ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

声をあげて泣く!

2018年08月25日 | 介護
昔の私は毎夜布団の中で声を殺して泣いていた。
人前で大声で泣くのはバカだと母に言われて育った。
子供が人前で泣いているのを見ると母はみっともない!と言い、人前で子供を泣かす親にさえも聞こえないように文句を言っていた。
従って私がデパートや道端で泣くことを嫌がった。
記憶にあるのはデパートのおもちゃ売り場で「買って!買って!」と、駄々をこね、しまいに床にねっころがって駄々をこねたことが一度あったと思う。
おめおめと泣くのは許されないのだ。
従って私は夜に頭からすっぽりと布団を被って泣いた。
声を殺して泣いた。
母にとっては人前で泣くことは恥だったのだ。
嗚咽し号泣し、泣くことは恥なのだ。
許されないのだ。
私は学校で同級生にいじめられては泣いていた。
夜な夜な自分を悲しいドラマの主人公にして泣いた。
嬉しくても悲しくても泣くことは母にとっては恥なのだ。
しかし、私は泣くのだ。
声をあげて号泣ごいつしか出来なくなっていた。
声を殺して泣くのだ。
叶わなかった夢も叶えられなかった夢もそこにはあるのだ。
結婚をし、その中で得た辛苦に私は泣いた。
母との同居で再びあらゆる規制に泣いた。
元々一人ぼっちだったので、群れると言うことは好きではない。
多数決ならまだしも、上から目線で何かを言われそれに従うのは苦手です。
常々他人の心に寄り添う人になりたいと思っていました。
結婚をし、曲がりなりにも一人ぼっちでは無くなったのです。
そこにはなかった愛も生まれるのです。
好きではなかった主人が愛しく思えて来るのです。
一人ぼっちと一人ぼっちは結ばれて二人ボッチになったのです。
幸せは2倍なり、不幸は半分になるのです。
夫婦は親友から同士なるのです。
あながち私の結婚は間違いではなかったのです。
恵まれなかった子供に、夫婦で生きる道を選択したのです。
そこにはささやかな幸せも生まれて来るのです。
そのささやかな幸せは再び母との同居で少しだけ悲しい道を歩んでも、その先には幸せがあるのだと!
私は病気になったけど、主人はその事で離婚という選択肢を選ばなかったことは良かったのです。
本来なら病気になった妻など要らないはずです。
その後主人が病気になり、私はあらゆる意味でこの人を支えなくては!
と、思うのです。
芸能人に憧れを抱き、「好きだ!好きだ!」と、連発しても芸能人は遥か彼方の雲の上の人でした。
それがクミコさんで少しだけ身近になっことは言うまでもありません。
そして浪曲師は今や私にとっては身近な存在です。
木馬亭の終演後出てきた浪曲師の一人二人に声をかけて一言二言話すことは浪曲師を身近に感じるところです。
泣いて笑って楽しめるのです。
子供の頃全く勉強が嫌いで出来なかった私は今、浪曲から歴史を学び、文学を学び、漢字も学ぶのです。
浪曲は言わば生きた教材なのです。
そこの学生さん!浪曲聴きに来ませんか?
生で感じる生きた教材いいですよ!
学校で習わないことも学べます!

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朝から自宅で布団の上でのたうち回って号泣!

