以前紹介した後藤姓と棚橋姓にあったこの「逆さ上り藤」紋。
何らかの理由で間違って伝えられて来たのか、と思っていましたが、歴史絵巻にこの紋が描かれていました。
先日、近くの歴史博物館で「岐阜市の変遷?」が特集され、学芸員の講演を聞きに行きました。講演自体はあまり参考にならなかったけど、販売所に置かれていた同館出版の「戦国合戦図屏風」が目にとまり、何かの参考になるだろうと思い買い求め、帰宅して見てみました。
関ヶ原の合戦の島津勢の撤退の屏風絵に「逆さ上り藤」が描かれていました。
この紋は古くからあった由緒ある紋だったのです。
「小笠原・・・・・」と書かれていますが、この小笠原氏の末裔が姓を変えて、この「逆さ上り藤」紋を受け継いできたのでしょうか?
時間が出来ましたら、再度歴史博物館を訪れて、学芸員さんに伺おうと思います。
お久しぶりです。この藤紋は小笠原ではなく右上の加藤義明の家紋ですね。この加藤家は藤紋を用いています。
愛知県出身で秀吉に仕えましたから岐阜県周辺にも残っているのでしょう。
いずれ、加藤姓でこの「逆さ上り藤」紋に出会えるでしょう。