ぶつぶつ地蔵

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大津巡礼 ~夏見廃寺編~

2012-08-09 15:59:16 | ぶらり・・・旅
会社の健康診断で太り過ぎのお墨付きを頂いたオイラです。
運動せねば・・・と焦りを(ちょっとだけ)感じ、足首が抜けて以降、とん挫していた「だらだら歩き回り」を再開することにしました。

再開第一回目の場所に選んだのは。。。大津巡り。
オイラの愛する大津皇子縁の地を巡礼することにしたのであります。

大津と言えば二上山が一番に浮かびますが、この運動不足のぶにょんぶにょんの体でもって二上山に上るのは自殺行為です。
注:二上山は金剛山地の北部に位置する、雄岳517m 雌岳474mのお山であります。比較的穏やかな山で、ハイキングコースにもなっています。決して険しい修験の山ではなく、自殺行為と言うのは、この運動不足この上ないオイラにとってのみでございます。
なので別の場所を選びました。


名張にある夏見廃寺跡。
大津皇子の姉君、大来皇女が建立した昌福寺ではないかと言われている遺構です。

薬師霊場に行くのに名張まで行って以来、名張饅頭は美味しいし、妙に気分的にこの土地への執着があるなぁと思っていた場所なのですが、大津が呼んでいたのかもしれませんね。
(最近まで大来皇女が立てたお寺があるとは知らなかったのだ・・・^^;)

夏見廃寺は、夏見という場所にある約1300年前の寺院跡です。
薬師寺縁起に記されている一節に、謀反の罪で処刑された大津皇子は後に悪霊となったため二上山に祀られた。また件の事件後、斎宮職を解かれた大来皇女は都に戻り、後に父・天武帝を弔うための昌福寺を隠(なばり)の夏見に建立した。とあるのです。

夏見の地にこの場所以外で1300年前の遺構は出ておらず、この寺院跡が大来皇女が建立した昌福寺であるとの見方が有力なのです。
ただし、ここが昌福寺であったという物証は出ておらず、あくまで「そうであろう」の域を出ることがないところから、夏見廃寺跡となっているそうな。
今後の再発掘の予定はないので、新たな出土品が出てくる確率は非常に低いとのことでした。


小高い丘に夏見廃寺跡はあります。
名張の駅から最寄駅まではバスですぐですが、バス停から少し歩きます。
現在、丘全体が公園になっており、テニスコートや乗馬クラブなどがあります。公演地図を見ても夏見廃寺の文字はなく、駐車場の守衛のおっちゃんに場所を聞きましたが、公園の入り口から夏見廃寺跡まではすぐでした。

遺構の近くに、資料館が建てられています。


だーれもおらず、オイラ一人っきり。
受付に「案内が必要な方は申し出てください」とあったので、迷わず案内を乞いました♪

壬申の乱から大来皇女が昌福寺を建立するまでをまとめたビデオ(アニメ)を見てから、受付のおじさんが館内を案内してくださいました。
お部屋は3つ。出土品もそんなに多くあるわけではありません。
しかしおじさんの説明はとても丁寧でした。
一つ目のお部屋では丸瓦における蓮の花弁の枚数で時代が異なることや、大来や大津の歌以外に、隠を歌った詩の説明もしてくれました。

我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ

この「沖つ藻」とは名張の枕詞で、藻が揺らぐ底が見える様を表しているんだそうです。水が豊かで美しい水であったことを表しているそう。
隠とは名張の昔の漢字です。時代の流れで、一文字のものを二文字(以上)にするという時期があり、隠から名張に変えられたのだそうです。
金堂を復元した部屋では、実寸大で作られていることや間口の数え方を教えてくださり、塼仏の部屋では土偏の塼と石偏の磚の違い、法隆寺の塼仏との共通点、そのほか塼仏が長い時代にわたって作られたのではなく、ごく限られた時代に作られたものであることを教えていただきました。