2018年08月25日 | 介護
いろいろありの人生だった。
両親は何度も別居した。
母は離婚を考えて役所に行き離婚届をもらってきたが、父が娘の私が結婚するときに片親ではと、離婚届を書かなかった。
酒好きでタバコを吸いギャンブル好きな父は自宅にろくに生活費も入れなかった。
母は70歳までパートで働いた。
時に私は父に付いたり母に付いたりしていた。
父は酒好きでタバコを吸いギャンブル好きだったが家族サービスは良くしてくれた。
渋谷に越したらデパートでの買い物やお好み食堂での食事は良くした。
その代わり並木橋の場外馬券場には自宅から歩いてよく行った。
父が馬券を買うのだ!
子供の私と弟は表で待たされた。
浅草にもよく行った。
浅草でも父は馬券を買うのだ!
羽振りのいいときの父は銀座や新橋のお姉ちゃんが好きだった。
何度も両親は別居した。
母は2度ほど家出もした。
家出した先は田舎だった。
そのつぎは自分の妹のところだった。
一週間ほどで帰ってきたが、その一週間は寂しかった。
私が高校生の時に母は再び父と別居した。
その時私は母に付いた。
弟は中学生だったので先のことを考えて父と暮らすことに!
ところが冬場、父は毎日鍋料理を!
ある日弟は風邪をひいた。
毎日の鍋料理と弟の風邪を知り、母と私は父と弟の元に帰った。
狭いアパート暮らしだった。
そもそも父が呑んだくれで、ギャンブル好きでろくに生活費を入れないことをいつも母は怒っていた。
繰り返される夫婦喧嘩に私はいつも泣いていた。
母は朝から晩までよく働いた。
一応父の扶養だったので仕事はパートが主だった。
苦労をしながら子育てをしたのだ!
そもそも母は小さいとき実母を病気で亡くしている。
実の姉も幼い時に亡くしている。
あとから来た若い後妻育てられたのだ!
妹弟はいるが後妻が産んだ子供だった。
今でこそ仲良くしているが、子供のころの母は幼くして家事をし、背中に妹や弟を背負い暮らしていたのだ!
なぜなら後妻が次の子を身ごもるからに他ならない。
母の苦労を思えば私が子供の頃から受けた陰湿ないじめなど大したことでは無いかも知れない?
しかし、私は結婚するまで数々のいじめにあったのだ!
それこそ思い出したくもないようないじめに!
結婚は私にとっての1つの逃げ道だったのだ。
母の管理下で暮らしていた私にとっての1つの逃げ道だったのだ。
選んだ相手は私と似ていた。
友達がいなかったのだ!
ずーっといじめにあっていたのだ!
結婚式にお互いに呼ぶ友達がいなかった。
私は唯一いる一人の友達と仕方なく働いていたデパートの食料売り場の近所のおばさん数名を招待した。
大嫌いな新興宗教の信者のおばさんだった。
主人に至っては友達が全くいないので会社の先生夫婦しか参列しなかった。
そして主人は未だに友達がいないのだ!
私は結婚してこの街に住んで何とか数名の友達は出来た。
友達が欲しかったのだ!
話は戻るが、私の両親は結局離婚をしなかったのだ。
父は脳梗塞になり、胃ろうをし、最終的に末期の肺がんで亡くなったのだ。
私は父に対しては親不孝な娘だと思う。
それは父が脳梗塞で倒れてから母と些細なことで喧嘩をし、それ以来父の病院にお見舞いに行かなかったのだ。
意地を張っていた。
父は私に会いたがっていたのに!
親不孝な娘だった。
しかし、父のお墓は私が建立したのだ。
墓石には弟の名前が刻んであるが、お墓のお金は私が出したのだ。
そのお墓の墓守りを頼んだ弟はお寺への維持費の問題でお墓を処分したいと!
なんたることだろう!
はかを買ったのは私なのだ。
もしかしたら父のお墓は無くなるのだ。
かいつまんで話は短く書いたが、それで現在に至っているのだ。
私の一人ぼっちは芸能人の追っかけで寂しさを埋めたのだ。
島倉千代子さんの歌声は心の支えだったのだ。
その後更年期からのうつ病の時に知ったクミコさんの歌声も心の支えだったのだ。
そしてこの度知り合った五代目天中軒雲月師匠の浪曲は新たな心の支えに!
生きる糧なのだ!
浪曲は心に沁みるのだ!
響くのだ!
子供の頃全く勉強が出来なかった私は浪曲から歴史や文学や漢字も学ぶのだ。
浪曲は学びの場でもあるのだ!
だから毎日一般社団法人日本浪曲協会のことや浪曲に関することはtwitterで呟くのだ!
断られるまで呟くのだ!
何しろ無料なのだから!
無料は苦情が来るまで上手に利用するのだ!
幸い今のところ苦情が来ない!
浅草の木馬亭で毎月聴く浪曲は私にとっての学びの場所なのだ!
従って師匠のお仲間は大事にするのだ!
私は木馬亭での浪曲定席がお客さんでいっぱいになることを見届けてあの世に行くのだ!
友達が私しかいない主人とあの世に!

