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★ 私のクラシック音楽館 (MCM) ★ 蔵 志津久

クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CD◇ルドヴィート・カンタとノルベルト・ヘラーのベートーヴェン:チェロソナタ全集(第1番~第5番)

2018-06-12 09:34:56 | 室内楽曲(チェロ)

ベートーヴェン:チェロソナタ全集(第1番~第5番)

チェロ:ルドヴィート・カンタ

ピアノ:ノルベルト・ヘラー

CD:PANCE MUSIC PANU-7004~5 【TOWER RECORDSオンラインショップサイトから購入可】

 ベートーヴェンのチェロソナタは5曲あるが、初期の作品が第1番と第2番、中期の作品が3番、そして後期の作品が第4番と第5番と、ちょうどベートーヴェンの生涯にわたって書かれている。この中では、第3番が一番人気となっているが、バッハの6曲の無伴奏チェロソナタと並び、5曲ともチェロソナタ史上不滅の光を放っている作品であることは間違いない。ハイドンは、それまでの弦楽四重奏曲を根底から改革し、新しい弦楽四重奏曲を生み出したが、同じように、ベートーヴェンはチェロソナタというジャンルを新たに確立し、以後、多くの作曲家がチェロソナタの傑作を世に送り出している。ベートヴェンがチェロに興味を持ったのは、ベートーヴェンがボンの選帝侯の宮廷楽団でヴィオラを弾いていた頃、チェロ奏者のロンベルクであったという。ロンベルクは、チェロのドイツ流派の創始者ともいわれ、ヴァイオリンの奏法をチェロに取り入れることに成功したチェロ奏者であった。ベートヴェンはこのロンベルクの表現力豊かな音色に魅入られて、チェロソナタを書く動機を与えられたようである。ベートーヴェンの5曲のチェロソナタは、チェロとピアノがあたかも対話するかのように書かれており、その深い内容が今でも聴く者に感銘与え続けているのだ。

 このCDでチェロを演奏しているルドヴィート・カンタ(1958年生まれ)は、スロヴァキア共和国の首都ブラティスラヴァの出身。ブラティスラヴァ音楽院、プラハ音楽アカデミーで学ぶ。プラハ音楽アカデミー在学中にスロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団の第1ソロ・チェリスト・コンサートマスターに就任。「ハラデッツ=オパヴァ・ベートーヴェンコンクール」で優勝。「プラハの春国際音楽コンクール」で銀賞と同時にチェコ・スロヴァキア文化庁特別賞を受賞。その他、チャイコフスキーコンクールなど数々のコンクールで上位入賞を果たしている。2003年、2005年の「スロヴァキア・フィル日本ツアー公演」ではドヴォルザークのチェロ協奏曲を共演し絶賛される。日本音楽コンクールの審査員を務めるなど、日本との係わりは深く、1995年より8年間、愛知県立芸術大学にて教鞭をとるなど、後進の指導にも取り組んでいる。1990年より、オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の首席チェロ奏者を務めていたが、2018年3月に定年退団し、現在は名誉楽団員。

 ピアノのノルベルト・ヘラーは、チェコ出身。オストラヴァ音楽院、プラハ音楽アカデミーで学ぶ。「国際ベートーヴェンコンクール」第1位、「モラヴィチ・ピアノコンクール」で第1位を受賞他、受賞歴多数。1993年から96年までチェコ・トリオのメンバーとしても活躍。古典から、現代曲まで幅広いレパートリーを持ち、テレビやラジオへの出演も多い。CD録音は多数あり、ソロではシューベルト、ベートーヴェン、ムソルグスキーが、チェコ・トリオのメンバーとしてはショスタコーヴィチ、スメタナ、シューベルトなどいずれも優れた演奏を聴かせる。中でも、1807年製のコンラート・グラフのハンマー・クラヴィアによるシューベルト全曲は、チェコ財団の「ベスト・レコーディング・オブ・ザ・イヤー賞」を受賞、2001年には、チェコ人として初めてのレコーディングである、モーツァルトの全ソナタ集を完成し、「ヨーロッパ・グスタフ・マーラー賞」を受賞した。2008年よりプラハ国際音楽院で教鞭をとる他、ヤング・プラハ国際音楽祭の審査員も務めている。

 このCDでのルドヴィート・カンタは、実に深々としたチェロ演奏を聴かせる。その伸びやかなチェロの音色は、全てが自然の流れに中に息づいている。少しも作為的なものを感じることはない。一方、ノルベルト・ヘラーのピアノ演奏は、光り輝く星のようでもあり、音色がきらきらと宙に舞うごとくである。5曲のベートーヴェンのチェロソナタは、いずれもチェロとピアノが対話するように進行する。決して、独奏がチェロ、伴奏がピアノという分担ではない。その意味でカンタとヘラーは、チェロとピアノとが対話するかのように演奏しており、ベートーヴェンの意図を十分に引き出した演奏内容となっている。第1番においては、ベートーヴェンの青春の息吹を思う存分発散させる演奏内容が一際光る。第2番は、第1番の延長線上にある曲だが、より深みを増す内容となっており、二人の演奏内容もそれに合わせるかのように彫の深い表現が印象的。第3番は、ベートーヴェンのチェロソナタの中で一番の人気曲。二人の演奏は、構成力を十分に感じさせるが、決して力任せに弾き切るのではなく、精神性に力点を置いたような、しみじみとした演奏に仕上がっている。第4番は、ベートーヴェンの後期の作品であり、二人の演奏も、より一層深く、思索的な雰囲気を漂わせたものにまとめられている。最後の第5番は、第3番に次いで演奏される機会が多い作品。二人の演奏は、実に力強いもので、鋼鉄を思わせるような表現力が顔を覗かせる一方、ベートーヴェンの後期の室内楽作品らしく、透明感も合わせ持った演奏内容が誠に素晴らしい。このルドヴィート・カンタのチェロ、ノルベルト・ヘラーのピアノによるベートーヴェン:チェロソナタ全集は、“名盤”として後世に遺されて然るべき録音であることを特に強調したい。録音も秀逸。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇マイスキー&アルゲリッチの京都コンサートホールでのライヴ録音

2015-07-07 11:30:33 | 室内楽曲(チェロ)

