60歳を前にして浪曲と言うジャンルをふとしたきっかけで聴くようになった。浅草の木馬亭で浪曲の定席が毎月1日から7日まで行われている。そしたら歌謡浪曲なるものも聴くようになった。YouTubeで聴く。テレビで見る。これらで歌謡浪曲なるものにも興味を持ち始め、それでは浪曲の延長で歌謡浪曲なるものの台本(歌詞)も書けそうな気がしてきて、いくつか作詞を試みた。
短編から長編までいつくか作って自分のブログに投稿はして見るものの反応はほぼなあかったのだ。そもそも僅か2年に満たない浪曲ファンにはたとえ歌謡浪曲であっても難しいのかも知れない。内容が「瞼の何とか」や「国定何とか」や「番場の何とか」に似ているのだから仕方がないのだとも思う。その手の類ならほぼ内容を把握しているので、その手の題材を元にしての歌謡浪曲なら書けると言うものだ。
2番千時の用の思われても仕方がないが、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる的な考えが浮かんできたことも事実です。このように演歌系からフォークソング系から歌謡曲系からはたまたシャンソン系から歌謡浪曲まで幅広く作詞をしているのは、どれか一つでも誰かの目に留まり、世に出ることを願っているに他ならないのだ。
そこにはどこかに私と言う存在を残したいに他ならない。過去の嫌な思い出を出来事を消し去りたいがための手段の一つだったのかも知れない?ある意味ジャンルは問わないのだ。外国語が登場しない作詞なら出来るのだ。やはり私には外国語の壁はあると思う。今更語学を学ぼうとは思わない。
短編から長編までいつくか作って自分のブログに投稿はして見るものの反応はほぼなあかったのだ。そもそも僅か2年に満たない浪曲ファンにはたとえ歌謡浪曲であっても難しいのかも知れない。内容が「瞼の何とか」や「国定何とか」や「番場の何とか」に似ているのだから仕方がないのだとも思う。その手の類ならほぼ内容を把握しているので、その手の題材を元にしての歌謡浪曲なら書けると言うものだ。
2番千時の用の思われても仕方がないが、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる的な考えが浮かんできたことも事実です。このように演歌系からフォークソング系から歌謡曲系からはたまたシャンソン系から歌謡浪曲まで幅広く作詞をしているのは、どれか一つでも誰かの目に留まり、世に出ることを願っているに他ならないのだ。
そこにはどこかに私と言う存在を残したいに他ならない。過去の嫌な思い出を出来事を消し去りたいがための手段の一つだったのかも知れない?ある意味ジャンルは問わないのだ。外国語が登場しない作詞なら出来るのだ。やはり私には外国語の壁はあると思う。今更語学を学ぼうとは思わない。