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とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

日本社会の転換

2013-10-25 23:56:44 | 日記
アメリカ合衆国の民間情報機関「ストラトフォー」のジョージ・フリードマンは日本を「機会あるごとに大転換を行う国」と評する。

その転換は大きく言えば、
・明治維新
・戦後高度経済成長

細かく見れば、
・三菱の荘田平五郎が会計方針を大福帳から複式簿記へと移行

などが存在する。

転換の際には強い指導力、強い指針も必要だが、
転換に耐えられるだけの強い素地・素養が国民についていなければならない。


二つの正義、二種の正しさ

2013-10-25 23:50:44 | 日記
正義とは何であるか。
ここでは一旦、「道徳を規範とした人が考える正しいルール」とさせて戴く。

さて、この正義には私が現在見える限り、次の二つの正義が存在する。
・アメリカ的な積極的介入を伴う正義
 →これは正義の行使には多少の迷惑は許容する考えである。

・日本的な他に迷惑をかけまいとする消極的正義
 →迷惑をかけるぐらいだったら、正義は行使しない、という考え。

それぞれ一長一短あるが、適材適所で使うべきであろう。

抽象化における理解と誤解

2013-10-25 23:48:24 | 日記
抽象的・抽象化と言うと、現在の社会ではかなり誤解がある。
会社とある企業のセミナーに出席したことがあったが、セミナーを依頼した取りまとめの方が、セミナーの司会者に「抽象的にやってくれ、より分からなくしてくれ」と笑顔で注文していた(講師の方は日本IBMの方。内容はジョハリの窓がどうとか心理的なもの。大変失礼ながら内容はもう覚えていない。)。
私はこの方の言っていた意図を未だ正確に汲み取れたかどうか疑問だ。

そもそも抽象的とは一体何か。現在の日本では、何かよく分からなくて難しくて役に立たないけれど、世間巷のインテリにはもてはやされているもの、と言う認識をされているように見える。抽象化とは意味を曖昧にするような社会通念があるように見受けられる。これはよくない。実際には本来の抽象の持つ意味と、現在にはびこっている社会通念とは全く別だ。

そもそも、抽象とは物事に通底するある種のロジックを見出すものである。象(しょう:この世に現れた形やかたづくられたもの。)の本質を抽く(ひく。取り出す。抽出など)のであるから、本来は単純であると私は考えている。

例えば、トヨタのエスティマやホンダのシビックなどはこれらを総じて抽象的に考えると、その通底する共通の要素は自動車である。
では、自動車を含め、船や飛行機、ロケットを考えると、それは乗り物である・・・。突き詰めて考えれば、抽象化をしてその本質を探るのに、それはどんどん単純化していくはずなのだ。

抽象化とは良く分からなくすることではなく、共通する要素を見定めて、その通底するロジックから、ものごとの本質を見出すことにある。

2013-10-25 23:47:01 | 日記
私は勘が悪い。そもそも勘とは何なのかと言うと、ある事象の投球が自分の持っている知識にかすり、ひょっとしたらこうではないかと言う仮定や想定を連想することである。

文章の海に溺れていれば、点と点が結びつくこともあろうが、私の実生活においては、こと、私にそのようなことが無いのである。

無根拠な瞬間的天啓による直感もあるが、当たるか当たらないかというとやはり当たらない。宝くじは一回外してからは買ってない(全くあれは詐欺と言うものだ)。そもそも買った私が愚かだった。宝くじは東京ドームにくじ券を満杯にしてそこから購入するようなものだと言うから馬鹿げている。

さてその他にも勘と言う勘は外れるので、極力データを客観的に分析した結果を重視したいと思っている(それでも私は人間なので、スキナーの実験結果の通り、勘やジンクスに頼るなど、主観的観測から逃れることが出来ない)。

そうした中、10/21によく分からない直感に見舞われた。北東方向に逃げないと生命の危機である、と。
現在北東方向には長距離移動していないが、しかしまだ生命の危機には襲われていない。
この勘が外れてくれることを望む。
それと同時に、この勘が外れてくれれば、それは有意のデータだ。悪い直感は信じなくても済むからだ。