ショパン:チェロソナタ
フランク:チェロソナタ(原曲:ヴァイオリンソナタ)
ドビュッシー:チェロソナタ
ショパン:序奏と華麗なるポロネーズ

チェロ:ミッシャ・マイスキー

ピアノ:マルタ・アルゲリッチ

CD:ユニバーサルミュージック UCCG 6146

 このCDは、チェロのミッシャ・マイスキーとピアノのマルタ・アルゲリッチの日本での共演をライヴ録音したもの。二人の共演はだいぶ前から行われていたようで、1981年には既に二人の共演の録音が遺されているのだそうだ。2000年11月に二人は、日本での共演を5つの都市で行ったが、そのうち11月10日に京都コンサートホールで開催された模様を収録したのがこのCDなのである。当日は、シューマンの「民謡風の5つの小品」も演奏されたが、このCDにはこれ以外の3曲とアンコール曲のショパン:序奏と華麗なるポロネーズが収められている。ミッシャ・マイスキー(1948年生まれ)は、ラトヴィアの出身。レニングラード音楽院付属音楽学校で学ぶ。1965年、17歳で全ソビエト連邦音楽コンクールで優勝し、同年、デビューを果たす。1966年、チャイコフスキー国際コンクールで6位入賞。身内の問題で旧ソビエト政府により逮捕されてしまうが、その後、国外移住を認められて、1973年イスラエルに移住。同年カサド音楽コンクールで優勝。以後、世界的な名声を得て、現在、世界各国で活発な演奏活動を行っている。しばしば来日しており、ピアニストの娘さんとの共演も、日本の聴衆に披露している。

 ピアノのマルタ・アルゲリッチ(1941年生まれ)は、アルゼンチン出身。1955年家族とともにオーストリアに移住し、ウィーン、ザルツブルク、ジュネーヴ、イタリアなどでピアノを学ぶ。1957年、ブゾーニ国際ピアノコンクール優勝。また、ジュネーブ国際音楽コンクールの女性ピアニストの部門においても優勝。1965年、ショパン国際ピアノコンクールで優勝。その後、徐々に活動の中心をソロ演奏から室内楽に移していく。1990年代に入ると、今度は自身の名を冠した音楽祭やコンクールを開催し、若手の育成に力を入れる。それらは、1998年から「別府アルゲリッチ音楽祭」、1999年からブエノスアイレスにおいて「マルタ・アルゲリッチ国際ピアノコンクール」、2001年から「ブエノスアイレス-マルタ・アルゲリッチ音楽祭」、2002年からルガーノにおいて「マルタ・アルゲリッチ・プロジェクト」を開催している。日本においての「別府アルゲリッチ音楽祭」の取り組みなどが高く評価され、第17回高松宮殿下記念世界文化賞(音楽部門)、旭日小綬章を受章するなど、日本とのかかわりは深い。2007年別府アルゲリッチ音楽祭の主催団体であるアルゲリッチ芸術振興財団の総裁に自ら就任し、1998年以降は別府アルゲリッチ音楽祭のため、毎年来日している。2015年5月には、アルゲリッチの名を冠したコンサートホール「しいきアルゲリッチハウス」(別府市野口原)が完成した。

 最初の曲、ショパン:チェロソナタは、1845年に作曲されたショパン唯一のチェロソナタ。ピアノのパートが華やかに活躍するチェロソナタとして知られる。ここでは、マイスキーのチェロとアルゲリッチのピアノが、あたかも二人が会話を楽しむがごとく、時に闊達に、時にしみじみと弾き分けているところが、聴きどころ。二人の力量が均等なこともあり、主従という感覚は全くない。お互いが手の内を十分に知り尽くしており、その上に立っての音づくりなので、リスナーも豊かな気持ちで聴き取ることができる。マイスキーの奏でるチェロの旋律が何と甘美なことか。アルゲリッチのピアノは、きりりと引き締まり、演奏の全体に立体感を醸し出すことに成功しているようだ。次の曲のフランク:チェロソナタは、有名なヴァイオリンソナタを、チェロで演奏する作品。ヴァイオリンソナタは、1886年に、友人のジェーヌ・イザイの結婚の祝いとして献呈された。フランク独自の循環形式で書かれたこの作品は、全曲が有機的にまとまり、完成度が極めて高いことで、多くの愛好者を持っている。ここでのマイスキーのチェロは、深い思慮を宿したものに仕上がっている。ヴァイオリン演奏では、表現し切れない、この奥深さは、チェロによる演奏の醍醐味である。ヴァイオリン演奏とはまた一味違い、この曲の別の側面が表れる。ここでのアルゲリッチは、マイスキーの引き立て役に徹しているかのようである。確かに、このようなアルゲリッチの演出で、この曲をチェロで演奏する意味づけが、きちんと聴き取ることができた。

 次の曲は、ドビュッシー:チェロソナタ。晩年の1915年の作品。この頃、ドビュッシーは、古典に回帰したような作品を書いているが、この曲もしっとりとした古典的な室内楽という趣を強く感じさせる。この曲では、ショパン:チェロソナタの時と同様、マイスキーのチェロとアルゲリッチのピアノが対等に渡り合い、見事な一体感を生み出している。しかし、そこにはショパン:チェロソナタでは味わえなかった、静寂さが曲全体を覆う様が強く打ち出され、「古典的とは言っても、やはりドビュッシーの世界なのだ」と感じさせる演奏内容となっている。何ものかがゆらゆらと揺れ動くような、微妙な躍動感がリスナーには伝わってくる。ドビュッシーが最晩年に到達した至高の音楽だということが、リスナーの肌にひしひしと伝わってくるようだ。そして、最後の曲が、当日、アンコールで演奏された、ショパン:序奏と華麗なるポロネーズ。この曲がアンコールに演奏されたというのは、誠に贅沢な話。演奏内容は、二人の生き生きした表情がよく表れており、演奏する歓びが肌で聴き取れる。ここでの二人の演奏は、すべてにわたって形式的に、きちっとまとまっている上に、音色が美しいので、聴いていて何とも楽しくなる。何かコンサートの原点に立ち返ったような安心感が広がる。このデュオは、現在考えられる最高の組み合わせ、といって間違いなかろう。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ヤーノシュ・シュタルケルのコダーイ:無伴奏チェロ・ソナタ 他

2013-12-17 10:51:39 | 室内楽曲(チェロ)

~追悼   「ヤーノシュ・シュタルケルの芸術」~

パガニーニ(ボタームント-シュタルケル編曲):パガニーニの主題による変奏曲
コダーイ:無伴奏チェロ・ソナタ
シューベルト:アルペジョーネ・ソナタ
フランク:チェロ・ソナタ

