御託専科

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「失敗の本質」野中郁次郎他

2009-05-18 13:04:48 | 書評
「戦略の本質」を読んだついでに少しだけ見てみようと思ったらずいぶん面白く最後まで読み通してしまった。1984年の本、その後バブルがあり失われた10年がありネットバブルがあり911があり、金融崩壊があり、と来ているが古びていないね。
いろいろと分析してあるが、つまるところ特定のパラダイムに固執し、環境変化への適用能力を失っていたということだ。それは組織形態においても個人の性質においても。戦略デザインを考え直し失敗から学ぶ謙虚さと工夫もなくやってきた、っていうことだろう。そして多くの日本の組織がそれに陥りつつありはしないか、と筆者は危惧し嘆いている。

ここではちょっと違った説明を。最近、日本人の技術志向であり参謀志向は「引きこもり」なんだ、という指摘をもらい、ちょっと驚きそしてえらく納得してしまったが、それは「失敗の本質」にも実はぴったり当てはまる。
山本五十六も含めて、旧日本軍の幹部どもは引きこもりだったんだ。そうするといろんなことが説明できる。引きこもりだからちゃんとコミュニケーションは取れない、自分の考えをしっかり部下や上司にコミュニケートして伝えるってこともできない。論議して面子をつぶしたりつぶされるのを怖がる。 面子をつぶしたくないから、部下にダメだしをしない。極端な降格もなければ抜擢もない。上の人間が楽な人事をするために(他の不満分子が出ないように)ハンモックナンバーに依存した「客観的」人事をして自分の主観を人にさらす危険を冒さない。そういう引きこもりの集団だから、辻みたいな極端に強い性格の人間は、正否とはべつに案外評価されやすい。というか反対されにくい。なぜならみんなけんかに弱いから。
引きこもりだから改めて世界に目を向けない。いろんな事実を見て意見を聞いて、自分の考えを修正してゆくことをしない。アイデンティティが弱いから考えの正しさを自己の支えとして持っていて、それに反することに目を瞑りたがる。だから、いっぺん成功するとそれにはまり続けようとする。物を人に任せるのにおおらかでない。引きこもりで神経質だから。

などと言い出せばきりがない。が、「引きこもり」は大きなキーワードだろう。たとえばこの本では「不均衡の創造」とか「異端・偶然との共存」などといっているが、それは引きこもりでない、自我のベースが強い人間たちでなければとてもじゃないができる相談じゃあない。そういえば昔、週に一度全アナリストと全PMを集めて事前準備なしの銘柄論議をしていたのだが、新しくきた上司が「ああいうのは自分の前でやらずに前もって打ち合わせしておけ」といわれたことがある。うん、当時はそんなことを言うひとも多くいたなあ、と思うな。

なんだか自分が抵抗を感じてそれなりに戦ってきたものの正体が見えてきた気がする。もとより僕自身も参謀志向・技術志向は強いので、僕自身の一部もその戦いの相手だったわけだが。そういえば、賢いとか良く知ってるといわれて喜べず、祭り上げられているような不快感を覚えていた。それは、言った人に対してではなく自分が引きこもっていることへの不快感、だったのかもしれない。そこで[政治の海」へジャンプするべきだったんだろうな、と今では思う。

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