御託専科

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「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」村上春樹

2009-07-18 16:06:07 | 書評
再再読。さて、どこから書いたものか。

正直、今回は腑に落ちた。感動したと言っても良い。それには個人的事情が大きく影響している。
最近ある女性に難事が降りかかり、その難事にたいして多少のアドバイスめいたことを、差し出がましいと思いつつしたら、彼女にとっては大変時を得た適切なアドバイスだったようで、実際にも役立ったようだ。それで大変心のこもった感謝をしてもらった。その人とは少し前から文学的・美的感想を交換し始めており、相性がいいんじゃないかなあ、と思っていた矢先のことでもあり、役に立てたこと、また感謝された嬉しさはひとしおであった。
そんな浮き足立った気持ちの中に、ふと「世界の終り・・」の女性たちの場面がフラッシュして来た。ひとつはレンタカーを借りるときに女の子と話す場面、もうひとつは「世界の終り」の側の図書館の女の子との場面。

まずはレンタカーの女の子。
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「一度君とゆっくり話したいな」と私は言った。
彼女はにっこり笑ってほんの少し首を傾けた。気の利いた女の子というのは三百種類くらいの返事のしかたを知っているのだ。そして離婚経験のある三十五歳の疲れた男に対しても平等にそれを与えてくれるのだ。
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さらにそして、死にかけた五十過ぎの男にもね。

そして、「世界の終り」の側の図書館の女の子。彼女の「心」を読み出す「夢読み」を徹夜でしたあとの会話。
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「食べたくないんだ。それよりは今すぐぐっすりと眠りたい。二時半になったら起してくれないか。それまでは僕のそばに座って、僕が眠っているのを見ていて欲しいんだ。かまわないかな?」
「あなたがそう求めるのならね」と彼女は微笑を顔に浮かべたまま言った。
「何よりもそうもとめているよ」と僕は言った。
・・このあと彼女の指が僕の肩に触れ、僕は手を伸ばして指の先を彼女の手に当てて彼女の光のぬくもりを伝える。彼女は手のひらを僕の目に当て「お眠りなさい」といい、僕は眠る。
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「寝ているのを見ていてくれ」などとちょいとあつかましいことを言うのだが「かまわないかな?」と付け加える距離感は持ち合わせている。だがそこで「あなたがそう求めるのならね」との答えをもらい、それに力を得て「何よりも・・・」といい、軽いふれあいをして「僕」は眠る。よく読むと微妙に距離が縮まり関係が深化した場面である。
こんなデリケートで、微かでしかし満ち足りた触れ合いを彼女としてみたい、と思ったし、いや僕と彼女はしつつあった(ある?)のではないか、と思うと涙が出そうになった。

このあたりをきっかけに読み直して見ると、面と裏の世界の連携はますます明らかになっており、また隠喩もさまざまにとれることがわかる。たとえば、読みようによれば、俗世であり濁世で身につけた世間的自己が第一回路であり影であり、それに決別することで本来の自己を生きるのである。そのためには歌を思い出すことと、図書館の女の子に象徴される、他者の心(自己の反映?) が必要であり、超自我である(?)壁の及ばない森の中で暮らすことになるのかな。いや隠喩関係は複雑なのでこれも今のところの解釈である。

しかしそんなことはまあどっちでもよい。漠としてわからぬことがあったって、指し示すものを見逃したって、確かに僕はこの小説の中に自己を投影して感動した。まずはそれが大いなる成果であり、また自分の村上理解上の金字塔である。

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