前回ジキハイを見た時は、ひできを追うのでイッパイイッパイだった(笑)
そしてキャストをすっかり間違って覚えてました。オイラが覚えていたキャストはCDのキャストだった~^^;
さてさて、ひできもいない、鹿賀さんもいない、、、オイラはこのジキハイに耐えられるのか。。。そんな気持ちで挑んだジキハイでした。
結論から~もうし~ま~~~すぅ~とぉ~~~♪
めっちゃよかったです!!
確かにね、最初はどうしても鹿賀さんと比べちゃって、ココは鹿賀さんはこう歌ってた、みたいな気持ちがいっぱいあったんです。
でもね、さすが違いの分かる石丸さんなのです。
鹿賀さんとは全く違う、でもちゃんとジキルとハイドとしてオイラの中にストンと納まったのであります。
今まであまり思いを馳せなかったハイド。
今回はハイドのことをいろいろ考えました。
ハイドって何だろう?
ジキル博士の闇の部分が表に出たのがハイドだった訳ですが、本当にハイドは闇だけだったのでしょうか。
原作にはもしかしたら「悪」として描かれているのかもしれない。
オイラは原作を読んでいないので、なんとも比較はできないんですが、このミュージカルを観た感想では、ハイドはジキルになりたかったのではないかな?と思ったんです。
ちょっと違うかな。
ジキルになりたかったというよりは、ジキルのように「愛する者」を手に入れたかったんじゃないかと。
ハイドは生まれてすぐに、ジキルが嫌悪していた人物達を殺しに行きます。
ハイドはもともとジキルの一部だった訳だからね。悪の部分の集合のハイドですが、無差別殺人は犯していません。あくまでジキルが接触した人のみ。嫌悪した人を狙っています。
現に、プールは殺してないし。ジョンだって傷つけられていない。
しかし、その中でルーシーだけは嫌悪の対象ではなかったのに近づいていきますよね。あれって、ハイドが初めて持った感情、「執着」だと思うんですね。
そして、ハイドの中でルーシーという存在はとっても大切なものになっていくんだと思うんです。「いつでも俺を待っていろ」と言うくらいに。
ただ、愛情の表現の仕方が違うんですね。たぶん。
なぜかというと、ジキルの憎悪の部分がハイドだから。
でも、光の先には闇があるように。善が成り立つためには悪があるように。
光が無くなれば闇は光を求めるし、悪が無くなれば善は悪を求めるのだと思う。
ジキルは常に冷静さを無くしてイライラとするし、逆にハイドはルーシーを求めに行く。
オイラはルーシーはハイドを受け入れていたのではないかと思う。
乱暴で破壊的なハイドの中に、ジキルがいることを無意識に感じていたのではないかな?
だから「危険だとは知りながらも許されない罪な遊び」をする。
ただ破壊的だったハイドだけれど、ルーシーの部屋でジキルの手紙を見て顔色が変わるよね。あれは、ルーシーをジキルに奪われたと思ったのではないかと。
「あいつにあって、俺にないもの」の答えを聞いて、初めてルーシーを憎んだ気がする。
ハイドはたぶん、最初っから「憎む」という感情を知らないと思うのだ。常に狂気であることが彼だから。
ちょっと穿って考え過ぎ?ハイド寄りで考えすぎかな(笑)
でも、ルーシーを殺すハイドは、そのほかの人を殺している時のハイドとは違った気がしたんだよね。
ハイドから解放されたかったジキルと同じで、ハイドもジキルから解放されたかっただろうと思う。
エマの首を絞めていた時に、ジキルから解放される方法をハイドは見つけられなかったんじゃないかな。
ラストに友達に撃たれてようやく自分を取り戻すジキル。
あの撃たすために向かって行った時のジキルは、はたしてジキルか?それともハイドか。
ジキルが自分を撃たせるためにジョンに向かって行ってるんだと思っていたけれど・・・もし、上記のようにハイドの中に変化があったなら、ハイドが自ら撃たれに行ったのかも、とも思うのです。
真相は解らないけれどね。
「自由よ。二人は。いつまでも」
ラストのエマのこの歌で、ボロボロ泣けちゃった。
実はエマは玲奈ちゃんでなくっても・・・なんて思っていましたが、このラストのひと節の為だけに玲奈ちゃんエマで正解!って思いました。
欲を言えば、ベイジングストーク大司教様が殺される時は、グッサリとハイドの杖に突かれて、グググと持ち上げてボンっと燃やされてほしかったです。
ハイドが一番最初に殺す相手。派手な炎の演出もカッコ良かったけれど、できれば自らの手で下してほしかったなぁ。
あと、サベージは勝手に死んでほしかった(笑)今回は、首絞められてたね。
でもでも!とっても満足のジキハイでした。
このキャストで、再演希望です。
あ、大司教様にひできカムバック可ッス!
