ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

食べ物サイトへの食べ物アップ!

2018年08月27日 | 介護
夕食を食べ物のサイトに良くアップしている。
どんな食べ物でもかまわない。
コンビニのお菓子でもおにぎりでもかまわない。
私は今日の夕食の写真をアップしたら反響が凄かった。
母が量が多いと言った夕食はどこの家庭でも二人分だったのた。とうもろこし4本と焼き餃子13個は二人だったのた。
同情までされた。お母さん大変ですね。
と、言われた。
こんなことは日常茶飯事なのだが、さすがにきんぴらごぼうを3口は作れない!
最近はカレーライスのカレーはきっちり3人分ではないといけないらしいのです。
次の日のカレーはダメなのだ。
この間カレールー2個で作ったカレーは残ってしまったのだ。
冷蔵庫に入れたが、次の日に母は食べないと言う。
テレビで次の日のカレーは菌が発生していると言うことを見たらしい?
確かに冷蔵庫に入れないカレーは菌が発生するかもしれないが、冷蔵庫に入れたのに食べないのだ。
まあ、基本的に母は夕べの残り物は食べません。
この母の元私は育てられたのだ。
母は悪気はないのだ。
このところ入れ歯のせいか、何でも固いと言う。
しゃぶしゃぶ用の豚肉も固いらしい?
食べつけない料理は食べない。
私はそれでも料理は作るのだ。本当にさっきも書いたがガスパチョがそうめんのつゆだと!
ガスパチョの説明をしたら食べなくて良かった!と!
カタカナ料理はなかなか食べませんね。
ビーフシチューもカレーに見えるらしいのです。
これで私はストレスたまるんですよ。
いちいち説明しても無理ですからね。
明日は大好きな日野美子さんのライブに行ってきます!
昼ライブなんです。
午後からですがね。
夜じゃあないので堂々と外出出来ますからね。
無花果ジャムとコンポート持参で伺います!

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どうせ何を言っても気ちがいの発言らしい?

2018年08月27日 | 介護
2018.8.27
母との同居と更年期が重なりうつ病になった私は母に言わせると気ちがいらしい?
私が毎日SNSで発信してることはそうなれば気ちがいの発信になるのだ。
私と何らかの形で友達になった人たちは気ちがいと友達になったことになるのだ!
地元の26~7年付き合っている友人は気ちがいと付き合っていることになるのだ。
「気ちがい」と言う言葉は精神疾患の者に対しても差別用語だと思う。
いわゆるろうあ者に「おし」「つんぼ」と言っているようで、盲人に対して「めくら」と言っているようなものである。
何らかの形で足の悪い人に対しての「びっこ」と同じであるのだ。
それらは差別用語に他ならない。
今やそんなことを言う人はいないと思いたい。
事実親戚にも精神疾患の従姉妹はいるが、私は一度も従姉妹に対して「気ちがい」とは言ったこともない。
地元のろうあ者に知り合いもいるが「「おし」とか「つんぼ」とかは言ったことがない。
大好きな知り合いのおばあちゃんは盲人だったが一度も「めくら」と言ったこともないのだ。
義足の知り合いもいるが「びっこ」なる言葉は言ったことはないのだ。
もしも私が本当にろうあ者だったり、盲人だったらおそらく母は私を隔離すると思う。
外は危ないから外出禁止になるだろう?
ろうあ者だって一定の基準を満たせば自動車学校に通って車の免許も取れるのだ。
確か薬剤師になったろうあ者もいたと思う。
あとから耳が聞こえなくなった医師をテレビで見たこともあった。
今やろうあ者の多種多様な職業に就き、盲人もあんまマッサージ、鍼灸だけではないのだ。
義足の若者も盲人の人もパラリンピックで活躍するのだ。
ろうあ者に至ってはろうあ者のスポーツの祭典であるデフリンピックなるものもある。
昔の精神疾患や精神障害者は隔離されていた。
病院でも自宅でも隔離されていた。
しかし回復期にあり寛解と認められれば何らかの形で働く人もいることは確かです。
私は昔なら隔離されていたかも知れないのだ。
おそらく納戸あたりに隔離されてたかも知れない。
しかし私は人前で叫ばないし発狂もしないし、刃物を持って暴れたこともないのだ。
テレビで見かける芸能人は今や自分の病気を公表する時代になったのだ。
私は芸能人が何人も公表したのを知っている。
うつ病からパニック障害から統合失調症までも公表している。
私は自分がうつ病になったときのそれらの本を何冊か読んだ。
ここに上げればきりがないが、円広志のパニック障害から大場久美子のパニック障害や萩原流行のうつ病から木の実ナナのうつ病ら音無美紀子のうつ病まで数々の本を読んだのだ!
それぞれに病気を克服し、病気と向き合いながら仕事をしているのだ。
そして寛解もするのだ。
しかし私は何度か実母に気ちがい呼ばわりをされ、悲しい思いもしているのだ。

