まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.921 堺市から熊野街道へ

2018-04-13 23:52:48 | みち
おはようございます。


まずは残念な話から、ここでも何度もお送りしたことのあるこれ↓↓↓



福島の芸術家から著作権侵害だとかで撤去されることになりました。12日現在ではボックスは覆われ中の金魚さんたちはみな引っ越しされたようです、今まで大和郡山の商店街の象徴のようにあった名所がこんなしょ~もない芸術家のクレームでなくなってしまうのは残念すぎます。こんなことくらいで何やかんや言ってくるから相当心の狭い奴なんでしょう、商店街としては一度撤去に応じて、今後再度復活に向けての署名活動も行われているとのことで、何とか頑張ってほしいところです。















1月の連休にりんくうまで走った記録をお送りしていこうと思います、去年の夏に甲子園を聞きながら高石方面を走った話はここでもお送りしましたが、その時の本当の目的地は関空から飛び立つ飛行機を見ることだった。その時は高石で時間を費やしてしまったために関空行きを断念して河内長野方面へと予定を変更しました、今回はその時のリベンジと言うか埋め合わせと言うか、まあとりあえず久しぶりに関空を見たいなあ、と言うことで行ってみることにしました。まずは竹内街道を通って堺市の中心部へ、仁徳天皇陵の横を通って一条通交差点を過ぎると堺のメーンストリートとなるフェニックス通り、広い道路の真ん中にフェニックスが立ち並んでいるからそのような名前がついているのか、案外そのままやなあ~。大きな常夜燈が立つ宿院交差点で直角に左に曲がり阪堺電車の路面電車区間が通る道へ、ここは紀州街道に当たっていて途中にはそれを示す碑も立っている。この道を進んで御陵前交差点へとたどり着く、阪堺電車にも御陵前電停があるが周囲は町の風景ばかりで御陵に当たるものはない、多分ここにある御陵と言うのは仁徳天皇陵のことか。ここからだと天皇陵までは結構遠くて少し上り坂を行かなければならないが、昔の人は天皇陵が堺の港から山のように見えたと言うから今で思うほどの距離を感じていなかったのかも知れない。












御陵前交差点ではいくつかの道が分かれているが、そのうち南へと分かれている細い道が紀州街道、しかし今回はそちらへは進まず一旦直角に左に曲がって2つ目の道を右へと曲がる、特に何の変哲もない普通の住宅地の中を貫いている道だがこれが熊野街道に当たる。途中には写真2枚目にもあるようにこの道が熊野街道だと示す碑も立っているが、風景はおよそ旧街道の雰囲気は感じられない。道は2度高速に行く手を阻まれて迂回させられることになるし途中でルートを見失ってしまうことも、とりあえずは鳳方面を目指して走っているがこの区間はいつもは一条通りを走っているので、そこより1本内側の道を進んでいれば何とかなるだろう・・・と思っていたら鳳小栗街道交差点へとたどり着いた。「小栗街道」とは熊野街道の大阪府内の別称となっているので通って来た道が熊野街道で間違ってなかったと確認できた、その交差点から南へと進んで行くとわずかばかりに旧街道の雰囲気が漂う町並があり、その先で大鳥神社の正面へと出る。更に進んで行くとJR鳳駅の手前の踏切を渡りアーケードの商店街へと差し掛かる、商店街は旧街道巡りの重要なポイントとなる所、ここを通り抜けて道はやがて府道30号線の大きな通りへと合流する。







府道30号線は昨年の夏に一度走っているがおよそ旧街道の雰囲気など感じることもできない所、高石市、和泉市と特にこれと言った見所もない区間を先を目指して進んで行くだけ。JR阪和線に沿う所をずっと進んできて岸和田市へと入ると、上の写真にあるようにちょこっとだけ旧街道の雰囲気が漂う風景の中を通る、まあそうは言ってもこの区間も短くて目に栄養になる風景はほとんど何もなくただボ~ッと走っているだけ・・・と思ったら進行方向左手側にスポーツ店の看板が→間違い、電気店だった、もしかしてここってあの・・・、ああ~どうやら今回も時間となってしまったようです、誰の家かは各自で調べてみてね、と言うことで次回も気楽にお越しくださいませ。           まちみち