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とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

欧米は二つで出来ている。

2013-10-25 23:45:34 | 日記
欧米は二つで出来ている。とは言っても、単に東側、西側で分けたり、あるいは米仏独と南欧などの経済圏や国民性から来る生産性で分けたりすることでは無い。

欧米とは、暴力と正義の混沌である。
黒人奴隷の輸出に動いたかと思えば、その否定の動きもあり、ベトナム戦争に突入したかと思えば反戦運動が高まったり・・・唯一否定されていないのは日本に対する原爆、非人道的な東京大空襲だったり。

これはUNでは無く、日本を勝ち側とした新しい機構の構築と、旧来機構の変革を行う必要がある。
倫理を力によって全うするのだ。

と思ったのだが、日本はこれをやる力がない。
よって、徳川幕府における加賀藩、アメリカにおけるイスラエルの手法を基本踏襲すればよいと考えるがいかがか。

文化は何故大事にせねばならないのか

2013-10-25 23:43:37 | 日記
よく文化を守ろうだとか、文化を大事にしようとかはよく聞かれるフレーズだが、そもそもなぜ、文化は守られねばならないのか。なぜ文化は大切にせねばならないのか。

そもそも文化って何だろうと考えると次のようになる。
文化とは我々の思考様式が、身の回りの物品の製作や居住環境のつくり、あるいは行動様式に反映されたものだ。
文化の否定とは、即ち我々の思考様式の否定である。

具体的に言ってみよう。暖房形式として現在は炬燵とエアコンが主流であるが、韓国での伝統式床暖房であるオンドルに切り替えなければならないと言う法案が提出されたとしよう。反発は必至である。何故か。
オンドルは山の木材を多量に切り出して、それを燃焼に充てる。効率面での悪さもそうであるが、何よりそれをやった朝鮮半島は禿山となった。
古来からのアミニズムが生活と思考様式に染み込み絡みついて取れない日本では、山への畏敬によりこのようなことは発生しないし、許容しない。そして何より信仰的モラルによる道徳心からそのようなことがしにくい。
ゴルフ場建設で反対運動に一定の発言権があるのは、その開発による環境破壊や農薬汚染云々だけではなく、自然と意識的なレベルで連動した我々の生活を脅かすと言う背景が思想的に潜んでいるからだ。

それが文化が違うと、焼畑農業的な考え方になる。植林もせず、単なる消耗品としてしか考えない。
文化を否定すれば、それは即ち我々の行動様式の変更をもたらすことになる。あるいはそれをいっさいがっさい無くすと言うことは、人間が持つ行動様式の可能性を否定し、潰すことである。

文化を大切にしない場合、文化を否定し、文化を破壊する。
それは我々の思考様式を破壊することに他ならないのである。

創作の綱引き --松本人志 「R100」に寄せて

2013-10-25 23:41:21 | 日記
創作とは常に大衆迎合と作家の独りよがりの綱引きだ。
これは多くの作家、監督がこれに悩んでいることだろう。
そもそもが自分の撮りたい映画や作品を創りたいが為に始めたのに、大衆迎合しなければ作品として認められぬ。
これはゲーテ「ファウスト」が発表された400年前の時代からあった演目の葛藤だ。
ファウストでの冒頭、劇団の座長は、次の劇の内容が決まらない、次の劇として何の演目をやるかを、詩人と道化に相談する。

詩人は「永久に語り継がれる、真に面白い物語を」と言う。
道化は「あとあと忘れてもいい、とにかく今受けるものをどんどん」と言う。
全編通して読むと分かるが、実はファウスト自体がこの二つのハイブリッド構成になっていて興味深い。

ビートたけし氏が次のような至言を残している。
<だけどまた難しい問題がここで立ちあがる。
これは映画にも通じるんだけど、客を放り投げて自分のやりたいことつき詰め過ぎると今度はお金なくなっちゃう。
オフィス北野なんて映画コケたら大変だぜ?吉本みたいにはいかない。
まぁ、いいバランスでいきたいもんだね。>

昨今、松本人志氏は自身の監督作品として「R100」を発表した。
これは完全に収益を無視した彼自身の純粋の映画と評することができる。

だが私は物足りない。
映像作品とは次の高次元へ人を導く為の移動装置である。
分からない説明とは説明ではない。同時に高次元へ運んでくれない映画とは映画ではない。だからこそ映画は難しく、楽しく、その技法と内容に感動するのだ。

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人には出来ることと出来ないことの二つが必ず存在し、その人にしか出来ないことというのも存在する。
人はどういう風に生きればいいかというと、神様みたいな存在から与えられた、その天命を全うすればいいのだと思っている。

松本人志氏は、その存在と創造においてその存在を無二のものとして世に知らしめた。確実に彼にしか出来ないことが存在する。
しかし、それがまだ世に伝わっていない。
私は松本人志氏の次なるチャレンジに期待する。

