現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

大平健「豊かさの精神病理」

2023-08-09 11:35:48 | 参考文献

 1990年6月20日第1刷発行の、精神病理について軽妙な文章の本を次々に出して当時人気の高かった精神科医が書いた、バブル期の物のあふれていた時代の新しいタイプの患者たちについて書いた本です。
 私の持っている本は、1996年3月25日発行ですでに28刷ですから、内容に興味をひかれる読者が多くかなりのベストセラーになっていたようです。
 バブル期を描いたにもかかわらず、文中にはバブルという言葉は一度も使われていません。
 バブルというのは後になって言われたことで、当時はずっと右肩上がりで成長していくものと信じられていました。
 そんな時期ですから、モノに執着する患者が次々に現れます。


 バッグのイメルダ(フィリピンの独裁者マルコス大統領夫人で、体制が崩壊した時にとてつもない数の靴を持っていたことが発覚して当時有名でした)と呼ばれている22歳の女子会社員。
 彼女の父親に張り合ってオメガを買った25歳の会社員。
 ブランド品はロゴをはがして使う16歳の女子高校生。
 インドアで仕事をしているのにゼロハリバートンのアタッシュケースを使っている23歳のシステムエンジニア。
 部下よりいい物を持っていないといけないと頑張る27歳の女性係長。
 懐石料理やヌーベル・キュイジーヌに凝っている25歳の女子社員。
 グルメ料理を作るために会社に遅刻する23歳の会社員。
 腸内にビフィズス菌を培養している37歳の服飾デザイナー。
 どんな高級料理にも似会う男の子を探している22歳の女子事務員。
 マネキンのような男友達と不倫している31歳の高校教師。
 デュ・エルちゃんという人形を溺愛している33歳の独身会社員。
 男友達を彼らからプレゼントされたスカーフの名前で呼ぶ29歳の女性秘書。
 不倫相手の友だちのお母さんに高級品をバシッとプレゼントしたい21歳の大学生。
 子どもの愛犬をブランド犬じゃないからと捨てた43歳の母親。
 猫の嫁探しに悩む32歳の会社員。
 自分が可愛いくてしかたがなくついには整形までしようかと思っている22歳の会社員。
 子どもが可愛いので本物志向のおもちゃや服を買い続けている28歳の主婦。
 自分の買いたい物と結婚相手の給料のバランスに悩む26歳の結婚に備えて会社を退職した女性。
 家長としての地位を守るために妻や子どもや孫のために物を買い続ける52歳のオーナー社長。
 実家のお金で娘たちを贅沢に慣れさせてしまい、これ以上の実家の世話を断り節約に努めようとする夫との離婚を考えている42歳の主婦。
 カメラやビデオ機材を買いまくり、子どもや孫を写し続けている43歳の自動車整備工。
 愛人のいる夫への腹いせに高級品を買いまくる44歳の貿易商の妻。


 対象はそれぞれ違いますが、彼らはみな、より高級な物を買うことで人生をステップアップできると信じています。
 そして、物を買い続けることによって、人間同士の葛藤を避けて暮らしています。
 葛藤のない生活に慣れたために、ちょっとした葛藤に弱くすぐに精神科にやってきます。
 彼らに共通しているのは、悩みは未来への不安ではなく現状への不満なのです。
 これは、現代の人たち、特に若い世代とは対照的です。
 現代の若者たちの現状への満足度は、バブル期の若者たちよりも高いといいます。
 今の若者たちは、お金はなくても、スマホでネットやゲームをしたり、ファストファッションやファストフードでリーズナブルに暮らせる現状に満足しています。
 しかし、それがいつまで続けられるかと、将来への不安を抱えています。
 児童文学の世界でも、これらの世相の違いは敏感に反映されています。
 八十年代の出版バブルの時には、非常に多様な作品が本になっていました。
 出版社には、売れそうもない純文学的な児童文学も出版する余裕がありました。
 しかし、今は違います。
 出版されるのは、売りやすい本(エンターテインメント、L文学(女性作家による女性を主人公にした女性読者のための文学)、お手軽ファンタジー、お手軽スポーツ物、怪談、幼年物、絵本、ハウツー物など)に偏っています。
 そう、まるでファストフードやファストファッションのように手軽に読めるものばかりになってしまっているのです。
 これは、出版社や書き手側だけの問題ではなく、児童文学の読者たちが読書に求めるものが、未知なことを知ろうとする知的好奇心よりも、その場での娯楽的なものに変わってきていることを反映しているのでしょう。
 もっとも、大人の読者も、エンターテインメントばかり読んでいて、純文学や社会科学などのかたい本は敬遠していますから似たようなものですが。
 社会全体が、将来への不安をまぎらわせて、手軽に読めるもので今を楽しもうとしているのでしょう。


豊かさの精神病理 (岩波新書)
クリエーター情報なし
岩波書店



 

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