失政とはどこの国にも存在する。国などにおける政治に完全は無いからだ。ここで言う国、政治、及び完全であるが、国とは、富の再配分の決定機関である。政治とはその決定方針である。完全とは理論値の実装とする。
ここで中国であるが、中国は諸外国と比較するとその失政の度合いが強い。共産主義であるとか、先富思想とか、後進国であると言うことはその本質では無い。それは何か。私の考えを述べる。
それは全体の長期的視座にありながら、それと同時に個人の短期的視座も内包する政治の綱引きによるものではないだろうか。
前回の記事では、中国の内政は「点取りゲーム」がその本質だとした。
内政での獲得ポイントが取れそうな領土拡張はどこか、と考えた場合に、熾烈な対抗が予想されるロシアやベトナムよりも、対応が弱いフィリピンや日本が選定される。
無論日本とてバックにアメリカがいるので、うかつに手出しができない。
先日の、「太平洋には米中両大国を受け入れる十分な空間がある」という習近平国家主席の米中太平洋統治論は、どこに手を出しても今現在となってはもうポイントが増えない、という状況下における苦肉の策であったとも読める。
中国の失政の本質とは、国内のパワーゲームであるポイント獲得合戦に主眼を置きすぎて、世界の要請に合っていないという齟齬によるものではないかと私は考えている。
だがこの考え方にも穴がある。
それは中国は長期的視座に立った政策を悠々とするのに、上記は個人の考えに沿った短期的利益の追求であって、それらがどう結合していくのかが説明できないからだ。