ぶつぶつ地蔵

地蔵 呟く ひーの言葉を。ぶつぶつと…。

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天を敬い人を愛する

2007-03-17 10:38:22 | 呟き
オイラがきっしぃに持っているイメージ。久坂玄瑞。
はじめはアンジョルラスという人と、久坂がかぶっていたんだと思うんだけど、今ではきっしぃにもイメージがかぶって来ている。
久坂個人のイメージソングってのはないんだけれど、久坂がどんな人だったのかが尾形大作さんの『敬天愛人』の中の一曲で解ると思う。



 ■吉田松陰■

 時と命の 全てを賭けた
 吉田松陰 憂国の
 夢 草莽に 果つるとも
 松の雫は 久坂に宿り
 花は桂の 枝に咲く

 口で言うより行うことが
 志士の志士たる 誇りなら
 かくごの罪の 踏海忌
 下田港の 弁天島の
 波もたたえる 男意気

 何も持たない若者たちの
 無欲無限の 赤心が
 日本の明日を 創るのだ
 松下村塾 長州魂(ごころ)
 いまも生きてる 萩の町

    作詞:星野哲朗


吉田松陰と言う人は、残っている肖像がを見ると寡黙な人に見えるのかもしれないが、有言実行の人だった。
かなりの行動派で、過激な人でもあった。
頭いいんだから、もう少し考えればいいのに・・・と思う行動が多々ある。考え理解する以上に行動で示し表す人だったんだろうなぁ。動かずにはいられない・・・みたいな。
そんな松蔭先生の性格を色濃く受け継いだのが、久坂義助こと玄瑞である。

幕末の長州といえば、松下村塾で、高杉晋作で、奇兵隊・・・という図式があるだろう。
しかし、歌詞にもあるように、松の雫は高杉に宿ったのではなく、久坂に宿ったのである。
破天荒なイメージの高杉であるが、実は松蔭先生に叱られるくらい常識人であった。(←松蔭先生が過激すぎたとも言う。笑)

そんな松蔭先生の激しやすい部分を受け継いだ久坂もまた、この歌詞にあるように「口で言うより行うことが 志士の志士たる 誇り」としていたと思う。
なぜなら、久坂の発想もまた、松陰先生程ではなくとも過激だったので(笑)

自らの考えを曲げることなく、自分の信念に立ちはだかる者には真っ向からぶつかる久坂。
猪突猛進、まっすぐ男だった久坂。

ね、カーレッドでアンジョな燃える男・きっしぃにぴったりでしょ。

久坂玄瑞もまたアンジョと同じく、国を憂い、攘夷を掲げ決起し、そして幕府軍に敗れたのだ。
アンジョが砦で散ったように、久坂も蛤御門の変(禁門の変)にて自刃する。
そのわずか5年後には情勢は一変し、江戸城無血開城。そして更にその一年後には箱舘戦争が終結する。明治政府が樹立するのである。
久坂は新政府を見ることなく散ったが、多くの志士の志を礎として明治政府は動き始める。


久坂の辞世の句は残っていないようである。
久坂の師である松陰先生の辞世の句は 身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂 である。

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2 コメント

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o(>▽<)o ウキャー! (paw)
2007-05-15 23:43:17
私も吉田松陰さま、めっちゃ尊敬していまっす!
彼あってこそ、明治維新という革命は成り立った訳で・・☆

わたし、明治維新関係の話がとっても好き♡
今のマイブームは天璋院篤姫だったりします。
烈女!いいね~!(・∀・☆)ス・キ
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いらっしゃいませませ~ (ひー)
2007-05-16 10:26:14
>pawさん
こちらにもコメントありがとうございます!
松蔭先生がお好きなのですね。
私の幕末好きの原点が新撰組なんですよね。でも、いろいろ見ていくと、一方向からだけ見れなくなって全般・・・となってしまったのですよ(笑)

天璋院篤姫・・・あぁ、勉強不足!
調べに行ってきます!!!(シュタッ!!!)

これからも、よろしくお願いいたします^^
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