小学一年生の女の子を主人公にした幼年文学(?)です。
主人公の、とうさんやかあさんとの、とりとめのない、でもしゃれた会話の中にいろいろなこと(生活智だったり、人生訓だったり、哲学だったりします)が巧みに隠されているというしかけの短いお話がならんでいます。
以下に、タイトルと、カッコ内は隠されていると思われる事柄を列挙してみます。
きりん(レジを通さずに持ってきてしまったチョコレートのお金を返す)
かえる(出会い、結婚)
とおく(人生、社会、仕事)
くらげ(おでかけ、おねだり)
てんてんがり(喧嘩の仲直りをする方法、外の世界、両親の愛情)
しごと(とうさんの仕事の正体、みんなの役割り)
ふうせん(生きていくということ、命のつながり、想い出)
あな(想い出、生と死)
ひみつ(想い出、秘密の共有による安心感)
たしざん(勉強、料理、家族)
おふろ(生きるということ、みんなの役割り)
こうして種明かししてしまうとみもふたもありませんが、それらを洗練された表現と簡潔な文章でまとめる腕前はそうとうなものがあります。
児童文学研究者の宮川健郎は、「児童文学 新しい潮流」(その記事を参照してください)で、この作品を、「ソフィストケートされた語りで暗示的に語り、子どもの現実は、「切実に」ではなく、突き放されて、「ふんわりと」書かれる。だから、「チカちゃん」の読者は、子どもをふんわりと、やさしく見る目を与えられることになる。それは、子どもとつきあう大人の読者には効用があると思うけれど、子ども自身にとっては、意味があるのだろうか。」と述べています。
宮川は遠慮がちに書いていますが、幼年文学の体裁はしていますが、この本の読者(というよりは消費者(本の購入者)と言った方がより適切かもしれません)は若い世代を中心にした大人の女性でしょう。
こうした作品が売れるようになった1990年代から、しだいに「児童文学」業界は、「子ども読者(男の子も含めて)」よりも「女の子や若い世代を中心とした女性読者」を意識して出版するようにシフトしていきます。
やさしくて知的で頼もしいとうさん、やさしくて愛情豊かできちんとしているかあさん、少しこまっしゃくれたところもあるけれどすなおでかわいいチカちゃん。
がさつな舅、姑や男の子などは排除された、このようなきれいでおしゃれできちんとしていて穏やかな家庭は、もしかすると彼女たちの理想像なのかもしれません。
しかし、あまりに型にはまった父親と母親と子どもの役割り分担には、辟易とする読者もいることでしょう。
主人公の、とうさんやかあさんとの、とりとめのない、でもしゃれた会話の中にいろいろなこと(生活智だったり、人生訓だったり、哲学だったりします)が巧みに隠されているというしかけの短いお話がならんでいます。
以下に、タイトルと、カッコ内は隠されていると思われる事柄を列挙してみます。
きりん(レジを通さずに持ってきてしまったチョコレートのお金を返す)
かえる(出会い、結婚)
とおく(人生、社会、仕事)
くらげ(おでかけ、おねだり)
てんてんがり(喧嘩の仲直りをする方法、外の世界、両親の愛情)
しごと(とうさんの仕事の正体、みんなの役割り)
ふうせん(生きていくということ、命のつながり、想い出)
あな(想い出、生と死)
ひみつ(想い出、秘密の共有による安心感)
たしざん(勉強、料理、家族)
おふろ(生きるということ、みんなの役割り)
こうして種明かししてしまうとみもふたもありませんが、それらを洗練された表現と簡潔な文章でまとめる腕前はそうとうなものがあります。
児童文学研究者の宮川健郎は、「児童文学 新しい潮流」(その記事を参照してください)で、この作品を、「ソフィストケートされた語りで暗示的に語り、子どもの現実は、「切実に」ではなく、突き放されて、「ふんわりと」書かれる。だから、「チカちゃん」の読者は、子どもをふんわりと、やさしく見る目を与えられることになる。それは、子どもとつきあう大人の読者には効用があると思うけれど、子ども自身にとっては、意味があるのだろうか。」と述べています。
宮川は遠慮がちに書いていますが、幼年文学の体裁はしていますが、この本の読者(というよりは消費者(本の購入者)と言った方がより適切かもしれません)は若い世代を中心にした大人の女性でしょう。
こうした作品が売れるようになった1990年代から、しだいに「児童文学」業界は、「子ども読者(男の子も含めて)」よりも「女の子や若い世代を中心とした女性読者」を意識して出版するようにシフトしていきます。
やさしくて知的で頼もしいとうさん、やさしくて愛情豊かできちんとしているかあさん、少しこまっしゃくれたところもあるけれどすなおでかわいいチカちゃん。
がさつな舅、姑や男の子などは排除された、このようなきれいでおしゃれできちんとしていて穏やかな家庭は、もしかすると彼女たちの理想像なのかもしれません。
しかし、あまりに型にはまった父親と母親と子どもの役割り分担には、辟易とする読者もいることでしょう。