1957年10月号の「群像」に掲載され、1960年に中短編集「静物」に収められた短編です。
戦争から、他の兄弟より遅れて帰還した次兄(児童文学者の庄野英二)について書いています。
特に、戦争中に捕虜収容所の副官だった次兄が、戦犯として逮捕されて大阪から巣鴨の刑務所に送られるのに同行したことが中心に書かれています。
相客とは、その時に一緒に巣鴨プリズンへ送られた飛行場の大隊長のことです。
抑えた筆致で事実を淡々とエッセイ風に綴るのは、後の作者の作風に通ずるのですが、事態が深刻(ご存知のように、東条英機を初めとした多くの戦犯が、巣鴨プリズンで処刑されました)なだけに、作者の筆致がより抑制的で、小説としては物足りません。
「舞踏」や「プールサイド小景」(それぞれの記事を参照してください)のような家庭の危機をストレートに描く作品から、それは通奏低音として残したまま家庭の日常を写生的に描いた「静物」のような作品に至る過渡期だったのでしょう。
なお、庄野英二のその後は、ご存知のように児童文学者や教育者として活躍されたわけですから、裁判はうまくいったのだと思われます。
しかし、この体験は本人にとってはもっと過酷だったようで、エッセイその他でもあまり触れられていません。
一方、相客の運命は作品では語られていませんが、彼が飛行場を留守にしている間に起こった捕虜の処刑事件という不運な事実があっただけに、もっと厳しかったかも知れません。
戦争から、他の兄弟より遅れて帰還した次兄(児童文学者の庄野英二)について書いています。
特に、戦争中に捕虜収容所の副官だった次兄が、戦犯として逮捕されて大阪から巣鴨の刑務所に送られるのに同行したことが中心に書かれています。
相客とは、その時に一緒に巣鴨プリズンへ送られた飛行場の大隊長のことです。
抑えた筆致で事実を淡々とエッセイ風に綴るのは、後の作者の作風に通ずるのですが、事態が深刻(ご存知のように、東条英機を初めとした多くの戦犯が、巣鴨プリズンで処刑されました)なだけに、作者の筆致がより抑制的で、小説としては物足りません。
「舞踏」や「プールサイド小景」(それぞれの記事を参照してください)のような家庭の危機をストレートに描く作品から、それは通奏低音として残したまま家庭の日常を写生的に描いた「静物」のような作品に至る過渡期だったのでしょう。
なお、庄野英二のその後は、ご存知のように児童文学者や教育者として活躍されたわけですから、裁判はうまくいったのだと思われます。
しかし、この体験は本人にとってはもっと過酷だったようで、エッセイその他でもあまり触れられていません。
一方、相客の運命は作品では語られていませんが、彼が飛行場を留守にしている間に起こった捕虜の処刑事件という不運な事実があっただけに、もっと厳しかったかも知れません。