高校のバレーボール部のキャプテンだった桐島が、突然部活を辞めました。
その後の五人の同級生たちのそれぞれの部活を中心とした生活を、オムニバス風に描いていきます。
バレーボール部、ブラスバンド部、映画部、バトミントン部、野球部と様々な部活の様子が出てきます。
五人の部活に対する関わり方は様々です。
また、男の子だけでなく女の子の視点でも描かれています。
主に外見や運動能力などによってできるクラスや部活における上下関係(クラスカースト制度)について、執拗にまで繰り返し書かれています。
クラスや部活以外のことはほとんど書かれていませんが、唯一第五編にだけ交通事故で夫と実の娘を亡くして精神のバランスを崩した義母が出てきます。
最後まで、桐島自身は登場しないし、なぜ部活を辞めたかもわからないままです。
いまどきの17歳の高校生の姿が、今風の短いセンテンスと若者言葉を多用した達者な筆で描写されています。
まあ、数年前まで実際に高校生だったのですから、現代の高校生をよく知っているのは当たり前といえば当たり前ですが。
それに、オムニバス風に六編五人(最初と最初が同一人物)の視点で描かれていますが、かなり出来にバラツキがあります。
二編目のバレーボール部のリベロの補欠(桐島と同ポジションなのでレギュラーになれた)の視点で描かれたバレーボールの場面は、あさのあつこや森絵都や佐藤多佳子や三浦しおんなどの女性作家が書いたスポーツ物よりも、生々しく描かれていて魅力がを感じられました。
おそらく、作者は実際にバレーボールの経験者なのでしょう。
この一編には、実体験を持った者だけが書ける迫力があります。
それに比べて、他の部活の描写は表面的で精彩を欠いています。
これらは、高校時代に周囲の友人などを観察したり、映画や本などの間接体験に基づくものなのでしょう。
また、五編目の精神のバランスを崩した義母の描き方にも、強い違和感を感じました。
男の子だけでなく女の子の視点でも書けるというのは、現代の主な読者層が女性であることを考えると、この作者にとって大きな強みです。
二十歳のイケメン(わざわざ作者の写真まで本に載せています)の現役大学生作家(一応、早稲田大学というのも綿矢りさなどを連想させてブランドとして使えるでしょう)が描いた青春小説として、出版社としてはうまく商品化に成功したようです。
しかし、あまりにも現状に対して無批判な高校生活の描き方には、彼ならではの作家性がまったく感じられません。
朝井には、編集者の要請ですべて女の子の視点で作品もあります。
これと同様のことは、児童文学の世界でもよくあることです。
女性の読者が圧倒的に多いので、女の子を主人公にした方が本が売れるからです。
特に、この作者は若く今風のイケメンで、しかも長身で細身なので、いかにも若い女性のファンが多そうです。
インタビューによると、編集者の要求に合わせて書くのがプロの作家だと、作者は思っているようです。
そこには、作家の主体性などはみじんもなく、生活手段としての小説職人を目指しているようです。
企業に就職したのも、プロの作家になるためのネタ探しだと、本人自身が語っています。
就職先は一般企業ではなく、業界内の会社のようです。
つまり、会社側としては、普通の社員の採用ではなく、「朝井リョウ」という商品を買ったのでしょう。
これは、「水嶋ヒロ」という商品に賞を与えて、本をヒットさせて大もうけをした出版社のやり方と、基本的には同じだと思いました。
おそらく、作者は、勉強も運動もそこそこでき外見にも恵まれて、彼の言うところの高校でのカースト制度の上層でうまく生きてきたのでしょう。
そして、そんな自分を商品としてうまく大人に売りつけるすべを身につけているようです。
その後の五人の同級生たちのそれぞれの部活を中心とした生活を、オムニバス風に描いていきます。
バレーボール部、ブラスバンド部、映画部、バトミントン部、野球部と様々な部活の様子が出てきます。
五人の部活に対する関わり方は様々です。
また、男の子だけでなく女の子の視点でも描かれています。
主に外見や運動能力などによってできるクラスや部活における上下関係(クラスカースト制度)について、執拗にまで繰り返し書かれています。
クラスや部活以外のことはほとんど書かれていませんが、唯一第五編にだけ交通事故で夫と実の娘を亡くして精神のバランスを崩した義母が出てきます。
最後まで、桐島自身は登場しないし、なぜ部活を辞めたかもわからないままです。
いまどきの17歳の高校生の姿が、今風の短いセンテンスと若者言葉を多用した達者な筆で描写されています。
まあ、数年前まで実際に高校生だったのですから、現代の高校生をよく知っているのは当たり前といえば当たり前ですが。
それに、オムニバス風に六編五人(最初と最初が同一人物)の視点で描かれていますが、かなり出来にバラツキがあります。
二編目のバレーボール部のリベロの補欠(桐島と同ポジションなのでレギュラーになれた)の視点で描かれたバレーボールの場面は、あさのあつこや森絵都や佐藤多佳子や三浦しおんなどの女性作家が書いたスポーツ物よりも、生々しく描かれていて魅力がを感じられました。
おそらく、作者は実際にバレーボールの経験者なのでしょう。
この一編には、実体験を持った者だけが書ける迫力があります。
それに比べて、他の部活の描写は表面的で精彩を欠いています。
これらは、高校時代に周囲の友人などを観察したり、映画や本などの間接体験に基づくものなのでしょう。
また、五編目の精神のバランスを崩した義母の描き方にも、強い違和感を感じました。
男の子だけでなく女の子の視点でも書けるというのは、現代の主な読者層が女性であることを考えると、この作者にとって大きな強みです。
二十歳のイケメン(わざわざ作者の写真まで本に載せています)の現役大学生作家(一応、早稲田大学というのも綿矢りさなどを連想させてブランドとして使えるでしょう)が描いた青春小説として、出版社としてはうまく商品化に成功したようです。
しかし、あまりにも現状に対して無批判な高校生活の描き方には、彼ならではの作家性がまったく感じられません。
朝井には、編集者の要請ですべて女の子の視点で作品もあります。
これと同様のことは、児童文学の世界でもよくあることです。
女性の読者が圧倒的に多いので、女の子を主人公にした方が本が売れるからです。
特に、この作者は若く今風のイケメンで、しかも長身で細身なので、いかにも若い女性のファンが多そうです。
インタビューによると、編集者の要求に合わせて書くのがプロの作家だと、作者は思っているようです。
そこには、作家の主体性などはみじんもなく、生活手段としての小説職人を目指しているようです。
企業に就職したのも、プロの作家になるためのネタ探しだと、本人自身が語っています。
就職先は一般企業ではなく、業界内の会社のようです。
つまり、会社側としては、普通の社員の採用ではなく、「朝井リョウ」という商品を買ったのでしょう。
これは、「水嶋ヒロ」という商品に賞を与えて、本をヒットさせて大もうけをした出版社のやり方と、基本的には同じだと思いました。
おそらく、作者は、勉強も運動もそこそこでき外見にも恵まれて、彼の言うところの高校でのカースト制度の上層でうまく生きてきたのでしょう。
そして、そんな自分を商品としてうまく大人に売りつけるすべを身につけているようです。
桐島、部活やめるってよ (集英社文庫) | |
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