モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」
交響曲第35番「ハフナー」
指揮:ネヴィル・マリナー
管弦楽:アカデミー室内管弦楽団
CD:EMIミュージック・ジャパン TOCE16078
多くのクラシック音楽ファンに愛された名指揮者ネヴィル・マリナー(1924年―2016年)が、2016年10月2日に没した。享年92歳であった。ここ数年の間、度々来日したので、直接マリナーの指揮をお聴きになった方もおられよう。マリナーは、英国のリンカンシャー州出身。ロンドンの王立音楽大学に学んだ後、パリ音楽院に留学。その後、フィルハーモニア管弦楽団、ロンドン交響楽団(LSO)などのヴァイオリニストとして活躍。1958年には、バロック音楽を演奏するため聖マーティ・イン・ザ・フィールズ教会を拠点としてアカデミー室内管弦楽団を結成。当初は、ヴァイオリンを弾いていたが、要請を受け指揮者に転向。次第にマリナーは指揮者として名前が広く知られることとなる。さらにマリナーは、フルオーケストラの指揮者としてもその能力を発揮することになる。1979年~1986年ミネソタ管弦楽団音楽監督、1983年~1989年シュトゥットガルト放送交響楽団首席指揮者などを歴任。1985年には、長年にわたり音楽界に貢献したことによりナイト号を授与されている。
アカデミー室内管弦楽団(アカデミー・オブ・セント・マーティ・イン・ザ・フィールズ=The Academy)は、ロンドンでネヴィル・マリナーが創立。1959年に最初の演奏会を行なったが、これが現在の古楽アンサンブルブームの先駆けとなった室内管弦楽団の発足であった。当初は17世紀から18世紀の音楽を専門にしてきたが、その後、編成とレパートリーを拡張して、古典派やロマン派、さらには現代音楽などにも積極的に取り組むようになった。1959年から1978年まで、ネヴィル・マリナーが指揮者を務めたが、発足当初は指揮者なしの弦楽合奏団として演奏した。その活動は、バロック音楽演奏の復活に貢献して、それまでの演奏に見られない新解釈ということで、当時の音楽界の話題を呼んだ。映画「アマデウス」(1984年)のサウンドトラックを担当したほか、映画「タイタニック」のサウンドトラックも担当し、クラシック音楽以外にもファンを広げたことも特筆できる。
モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」は、1788年8月10日に完成した。この交響曲のタイトル「ジュピター」は、モーツァルトによるものではなく、イギリスの興行主ザロモンが、この曲の終楽章を、ローマ神話のジュピターに譬えたことによるもの。全部で4つの楽章からなるが、特にフーガの技法を取り入れた第4楽章は、モーツァルトの交響曲の頂点に聳える傑作として知られる。このCDでのマリナーは、若々しく、洗練された、英国流の流れるような指揮ぶりを聴かせる。モーツアルトの交響曲の中でも傑作として知られるこの交響曲は、どの指揮者が指揮しても、力強く、スケールの大きさをことさら強調した演奏内容になるものだ。ところが、このCDでのマリナーの指揮は、これとは真逆で、緻密で、清々しさを辺り一面にまき散らすような雰囲気を漂わす。「ジュピター」のこれまで聴いたことのない新鮮な姿がそこに存在する。結果として、アカデミー室内管弦楽団の存在価値を存分に聴かせた録音となった。
モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」は、ウィーンにおいてモーツァルトが最初に書いた交響曲である。しかし、その内容はというと、ザルツブルグの富豪であったハフナー家のためにモーツァルトが書いたセレナードの改作である。このセレナードは、ハフナー家の息子が爵位を受けた際の祝典曲として書かれたものであり、内容的には交響曲になるべき題材ではないように誰もが思う。しかし、それはモーツァルトのこと、初めて書き下ろされたかのような、堂々とした交響曲である第35番「ハフナー」にまとめ上げてしまったのだ。そして、モーツァルトは、1783年の春に行われた演奏会にこの“新作”交響曲を見事間に合わせたのであった。交響曲第35番「ハフナー」でのマリナー指揮アカデミー室内管弦楽団の演奏は、交響曲第41番「ジュピター」の演奏内容とがらりと変え、実に力強く、明るく、堂々としたものに仕上げている。この演奏を聴いていると、「ハフナー」交響曲は、セレナードの改作交響曲などという感じは微塵も感じることはない。マリナーの考え抜かれた指揮ぶりには思わず脱帽といったところだ。
■追悼 「ネヴィル・マリナーさん、長年にわたり、素晴らしい演奏をありがとうございました。心から感謝致します。安らかにお眠りください」 合掌 (蔵 志津久)