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気ちがいが作る料理を食す家族。

2018年08月27日 | 介護
2018.8.27
どうも母に言わせるとうつ病になった私は気ちがいらしい?
その気ちがいの作る料理を家族は食しているのだ!
何を作っても作りすぎだと言う。
夕食に餃子を13個焼いたら「多い!」と、言われた。
一人2つで6個でいいらしい?
お店に行っても一人前は5個から7個なのに6個なのだ。
単純計算で一人2個なのだ。
ジャンボ餃子じゃあないのに2個なのだ。
もらったトウモロコシ4本を新鮮なうちに湯がいたら「多い!」と、言われた。
どうやら1本を3等分で食べるらしい。
説明した肉味噌が「しょっぱい!」と、言って来た。
そりゃあそのまま食べればしょっぱいに決まっている。
時折母の耳が遠いので大声で言うと「お前は気ちがいだからね」と、言う。
その気違いの作る料理を母は食すのである。
ガスパチョを冷蔵庫に入れて置いたらそうめんの汁だと思われた。
子供の頃に食べたことのないものはことごとく否定する。
気ちがい呼ばわりされている娘はご飯は作るのだ!
毎日ご飯が炊きすぎだと言う。
このところ私は夕食の炭水化物を抜いている。
主人がお弁当を持参で会社に行くので毎日ご飯は炊く。
2合から3合しか炊かないご飯に文句を言われる。
おかずは何を作っても多いらしい?
さすがにきんぴらごぼうを3口分は作れませんね。
天ぷらはかき揚げ3つでいいらしい?
ジャガイモ1個で作った肉じゃがは3人で食べるらしい?

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午後からバザー品の片づけに行く。

2018年08月27日 | 介護
2018.8.27
午後からバザー品の片づけに行く。
片付けに行った先の人たちは私の過去など全く知らない。
数人の人が私がうつ病になる前にそこで賄のおばちゃんをしていたことを知るだけだ。
ましてやうつ病になってそこをやめたことすら知らない。
一緒に片づける女性の一人は東日本大震災で娘さんがパニック障害に!
もう一人の女性の娘さんは高次脳機能障害です。
そこに更年期からうつ病になった私が加わっている。
たわいもないおしゃべりをしながら片づけをする。
売れるものと売れないものと仕訳して値段を付ける。
二人の女性は私の過去を知らない。
知っているのはうつ病になる前に数年間そこで働いていた姿だけだ。
一人の彼女の娘さんはパニック障害を抱えながらも自立している。
高次脳機能障害の娘さんは自立をするのは無理な様子。
なかなか持ってそれぞれの人生も思い通りに行かない様子。
母親亡き後の子供のことを考えるといろいろな壁があると思う。
どちらも40歳近い娘を持った母親です。
娘の将来を案じている。
私は私で子供もいないので残された老後を夫婦でどのように生きてゆけばいいのかと思う。
ましてや88歳の母を抱えているし、特定疾患を2つも持つ主人がいるのだ。
思い通りに行かない人生を歩んできた私は母を看取るのだ。
場合によっては葬式も出すのだ。
新しく入って来た品物が少ないので1時間半で終わって帰って来た。
外に出たらえらく暑かった。