チェロ:ヤーノシュ・シュタルケル

ピアノ:岩崎淑/ジェルギー・シェベック

CD:ビクターエンターテインメント(タワーレコード) NCS-563~64
 
 これは、メトロポリタン歌劇場やシカゴ響で首席チェロ奏者の座を歴任し、その後ソリストに転向したハンガリー生まれの名チェリストのヤーノシュ・シュタルケル(1924年―2013年)が、かつて日本ビクターに録音した音源を、新たに2枚のCDに復刻し、タワーレコードから発売されたCDである。今年(2013年)も著名なクラシック音楽家が相次ぎ亡くなった。指揮者のザバリッシュ、コリン・デイビス、作曲家の諸井誠、三善晃などである。残念なことではあるが、この中にチェリストのヤーノシュ・シュタルケル(享年88歳)も入ってしまった。シュタルケルのチェロの演奏は、最高度の技巧に裏打ちされ、その逞しい男性的な雰囲気は、一度聴いたら忘れられない程の吸引力を持っていた。スケールが大きく、緊張感のある演奏は絶品であった。一方で叙情的な演奏にも長けていた。私は、シュタルケルのレコードやCDを聴いて、初めてチェロの曲の素晴らしさを感じたので、亡くなったという報を新聞等で見た時は酷く落胆してしまった。何か、自分のリスナー人生の何分の一かが削ぎ落とされたような、何とも寂しい気分を味わったものだ。しかし、シュタルケルは比較的多くの録音を残しているので、これからは、これらの録音を聴いて、昔、シュタルケルの演奏から受けた感激を思い起こすことにしようと、今は気を取り直しているところ。今回のCDは、そんな時にぴったりの録音が収められた復刻アルバムだ。

 ハンガリー出身のチェリスト、ヤーノシュ・シュタルケルは、7歳でブダペスト音楽院に入学を許されたというから、幼いときから神童ぶりを発揮していたのであろう。11歳でソロ・デビューを果たした。1945年、ブダペスト国立歌劇場管弦楽団およびブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団の首席チェロ奏者に就任。同時に、ピアニストのジェルギー・シェベック(このCDでもピアノ伴奏を担当)らとピアノ・トリオを結成している。その後、ヨーロッパ各地で演奏活動を展開し、この時、フランスで録音したもの中に、後にシュタルケルの名を世界的に知らしめることになる、コダーイの無伴奏チェロソナタが含まれている。この録音は、1948年のディスク大賞を受賞したという。1948年、アンタル・ドラティの招きでダラス交響楽団の首席チェリストに就任。以後、アメリカを拠点に演奏活動を展開することになる。1949年にはフリッツ・ライナーの招きを受けて、メトロポリタン歌劇場管弦楽団の首席チェリストに就任。さらに、ライナーに従いシカゴ交響楽団に移籍した。1950年、コダーイの無伴奏チェロソナタを再録音したが、これがセンセーションを巻き起こし、一躍その名を世界中に轟かせることになる。晩年は、インディアナ大学の教授に就任するなど後輩の教育に力をいれたようである。

 最初の曲は、パガニーニ(ボタームント-シュタルケル編曲):パガニーニの主題による変奏曲。元の曲は、パガニーニの「カプリッチョ」(Op.1)の第24番で、ここでの編曲は、ドイツのチェリスト ボタームントによるもの。シュタルケルが35年前に発見し、以後演奏してきた。ここでのシュタルケルの演奏は、それこそチェロをヴァイオリンの如く、軽々と演奏し、聴いていて爽快感を感じる。もし、凡庸なチェリストがこの編曲を演奏したら、何とも様にならないところであろう。シュタルケルの技巧の冴えを、この短い曲の演奏から十分に聴き取ることができる。次の曲は、シュタルケルの名を世界的に知らしめることになった、コダーイ:無伴奏チェロ・ソナタである。コダーイのこの無伴奏チェロ・ソナタは、1915年、第1次世界大戦中に完成した作品。無伴奏チェロ・ソナタというとバッハの作品が有名であるが、現在、それに継ぐ作品として浮かぶのは、ハンガリー出身のコダーイのこの無伴奏チェロ・ソナタだ。この曲は、コダーイがハンガリー民俗音楽の素材を取り込み、民俗音楽を越え、普遍的高みにまで到達した作品として、記念碑的な意義を持つ曲。ここでのシュタルケルの演奏は、同じハンガリー出身ということもあってか、真に親愛の情がこもった、密度の濃い演奏を披露する。求心的なエネルギーを最大限に発揮させてはいるが、同時に外側に向かうスケールの大きさも持ち、他の奏者を寄せ付けないような、鬼気迫る演奏といえよう。録音は、1970年12月、東京のビクタースタジオで収録されたもの。

 次の曲は、シューベルト:アルペジョーネ・ソナタ。この曲は、全3楽章がまるで歌曲であるが如くに美しいメロディーで覆い尽くされているので、多くの愛好者を持つ曲だ。ここでのシュタルケルの演奏は、コダーイ:無伴奏チェロ・ソナタの演奏の時とは、打って変わって、実に軽々と流れるように、この名曲を演奏している。何気なく聴き流しそうになるが、よく聴いてみると、過度なロマンの色合いは見せず、むしろ古典的な雰囲気を湛えた演奏に終始する。別な言葉で言うなら“生真面目なアルペジョーネ・ソナタの演奏”とでも言ったらいいのであろうか。何かシュタルケルの真骨頂を聴いた気がした。それにこの曲でピアノ伴奏をしている岩崎淑との相性もぴたりと合う。シュタルケルは生前、岩崎淑のピアノ伴奏を高く評価していた。シュタルケルは「私は岩崎嬢が大変良くやってくれたと思うのです。もし彼女の演奏がよくなかったと思うなら批評家はそう書くべきでしょう。だが無視するのは彼女にも私にも礼を欠くことになりませんか」(西村弘治氏のライナーノートより)と語ったという。この録音は、1970年12月、東京の杉並公会堂で行われた。最後の曲は、フランク:チェロ・ソナタ。これは、有名なフランクのヴァイオリン・ソナタと同じ曲。「フランクは、この曲をヴァイオリンあるいはチェロのために書いたのです。スコアにそうきされていますよ」(同)とシュタルケルはチェロで演奏する理由を述べたという。シュタルケルのチェロで聴くと、成る程そうだと納得させられる。それほどシュタルケルのチェロの技巧は、ヴァイオリン演奏に負けないほどの軽快さを有していたことが分る。ここには、ヴァイオリン演奏の静寂さとはまた異なる静寂さがある。この曲のピアノ伴奏は、長年コンビを組んできたジェルギー・シェベック。この2枚のアルバムを聴き終えた時、私は、自然に涙が込み上げてきてしまった。合掌。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇石坂団十郎のメンデルスゾーン:チェロ・ソナタ第2番/ブリテン:チェロ・ソナタ他

