25日の朝、暗がりからお宮さんに行く車のライトが我が家からも見えました。その時は
まだ6時前です。一回目の餅まきは6時30分からですからその車は餅を拾いに来た人でし
ょう。巷の噂では町内外の人でこの近隣の餅まきカレンダーを作っている人がいて、よその
土地の餅まきに行っては和菓子屋に拾った餅を持ちこむ・・・とか。遠くすさみ・江住まで
行くとか・・・。
私たちは6時半の餅まきがすむ頃お宮さんに着きましたが、鳥居の前の広い駐車場には見な
れない車がわんさか、うちのトラックが止められません。少し離れた場所に止め一輪車に
餅を入れたオケを乗せお宮さんに入って行きました。境内は社殿の前に座り込む人が60人
はいたでしょうね。厄除けの餅をまく人は賽銭を入れその前に神様用に小餅を重ねて置きま
す。みれば我が家のような白餅は少なく上にピンクの紅白仕様にしています。
これは還暦の人のお餅なんでしょう、うちはあくまでも≪厄除け≫だから紅白の目出度い
仕様でなくてもいいんだ・・と納得させます。還暦祝いの人にも知った人がいたし、女の子
の19歳の厄除けもいます。お餅だけでなくお菓子やパンも混ぜてまきます。
我が家は狛犬の後ろ脚あたりに陣取り、ほかの人をみると社務所前・狛犬・社殿前・狛犬・
物置き前とずらっと同じようなオケが並び、7時の合図を待ちます。鏡餅はどさくさに紛れ
て投げようとおとうさんと相談していました。狛犬前に知らないおばあさんが空のバッグを
広げていたので「一回目で拾えなかったんだな、このおばあさんにサービスしちゃおう」と
開始と同時にバラバラとまいたのです。餅まきの醍醐味はまくほうがおもしろい・・・とい
うことです。高いところから拾う人のわれさきに手を伸ばす表情がみてとれます。
私たちは一気にまいた・・・そう、我が家のつるぎさんの餅まきのように・・・。つるぎ
さんのときは拾ってくれる人が、まぁ20人くらいだからね、あいだをあけるより次々とま
くといいのだけど、ここは違った。「終わった!」と顔をあげたら他の家族はまだまいてい
る最中。この時はこっぱずかしかったわん。
全体がまき終わってさっきのおばあさんのバッグを見たら、かなり拾っていて「よかった
拾えたんだ」と思った瞬間、おばあさんがバッグを横にどけたらなんとそこには、ビニール
風呂敷を敷いた上にこんもりと山になった餅が・・・・。長いこと生きるってことは、知恵
もつくってことですね・・・。次回、次男君のときは気をつけよう。
この時、長男君の同級生の男の子の家からは誰も厄除けの餅まきに来ていないことに気が
ついた。厄除けしなくてもラッキーな人生を送っているんだ。でも御祈祷には来るだろうと
思ったのだけど、8時半からの神主さんの御祈祷にも来てはいませんでした。
御祈祷って言っても、御祈祷だけ受ける人、厄に関係なく毎年御祈祷に参加する人などで
本人や家族が来ているのは20人弱・・・。19歳から25歳42歳、61歳、88歳とい
う人や家内安全、船舶安全、大漁祈願・・・名前を読み上げていきます。神主さんが名前の
あとに「○○い」だか「○○ぎ」とか言うのが気になって気になって。「位」か「儀」かな
と思うのだけど・・・・
そのあと社殿の一番奥の神様を祀っているところに一人ずつ行き、柏手を打って二礼し柏手
を打って戻ってきます。そのあと、神主さんからお札とお神酒とお米を一つまみ頂くのだけ
ど、このあと車を運転するのでお神酒は遠慮し、お米を頂いた。御神米というべきものか?
おとうさんの時はなかったように思うけど。年取った神主さんは私がお神酒を辞退するのを
聞き「どうです?ほんのり桜色になって帰るのもいいですよ」なんて、おもろい爺さん神主
である、祭事は息子にやってもらっているけどなかなか自分もまだまだできる。。。という
ところを見せるのは、うちのおじいちゃんとそう変りないなぁ。
私の前に並んだ人は、お米をその場で食べたり、袋に入れていたりしたけど私はハンカチに
包み、少量を長男君に送り、残りを夕食のご飯と一緒に炊いて頂きました。
子供の頃は最高に興奮するイベントでしたね。
それ程食べたかった訳ではないのですが、沢山拾って帰ると母親に褒められてうれしかったものです。
最近は衛生的でビニールに包まれている様ですが、昔はそのまま投げてましたから、空中でキャッチする僕らのは綺麗で、地面に落ちた物を主戦場とするオバサン連中のは土で汚れていました。
しかし数では圧倒的に負けてましたが(笑)
一度でいいから投げる方をやってみたかったですが、もうその機会も無さそうです。
厄払いって何の為にするのでしょうか?
42歳は知ってましたが、25歳は知らなかったですし私は何もしていません。長生きの為?
と言うのも先週末、田舎の親友のお母さんが亡くなりました。家が近所でお店をやっていたので、家族と学友を除けば一番私の事を知ってくれている人でした。
親戚でもない私の事を心配してくれたり、励ましてくれる元気でやさしいおばさんでした。
入院している話を聞いていたので、見舞いに行きたいと考えていた矢先で、せめて葬儀にはと思い会社を休んで参列してきました。
帰省する楽しみが1つ無くなってしまい残念です。
私は一度だけここの神社の厄除け餅まきに拾いにいきましたが、上記のような状態で恐怖を感じ、以後行っていません。いまは座り込み状態で、若い男性は後方で立ってキャッチしています。
餅まき、上海人さん還暦祝いがあるじゃないですか?厄除けは、災難を払うんですから長生きは関係ないと思います、私は。
厄払いしてもいつかは死んでしまうし、取り合えずこの何年かの災いが近寄ってこず、万が一近寄っても災いが小さく済めば、それで厄払いのおかげで「これだけで済んだ」と思う、それが信心の根源ではないでしょうか。
厄除けの餅は拾いあってこそ、いいのでしょうが、なかには「他人の厄(災難)を貰いたくない」と言う人もいて厄除けの餅まきには行かない人もいます。でも自分の家の厄除けの餅は拾ってほしい・・・、わがままですね。
私は餅が好きでないことはないのだけど、歯の被せ物が取れるのが嫌なので、控えています。だからもしかしたら、災難がやってくるかもしれません。
子供のころから親しくしてくれる大人がいるというのはいいです。思い返してみれば私は、親友の親とはあいさつはしてもそう親しくはしていないですね。狭い土地なのに・・・。お正月の同窓会に参加できなかった一人の女子から写真のお礼と入院しているお母さんの様子を手紙で教えられ 同級生同士でも連絡を取り合わないということが なんかだんだん寂しく感じてきたのです。年齢のせいでしょうかねぇ。気の合うものだけだと楽しいのはわかるけど、もし自分が逆の立場だと辛いですから、これからはそういうこと無くしていきたいと思うのだ!!