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気ちがいという言い方。

2018年08月27日 | 介護
2018.8.27
人は精神疾患と言うだけでどこかで気ちがいだと思っている節がいまだにある。
気ちがい=刃物を持って振り回す。
果ては人前で暴れる。
発狂すると決めつける風潮がある。
私の母も私が大声で事を荒げて言うと「気ちがいだから!」と私のことを言う。
その風潮はいまだに根強く世間ではあるのだ。
犯罪者が精神障害者呼ばわりされ気ちがい扱いされるのだ。
しかし世の中の犯罪者で一番多いのは一般人の犯罪だと思う。
精神障害者と言うだけで避けられたりするのだ。
刃物を振り回したり暴れる人は一握りしかいないのが現実だ。
街中を歩いていて私は首から「うつ病です」と言う札をかけてはいない。
ましてや子供の頃から延々と繰り広げられた陰湿ないじめに対して「私はいじめられっ子です」と言う札もかけてはいない。
ましてや公共の場でわめいたり騒いだりもしたことがない。
刃物を振り回したことさえもない。
リストカットもしたことがない。
しようとも思わない。
死ぬ勇気さえないのだ。
私の周りの精神障害者も病状が落ち着いて症状が安定して来ればアルバイトなどの仕事にも行くのだ。
通っている心療内科でも主婦やサラリーマンや学生や子供や老人も来るのだ。
何年も通っているが待合室でわめく人は一人しか見たことがない。
地元で出来た数少ない友達も私が一番つらい時には待っていてくれた。
病気を大なり小なり理解し、待っていてくれたのだ。
統合失調症と言う病気は数年前まで「精神分裂症」と言われていた。
何も好き好んで病気になる人はいないのだ。
昔はそれこそ隔離さえあったのだ。
自宅で隔離されるのだ。
家族は家に精神疾患の家族がいることを隠すのだ。
そんな娘や息子がいないふりをするのだ。
重くなれば精神科の病院で措置入院もあるのだ。
隔離病棟で昔はベッドに拘束されると言うこともあったのだ。
今やベッドでの拘束はほぼしないのだ。
私は入院をしたことがない。
ひどくなればそれこそ入院をし、隔離病棟だったかも知れない。
誰も好き好んでは病気にはならない。
おそらく私が首から「私はうつ病です」と言う札をぶら下げて街中を歩いたらみんなは私を避けて通るだろうと思う。
人は首から「いじめてください」なる札もぶら下げてもいない。
誰も好き好んで精神疾患にならないし、いじめにも合わない。
同じ服装で2日続けてうっかり学校に行っただけでいじめにあった。
我が家はその昔両親が新興宗教の信者だったので、仏壇の前でお線香をあげる。
誰も無くなっていないのに仏壇があった。
毎朝仏壇にお線香を供えるだけで、お線香の匂いは髪の毛に付き、学校に行けば同級生に「お線香臭い」と言われていた。
陰湿ないじめは日々繰り返され、その中でほんのちょっとの優しさや思いやりにさえ疑いを持ったりもした。
他人様のやさしさの裏に何があるのかとさえ思っていた。
遠足でバスの座席を決めるときの私の隣の座席に座った同級生がまるで外れくじを引いたような態度になったことさえあった。
修学旅行の部屋割りも私がその部屋に加われば同じ部屋の子は外れくじを引いたような気持ちになるのだ。
どこかで今も陰湿ないじめは繰り返され、自殺する子供は後を絶たない。
学校の先生は見て見ぬふりをするのだ。
親が教区委員会に訴えることを恐れているのだ。
子供は子供で誰にも言えずにいるのだ。
集団行動と群れるのが苦手です。
どこかで相手の顔色を伺い、自分を殺して過ごすのだ。
子供の頃は誰かとどこかに行くと言うことがなかった。
誰も誘ってはくれないのだ。
「あの子を誘ったらつまらないから!」に他ならないのだ。
誘われれば数合わせでしかないのだ。
一人増えれば割引になる数合わせなのだ。
働いていた頃に職場の周りのおばさんたちがある新興宗教の熱心な信者ばかりでえらい目にあった。
お昼休みも休憩時間も新興宗教の話をし、その宗教の新聞を広げるのだ。
私にも入れと言わんばかりの態度にへきへきし、私は会社の上司に配置転換をお願いしたらその後私のところに配属された一つ年上の女性に嫌な目にあい、新興宗教への勧誘よりもそこ女性が嫌になったことがあった。
まあ、世の中では絶えずどこかで何らかのいじめは横行していて後を絶たないのだ。
テレビやニュースや新聞に載るのはほんの一部でしかないのだ。
働いた職場でパワハラもあり、結婚したらDVもあるのだ。
そんな時代なのだ。
知り合いの娘さんは高齢出産から産後鬱になった。
その知り合いは息子に孫が出来たのでしょっちゅう孫のところに行っていたら息子から「そんなに来なくていいよ!」と言われてうつ病になった。
その後娘が産後鬱になり、娘のところに通っていたら今度は婿さんが病気になった。
自分のうつ病は寛解したので娘のところに通っている。
私は世間体や周りの目を気にしていまだに主人の家族や親せきにうつ病のことを話してはいない。
しかし母は自分の身内に娘がうつ病であることを言って回り、私は一時期嫌な思いもした。
好き好んでいじめにあってはいないし、好き好んでうつ病になったわけではない。
結婚だってたまたまお見合いで結婚した相手が後になって同じ境遇にあったことを知るのだ。
旦那には友達がいないのだ。
私が話さない限り話し相手もいないのだ。
彼は多くを語らない。
そこに言いようもない苦しみや格闘があったのだと思う。
いつだったか電車で主人に声をかけて来た男性が主人をいじめた張本人だっらことがあった。
本人にはその時その辛い記憶がよみがえったのかも知れない。
一番のいじめっ子は普通の大人だった。
そこかしこに住んでいる同級生に主人は話もしたことはない。
おそらく昔の記憶がフィードバックするのだと思う。
トラウマになっているのだ。

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