2012-06-12 10:53:45 | 室内楽曲(チェロ)

メンデルスゾーン:チェロ・ソナタ第2番
ブリテン:チェロ・ソナタ  
フランク:ヴァイオリン・ソナタ(チェロ版)

チェロ:石坂団十郎

ピアノ:マルティン・ヘルムヒェン

CD:ソニー・ミュージック・ジャパン・インターナショナル SICC276

 石坂団十郎という名前を最初に見たとき、彼はきっと歌舞伎役者だな、という第一印象が脳裏にこびり付いた。それほど、日本の古典芸術にピタリの名前ではある。石坂団十郎は、1979年、日本人を父に、ドイツ人を母にドイツのボン市で生まれている。日本の古典芸術どころか、もともと国際派の出身なのだと知ったのは暫く後だった。ドイツやアメリカの大学で学び、アルバン・ベルク弦楽四重奏団やアマデウス弦楽四重奏団等にも師事したという。1998年カサド国際チェロ・コンクール(スペイン)優勝、1999年第2回ルトスワフスキー国際チェロ・コンクール(ワルシャワ)優勝、そして2001年、難関で知られる第50回ARD ミュンヘン国際音楽コンクールで第1位に輝いた。2006年には、今回のCDがドイツ・フォノ・アカデミー主催「エコー・クラシック新進演奏家賞」を受賞している。誠に華々しい経歴ということができるが、単なるコンクールに強いということだけでなく、真の実力を備えたチェリストの誕生ということが、今回のCDを聴けば十分に納得できる。1曲、1曲を実に自信に満ちた演奏を聴かせている。演奏自体が実に活き活きとしており、若さの魅力を発散させている。このCDでは、2001年クララ・ハスキル国際コンクールで優勝したピアノのマルティン・ヘルムヒェンとの息もピタリとあっており、本来のチェロの持つ力強さを存分に味わえるほか、歌わせるところは浪々と歌い上げ、同時にヴァイオリンのように軽々としたチェロの、普段味わえないような味わいも聴かせてくれる。近来では出色のチェリストと言って過言なかろう。

 メンデルスゾーン:チェロ・ソナタ第2番は、作者の創作活動の絶頂期である1843年に作曲された曲で、シューマンが称賛したチェロソナタ第1番以上に優れた内容を持った曲であり、聴き応えも十分ある。1843年(34歳)というと、自らライプツィヒ音楽院を開校し院長となり、作曲とピアノの教授にはシューマンを招聘している。第1楽章は、劇的で起伏に富んだ内容が印象的だ。石坂団十郎は、軽快に演奏を進め、ピアノのマルティン・ヘルムヒェンの伴奏も的確で、石坂を支えている。第2楽章はスケルツォ風な曲であり、石坂の変幻自在とも思える弓使いが聴いていて実に心地良い。第3楽章のアダージョは、何とも心に染み渡るようなロマンの色濃い曲であるが、そんな夢幻的雰囲気を石坂&ヘルムヒェンのコンビは、実に鮮やかに表現している。この辺を聴くと、石坂団十郎が単に若さだけ売りにするチェリストでないことが納得できる。ヘルムヒェンのピアノがこれまた美しい。第4楽章は、若さが爆発すような爽快さが聴き取れる。チェロの美音が何とも心地良いのだ。

 私は、次のブリテン:チェロ・ソナタが、このCDで石坂団十郎が一番表現したかった曲ではなかろうかな、と思う。ブリテン:チェロ・ソナタは、そう滅多に演奏される曲はないし、誰もが知っている曲でもない。それなのに何故、石坂はこの曲を取り上げたのか。私は、石坂がチェロの可能性をより広げたいという意思があり、この曲を敢えて取り上げたのではなかろうかと思う。通常、チェロの曲というと、朗々としたロマンの香りが馥郁と香り立つといったイメージが強い。これに対し、ブリテン:チェロ・ソナタは、言ってみれば抽象絵画のような印象を受ける曲である。絵画には具象性の高い作品もあれば、抽象的な絵画もある。石坂はそんな多様性の世界をチェロという楽器で表現したかったのではなかろうかと。ブリテンは1960年の9月に、チェリストのムスティスラフ・ロストロポーヴィチと初めて出会い、このことがきっかけで、チェロソナタや3曲の無伴奏チェロ組曲などを作曲したという。チェロ・ソナタは、一見そっけないような印象を受ける曲であるが、何回も聴くうちに意外な魅力に引かれることになる。第1楽章は、チェロとピアノがあたかも対話をするように曲が進む。リスナーはそんな対話に耳を傾けるが、その対話の内容が何なのかを理解することは難しい。第2楽章は、ピチカートに終始するスケルツォの楽章。2人の演奏技術が聴きもので、退屈はしない。第3楽章は、エレジー(哀歌)の雰囲気が辺り一面に広がる。第4楽章は、不思議な音の動きが聴こえる行進曲。そして最後の第5楽章は無窮動。同じような音形が勢い良く飛び跳ねるが、石坂&ヘルムヒェンのコンビは、実に鮮やかにそれらを表現し切る。

 3曲目のフランク:ヴァイオリン・ソナタ(チェロ版)は、文字通りフランクの名曲のヴァイオリンソナタのチェロバージョンである。ここで石坂団十郎は、恐るべき演奏技術を駆使して、あたかもこの曲が最初からチェロのために書かれたような錯覚に、リスナーが陥るがごとき名人芸を披露してくれる。3曲の中では一番押さえ気味に演奏しているが、それが返って曲の持つ幽玄さを引き出すことに成功しているようだ。重厚な演奏の石坂団十郎と、明快な演奏のマルティン・ヘルムヒェンとが一体化し、ヴァイオリンによる演奏とは一味違うフランク:ヴァイオリン・ソナタの世界を構築していて、実に見事である。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ピエール・フルニエのシューベルト:アルペジオーネソナタ 他

2011-07-26 10:31:07 | 室内楽曲(チェロ)

シューベルト:アルペジオーネソナタ
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
チャイコフスキー:ロココの主題による変奏曲

チェロ:ピエール・フルニエ

ピアノ:Jean Hubeau

指揮:セルゲイ・チェビリダッケ(ドヴォルザーク)