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真夜中の呟き

2018年08月25日 | 介護
真夜中に呟いている。
一人で呟いている。
布団に身体を横たわりながら呟いている。
このところ妙に寂しいんです。
何をSNSで呟いても反応が少なくて!
いろいろ毎日勝手に呟いています。
その呟きに反応が少ないんです。
私の気持ちは届かぬ様子?
昨日は些細なことで母と言い合いに!
母から言われた一言が「お前きちがいだから!」です。
聴こえないと思って大声で言ったら私を気違い呼ばわりに!
気違いってそれ?もしかして精神障害者に対する差別用語じゃあ無いのですか?
そりゃあ、娘の私はうつ病で自律神経失調症ですが、ひどいじゃあ無いですか?
そもそもうつ病はあなたにも原因はあるんですよ!
ずーっと否定されて育ちました。
すべてを反対されて生きてきました。
娘の私のプライバシーはあるようで無い生活でした。
あなたが原因です。
行きたかった専門学校にも行けずに、その後のカルチャースクールも反対され!
お見合いして付き合った相手のことは根掘り葉掘り聞かれ、デートの約束を勝手にしただけで怒られました。
いざデートをして帰ってくればデートの内容を事細かに聞かれ報告を!
あなたは付き合った相手と私が何をデートですることを望んでいたのですか?
今の旦那とだって旦那は私と会って食事をして帰るだけなのに!
会話の内容まで聞いてきましたね。
デートをした場所も!
蕎麦屋で蕎麦食べて帰っただけでも根掘り葉掘り聞きましたよね。
私がお見合い相手とキスとかSEXとかするとでも思って期待していましたか?
ご飯を食べて帰るだけなのに!
わざわざ埼玉から東京にご飯を!
だから私は病気になるのです。
何もかも否定された人生に!
誉められたことがあったかしら?
あなたの管理下で育てられた娘です。
だからひねくれた娘になるのです。
ほぼプライバシーの無い生活を共用されて育ちました。
あなたは私が学生の頃も社会人になってもいじめにあい、辛い思いしたことを知りませんね!
いちいち報告はいたしません!
あなたに報告したところで解決するとは思えませんね!
自由に飛べる羽根が欲しかったのです。
私は凧揚げの凧のようにあなたの鎖に繋がれて育ったのです。
フライパンかなり前に買ったフライパンですよ!
覚えていないのですね!
その時も怒られました!
鉄のフライパンはこびりつくんです。
それなのにあなたは「お前の焼き方が悪いからだ!」と!
使っているうちにこびりつくんですよ!
食器だって「多い!多い!」と、言うから、あなたが左手首を骨折して入院した時にどこかの景品でもらったような食器と私の趣味に合わない食器は処分したら、今度は食器が無いと!
はっきり言います!
カレーライスもコロッケもトンカツも同じお皿です!
だって無いんですから!
煮物はどれも同じ器です!
無いんですから!
慰めにこっそり買ってくるご飯茶碗だけが楽しみです!
それなのにこっそり私は隠します。
だってあなたがいつも怒るじゃあ無いですか?
産んでくれたことは感謝しても育ててくれたこと間違っていませんでしたか?
私は悲しいです!
面と向かって言えないからいつもブログに書くんですよ!

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