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クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽◇コンサート情報

2024-09-02 09:38:30 | コンサート情報



<コンサート情報>



~齋藤秀雄先生 没後50年メモリアル・コンサート 小澤征爾さんへの哀悼とともに~

クレンゲル:賛歌 Op. 57
モーツァルト:ディヴェルティメント ニ長調 K. 136
チャイコフスキー:弦楽セレナーデ ハ長調 Op. 48
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 Op. 104

指揮:秋山和慶、沼尻竜典

チェロ:堤剛

チェロ・アンサンブル:齋藤秀雄門下特別編成チェロ・アンサンブル

管弦楽:齋藤秀雄先生没後50年特別編成メモリアル・オーケストラ

会場:サントリーホール

日時:2024年9月18日(水) 午後6時30分

 齋藤秀雄(1902年―1974年)は、東京都(東京市)出身。チェロ奏者、指揮者、音楽教育者として活動。16歳からチェロの手ほどきを受ける。その後、暁星中学校を経て上智大学に入学したが、音楽に専念するため退学。1922年には当時作曲家、指揮者として有名だった近衛秀麿に随伴して、ドイツに留学。ライプツィヒ音楽学校に入学してチェロの名教師ユリウス・クレンゲルに学ぶ。1927年に帰国しNHK交響楽団の前身である新交響楽団に首席チェロ奏者として入団。翌1928年に指揮者としてデビューをする。同年、チェリストとしてもデビューを果たし、1929年に初のリサイタルを開催して成功を収める。1930年、ベルリンに留学し、ベルリン高等音楽院でエマーヌエル・フォイアーマン(1902年―1942年)に師事。その後帰国し、再び新響の首席チェリストとして活動を続ける。1936年、新交響楽団の招きで来日したヨーゼフ・ローゼンシュトック(1895年―1985年)と出会い、齋藤はローゼンシュトックからを指揮法を吸収し、後に”斎藤メソッド”で知られる指揮法の著書「指揮法教程」を執筆することになる。1941年、新響を退団し指揮者として独立し、松竹交響楽団や東京交響楽団などの首席指揮者を務めた。第二次世界大戦後、1948年に井口基成、伊藤武雄、吉田秀和らと「子供のための音楽教室」を開設。これが後の桐朋学園の一連の音楽系学科開設につながっていく。齋藤は同学園にて弦楽部門を担当。1961年から1972年まで桐朋学園大学教授を歴任。1955年には桐朋学園短期大学学長に就任。1964年、桐朋学園弦楽合奏団を結成し、アメリカ公演を行い、成功を収める。1967年、日本指揮者協会会長に就任。その後、新日本フィルハーモニー交響楽団顧問を務めた。1973年文化功労者。1974年9月18日死去。没後、齋藤の教え子が主体となってサイトウ・キネン・オーケストラ(SKO)や「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」(現「セイジ・オザワ 松本フェスティバル(OMF)」)が創設された。さらに財団法人ソニー音楽芸術振興会によって2002年「齋藤秀雄メモリアル基金賞」が創設されるなど、齋藤に因む賞やイベントが現在でも行われている。なお、齋藤秀雄については、感動的な名著「嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯」(中丸美繪著/新潮社)に詳しい(ネットで入手可)。
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