指揮:オイゲン・ビゴー(チャイコフスキー)
管弦楽:ラムルー管弦楽団

CD:英PAVILION RECORD  GEMM CD 9198

 このCDは、フランスの名チェリストのピエール・フルニエ(1906年―1986年)の名演を聴くのには絶好の1枚である。録音時期は、シューベルト;アルペジオーネソナタが1939年、ドヴォルザーク:チェロ協奏曲が1945年(放送用ライヴ録音)、そしてチャイコフスキー:ロココの主題による変奏曲が1943年と大分古いが、録音は鮮明に捉えられており、今聴いても鑑賞に支障はない。何しろ、ここに収められている曲が良く知られた曲であり、これらの曲をピエール・フルニエの名人芸で愉しむことができるので、私みたいなオールドファンにとっては魅力たっぷりなCDなのだ。ピエール・フルニエのチェロ演奏の魅力は、何と言っても“チェロの貴公子”と言われていたことからも分るとおり、端正で優雅な演奏だ。チェロという楽器の持つ魅力を最大限引き出し、他の演奏家には求められないほどの気品に溢れていた。要するにその演奏ぶりは、素直であり、明るく光り輝くような音色自体が魅力を振りまいていたのである。例えばヤーノシュ・シュタルケルの演奏と比較すれば、自ずとその差は歴然とする。シュタルケルの演奏は、チェロという楽器を極限まで追求して、その曲を表現する。これに対し、ピエール・フルニエのチェロ演奏は、どんな時にも美意識が失われることはないのだ。

 ただ、あまりに優雅過ぎることが、「ピエール・フルニエのチェロ演奏は一世代前の演奏スタイル」という評価を下されたことも事実である。しかし、今聴いてみると、逆に新鮮であるし、その演奏スタイルを再評価してもいいのでは、とすら私には思える。ピエール・フルニエは、1823年にパリでコンサートデビューを飾り、エコール・ノルマル音楽院教授、パリ音楽院教授などを歴任する。1945年、カザルス三重奏団からカザルスが抜けた後、ティボー、コルトーとピアノ三重奏を組み活動。1954年には初来日し、ピアニストのケンプとのリサイタルは、多くの日本人を魅了した。1963年には、レジオン・ドヌール勲章を受章するなど、当時世界を代表する大チェリストであったのである。

 まず最初のシューベルト:アルペジオーネソナタを聴いてみよう。この曲は、クラシック音楽リスナーのビギナーからシニアーに至るまで、誰が聴いても聴き応えのある名曲である。チェロ特有の浪々とした音色が分りやすいメロディーに乗って聴こえてくる。もうつまらない理屈はいらない。シューベルトの歌の世界を彷彿とさせるメロディーが次から次と湧き上がってくる。第1楽章は、心も浮き上がるようなメロディーがたっぷりと楽しめる。第2楽章は、逆に落ち着いて楽想が誠に印象的。これぞクラシック音楽の醍醐味といった趣だ。第3楽章は、第1楽章の快活な気分が再び戻り、これでもかとばかり豊かなメロディーが散りばめられる。この曲を作曲した当時のシューベルトの体調は最悪であったというから、天才と言うのは何と凄いことかと思う。この曲をピエール・フルニエは、いともたやすく弾き進む(技巧的には難しいらしいのであるが)。少しの曖昧さもなく、快活に弾きこなす。正にピエール・フルニエのための曲ではないか、とさえ思ってしまうほどなのだ。私がこれまで聴いたアルペジオーネソナタの演奏の中で最高の出来と実感できる。ところでアルペジオーネというのは、19世紀前半に流行ったギターとチェロとを合体させたような楽器で、6弦の弓で弾くが、現在は使われることはない。

 次は、ドヴォルザークの有名なチェロ協奏曲。放送用ライブ録音であり、指揮者はあの有名なチェビリダッケと記されてはいるが、何故かオケの名は記されていない。何か著作権の問題でもあったのであろうか。ここでは、チェビリダッケの指揮ぶりは、ピエール・フルニエに合わせたように大らかに優雅に伴奏する。ピエール・フルニエのチェロは、ここでも高貴で優雅な演奏に終始し、聴いていて幸福感が自然と湧き上がってくる。第1楽章は、フルニエのチェロは、悠然と真正面から弾きこなし、ドヴォルザークの素朴な曲想が巻き上がる。第2楽章のチェロとオケの掛け合いは、正に絶品と言っても過言でないほどで、静かな森の中で曲を聴いているかのような錯覚に捉われる。こんな魅力たっぷりな演奏にそう滅多にはお目(お耳)にかかれないことだけは確かなことだ。第3楽章は、チェロの魅力がたっぷりと詰まった曲だけに、フルニエとチェビリダッケの演奏は冴えに冴えわたる。最後のチャイコフスキー:ロココの主題による変奏曲は、チェロと管弦楽のための曲であり、この曲も聴いていて実に楽しい曲だ。ピエール・フルニエのチェロは、これまでの2曲と同様、何の衒いもなく、明るく優雅に弾き進み、聴き応えは充分。以上、3つの名曲をピエール・フルニエのチェロで聴いてみたが、ピエール・フルニエのチェロ演奏は、特に日本人との相性がいいのではないかと感じた(夫人は日本人)。今後もピエール・フルニエの録音を残して、次世代のクラシック音楽リスナーにも伝えてほしいものだという気が強く持った。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇晩秋に聴くグリーグ:チェロソナタ/ラフマニノフ:チェロソナタ

2010-11-25 13:18:21 | 室内楽曲(チェロ)

グリーグ:チェロソナタ

ラフマニノフ:チェロソナタ

チェロ:ミカエル・エリクソン

ピアノ:フランティシェック・マリー

CD:BOSTON CLASSICS 71 0078-2 131

 チェロの響きは、浪々としていて聴いていて何か心の安らぎを感ずることができる。これに対し、ピアノとかヴァイオリンは、時として激しく燃え上がるような激情の雰囲気を常に宿している。ある意味では、ピアノやヴァイオリンは、表現力の点だけを考えればチェロよりは上を行く。しかし、どちらかというと、あまり表面に立ちたがらないようなチェロには、かえって好感が持てるし、何よりも安心感があって好ましい。そんなわけで、今回は、2つのチェロソナタを収録したCDを取り上げたい。グリークのチェロソナタとラフマニノフのチェロソナタである。この2つのチェロソナタは、内容が充実している割には、そう頻繁には演奏されない。クラシック音楽のビギナーのリスナーには、少々気が引けるが、ビギナーからさらに一歩進みたいリスナーにはお奨めの曲だ。