おじさんの考えや、廃寺跡の見どころなんかも教えていただけて、かなり話が弾んだと思います。
おじさんの考えでは、斎王として伊勢に向かうとき大来もこの地に来たのではないか。(壬申の乱の折、大海人皇子がこの地にて伊勢への必勝祈願をしたとされているので)また、斎宮職を解かれたのちにはこの地に来ることはなかっただろう。
大来が寺院の建立ができた背景には、父・天武帝の菩提を弔うという大義だけでなく、鵜野讃良の大津事件への多少の懺悔があったためではないか。(大来の母である大田皇女は早くに亡くなっており、母の実家である蘇我石川麻呂の家も滅んでいるので、そこからの支援はない。)
可能性の一つとして、地の豪族、夏見氏の氏寺として建立されたのではないか。(文献はないけれど、言い伝えとしてあるようです)
そしてこのお寺の建立の目的は、天武帝だけでなく大津を弔うことが大きな目的であったのではないか。。。
・・・などなど、面白いお話ばかりで、少なくともオイラはめっちゃ楽しかったです♪


じっくり館内を堪能し、廃寺跡を見に行こうとするオイラにもう一つおじさんが教えてくれたこと。
後年気づいた偶然だけれど、金堂か塔の端のあたりから西の方の山間を見ると、二上山を反転させたような小さなお山が見えるんだそうな。大来が大津を偲んで建立したであろう昌福寺から、二上によく似た山が見えるのは偶然と言えども何とも運命的な、もしかしたらそう思って作ったのかと思いたくなることですねって。

おじさんにお礼を言って、いよいよ件の夏見廃寺跡へ。

まずは大来の詩でお出迎えデス。

磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに
せっかく馬酔木を手折ったけれど、それを見せる君が居るとは誰も言ってくれない。

昔は親しい人が亡くなると、「どこそこで彼の人を見たよ」と言って残された人を慰めたんだって。でも、大津の場合は罪人なので、誰もが憚ってそう言ってくれない。。。といった意味だそうです。(超訳過ぎ?^^;)

この石碑は横から見るとこうなってます。

斎王として伊勢にいた大来の心の支えは大津の存在だったであろうし、幼い大津が心の拠り所としたのも大来であったでしょう。そんな寄り添う二人の姿を表しているそうです。


まずは一番てっぺんまで行って、お寺跡を見下ろす。
草が生い茂って、礎石は見えにくいです。

ザクザクっと下り、おじさんの教えてくれたお山を探す。
 
解る~?
確かに、二上山に似てる~♪

この地まで来てはいないだろうけれど、大来がお寺の片隅から二上に見える山に大津を重ねて偲んだ姿を思い浮かべちゃいました。

廃寺跡を全体を撮りたいけれど、携帯なのでパノラマないし・・・ってことで、3枚撮ってつなげてパノラマにしてみました♪


1300年前の礎石たち。

こちらは塔の礎石。

こちらは金堂の礎石。
雑木林だったこの地は、昔から大切な場所として言い伝えられ守られていたそうで、伐採・開墾などの手がほとんど入っていないんだそうです。
そのおかげで、礎石のほとんどが完全な形で見つかったそうです。
土地の人が守り伝えてくれた場所なんだとしみじみ感じます。

そろそろ次の場所へ行かねば。
こうして、オイラの夏見廃寺跡巡礼は幕を閉じるのであります。

ちなみに、夏見のバス停にある酒屋さん。

お水の綺麗な隠です。お酒もきっとおいしいでしょうってことで澤佐酒造さんの参宮をGET。
まだお味見してませんが、飲むのが楽しみでおじゃる*^^*

そーして、次の場所へと移動。
桜井編へつづく。







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↑宇宙皇子を中学生の時に読んで以来、大津皇子が歴史上の人物で一番好きなお方となりました。たぶん土方より鞍作よりダルより好きだと思います。高校受験の時に大津の坐二上の方角に手を合わせて拝んだことのあるオイラ。大津の御霊が健やかであることを願いつつ、ポチっとな♪

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