初心者のクラシック

有名な曲からおすすめの曲まで、できるだけ初心者にも分かり易く紹介します。

ヨハネス・ブラームス(第1話)

2007年02月03日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

有名な作曲家にはその真偽はともかくとして、たくさんの興味深いエピソードがあります。
そんな興味深いエピソードを中心に作曲家の生涯をたどっていきます。


今日はヨハネス・ブラームス(第1話)です。

「ハンガリー舞曲」やヴァイオリン協奏曲が有名なブラームスですが、いったいどんな生涯を送っていたんでしょうか?

≪作曲家の肖像≫
ブラ-ムス/ピアノ協奏曲第1番ニ短調
エーベルソルド(クレール), ニーベーン(ラルフ), ブラームス
キングインターナショナル

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【Johannes Brahms】

【ドイツ】
【1833~1897】
【ロマン派】

(第1話)【スカウト】
 ブラームスは1810年ドイツのハンブルクに生まれます。父親ヨハン・ヤコブも音楽には強い関心を持っており、ハンブルクフィルにコントラバス奏者として入団すべく音楽の勉強を熱心にしていたようです。そのため、収入が少なくブラームス一家は貧しい生活を送っていたようです。

 しかし、父ヨハンより17も年上の母クリスティアーネ・ニッセンが貧しいながらも明るい家庭を努力して築いていたようです。
ブラームスの少年時代にはまだ公立の小学校はありませんでしたが、教育熱心な両親は、息子ブラームスのために高額な学費を投じて私立の小学校に通わせていました。

 更に、音楽好きの父ヨハンはブラームスに音楽も教えます。すると思いの他飲み込みが早かったため、ハンブルクで1・2を競うピアノ教師コッセルを師に迎えピアノを習わせます。当初ブラームスの家にはピアノがありませんでしたから、師コッセルの家まで通ってレッスンを受けていたようですが、ブラームスが熱心にレッスンを受け、その上達振りに関心したコッセルはやがて、ブラームスの近所に引っ越してブラームスを教えていたようですから、早くもその才能を覗かせていたようです。

 そして、早くも1843年、ブラームスが10歳になった頃には父親の主催する演奏会でピアノ演奏をする事になります。このときにはベートーヴェンの「ピアノ五重奏曲」とモーツァルトの「ピアノ四重奏曲」のピアノパートを演奏しましたが、まだ10歳の少年ブラームスの見事な演奏に聴衆は大喝采を送り、かなり評判になっていたようです。

 そんな噂を聞いたアメリカの興行師がブラームスを訪ね、「この天才ピアニストをアメリカで売り出せば、たちどころに巨万の富を得られるでしょう。」と父ヨハンに持ちかけるのでした。ヨハンもまんざらでは無かったらしく、この話をピアノ教師コッセルに相談するのですが、コッセルはこの話に強く反対します。「今、大事なこの時期にレッスンを怠ると伸びるものも伸びない」と言うのです。

 コッセルの熱心な説得もあって父ヨハンはブラームスのアメリカ行きの話を断るのでした。一方コッセルも気が引けたのか、それともブラームスの才能を見抜いていたのか?ブラームスを自分のピアノの師であるマルクスゼンに紹介し、彼の元で引き続きピアノの勉強を続ける事になります。

 ブラームス一家が貧しかったこともあったんでしょう。マルクスゼンはブラームスからピアノレッスンの授業料は受けていなかったようです。しかし、それでも貧しかったブラームスは13歳から家計を助けるためにアルバイトをするようになります。酒場やダンスホールでピアノを弾いてその稼ぎを家計の足しにしていたようです。

 レッスンを受けながらアルバイトもマジメに勤めるブラームス。相当頑張って働いていたらしく、深夜に及ぶ演奏活動に疲れて、よろめきながら家に帰る日々が続くのでした。その結果かなり衰弱してしまう事になるのでした。

 さすがにブラームスのこの頑張りすぎを見かねた父ヨハンは息子ブラームスに休暇を与えるべく、ハンブルク郊外のヴィンゼンという村の知り合いで製糸工場を経営するギーゼマンの家に送るのでした。

 ここでブラームスはギーゼマンの娘にピアノを教えながらゆっくりと過ごしていたようです。また、村の男声合唱団の指揮をするなどの音楽活動も行うのでした。


アメリカの芸能事務所?!からのスカウトを断ってピアノの練習に励むブラームスですが、その後はちゃんと伸びるんでしょうか?つづきはまた明日。

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