華され、ロシア音楽特有の泥臭さは希薄だ。そこには実にスマートで美しい、ある意味では人工的なチャイコフスキー像が描かれている。伴奏のカラヤンの指揮もこのことを強く印象付ける。
第2楽章も第1楽章と同じ印象を持つ。限りない美しさと静かさに満ち溢れたチャイコフスキーがそこにはある。ムターのヴァイオリンは女流演奏家のそれではあるのであるが、それをさらに超えたような彼女独自の世界を展開する。この辺はだだのヴァイオリニストとはやはり何処かが違うのだ。スケールの大きな演奏には違いがないのではあるが、聴いているとそんなことはことは感じさせず、あくまで自然な流れの中に身を置いている。この辺にムターの人気の秘密が隠されているように私には思われる。第3楽章は、本来ならチャイコフスキー独特の民族色に覆われたロシア音楽の全開となるのではあるが、ムター/カラヤンのコンビは最後まで演奏スタイルを
変えず、このコンビの美意識に基づいたチャイコフスキー像が描かれる。この辺は、好き嫌いが分かれるところであろう。
ムターは、1963年にドイツで生まれた。ヘンリック・シェリングに就いてヴァイオリンを学び、13歳のときカラヤンに見い出され、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演し、天才少女として国際的に広く知られることになる。これまでドイツ連邦功労勲章一等、バイエルン功労勲章、オーストリア科学・芸術功労十字賞、フランス芸術文化勲章オフィシエなど、多くの賞を授与されている、名実共に世界のヴァイオリン界の第一人者といっても過言ではなかろう。ただ、それだけではなく若い演奏家のため、奨学金制度をつくり、自らレッスンを行うなど、面倒見の良い演奏家としても知られている。これは「自分がカラヤンから受けた教えを次世代へ伝えたいという思いから生まれたもの」(ベルリン在住・城所孝吉氏)だからそうである。ともすると演奏家は、自分の芸術への達成度だけを追い求める傾向がある中で、ムターのこのような活動は一際光を放っているように思われてならない。今後、さらなる円熟度を増した彼女の演奏が大いに楽しみだ。(蔵 志津久)
オーケストラの録音がもっとよければ、と思いました。