2017.3.26
何でこの世に私は生まれて来たのか?
生まれて来た意味を問う。
そもそも子供の頃から思うような自由はなかったに等しい。
すべての時間を管理されて育った。
朝起きる時間から夜寝る時間まで決められていた。
遊びに行けば「どこへ行くの?」「誰と行くの?」「何時に帰るの?」は定番だった。
帰って来ると「何してきたの?」も定番だった。
学校が終わると寄り道は許されなかった。
もらった小遣いの使い道も管理された。
その前に小遣いの額も決められた。
暗くなる前に帰るのは帰って来るのは常だった。
一旦帰って来てからの外出はダメだった。
高校を卒業するにあたって進路さえも決められた。
仕事の帰りの寄り道はことごとく怒られた。
会社の人と食事に行くとか飲みに行くとかは事前に報告が必要だった。
洋服は母好みの洋服でないと怒られるのである。
社会人になって伊勢丹で買ったブランドの服をことごとくケチを付けられ1度しか着ないで捨てたことがあった。
社会人になってもお給料は管理されていた。
月3万円の小遣いと決められていた。
彼氏が出来てデートなどもってもほかだった。
お見合いして付き合った彼氏とデートを勝手に約束してきたら怒られたので、デートの日に彼氏にもう会わない旨を伝えたら、彼氏はショックで落ち込んでしまった。
よしんば彼氏が出来てデートをすると、帰って来てデートの内容をことごとく聞かれた。
「どこで何をしてきたか?」「何を食べて来たか?」「どんな会話をしたか?」は聴いてくる定番である。
こんな管理下の下で育てられた娘は自由を求めた。
求めた自由は結婚だった。
結婚する前の主人とのデートもことごとくどこで何をしてきたか?
どんな会話をしたか?
何を食べたか?
聞かれた。
結婚して自由を勝ち取ったように見えた私に母は毎日のように電話をしてきた。
16年前、70歳の母はとうとう働けなくなり、行くところも無くなり、我が家に同居することになった。
同居はしたが、母は主人の給料のことまで口出しするようになっていた。
「旦那さんのお給料はいくら?」「ボーナスは出たの?」
そんなことまで聞いてきた。
果てはお給料の使い道も聞かれる始末である。
主人のお小遣いにも口出しはする。
私が買って来たものはことごとくケチをつける。
あっ!自宅にかかって来た電話の内容は聞かれますよ。
こんな生活あと何年続くのでしょう?
外出して後を付けられないだけましですかね?
芸能人の追っかけは大嫌いです。
近所の映画館でも芸能人の追っかけだと決めつけてしまう。
未だに暗くなっての外出は近所でも心配する始末ですよ。