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「自死の日本史」 モーリス・パンゲ

2010-01-16 08:21:58 | 書評
須原一秀の「自死という生き方」の重要な参照文献だったので図書館で借りて読んだ。まあそれにしてもすごい本。なにがすごいっかって全部で668ページもある。そのながきに渡り、「意思的な死」の側面から日本史を、日本人を古事記の昔から三島の切腹まで、情と理をバランスよく交えて総括的に分析している。
カエサルに敗れたカトーの自死を冒頭に、西洋での自死の扱いがキリスト教の禁止・罪悪一点張りになってしまうことをたびたび非難しなければならないのはフランスの読者を想定してのことであろう。ただ、おかげで日本の独自性はよく見える。また4章までは現代(1986年当時の現代)の自殺の様相が語られまた自殺全般に関する論議がデュルケムなどを引用しつつ展開される。予備的考察である(とはいえ、精読すると面白く意味深いフレーズがあちこちにある)。これが1章から4章まで。

さて、日本の歴史が始まるのは5章からである。
5章では人柱をはじめとする神への生贄の話からはじまる。自死により生贄になることを選らぶ最初の人物として 弟橘媛(おとたちばなひめ)が挙げられる。ヤマトタケルの乗る船が神の怒りに触れて大荒れの海になったのを、自ら生贄になることで鎮めるのである。
また、謙譲の美徳で兄弟が皇位を譲り合いにっちもさっちも行かなくなったとき片方が自死して一方に譲る話が出る。さて現実の問題に帰ると、このころは殉死をさせられていたがようやく埴輪に代わってきたようだ。ところで殉死する付き人たちは生きたまま半身を埋められ、うめきや泣き声が墳墓を覆ってたそうな。そりゃ、やめさせたくなるよねえ。

6章。奈良、平安時代に入り暴力は後退する。殉死の禁止、人々の温和化、死霊に対する迷信(菅原道真が典型)などがその背景となる。源氏物語でも自死(の意図)が絡む話は浮舟だけだ。また、自死の代替としての「出家」の考え方がこのあたり導入される。

7章。しかし、平安末期の平氏と源氏の衝突から様相は変わる。追放や出家ではこと足りず、死刑、謀殺、自決が決着の手段となっていった。このころ源頼政が自決した際、「首をはねろ」と部下に言ったが、部下は涙ながらに「そんなことはできません、自害なされて後に」と答え、頼政は「それはもっとも」と納得して刀を腹につきたてうつぶせに体をかぶせて自らを貫いたそうな。このころはまだ切腹の作法も定まらずいろいろなあり方があったようだ。義経は左腹に刃を立てこれを三方に掻き破り、はらわたを出してゆっくりと死んだ。それが名誉な死に方だった。鎌倉を経て南北朝時代、村上義光はやぐらの上で大音声で名乗りを上げ切腹することを告げ、腹をかっきりはらわたを敵兵に投げつけた。集団切腹というか饗宴切腹というのもすさまじい。鎌倉幕府滅亡のとき北条高時は数百人の武将とともに寺の大広間に逃れた。彼らはそこで、酒を汲み送りつつ、次のものに「これを肴にしたまえ」と自らの腹を割りはらわたを繰り出す。飲むほうは飲むほうで「こんなすばらしい肴ならどんな下戸でも飲まぬものはいない」と剛毅に受け、次のものに杯を回して腹を切る。これが次々広がってゆくのだ。このころまでは自死は「戦いに敗れた純朴な心が見せる激発の行為」であり「勝利の栄光よりもいっそう穢れなき栄光に向かっての最後の跳躍」だったそうな。この後、切腹は制度化され武士階級の横暴の正当化の紋章となってゆく。

8章。1336年の夏、湊川の戦いで敗れた楠木正成は弟の正季とともに自害する。兄が弟に最後の願いを問うと「7たび生まれ変わって朝敵どもを皆殺にしたい」という。兄は「ごもっとも。自分もそうだ」と答え、両者は腹を掻っ切り刺し違えてお互いに止めを刺す。
ここに著者は武士倫理の頂点を見る。血なまぐさい生涯が終わろうとするとき、彼らが願うことはもう一度生まれ変わり、今とまったく同じ生をやり直すことなのだ。「運命への愛」である。死も敗北もなにほどのものでもない。すべてよし、と。自分たちが行ったことを何度でもなそうとする。そのように自分たちは行為したこと、その行為のかなたになにものもないということを死ぬことによって証を立てる。著者はさらに、この美しく思い残すことのない最期があらわしているのは、早く生を終わらせたい欲望ではなく「最後の最後の瞬間まで生きようとする生への純粋無垢の愛なのである」とまで言う。
8章では冒頭に上記の武士倫理の頂点を見た後、これを宗教者がどう見るか、という点を論じる。死をリアルに考えることは仏教の仕事である。仏教はジャイナ教のような極端な意思的な自己犠牲を嫌う。もちろんキリスト教は元から教祖が生贄にされている(それゆえ人々が自分をキリストに擬すことがないよう自死を禁ずる必要があった)。仏教の自死への態度はある意味冷たい。死んだところで輪廻の中でもうひとつの(因果がつながった)生へと落ち込んでゆくだけのことだから。感動なき観照である。
このあと浄土系仏教の論議があり、やはりそれは「周辺部」にすぎず、豊かな芯は禅にある、と著者は見る。ここでは禅の考え方が簡潔な言葉で要約される。「浄土とはすなわち、穢れなき目で見られた現世なのであり、そのまなざしを持ってすれば現世はあるがままの姿で愛すべきものとなる」。道元は言う「往生とはこの世においてするものなり」と。この世の生をおいては何も存在せず、その意味で楠木兄弟はまったく正しい。
(続く)


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