御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

産業革新機構、朝倉氏、ウィルコムの私的整理

2009-10-07 12:15:47 | 時評・論評
産業革新機構につき調べることがあって、あれこれ見ていてちょっと気がついたことを書いておく。
だれか詳しい人、ぜひコメントください。

>COOの朝倉氏は三菱商事からカーライルに1999年に移った。
>そのカーライルはKDDIから2004年にDDIポケットを買収している。
>朝倉氏の専門は通信系のようなので、おそらくDDIポケットの買収を主導したであろう。
>DDIポケットはその後Willcomに名前を変えそれなりの顧客獲得をしたが、資金不足から2009年9月、ADRによる私的整理の手続きに入った。

ということ。DDIポケットの買収額は2200億円で、その60%がカーライル。全額紙切れとすると1320億円の損失が生じた。(私的整理後に一部回収の可能性があるのかもしれないが。。。)

これはいったいどういうことか?
①素直に考えれば朝倉氏の適格性に疑問を生じさせる話である。
②少しうがって考えれば、産業革新機構はカーライルを責任を取ってやめなければならなかった朝倉氏の都合のよい逃げ場になっているのかもしれない。

いろんな面で産業革新機構は胡散臭いなあ~。

創造性への過剰な欲求・希求

2009-10-07 09:58:25 | 時評・論評
コンサルタントといえば一般に創造的な職種と考えられており、その組織の、また環境に合ったクリエイティブな解決策あるいは新戦略を繰り出してゆく、というイメージが強い。確かに目立つのはそういう動き(というかそうしようという動き)だし、顧客の期待もある程度以上はそうだろう。コンサル側としても斬新な解決策を持ち込むものとして振舞いたい志向は強い。これはそういう部分からのフィーが高く取れるという点からも強くなる。

しかしながら、創造性というものには案外厄介な部分がある。創造的であることがよいとは限らないということだ。あるていど安定化してしまったものは何かしらの淘汰を経た上でそうなっていることが多い。極端な例を言えば、だれもいまさら創造的な顔の洗い方や歯の磨き方や歩き方を考えたりしない。まあしてもかまわないがたいていの場合無駄な試みに終わる。そんなことはあほらしくて当然却下されるが、業務や組織だと無駄な試みの見分けは案外難しい。これは参加者が多数で複雑化しているということ、時代が変化しているということ、これらに重なるが当事者では結構気がつかないことがたまにあったりする。

だから、コトの多くは歯磨きとか顔の洗い方みたいにまあ落ち着いてはいるとしても、たまにはコンサルというか外部の目は必要だ。でも率直に言って変化とか創造性を看板にしているコンサルみたいな人々は、おそらく多くの場合過剰な変革提案をすると思う。そのほうが商売になるというバイアスと、やってる本人としてそのように創造的に見られたいという人たちが多いからだ。

ただ、使う側から見分けるのはしかし案外容易かもしれない。提示されたことが独創性やユニークさへの希求に強くドライブされているようならそれは怪しいと思ったほうが良かろう。前に書いたように紙芝居の実質を問うもよい。
そのためにも、客の側はコンサルタントの創造性への希求には共振してはいけない。本質的価値観と大局的目的意識は間違いなく顧客から提示され、コンサルにそれに仕えさせなければなるまい。

しっかし、独創とかユニークさを全面的に是とする文化はいつ作られたのかなあ?ダダあたり?1960年代? 要研究だねえ。独創とかユニークであることが保守とか人並みであることより高い価値を持っている、というのは時代のひとつの病だね。
←のちの読書(特に「青春の終焉」)に照らしてみれば、それは18世紀後半あたり、さかのぼればルネッサンスやデカルトあたり、と言うことでした。つまりヨーロッパ近代の始まりあたりから。それまでは単なる逸脱であり自滅するとみられていた若さとかラディカルさとか革新とか独創といったものが、産業革命と結びついて是認されて正の価値を持つようになったということ(11/26/09)。
←←であれば、コンサルと言うのは、というかコンサルが含む独創の気配と言うのは遅れてきた青春産業である(同日)。