とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

プレゼント・スキル プレゼント文化とプレゼント方法論

2019-02-10 22:23:59 | 雑感
日本文化に照らし合わせて言うと、漢字のものが日本古来からあるもので、ひらがながその次、カタカナは外来語の消化で一番最後で最新に取り入れられたもの、となる。

なので寿司は東南アジアから伝わってきたものの江戸時代からあるもので、カレーやラーメンは外来だ。
「じゃがいもの煮っ転がし」となると漢字が2字含まれるので、そこそこ日本の古来の伝統文化っぽいが、しかし比較的最近でき、かつ日本発祥でできたもの、と類推しても当たらずとも遠からずのような形になるのではないだろうか。

さて、こんな中、逆に言えば、カタカナと言えば、古来からの日本に馴染みのない文化、とも言いかえることができ、かつ私個人の意見としては、カタカナ文化は文化的風習に根付いていないがために日本人が苦手とするものと言い換えても違和感は無い。

元々日本人はナンパをしたりプレゼントをしたり、プレゼンをするのがうまくない(全部カタカナ)。
そう言う文化でないからだ。
(あと言語化と組織体系化が苦手。これらは漢字だが、古来から残されている社会的因習と紐付いていないため、日本人は不得意である)。

さて、その中でプレゼントに絞って話を進めたい。
元々プレゼントは贈り物の対訳で使用されるのだが、プレゼントと贈り物は似て非なるものだ。

プレゼントに要求されるのは、本人が欲しくても手が出なかったものを特別な日に送って喜ばせるという個人主義的観点に立った、本人を喜ばせるための社会風習である。

一方、贈り物は、地域社会や血縁関係の儀礼としてなされることが多く、送られた本人の喜びよりも、その儀礼によって礼を為したと言う社会的対面の役割の方が大きい。これは集団主義的発想だ。

そして当の日本人は、じゃあ誰かに贈り物を贈ろうとなった時には缶詰の詰め合わせだとかボンレスハムだとか慣習に従ったものを送るのはストレスなくやれるのだが、記念となる日にプレゼントを贈ろうとなった時にかなり頭を悩ませることなる。相手が何を欲しがっているのが、何がいいのか、そもそもどのレベルの範囲で贈る品物を選定すれば『妥当』であるのか・・・そういう経験値が社会習俗的に蓄積されていないがために、その文化に接するたびに右往左往して頭を悩ませている。

日本人にはそうしたプレゼント・スキルが無い。もしくは総じて低い。
なので、そうしたプレゼント文化とプレゼント方法論の知識的蓄積、社会的習俗的蓄積をこれからでもすべきではないか、というのが私の意見である。
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