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そしてキャストをすっかり間違って覚えてました。オイラが覚えていたキャストはCDのキャストだった~^^;
さてさて、ひできもいない、鹿賀さんもいない、、、オイラはこのジキハイに耐えられるのか。。。そんな気持ちで挑んだジキハイでした。
結論から~もうし~ま~~~すぅ~とぉ~~~♪
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確かにね、最初はどうしても鹿賀さんと比べちゃって、ココは鹿賀さんはこう歌ってた、みたいな気持ちがいっぱいあったんです。
でもね、さすが違いの分かる石丸さんなのです。
鹿賀さんとは全く違う、でもちゃんとジキルとハイドとしてオイラの中にストンと納まったのであります。
今まであまり思いを馳せなかったハイド。
今回はハイドのことをいろいろ考えました。
ハイドって何だろう?
ジキル博士の闇の部分が表に出たのがハイドだった訳ですが、本当にハイドは闇だけだったのでしょうか。
原作にはもしかしたら「悪」として描かれているのかもしれない。
オイラは原作を読んでいないので、なんとも比較はできないんですが、このミュージカルを観た感想では、ハイドはジキルになりたかったのではないかな?と思ったんです。
ちょっと違うかな。
ジキルになりたかったというよりは、ジキルのように「愛する者」を手に入れたかったんじゃないかと。
ハイドは生まれてすぐに、ジキルが嫌悪していた人物達を殺しに行きます。
ハイドはもともとジキルの一部だった訳だからね。悪の部分の集合のハイドですが、無差別殺人は犯していません。あくまでジキルが接触した人のみ。嫌悪した人を狙っています。
現に、プールは殺してないし。ジョンだって傷つけられていない。
しかし、その中でルーシーだけは嫌悪の対象ではなかったのに近づいていきますよね。あれって、ハイドが初めて持った感情、「執着」だと思うんですね。
そして、ハイドの中でルーシーという存在はとっても大切なものになっていくんだと思うんです。「いつでも俺を待っていろ」と言うくらいに。
ただ、愛情の表現の仕方が違うんですね。たぶん。
なぜかというと、ジキルの憎悪の部分がハイドだから。
でも、光の先には闇があるように。善が成り立つためには悪があるように。
光が無くなれば闇は光を求めるし、悪が無くなれば善は悪を求めるのだと思う。
ジキルは常に冷静さを無くしてイライラとするし、逆にハイドはルーシーを求めに行く。
オイラはルーシーはハイドを受け入れていたのではないかと思う。
乱暴で破壊的なハイドの中に、ジキルがいることを無意識に感じていたのではないかな?
だから「危険だとは知りながらも許されない罪な遊び」をする。
ただ破壊的だったハイドだけれど、ルーシーの部屋でジキルの手紙を見て顔色が変わるよね。あれは、ルーシーをジキルに奪われたと思ったのではないかと。
「あいつにあって、俺にないもの」の答えを聞いて、初めてルーシーを憎んだ気がする。
ハイドはたぶん、最初っから「憎む」という感情を知らないと思うのだ。常に狂気であることが彼だから。
ちょっと穿って考え過ぎ?ハイド寄りで考えすぎかな(笑)
でも、ルーシーを殺すハイドは、そのほかの人を殺している時のハイドとは違った気がしたんだよね。
ハイドから解放されたかったジキルと同じで、ハイドもジキルから解放されたかっただろうと思う。
エマの首を絞めていた時に、ジキルから解放される方法をハイドは見つけられなかったんじゃないかな。
ラストに友達に撃たれてようやく自分を取り戻すジキル。
あの撃たすために向かって行った時のジキルは、はたしてジキルか?それともハイドか。
ジキルが自分を撃たせるためにジョンに向かって行ってるんだと思っていたけれど・・・もし、上記のようにハイドの中に変化があったなら、ハイドが自ら撃たれに行ったのかも、とも思うのです。
真相は解らないけれどね。
「自由よ。二人は。いつまでも」
ラストのエマのこの歌で、ボロボロ泣けちゃった。
実はエマは玲奈ちゃんでなくっても・・・なんて思っていましたが、このラストのひと節の為だけに玲奈ちゃんエマで正解!って思いました。
欲を言えば、ベイジングストーク大司教様が殺される時は、グッサリとハイドの杖に突かれて、グググと持ち上げてボンっと燃やされてほしかったです。
ハイドが一番最初に殺す相手。派手な炎の演出もカッコ良かったけれど、できれば自らの手で下してほしかったなぁ。
あと、サベージは勝手に死んでほしかった(笑)今回は、首絞められてたね。
でもでも!とっても満足のジキハイでした。
このキャストで、再演希望です。
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