北海道の根室半島南東沖のM4.2の地震ですが、根室方面から日高方面にかけて有感地震になってもおかしくない規模の震源の深さ中程度の地震が連なって起きています。今回は、たまたま、この根室半島南東沖の地震だけが有感地震になって記録されたと思ってください。浦河沖から岩手県沿岸部にかけても活発に動いていて、有感地震になっていなくても、規模はそれなりの大きさです。今後も有感地震になってきやすいと思っていてください。
福島県沖のM3.5の地震は余震です。宮城県沖でも、余震が頻発していますから、これからも、揺れが起きてくると思われます。ニュージーランド北方沖で一時動きが活発でしたから、しばらくの間は、再び大きな地震が起きることを想定して注意していてください。
紀伊水道のM3.2の地震は、能登~和歌山のラインの地震の発生原因とは異なると思われます。今回は震源の深さ中程度の位置で発生していて、同じ深さの地震が三重県の内陸部でも発生していますから、フィリピン海プレートがずれて起きた地震だと思われます。となると今後は、愛知・岐阜・長野南部・静岡方面で揺れが発生してくる可能性があります。また、関東方面の東京湾周辺でも動きやすくなっていると思われますので、注意をしていてください。
その他では、日向灘で少し細かな動きが出ています。宮崎県の沖合から愛媛方面、鹿児島県周辺で、注意していてください。
それでは、ノストラダムスの第三十九弾です。
今回は、この詩です。
(9巻10番)
死んだ子供の修道僧と女性の修道僧が危険にさらす
ガラス越しに喜んでいる雌熊によって死ぬ
フォア、パニエによって 野営地が設置され
トゥールーズの反対 カルカソンヌ 謝罪を立てる
この詩、昨日と詩と並んでいるんです。番号を見ると9巻9番と9巻10番ですね。そして、ここでも「子供」が出てきます。その「子供」、ここでは死んでいるんですね。
それで、この詩の1行目なのですが、「修道僧」は原文では「moine」、「女性の修道僧」と訳したのは「moinesse」なんですが「moinesse」って辞書にないんですよ。ですから、おそらく、ここに出てくるのは本物の修道僧ではないと思うんです。
さらに、死んだ子供にかかわった修道僧と女性の修道僧が、周りを危険にさらすようです。それから、2行目では、この修道僧たちは、どこかガラス越しのところに行って、死ぬようなんです。これを今の状況で考えたら、どうなるのか、ということですね。
そして、ここからは、自分の解釈なのですが、ここで出てくる修道僧は、医者と女医、もしくは看護師ではないかと思うんです。昨日書いた詩で出てくる子供は、直接、火と水を見ていますから、おそらく、高線量の放射線を浴びているはずです。それも致死量に達していたのではないかと思うんですね。その子供の治療に当たった医師たちも、最初は、子供が病気になった原因が分からずに、そのまま接触してしまい、そこで、子供の体に付着していた放射性物質が体に付着してしまい、結果、放射線を周りにふりまく側に回ってしまうのではないか。これが「危険にさらす」ということではないかと思います。
また、ガラス越しの部屋というのは、自分のイメージだと、病院内の感染症や放射線対応の隔離病室ではないかと思うんですね。「雌熊」に例えられているのは、防護服に身を包んだ人間。最近では、コロナ対応の防護服に身を包んだ人の姿って、ちょっと異様ですよね。何となく人間っぽく見えません。ノストラダムスは、それを熊に例えたのではないかと思います。
3行目・4行目は、事故を起こした原子力発電所への対応を行っているシーンではないかと思われます。「事故は起こさない」「放射線は絶対外部に出ない」と言っていたのに、こうした事故を起こしたことについて、住民の反対があったり、発電所側からの謝罪があったり、日本でも、そういうのがありましたよね。
福島県沖のM3.5の地震は余震です。宮城県沖でも、余震が頻発していますから、これからも、揺れが起きてくると思われます。ニュージーランド北方沖で一時動きが活発でしたから、しばらくの間は、再び大きな地震が起きることを想定して注意していてください。
紀伊水道のM3.2の地震は、能登~和歌山のラインの地震の発生原因とは異なると思われます。今回は震源の深さ中程度の位置で発生していて、同じ深さの地震が三重県の内陸部でも発生していますから、フィリピン海プレートがずれて起きた地震だと思われます。となると今後は、愛知・岐阜・長野南部・静岡方面で揺れが発生してくる可能性があります。また、関東方面の東京湾周辺でも動きやすくなっていると思われますので、注意をしていてください。
その他では、日向灘で少し細かな動きが出ています。宮崎県の沖合から愛媛方面、鹿児島県周辺で、注意していてください。
それでは、ノストラダムスの第三十九弾です。
今回は、この詩です。
(9巻10番)
死んだ子供の修道僧と女性の修道僧が危険にさらす
ガラス越しに喜んでいる雌熊によって死ぬ
フォア、パニエによって 野営地が設置され
トゥールーズの反対 カルカソンヌ 謝罪を立てる
この詩、昨日と詩と並んでいるんです。番号を見ると9巻9番と9巻10番ですね。そして、ここでも「子供」が出てきます。その「子供」、ここでは死んでいるんですね。
それで、この詩の1行目なのですが、「修道僧」は原文では「moine」、「女性の修道僧」と訳したのは「moinesse」なんですが「moinesse」って辞書にないんですよ。ですから、おそらく、ここに出てくるのは本物の修道僧ではないと思うんです。
さらに、死んだ子供にかかわった修道僧と女性の修道僧が、周りを危険にさらすようです。それから、2行目では、この修道僧たちは、どこかガラス越しのところに行って、死ぬようなんです。これを今の状況で考えたら、どうなるのか、ということですね。
そして、ここからは、自分の解釈なのですが、ここで出てくる修道僧は、医者と女医、もしくは看護師ではないかと思うんです。昨日書いた詩で出てくる子供は、直接、火と水を見ていますから、おそらく、高線量の放射線を浴びているはずです。それも致死量に達していたのではないかと思うんですね。その子供の治療に当たった医師たちも、最初は、子供が病気になった原因が分からずに、そのまま接触してしまい、そこで、子供の体に付着していた放射性物質が体に付着してしまい、結果、放射線を周りにふりまく側に回ってしまうのではないか。これが「危険にさらす」ということではないかと思います。
また、ガラス越しの部屋というのは、自分のイメージだと、病院内の感染症や放射線対応の隔離病室ではないかと思うんですね。「雌熊」に例えられているのは、防護服に身を包んだ人間。最近では、コロナ対応の防護服に身を包んだ人の姿って、ちょっと異様ですよね。何となく人間っぽく見えません。ノストラダムスは、それを熊に例えたのではないかと思います。
3行目・4行目は、事故を起こした原子力発電所への対応を行っているシーンではないかと思われます。「事故は起こさない」「放射線は絶対外部に出ない」と言っていたのに、こうした事故を起こしたことについて、住民の反対があったり、発電所側からの謝罪があったり、日本でも、そういうのがありましたよね。