 私の場合、クラシック音楽を聴くには、季節や時間(午前か午後か)が大いに気にかかる。メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」やヘンデルの「王宮の花火の音楽」などは、どうしても真夏でふうふう言っている時に聴きたいと思う。間違っても、雪が深々と降りつもり、底冷えする日にはこれらの曲は聴きたくない。それに、フォーレの多くの曲は、朝や夜より、昼間にうとうとしながら聴くのが一番だ。理屈でなく経験からそう言えるのだ。さて、今回のグリーグのチェロソナタとラフマニノフのチェロソナタは、いつ聴くのがいいか?それは、丁度今、晩秋から初冬にかけてが一番いい。何か物悲しい季節であり、チェロの浪々とした響きが最も相応しい。このCDでチェロを演奏しているのが、プラハ・ヴラフ弦楽四重奏団で活躍したミカエル・エリクソン(1952年生まれ、チェコ出身)で、ピアノのフランティシェック・マリー(1948年生まれ)との相性が抜群に優れており、室内楽の楽しみを満喫できる。室内楽で何よりも優先されるのが、演奏家同士の相性なのだから。

 グリーぐは、チェロソナタを一曲だけ作曲した。1883年に作曲されたのがこの曲で、3歳上でチェロを演奏した兄のために作曲したという。第1楽章は、内に秘めた情熱が聴くものの心を引き付ける。静かな雰囲気の中でチェロとピアノとが親しげに話しこんでいるようにも聴こえ、何とも微笑ましいことこの上ない。第2楽章のピアノが先行して主題を弾き、チェロがそれを追いかけるように切ないメロディーを奏でる。この辺の雰囲気一つとっても、1年のうちで晩秋がこの曲に合うことが実感できる。そして、グリーグは北欧の作曲家なのだということを改めて感じられる透明感溢れる楽章。第3楽章は、がらりと雰囲気が変わり、軽快なテンポで楽しげな感じがして楽しめる。グリークは、ペールギュントとかピアノ協奏曲など名曲が沢山あるが、どうかこのチェロソナタも忘れないでほしいのです。

 ラフマニノフも確かチェロソナタは一曲しか作曲してないはず。有名なピアノ協奏曲第2番を作曲し終えた直ぐ後の1901年に、このチェロソナタを作曲したという。第1楽章は、誠にゆっくりと始まるが、直ぐにスピード感溢れるメロディーが奏でられていき、これらがない混じってチェロとピアノの幽玄な雰囲気へと聴くものを誘う。ラフマニノフ節とでも言ったらよいような、懐かしい雰囲気が横溢する。第2楽章は、戦闘的な激しい躍動的な音楽と、牧歌的な音楽の対比が見事な統一感を見せ、聴くものを飽きさせない。第3楽章のアンダンテの曲は、ロマンティックこの上ない極上の音楽が聴くものを酔わせる。ピアノ独奏用にも編曲されていることをみても分るように、ラフマニノフでしか書けない名品だ。第4楽章は、チェロとピアノのやり取りが聴きものであり、時に活発に、時にしっとりと、流れるように曲が進んでいき、チェロソナタを堪能できる。この2曲を聴き終わって、これらは隠れた名曲だなと感じ、そしてやはり晩秋に聴くのが一番な曲だなとも思った。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇堤 剛のチェロ小品集

2010-09-02 09:46:23 | 室内楽曲(チェロ)

「アンコール」~堤 剛、演奏活動60周年記念盤~

グラナドス:歌劇「ゴイェスカス」より間奏曲 
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ 
ラヴェル:ハバネラ形式の小品 
サン=サーンス:白鳥 
モーツァルト:アンダンテ K.315  
メンデルスゾーン:協奏的変奏曲 作品17 
シューマン:アダージョとアレグロ 作品70 
ウェーバー:アダージョとロンド 
ラフマニノフ:ヴォカリーズ 作品34-14 
三木 稔:森よ

チェロ:堤 剛

ピアノ:野平一郎

CD:MEISTER MUSIC MM-2060

 久しぶりにチェロの音色に酔いしれることができた。「祝 演奏活動60周年 紫綬褒章受賞 日本芸術院会員選任」というシールが張ってあるこのCDは、日本のチェロ界というより、今や日本のクラシック音楽界の重鎮と言うに相応しい堤剛が収録したチェロの小品を12曲を収めたものである。このCDのすべての演奏にいえるが、実にゆったりとした時間が過ぎ去る中に、チェロの奥行きの深い、しかも、幾重にも年輪を積み重ねてきた光沢ある音色が存分に散りばめられ、リスナーを魅了して止まない。チェロの音色は、あらゆる楽器の中でもっとも人間の声に近い音域を持っているといわれているが、この堤のCDを聴いていると、このことを実感することができる。このCDには「アンコール」というタイトルが付けられているように、肩肘張らずに、気軽に聴ける曲ばかり集められているので、ビギナーからシニアまで幅広い層のリスナーを納得させる内容となっている。そして、野平一郎のピュアな音色のピアノ伴奏が堤のチェロ演奏を一層引き立てている。

 グラナドスの歌劇「ゴイェスカス」より「間奏曲」は、スペイン音楽を確立したグラナドスが当初ピアノ組曲のために作曲したものを、歌劇に改作したもので、このときつくられたのが間奏曲。浪々と響く物悲しい旋律は、チェロの音色にぴったりとする。堤はこれを劇的な表現を織り交ぜて聴かせる。ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、原曲はピアノ独奏曲であるが、作曲者自身によるオーケストラ曲も御馴染みのもの。この聴きなれた曲を堤は、実に説得力あるチェロの音色に置き換えてアピールし、新しい魅力をこの曲から引き出している。同じくラヴェルの「ハバネラ形式の小品」は、当初ヴォカリーズ形式のエチュードとして発表されたもので、小粋なウイットに富んだ作品を、堤のチェロはさりげなくしかも印象的に弾き語る。サン=サーンスの「白鳥」はこれぞチェロの小品として誰もが知っている名曲だ。堤のチェロは、静かに、しかも色彩感溢れる演奏を聴かせてくれる。モーツァルトの「アンダンテ」は、いかにもモーツァルトらしく明るく、親しみやすい雰囲気に溢れており、堤は慈愛に満ちた演奏を繰り広げる。

