福島県沖のM4.3の地震ですが、福島県沖の余震は、徐々に震源の範囲を広げています。そして、茨城県沖から内陸部~千葉県にかけても、動きが活発になってきています。
日向灘のM3.6の地震と鹿児島県薩摩地方のM2.2の地震は同一ライン。沖縄本島から奄美大島近海にかけても少し動きが出てきていますが、実は、台湾の南方でM5.5の規模の大きめの地震が発生しています。また、この地震のフィリピン海プレートの対岸に当たる、フィリピン海プレートの東方でもM5.0の地震が起きています。今後、フィリピン海プレートの動きが加速してくるかも知れません。
北海道から青森・岩手~栃木~千葉県南方沖にかけて、震源の深い地震が連なって起きています。ですから、北海道から関東までの太平洋沿岸で揺れる可能性が非常に高い。それと合わせて、この震源の深い地震のラインと平行に、能登半島から岐阜を通るライン上でも動きがみられます。こちらの方に影響が出てくるかも知れません。
また、和歌山県の周辺では、今までと同様の動きが続いています。
山陰では島根と山口沖で動きが出ています。どちらも注意していてください。
さて、今回はノストラダムスの第八弾。今回は、謎の「3797年」についてのお話です。
この「3797年」については、第二弾で書いた「セザールへの手紙」の中に出てくる数字で、さまざまな解釈があるのですが、結局、謎の数字なんです。原文はこうなっています。
「・・・今から3797年までの絶えざる預言になっているのだ・・・・」
これを文字通り「西暦3797年までの預言」と考えると、預言書が書かれたのは1555年ですから、その間「2242年」となって、第一弾で書いた「5世紀」と矛盾しますし、何か特別な方法で計算するんだと「3+7+9+7」など様々な計算をやってみたところで、何かおかしな計算結果になるんですね。
そこで、この数字を解釈するのに、ノストラダムスの癖を考えようと思ったんです。ノストラダムスの癖というと「肝心なところを省略し、その周辺事情だけを記述する」ということ。そして、その「肝心なところ」が分かれば誰でも比較的簡単に解釈できる内容になっていること。それをこの場合のケースで考えると「今から」の「今」っていったいいつなんだ、と言うことなんです。それが分かれば、そこから3797年分の内容が書いてあると、解釈できるはず。さらに言うと、これだけを単独で考えて答えを導き出すのは無理、というより、今まで誰もできていない訳ですから、おそらく、この数字の解釈をするのに必要な情報は、他の部分~要するに預言詩の中にあるのではないかということなんです。
そこで思い出してほしいのが、第五弾で書いた「紀元前1700年」。ここを起点として「3797年」とすると、その年号は「2097年」。要するに、ノストラダムスは「預言書に記載しているもので、一番過去のものが紀元前1700年、一番未来のものが2097年で、その間、3797年あるんだよ」ということを言いたかっただけなんですよ。それを「今、自分の身をこの預言書の一番古い時代におき、そこを起点の0年とすると、最後の内容となっている詩の年号は3797年となるんだよ」というような、わざとに難解な言いまわし方をしていて、さらにそこから肝心な部分を省略している、ということなんです。
(1巻48番)
月の支配による20年が過ぎ
7000年 他のものが自らの君主国家を統治する
太陽が残した日々をつかんだとき
私の預言は細部まで成就する
2097年よりも少し前になると思いますが、このように最終的に、ノストラダムスの言う「成就」~いわゆる預言書の解読がすべて終わり、そこで幸せな時代が再び訪れるということになっているんです。
ただ、ここで一つだけ違和感が。
最後の年号、ちょっと中途半端な気がしませんか?
幸せな時代って「2097年にやってくる」というような、ピッタリ年号を区切ってやってくるようなものなんでしょうか?
ということで、実は、この中途半端な数字が、いわゆる「ノストラダムス・パズル」のような意味合いを持っているんです。そのことについては、次の機会に。
日向灘のM3.6の地震と鹿児島県薩摩地方のM2.2の地震は同一ライン。沖縄本島から奄美大島近海にかけても少し動きが出てきていますが、実は、台湾の南方でM5.5の規模の大きめの地震が発生しています。また、この地震のフィリピン海プレートの対岸に当たる、フィリピン海プレートの東方でもM5.0の地震が起きています。今後、フィリピン海プレートの動きが加速してくるかも知れません。
北海道から青森・岩手~栃木~千葉県南方沖にかけて、震源の深い地震が連なって起きています。ですから、北海道から関東までの太平洋沿岸で揺れる可能性が非常に高い。それと合わせて、この震源の深い地震のラインと平行に、能登半島から岐阜を通るライン上でも動きがみられます。こちらの方に影響が出てくるかも知れません。
また、和歌山県の周辺では、今までと同様の動きが続いています。
山陰では島根と山口沖で動きが出ています。どちらも注意していてください。
さて、今回はノストラダムスの第八弾。今回は、謎の「3797年」についてのお話です。
この「3797年」については、第二弾で書いた「セザールへの手紙」の中に出てくる数字で、さまざまな解釈があるのですが、結局、謎の数字なんです。原文はこうなっています。
「・・・今から3797年までの絶えざる預言になっているのだ・・・・」
これを文字通り「西暦3797年までの預言」と考えると、預言書が書かれたのは1555年ですから、その間「2242年」となって、第一弾で書いた「5世紀」と矛盾しますし、何か特別な方法で計算するんだと「3+7+9+7」など様々な計算をやってみたところで、何かおかしな計算結果になるんですね。
そこで、この数字を解釈するのに、ノストラダムスの癖を考えようと思ったんです。ノストラダムスの癖というと「肝心なところを省略し、その周辺事情だけを記述する」ということ。そして、その「肝心なところ」が分かれば誰でも比較的簡単に解釈できる内容になっていること。それをこの場合のケースで考えると「今から」の「今」っていったいいつなんだ、と言うことなんです。それが分かれば、そこから3797年分の内容が書いてあると、解釈できるはず。さらに言うと、これだけを単独で考えて答えを導き出すのは無理、というより、今まで誰もできていない訳ですから、おそらく、この数字の解釈をするのに必要な情報は、他の部分~要するに預言詩の中にあるのではないかということなんです。
そこで思い出してほしいのが、第五弾で書いた「紀元前1700年」。ここを起点として「3797年」とすると、その年号は「2097年」。要するに、ノストラダムスは「預言書に記載しているもので、一番過去のものが紀元前1700年、一番未来のものが2097年で、その間、3797年あるんだよ」ということを言いたかっただけなんですよ。それを「今、自分の身をこの預言書の一番古い時代におき、そこを起点の0年とすると、最後の内容となっている詩の年号は3797年となるんだよ」というような、わざとに難解な言いまわし方をしていて、さらにそこから肝心な部分を省略している、ということなんです。
(1巻48番)
月の支配による20年が過ぎ
7000年 他のものが自らの君主国家を統治する
太陽が残した日々をつかんだとき
私の預言は細部まで成就する
2097年よりも少し前になると思いますが、このように最終的に、ノストラダムスの言う「成就」~いわゆる預言書の解読がすべて終わり、そこで幸せな時代が再び訪れるということになっているんです。
ただ、ここで一つだけ違和感が。
最後の年号、ちょっと中途半端な気がしませんか?
幸せな時代って「2097年にやってくる」というような、ピッタリ年号を区切ってやってくるようなものなんでしょうか?
ということで、実は、この中途半端な数字が、いわゆる「ノストラダムス・パズル」のような意味合いを持っているんです。そのことについては、次の機会に。