ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

口に出して言えないことも面と向かって言えないこともブログなら大丈夫!

2018年08月18日 | 介護
2018.8.18
口に出して言えないことも面と向かって言えないことも、ブログなら言える。
だから勝手に言います。
書きます。
あれに関しては最悪法的手段に!
きちんと公証人役場に法的遺言証書を!
ご理解ください。

あまりに師匠が好きすぎで心療内科でも先生が聞いてもいないのに浪曲の話を一言して、その後大宮の高島屋に!
催事場で1日の木馬亭に着てゆくチェニックを1080円で買い、3時ごろルミネで遅めのランチを食べて帰って来ました。
もう、お金は芸能人の追っかけに使うのでそんなにファッションに使えません。
サイズが合えば何でも着ます。
ファッションセンスは見事にございません。
この身長にこの体型ですからね。
思うように痩せませんね。
ましてやブランド品に興味はありません。
安い服も3年も着まわせば元が取れるような?
困るのが靴!
幅広の外反母趾なのでおしゃれな靴は無理ですね。
足に合えば買います。
忘れ物をするのでハンドバックの類はやめました。
いつもリュックです。
スマホの充電器が入っているので重たいですね。
ブランド品にも高級品にも興味が無いのでお金は芸能人の追っかけに!
シャンソンなら昼のライブでも1ドリンクついて5000円はします。
その点、浪曲良いですね。
木馬亭なら2000円で4時間は楽しめます。
このところお客さんは確実に増えたと思います。
高校生や大学生の若い人も見かけます。
こうやって若者が日本の古典芸能に触れるのはいいことですね。
出来ればその中から一人でも多くの後継者が生まれることを願います。
ただ、この道そんなに甘くはないですよ。
簡単な気持ちでなるのはやめてくださいね。

月1で師匠に会えて浪曲聴ける喜びを!

2018年08月18日 | 介護
月1で浅草の木馬亭に行き師匠に会えて浪曲が聴ける喜びを味わっている。
師匠に会えて生の浪曲が聴けることを心待にしている。
このところどこにいても何をしていても頭の中は師匠一色に!
もう、10回以上見たネットでの師匠の浪曲の場面が浮かんできます。「徳川家康人質から解放まで」
あの馬に騎乗する動作は素晴らしいですね。
そう言えば今まで師匠の浪曲、木馬亭でどんな演題だったのか覚えていません。
覚えているのは女性浪曲師大会の2部の私がトイレから出て来たらいきなり師匠が「雪の南部坂」を歌われ、私と目があったことです。
あの目で見られたらたまりませんね。
私はいつも最前列に座るので師匠とは目が合うのです。
あの目がたまりませんね。
はっきり言います!
師匠のすべてが大好きです!
時々他の師匠に目が行くのですが、最終的に師匠に戻ります。
時として師匠が可愛く見える時もあります。
私にとっては師匠と浪曲は今、イチオシの物ですね。
差し入れを喜んでくださるので嬉しいです。
私にとっては師匠も師匠のお仲間も大好きです。
大切にしたいと思います。
そして、勝手に師匠がお姉さんならいいな!とか、お母さんならいいなと思っています。
体型が似ているので洋服の貸し借りは出来ると思います。
あらぬ想像!勝手な想像です。
師匠のお弟子さんも好きです。他にも私が生で木馬亭で聴いた浪曲師の皆さんは好きです。
ここではあの師匠好きだとか、良かったとか書くと師匠が焼きもちをやくのでやめておきます。
若燕師匠以外と好きです。
ほどほどのお顔がいいですね。
指折り数えて来月1日になるのを待っています。
人はほどほどって言うのが大事ですね。
イケメンすぎてもいけないし、ほどほどが!
蝉の声が聞こえ日に日に秋を感じています。
我ひとり見上げた空にも師匠を思い会える日を心待に…。
お元気でいつまでも素敵な浪曲聴かせてくださいね。
出会いふれあいありがとう!
あなたの心に感謝します。
生きてて良かった我が人生!
まさに私の人生は浪曲の如し!

昨日の件

2018年08月18日 | 介護
昨日の件だが、おかしいいと思う。
彼が私の息子や孫で無くて良かったと思う。
彼は世間を甘く見ているのだ!
苦労をしたことが無いのだ!
世の中も世間もそんなに甘くは無いのだ!
おそらく社会人になったら上手に世渡りをするだろう。
苦労もせずに生活するのだろう。
人生の辛苦味わったことが無いのだ!
両親が揃って兄弟がいる暖かな家庭で育てられたのだ!
ましてやお金さえあれば何でも買える時代の子なのだ。
そもそも彼の小遣いが変だ!
何を買おうと文句を言わない親も変だ!
そう言えば彼が中学生の頃に小遣いはもらっていないと言ったことがあった。
小遣いをもらっていないと言いながら彼はネットで買い物をするのだ。
なぜ?
親のカードだ。
親のカードを使うのだ。
全くもらっていないのなら、学校帰りに喉が渇いても何も買えない。
お腹が空いても何も買えない。
金さえ出せば暮らせる裕福な時代に生まれたのだ。
戦争のない国に生まれたのだ。
何の制約もない家庭で育ったのだ。
私の家庭はあらゆる面で制約があった。
門限が決められ、小遣いが決められ、使い道に文句を言われていたのだ。
寝る時間まで決められていたのだ。
戦争のない国に生まれ、未成年でありながらも、放任主義の家庭で育てられたのだ。
本当の意味での苦労を彼は知らないのだ。
そう言う人間は世間に出ても上手に世渡りをするだろう?
しかし、上手に世渡りしてもそう言う人が一旦挫折を味わうとすごいことになるのだと思う。
私は子供を産み育てたことが無いので何とも言えないが、我が子で無くて良かったと思う。
他人の飯はかってでも食うのだ。
世の中の辛苦を味わうのだ!
世の中には底辺で苦しんでいる人もいるのだ。
何でも手にはいると言う考え方は捨てるのだ。
自分にけじめをつけるのだ。
物事の良し悪しを身に付けるのだ。
私などは60年生きていて多少なりとも他人の飯は食ったことがある。
世間の荒波にも揉まれたことがある。
人生の辛苦も味わっているのだ。
欲しくても買えないこともままあるのだ。
門限は決められ、小遣いも決められ、制約もあるのだ。
このところ平日の夜の一人での外出は出来ない。
出掛けても帰って来て夕食は作るのだ。
作らなくても何かしらするのだ。
湯水のようにお金は使えないのだ。
生活がかかっているのだ。
世の中も社外もそんなに甘くないことを知っている。
世の中の底辺で暮らしていて苦しんでいる人がいることも知っている。
60年生きてきた人生の中で辛苦を味わってもいるのだ。
挫折から這い上がる苦労や辛さも多少なら知っている。
結婚する前は月3万円の小遣いだった。
その中からお昼代を捻出し、靴やハンドバッグや洋服も買うのだ。
誘われて行く飲み会の費用も捻出しするのだ。
時代が違うと言えばそれまでだが、そうなのだ。
もちろん家に生活費は入れるのだ。
若者は苦労を知らない。
金さえ出せば何でも買える事態に生まれたのだ。
戦争のない国に生まれたのだ。
そんな子に苦労はかってでもしろ!と、言うのは無理なのだ。
私の息子や孫で無くて本当に良かったと思う!