五年生のユウスケは、おかあさんと二人暮らしです。
おかあさんは、おとうさんが嘘をついたのが許せずに離婚したのだそうです。
そのため、ユウスケは、おかあさんに家から追い出されるのを恐れて、嘘をつくことができません。
おかあさんの帰りが遅いので、ユウスケはよくおつかいを頼まれます。
ある日、おつかいの帰りに公園で小さな女の子を見かけます。
小学校低学年の子のようです。
迷子かと思ったユウスケは、その子を交番に連れて行こうとします。
その子は、名前はサチコでおかあさんは死んでしまったと言います。
ユウスケは、その子の肩に、大きなあざがあることに気がつきました。
その子の言われるままに連れて歩いていると、その子のおかあさんに出会ってしまいます。
おかあさんから「その子を勝手に連れまわした」と非難されますが、「それなら交番に行こう」とユウスケが言うと、その子のおかあさんはひるみます。
どうやら、おかあさんが日常的にその子を虐待しているために、その子は家出をしたようです。
最後に、おかあさんに連れ去られながら、その子は「カリナ」という本当の名前をユウスケに告げます。
ユウスケも自分の名前も叫びながら、生きるために必要ならば嘘をついてもいいんだと思います。
私ノンフィクションの第一人者である沢木の、初めての短編小説集という触れ込みで出版された本です。
沢木は、あとがきで「どんな幼い子でも読んでわかるものが書けたら」と思っていたと書いていますが、確かに平易な文章で書かれていますが、九編の中には大人が主人公で子どもには難しい内容のものも含まれています。
沢木は、この短編集が九編であることから、サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」になぞらえていますが、出来はほど遠いものです。
正直言って、平均した作品のレベルは児童文学の同人誌並みで、「沢木耕太郎」というブランドがなかったら、とても本にはならないでしょう。
そういう私も、「沢木耕太郎」ブランドにひかれてこの本を読んだのですが。
最近、沢木は、小説、翻訳、エッセイ、ノンフィクション(私ノンフィクションではない普通の)、編著など、様々な本を出していますが、どれも期待を裏切られるものばかりです。
それでもつい手にしてしまうのは、「一瞬の夏」、「深夜特急」などの沢木の私ノンフィクションに熱中したころが忘れられないからでしょう。
全く無名でただ情熱と時間だけは有り余るほど持っていたころの沢木の作品群は、きらきらと輝いていました。
それが富も名声も手に入れるとすっかり色あせてしまい、安易な仕事ばかりやるようになったような気がしてなりません。
また、沢木の周辺の人たちも金持ちや有名人ばかりになり、対談などでそんな成功譚ばかり書かれても(例えば沢木耕太郎が飛行機のファーストクラスに乗った話など、読者は読みたくもありません)がっかりするだけです。
これは、椎名誠なども同様かもしれません。
この作品では、子どもの虐待という今日的な素材を扱いながら、表面的で情緒的な書き方で突っ込みも浅いです。
もっとじっくりと子どもの虐待の問題に取材して、沢木が若いころに書いていたような魅力のある私ノンフィクションを書いてもらいたいというのが正直な感想です。
おかあさんは、おとうさんが嘘をついたのが許せずに離婚したのだそうです。
そのため、ユウスケは、おかあさんに家から追い出されるのを恐れて、嘘をつくことができません。
おかあさんの帰りが遅いので、ユウスケはよくおつかいを頼まれます。
ある日、おつかいの帰りに公園で小さな女の子を見かけます。
小学校低学年の子のようです。
迷子かと思ったユウスケは、その子を交番に連れて行こうとします。
その子は、名前はサチコでおかあさんは死んでしまったと言います。
ユウスケは、その子の肩に、大きなあざがあることに気がつきました。
その子の言われるままに連れて歩いていると、その子のおかあさんに出会ってしまいます。
おかあさんから「その子を勝手に連れまわした」と非難されますが、「それなら交番に行こう」とユウスケが言うと、その子のおかあさんはひるみます。
どうやら、おかあさんが日常的にその子を虐待しているために、その子は家出をしたようです。
最後に、おかあさんに連れ去られながら、その子は「カリナ」という本当の名前をユウスケに告げます。
ユウスケも自分の名前も叫びながら、生きるために必要ならば嘘をついてもいいんだと思います。
私ノンフィクションの第一人者である沢木の、初めての短編小説集という触れ込みで出版された本です。
沢木は、あとがきで「どんな幼い子でも読んでわかるものが書けたら」と思っていたと書いていますが、確かに平易な文章で書かれていますが、九編の中には大人が主人公で子どもには難しい内容のものも含まれています。
沢木は、この短編集が九編であることから、サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」になぞらえていますが、出来はほど遠いものです。
正直言って、平均した作品のレベルは児童文学の同人誌並みで、「沢木耕太郎」というブランドがなかったら、とても本にはならないでしょう。
そういう私も、「沢木耕太郎」ブランドにひかれてこの本を読んだのですが。
最近、沢木は、小説、翻訳、エッセイ、ノンフィクション(私ノンフィクションではない普通の)、編著など、様々な本を出していますが、どれも期待を裏切られるものばかりです。
それでもつい手にしてしまうのは、「一瞬の夏」、「深夜特急」などの沢木の私ノンフィクションに熱中したころが忘れられないからでしょう。
全く無名でただ情熱と時間だけは有り余るほど持っていたころの沢木の作品群は、きらきらと輝いていました。
それが富も名声も手に入れるとすっかり色あせてしまい、安易な仕事ばかりやるようになったような気がしてなりません。
また、沢木の周辺の人たちも金持ちや有名人ばかりになり、対談などでそんな成功譚ばかり書かれても(例えば沢木耕太郎が飛行機のファーストクラスに乗った話など、読者は読みたくもありません)がっかりするだけです。
これは、椎名誠なども同様かもしれません。
この作品では、子どもの虐待という今日的な素材を扱いながら、表面的で情緒的な書き方で突っ込みも浅いです。
もっとじっくりと子どもの虐待の問題に取材して、沢木が若いころに書いていたような魅力のある私ノンフィクションを書いてもらいたいというのが正直な感想です。
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