cheeze_art's blog

The life as the diehard

利他主義

2009-12-17 08:40:50 | 虎落り言(Mogari-talk)
世界は右巻き思想が正論であったり、社会階層を作り頂点を目指し這い上がることを是としています。
世界の均衡は強大な武力と経済的優位とある種のイデオロギー、加わるスピード感により保たれています。

どうして左巻きであったり、傳繰り返し逆つべであったり、階層や優位なきを良しとしないのだろうか。
なぜ平らであったり、這い蹲っていたり、融合しあったりして、平穏に暮らすこと出来ないのだろうか。
人は人として最低の権利と主張をもって、この星の上で人らしく生きることが出来ないのだろうか。

人よりよい暮らしを得んが為に、他人を押しのけ優位に立つこと、そしてそれを継続するためには、
如何なる手段を持ってしてもでも得ようと努力して、すこぶる利己的で排他的にでています。

またその努力するということも、その本人のもって生まれた性質にも依存しますが、
後天的にその時の社会性、周りとのコミュニケーション環境等で積み上げられたりします。

そして家族親族、親しい友人、近所でウマが合う人、職場の同僚仲間、自分を盛り立ててくれる人、
利害の一致する企業なり人...そこに存在する自分と関わり合う人々との世界を構築しようとします。

実のところ生活していく為にはそれが精一杯で、それ以上もそれ以下も考えることを難しくしています。
しかしある出来事に遭遇して立ち止まったり、心に感銘を受けたり、深く傷ついたりすることがあった場合、
そこで初めて、全く新しい定義や観念が見えてきて、思考することの転機となることがあります。

一元的な文化や教養、そして社会に適合する法令遵守の擦り込み、政治的な偏りある思想、
道徳、風習、慣習に至るあらゆることに、人は環境によって入ってきたものを固定観念として捉えています。

それは思想的に右としたものが正解に近く、ピラミッド社会における自分の立ち位置を知り是としたとき、
世界の均衡が武力と経済とイデオロギーと時間短縮へ邁進することが、人に安充感をもたらせているようです。

しかしある時ふとオフセットして、自分の足元を見たとき、周人のことを思ったとき、変化する環境を知ったとき、
進化が全てなのか、利己的資本主義が正しいのか、自然環境を侵してきた罪と罰は誰にあるのか、
なぜ最低限のことに事足りて、肩を寄り添わせて生きることことが貧であり鈍なのかを考え及ぼせたとき、
そこで初めて、この地球上で生きとし生きる物の権利を獲得、全うできるのではないかと思う次第です。

     




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