現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

大江健三郎「どうして生きてきたのですか?」「自分の木」の下で所収

2019-10-03 20:14:33 | 参考文献
 この問いには、「どのような方法で」と「なぜ」という二つの意味がありますが、作者の場合はそのどちらもが、小説を書くことであると言います。
 このように言い切れる人間がどのくらい存在するのか、作者を羨ましく思うとともに、大多数の人たちとの乖離も感じざるをえません。
 また、子どもたちの作文に手を加える時の言葉として、「添削」や「推敲」ではなく、エラボレーションを、おそらく磨き上げるという意味に使っていますが、これにも違和感があります。
 たしかに、作者のこの態度は非常に立派ですが、立派過ぎて大半の子どもはついていけないのではないでしょうか。
 また、作者の子どもたちに対する理想的な境地として、夏目漱石の「こころ」の先生の言葉である「私の鼓動が停まった時、あなたの胸に新しい命が宿る事が出来るなら満足です」も、同様に立派過ぎて、大半の普通の子どもには重荷に感じられるでしょう。
 この「先生」の言葉は当時の超エリートである東京帝国大学生と思われる「私」に向けた言葉ですし、作者がエラボレーションないしは「新しい命が宿る」ためのすばらしい実践例としてあげた、作者の友人である小澤征爾による若い音楽家への指導もまた、ごく選ばれた音楽のエリートが対象なわけで、どちらも大多数の普通の子どもたちとはかけ離れた存在です。
 そう考えると、もっとストレートに自分の考えを伝えていた作者の若いころに比べて、彼もまた老成してしまった(あるべき自分ないしあるべき社会を、過度に理想化してしまっています)んだなあ(まあ、作者の年齢を考えると当たり前なのですが)という感慨がおきてきます。
コメント
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