 メンデルスゾーンの「協奏的変奏曲」は、文字通り変奏曲の妙味を堤のチェロで味わうことができる。シューマンの「アダージョとアレグロ」は、ホルンとピアノが原曲でロマンの香りが馥郁と漂ういかにもシューマンらしさが横溢した名品であるが、堤のチェロは、ここぞとばかりロマンの風が緩やかに流れ過ぎるような微妙なニュアンスたっぷりの演奏を繰り広げる。ウェーバーの「アダージョとロンド」は、あまり演奏されない曲であるが美しいメロディーが散りばめられ、堤の巧みな演奏技法に聞き惚れる。ラフマニノフの「ヴォカリーズ」は、歌曲からチェロに編曲された有名な曲。人の声に一番近いとされるチェロ演奏がもっとも効果的な曲であるが、堤のチェロはここでも実に説得力のある演奏を繰り広げる。最後の三木稔の「森よ」は、チェロと二十一弦筝のための曲をチェロとピアノの曲に編曲されたもので、日本音楽と西洋音楽を見事に融合させている。堤のチェロは、日本的モダニズムの世界を、ものの見事に表現し、日本人チェリストならではの本分を遺憾なく発揮している。

 チェロを演奏している堤剛は、1942年生まれ。 桐朋学園高校音楽科卒業後に米インディアナ大学へ留学して名チェリストのヤーノシュ・シュタルケルに師事。1963年よりシュタルケルの助手を務める。、1963年ミュンヘン国際音楽コンクールで第2位、ブダペスト国際音楽コンクールで第1位などの受賞歴を誇っている。2009年、日本芸術院会員、同年紫綬褒章受賞。このほか2004年4月から桐朋学園大学学長を務めている。さらに桐朋学園大学院大学教授、財団法人サントリー音楽財団理事長、サントリーホール館長、霧島国際音楽祭音楽監督を務めるなど、文字通り現在、わが国のクラシック音楽の重鎮として、活躍の場を広げている日本を代表するチェリスト。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ロストロポーヴィッチとゼルキンのブラームス:チェロ・ソナタ第1-2番

2010-02-18 09:28:50 | 室内楽曲(チェロ)

ブラームス:チェロ・ソナタ第1番/第2番

チェロ:ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ

ピアノ:ルドルフ・ゼルキン

CD:ユニバーサル ミュージック UCCG 5129

 このCDは、チェロのムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ(1927年ー2007年)とピアノのルドルフ・ゼルキン(1903年ー1991年)が共演した貴重な録音である。2人とも、私のクラシック音楽リスナー歴の中で、その中心に存在した神様みたいな演奏家だ。今回聴いて見て、つくづく2人の、その卓越した音楽的技巧と、悠然として本道を堂々と歩む音楽的姿勢に改めて敬服させられた。もうこんな演奏家は出てこないのではないかとすら感じられてしまうほどだ。決して上辺だけの技巧に走らず、自分の考える演奏を淡々と確信を持って弾きこなす、という姿勢は曲の最初から最後まで一貫している。何か音楽に奉仕する聖職者みたいな感じなのだ。最近は、ともすると聴衆受けすることを第一に考える演奏家が多くなりつつあるように感じられる。そんな折、ロストロポーヴィッチとゼルキンが残した録音は、今後ますます輝きを増すのではないだろうか。

 ブラームスのチェロ・ソナタ第1番の第1楽章は、誠に重々しく陰鬱な雰囲気で始まる。ただ、そんな中で、美しくゆっくりと奏でられるメロディーが哀愁を帯びた何ともいえない雰囲気を醸し出す。ピアノ伴奏も、暗い雰囲気の中であたかも自分の居場所を探し求めるかのように、チェロとの会話を進めていく。第2楽章も重々しく陰鬱な気分は変わらない。これは、ブラームスが自分の母親を亡くし、悲しみの感情が作品に強く反映したためだと言われている。ただ、ここでも控えめながら美しいメロディーがちりばめられているので、何回か聴き続けると胸に沁み入るようだ。第3楽章は、一転して冒頭から激しくチェロとピアノがぶつかり合うが、基調にあるのがやはり重々しい暗さで、ここでもそれは一向に払拭されない。3楽章とも短調で書かれ、チェロも一貫して低音のみを演奏するので、北国の厳しい冬といった風景が聴くものに強く印象付けられ、今の時期に聴くのが一番なのかもしれない。

 チェロ・ソナタ第2番の第1楽章は、第1番とは趣ががらりと変わり、はつらつとして、雄大なチェロの演奏で始まる。朗々としたチェロの音色に惚れ惚れとしてしまうし、ピアノ伴奏もチェロを支えるかのように、後方で明るい歌を奏でる。この第2番のチェロ・ソナタは第1番から21年も後に書かれたもので、しかも4つの交響曲を書き終えた後で、さすがに、大きな仕事をし終えた後の満足感みたいな充実感が聴いて取れる。一回り大きくなったブラームスがじっとほほ笑んでいるようだ。第2楽章は、あらゆるチェロ・ソナタの中でも最も美しいチェロ・ソナタとでも言ってもいいような、和やかで優美な伸び伸びとした旋律が印象に残る。トゥーン湖畔の避暑地で作曲したことが反映したものであろう。第3楽章と第4楽章は、ベートーヴェンのチェロ・ソナタを意識したような巨匠的な作風に仕上がっており、聴いた後の充実感はこの上ない。

 これらブラームスの2曲のチェロ・ソナタは、そう滅多に演奏される曲ではない。これは、とっつき難いブラームスの音楽の中でも一際とっつき難いから他ならないからだ。特に、第1番はブラームスが母親を亡くし、悲しみにくれて作曲したので、その陰鬱な雰囲気に拒否反応をするリスナーもいよう。一方、第2番は、ブラームスにしては明るい方の作風で少しは救われるのだが・・・。ということでビギナーの方々には、諸手を挙げてこれらの曲を推薦することは憚るが、多少でもクラシック音楽を聴き続けている方にはぜひ聴いてほしい。それは、これらの室内楽にこそ、交響曲などでは聴けない、ブラームスの内面の心情が込められているからだ。地味ではあるが、聴けば聴くほどその滋味溢れる曲想に引き付けられる。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ルドヴィート・カンタのチェロリサイタル

2009-04-07 07:19:30 | 室内楽曲(チェロ)

シューベルト:アルペジョーネ・ソナタ
ドヴォルザーク:森の静けさ/ロンド
ブルッフ:コル・ニドライ(ヘブライの旋律)
ショパン:ノクターン変ホ長調
フォーレ:夢のあとに
サン=サーンス:白鳥

