「酔郷譚」は心筋拡張という、死に向けた悪化が自覚できる病で死んだ著者の最晩年の作品。短編集だが、慧くんという美少年、真希さんという美人のパートナー、九鬼さんというバトラー役を軸にさまざまな幻夢の冒険が語られる。ギリシャ神話と漢詩・中国故事、日本の中世近世の物語からの引用が縦横に広がるのはこれまで以上かも。エロティックさも一層軽やかながら際立っている。夢の浮橋以降、洗練と浮世離れが軽やかに進んでたどりついた境地であろう。
「老人のための残酷童話」は結構残酷な話が星新一風の軽さで記述されている。なかでは「天の川」「老いらくの恋」「犬の哲学者」がまあ印象に残ったかな。ちょっとほかは締め切りに迫られたような感じもないわけではない。
とりあえず倉橋由美子は締め。軽やかで高踏的な典雅さ、エロティックさはとても魅力的である。これからもこの世界に浸りたくなることはあるだろう。
ただ、浮世に典雅に遊ぶために恐ろしく才能と努力が費やされなければならないことは明白であり、それをする必然が今ひとつ納得できない。
①努力して典雅であるのはダサい
②典雅さは努力なしには身につかない
③したがって、典雅であろうとすること自体がダサいことである
というのが僕の怠惰是認三段論法かな。つまり、最も粋な人はディオゲネスである。
「老人のための残酷童話」は結構残酷な話が星新一風の軽さで記述されている。なかでは「天の川」「老いらくの恋」「犬の哲学者」がまあ印象に残ったかな。ちょっとほかは締め切りに迫られたような感じもないわけではない。
とりあえず倉橋由美子は締め。軽やかで高踏的な典雅さ、エロティックさはとても魅力的である。これからもこの世界に浸りたくなることはあるだろう。
ただ、浮世に典雅に遊ぶために恐ろしく才能と努力が費やされなければならないことは明白であり、それをする必然が今ひとつ納得できない。
①努力して典雅であるのはダサい
②典雅さは努力なしには身につかない
③したがって、典雅であろうとすること自体がダサいことである
というのが僕の怠惰是認三段論法かな。つまり、最も粋な人はディオゲネスである。