起業への向き・不向き

2013-10-25 23:28:57 | 日記
前回に引き続き、youtubeの動画である。

「社長になっちゃうタイプ 」
で検索するとヒットすると思う。

さて、ここでの動画での論旨は、次のようなタイプの人は社長に多いからあなたもそうかも、なってしまいなさいよ、という内容である。

さて、私自身がそうであるか一つ一つ判定してみた。

・せっかち
 →全然違う。行動も早くない。
  せっかちならば20代で起業していた。
  むしろせっかちでないから今こうしているわけで。

・他人がバカに見えてしょうがない。
 →違う。人は誰にも得意・不得意がある。こうした才能を見抜かなければならない。

・とにかく売れる。
 →違う。例えば動画投稿すればすぐに数十万再生される世界で70回とかしか再生されないようなものだ。
  私自身はいいものを作ったが、ヒットはしなかった。
  マニアのツボに入っただけである。しかし、それすらも出来ているかどうか怪しい。
  ここで有益な反省材料がある。私が作ったものは、自分自身の感性で受け止められる人用のものであった。そしてそれその人達に向けたのにも関わらず、その人達に見向きもされなかった。まず魚群の向きをあらゆる手段でこちらに向けさせるべきである。
本来は魚群は統制されたがっている。この魚群のコントロールこそが、量的な経済効果を生むのだ。

・上司がボンクラ
 →これは詳しく書く必要がある。
  現在の上司群は全員極めて有能である。
  だが、2006年4月から2009年6月まで私の直上にいた先輩社員はボンクラもいいところで、周囲に被害を催すガン細胞であった。ここの部分は正解を突き抜けて、大正解である。

・社内は敵ばかり
 →そうではない・・・と思いたいが、主観的には分からない。
  2008年はその敵が最大限増えた年であった(そして私はさして気にしなかった)。

・ケンカが強い
 →絶対的にNo。2007-2008年はそうであったかもしれないが・・・
  今ではそのようなものは見る影もない。
  負けず嫌い・・・なのか? 

・異性はまず、押し倒す
 →全然違う。昔はそうだった・・・? 
  ※人を押し倒したことは一度もございません。

・家族が商売人
 →No。

・先輩が商売人
 →No。

・自分に自信がある。
 →うーん。No。

・三国志好き
 戦国時代好き
 幕末好き
 →No。話しをあわせる程度には知っているけど・・・。
  
・作戦好き
 →Yes。超好き。スーパー好き。大好き。
  いやいや勝利のロジックがそこにあるのにどうしてそれをやらないのよ?

以上のことから私は社長に向いていなかった。
以上である。

事業創出論

2013-10-25 23:27:01 | 日記
「起業は失敗する 」という動画がある(気になる人は検索を)。
なるほど変化と継続ができないから起業が失敗する、という論にまとめている。
だが私はいくつかの点で納得できない。

一つは、企業経営を維持するのはそれだけではないということだ。

企業の目的は時間の許す限り、営業利益を出し続けることに他ならない。
簡単に言えば企業経営とは、赤字を出さなければ継続して行くことができる。
もっと簡単に言えば、支出よりも収入の方を継続して多く出せれば維持できると私は考えている(それでも黒字倒産というケースもあるが、ここでは除外させて頂こう)。

さてその収支を支えるのが企業努力とその企業しかその製品を売っていないという一意性、独占性、価値性、及びその付与活動である。そこら辺にある砂粒のようにどこにでもある商品を売っていたのでは供給量過多により商売にならない。
この企業活動を行うには他者の真似をすればいいとこの動画では説いているが、それは自らの凹を埋める経営努力的な作業であって、勿論これも最重要課題ではあるが、自らの一意性、独占性、価値性を確立するにはそれだけではダメなのだ。
yahooJAPANが出来た時、そのポータル的HPの作りを他のインターネット会社はことごとく真似た。だが現在の時点で実際に多用して使われているのはその内の数社であろう。
Googleが出来た時、その検索の作りを真似した所は多いが、その支配範囲はGoogle一強ではないか。
twitterが出た時に、その派生も出たが、派生の方を使用しているユーザーの比率は全体の何%か。

不足がある、というのは、この動画で言う凹を埋めるだけでなく、凸も出さなければならないということである。

もう一つはどう変化と継続をさせれば良いのか具体性が無いことである。
こうした起業コンサルや経営コンサルのイメージとして、抽象性が変に高い、それとなくそう思わせるが、起業に共通・通底するロジックの言及が無いということである。

例えば、世の中の傾向として、ITの未普及部分に効率化を探れる市場があって、そこが商売の契機となりうる、というような助言がない。

例えば、歴史的に言って、覇権国(現在ではアメリカ)の軍技術により、それが民間へと波及した時に、その技術革新を基にした経済変化が起こる、このような歴史を通観した社会的ロジックにおける助言が無い。

例えば、価値の付加と社会的需要の変動線における商売の契機のタイミングに関する助言が無い。
(簡単に言えば、ソフトバンクとauがiphoneを販売し、その数年後にdocomoが販売しようとした時に、既にiphoneは欲しい人の手に行き渡っていた。完全に機を逃した形となる)。

この動画で説明されている方は極めて分かりやすく説明しているが、これにうんうん頷くユーザーはNGだと思う。
もっと疑問点や反発点が存在する筈なのだ。

また、起業した会社は5年後にその半数以上が倒産するという数字にもからくりがあるのではないかと考えている。
起業は起業でもチェーン店やコンビニでも起業である。
10年後には、1000社の内、3社しか残らないという言葉にも、こうしたからくりが潜んでいるのではないだろうか。非常に疑わしい。

物語は必ず構造化できる。経営においてもしかりだ。
上述の動画の説明では、本来あるべき筈の説明がぽっかり抜けている(そしてその触れていない部分はきっと有料なのでしょう)。
積み木をきれいに箱に整頓した際にしっかり収まるはずのパーツが空洞になっている。
全体を見渡し、全体の運営で何が必要であるが、持っている材料には何が不足しているのかを考えなければならない。