「豊饒の海」4巻の最終巻である。ストーリー自体というよりも文章による情景や心象の「スケッチ」にひたすら感心した覚えがあり、また最近人にそれを雄弁に語ったこともあったので読みたくなったしだいである。
改めて読んで、実にすばらしいと認識しなおした。おそらく全体の半分以上は情景描写ではなかろうか。もちろん情景を見ながらの透や本多の心も描かれるわけではあるが。それらが実に緻密で、リアリティーと適度な意外さ・抽象性・詩情をあわせ持っていると思う。末尾を飾る月修寺の庭の描写は有名だが、それ以上に船の動きを観察する透の目から見た駿河湾の情景がすばらしい。
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沖の霞が遠い船の姿を幽玄に見せる。それでも沖はきのうよりも澄み、伊豆半島の山々の稜線も辿られる。5月の海はなめらかである。日は強く、雲はかすか、空は青い。
きわめて低い波も、岸では砕ける。砕ける寸前のあの鶯いろの波の腹の色には、あらゆる海草が持っているいやらしさと似たいやらしさがある。
乳海攪拌のインド神話を、毎日毎日、ごく日常的にくりかえしている海の攪拌作用。たぶん世界はじっとさせておいてはいけないのだろう。じっとしていることには、自然の悪を呼びさます何かがあるのだろう。
五月の海のふくらみは、しかしたえずいらいらと光りの点描を移しており、繊細な突起に満たされている。
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これが冒頭にある。このあと船の動きが出てきたりして景色は動くのだが、それにしてもこんな感じの記述が5ページも続く。これがすばらしい。たとえば上の引用では「いらいらと光りの点描を移しており、繊細な突起に満たされている」という記述があるが、海のきらきらがさざなみににしたがって絶え間なくその場所を移していく様をきれいに描いている。
そうした記述のあと後ようやく、
--安永透は倍率三十倍の望遠鏡から目をはなした。
と主人公が登場し、そして主人公の仕事が船の監視、ということが記述される。
ただし三島を甘く見てはいけない(笑)。このあとも3-4ページも続く情景描写は頻発する。そのそれぞれが引き込まれるようなスケッチである。記述された景色を想像するのに頭が回り、夢中になる。僕も安永透のように一日中何かの使命を持って(しかし思索する時間をたっぷり持ちつつ)1日中海を眺めてすごしてみたい、と思ってしまう。
僕もそうだったがおそらく初読でストーリーを追いたい人にとってはこういうのは少々辟易するだろう。実際、書評をググッて見ても情景描写を賞賛する声は少ない、というかない。しかしそれはバレーやオペラをストーリーだけで評価するに等しい愚である。ストーリーをおって先をあせって読んでしまった人には、是非とも改めて情景描写のすばらしさ(僕は決してこれを美文などとは言いたくないが)を味わってほしいと思う。
だれか駿河湾の映像と冒頭5ページの朗読をあわせた番組を作ってくれないものだろうか、などとも前から思っているのだが。。
改めて読んで、実にすばらしいと認識しなおした。おそらく全体の半分以上は情景描写ではなかろうか。もちろん情景を見ながらの透や本多の心も描かれるわけではあるが。それらが実に緻密で、リアリティーと適度な意外さ・抽象性・詩情をあわせ持っていると思う。末尾を飾る月修寺の庭の描写は有名だが、それ以上に船の動きを観察する透の目から見た駿河湾の情景がすばらしい。
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沖の霞が遠い船の姿を幽玄に見せる。それでも沖はきのうよりも澄み、伊豆半島の山々の稜線も辿られる。5月の海はなめらかである。日は強く、雲はかすか、空は青い。
きわめて低い波も、岸では砕ける。砕ける寸前のあの鶯いろの波の腹の色には、あらゆる海草が持っているいやらしさと似たいやらしさがある。
乳海攪拌のインド神話を、毎日毎日、ごく日常的にくりかえしている海の攪拌作用。たぶん世界はじっとさせておいてはいけないのだろう。じっとしていることには、自然の悪を呼びさます何かがあるのだろう。
五月の海のふくらみは、しかしたえずいらいらと光りの点描を移しており、繊細な突起に満たされている。
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これが冒頭にある。このあと船の動きが出てきたりして景色は動くのだが、それにしてもこんな感じの記述が5ページも続く。これがすばらしい。たとえば上の引用では「いらいらと光りの点描を移しており、繊細な突起に満たされている」という記述があるが、海のきらきらがさざなみににしたがって絶え間なくその場所を移していく様をきれいに描いている。
そうした記述のあと後ようやく、
--安永透は倍率三十倍の望遠鏡から目をはなした。
と主人公が登場し、そして主人公の仕事が船の監視、ということが記述される。
ただし三島を甘く見てはいけない(笑)。このあとも3-4ページも続く情景描写は頻発する。そのそれぞれが引き込まれるようなスケッチである。記述された景色を想像するのに頭が回り、夢中になる。僕も安永透のように一日中何かの使命を持って(しかし思索する時間をたっぷり持ちつつ)1日中海を眺めてすごしてみたい、と思ってしまう。
僕もそうだったがおそらく初読でストーリーを追いたい人にとってはこういうのは少々辟易するだろう。実際、書評をググッて見ても情景描写を賞賛する声は少ない、というかない。しかしそれはバレーやオペラをストーリーだけで評価するに等しい愚である。ストーリーをおって先をあせって読んでしまった人には、是非とも改めて情景描写のすばらしさ(僕は決してこれを美文などとは言いたくないが)を味わってほしいと思う。
だれか駿河湾の映像と冒頭5ページの朗読をあわせた番組を作ってくれないものだろうか、などとも前から思っているのだが。。
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