チェロ:ルドヴィート・カンタ

ピアノ:ノルベルト・ヘラー(アルペジョーネ・ソナタ)
    松井晃子

CD:AEOLUS ACCD-S118(発売元:サウンドステージ)

 シューベルトのアルペジョーネ・ソナタは、数多くの録音があり、これまで何回聴いてきたか分からないほどだが、いずれも何かもう一つしっくりと耳に馴染まない。そんな思いを長年抱いていたところ、ある人から紹介を受けて、現在オーケストラ・アンサンブル金沢の首席チェロ奏者を務めるルドヴィート・カンタの弾くアルペジョーネ・ソナタのCDをを聴く機会を得た。そして結論は「これこそシューベルトがいいたかったアルペジョーネ・ソナタに違いない」と実感することができたのだ。ノルベルト・ヘラーのピアノ伴奏の出だしからして誠に幻想的であり、そしてカンタのチェロは、こぼれ日のさす深い森の中を歩くように、ゆっくりと進んでいく。力で弾くのではなく、自然との調和を楽しむかのような演奏だ。カンタのチェロ演奏には、なんとなく木の香りがしてくるようだ。これは、自然との一体感がこもった演奏そのものであるためだからであろう。これは聴き込むに従って愛着が増してくるCDだ。

 シューベルトの作曲した作品のいくつかは、古典的な構成とは異なるがその類まれな美しさにために、今でも多くの人々に愛され続けている曲が少なくない。例えば未完成交響曲などがその典型であろうし、多くのピアノソナタもこれに該当しよう。そして、私にとってはアルペジョーネ・ソナタもそうだ。この曲もこれまで数多くのチェリスト達によって録音されてきたが、それはほとんどの演奏があまりにも肩肘張って、あくまで力で押し通すようなところがあり、曲が持つ本来の優美さが生かされていないのである。その点、カンタの弾くアルペジョーネ・ソナタは、陰影感を持った叙情美に溢れたものに仕上がっている。

 このCDにはドヴォルザークの「森の静けさ」と「ロンド」の2曲も収められているが、これもまた名演といっていい。ドヴォルザークの曲にはどれも何か懐かしさが込み上げて来るような、郷愁を誘うメロディーが散りばめられいるが、この2曲はこの典型的な曲であり、カンタのチェロはしみじみとドヴォルザークの世界をうたい上げる。「森の静けさ」はよく聴くと日本的というか東洋的な雰囲気に満ちた曲想で親しみが持て、一方「ロンド」は、軽快な表現が心地良い。このほかブルッフの「コルニドライ」、ショパンの「ノクターン変ホ長調」、フォーレ「夢のあとに」、サン=サーンスの「白鳥」の名曲中の名曲においては、カンタはそれぞれの曲の優美さを存分に引き出すことに成功している。これに加え、ピアノ伴奏の松井晃子がメリハリの利いた伴奏でカンタのチェロを盛り上げる。

 ルドヴィート・カンタ(オフィシャル・ホームページ:http://kanta-cello.com/)は、スロヴァキアの首都ブラチスラヴァに生まれる。ブラチスラヴァ音楽院およびプラハ音楽アカデミーに学ぶ。1980年プラハの春音楽コンクー2位、1982年および1986年のチャイコフスキー国際音楽コンクールにおいてディプロマを得るなど内外のコンクールで入賞を果たす。1982年スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団の第一ソリストに就任する。そして、1990年5月にはオーケストラ・アンサンブル金沢の首席チェロ奏者に就任して現在に至っている。09年からは愛知県立芸術大学において後進の指導にも当たっている。既にベートーベンのチェロソナタ全曲のCDが発売されているが、今夏から秋にかけてはバッハの無伴奏チェロ組曲全曲の録音を予定しているという。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽◇アンドレ・ナヴァラのショパン/シュトラウス:チェロソナタ

2008-09-24 11:54:19 | 室内楽曲(チェロ)

ショパン:チェロソナタ
リヒャルト・シュトラウス:チェロソナタ

チェロ:アンドレ・ナヴァラ
ピアノ:エリカ・キルチャー

CD:ビクター音楽産業 VDC-1014

 アンドレ・ナヴァラ(1911-1988年)は、フランスの名チェリスト。1926年にパリ音楽院に入り、1年後の16歳のとき1等賞をとり卒業するという天才振りを発揮した。1937年にウィーン国際コンクールで優勝して以来、世界的にその名が知られるようになり、日本でも数多くのレコード、CDを通してその名演奏家振りを印象づけた。演奏内容は、知的でスマートさに溢れており、いかにもフランスのミュージシャンといった感じがする。勿論、その経歴どおり、技術的にも最高のものを有しているが、それが表面にぎらぎら出さないところが逆に凄いチェリストだなという感が深い。流れるようにチェロを演奏するさまは、まるでバイオリンを弾いてるようで、聴き終わった後になんとも爽やかな印象を残してくれる希有なチェリストであった。

 このCDは、このナヴァラがショパンとリヒャルト・シュトラウスのチェロソナタを演奏した貴重なCDである。2曲ともあまり有名な曲でないせいか、コンサートでも聴く機会が少ないないようだ。それと、評論家の評価もこの2曲に対してはあまり高いとは言えない。このようなことにより、我々がこの2曲に接することは多くはないのだが、既成評価に惑わされずに素直に聴くと、2曲ともなかなか味わいのある良い曲だということが分かってくる。これはナヴァラというチェロの名手の演奏ということが大きく影響しているのかもしれない。もし凡庸なチェリストのCDであったら、これらの曲の良さがリスナーに理解できないかもしれない。

 ショパンのチェロソナタは晩年の曲であるが、陰鬱さはなく、何か若々しさが感じられ、聴いていて気持ちが良い。3楽章目などのロマンチックな内容はなかなかのもので、もっと広く演奏されてもいいのにと感じる。一方。シュトラウスのチェロソナタの方はまだ作曲者が若いときの作品で、ライナーノートで音楽評論家の家里和夫氏は「ブラームスの影響が感じられる」と指摘している。ご存知の通りシュトラウスは徐々にワグナーの傾斜していくが、その前の作品であり、第1楽章などはなかなかの力作であり、この曲ももっとコンサートで取り上げられてもいいと思う。ピアノのエリカ・キルチャーの伴奏もなかなかいい。コンサートではあまり聴くことができない曲でもいつでも聴けるCDの存在は大きなものがあり、秋の夜長に聴くのにふさわしい2曲ではある。(蔵 志津久)

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