人の意見は批判したくない。
それが社会における多様性確保に繋がるからだ。
しかし、自分と同じ方向を向いている人のい意見に関しては、それが人ごとに異なる。この為、自分とは違う違和感を必ず覚えることになる。
それの表明をするとなるとどうしても批判のような文体になってしまう。
著者の方が万が一見ることになってしまったら、下記の批判をご容赦いただきたい。
まずはこちら。
<2013年8月21日(水)09:20
ワンピース世代のやる気の源泉は「一緒に乗り越えること」
(プレジデントオンライン)
PRESIDENT 2013年7月15日号 掲載
若い世代でも自分に自信がある人ほど、大企業への不信感からベンチャーを選ぶという。彼らの仕事観には、LINEやフェイスブックなどのSNSが影響している。
近年の大学生の仕事観を考えるうえで、「仲間」は欠かせないキーワードです。彼らは好景気や物価の上昇を経験したことがなく、両親の仕事も自分の将来も不安定であるのが当たり前だった世代。さらに東日本大震災を経験し、日本の技術もマスコミも信頼できないことを実感しました。
彼らは、「欲しいものは誰もくれない。自分たちで生み出していかなければならない」ということを知り尽くしています。そんななかで、唯一自分たちの力だけで可能だったことが、誰かと手をつなぐことでした。
ただ、彼らの求める「仲間」とは、震災以降にもてはやされた「絆」とは少し異なります。日本社会はこれまで「絆」を「しがらみ」と呼び、どこか疎ましいものとしてとらえてきました。こうしたことを背景に、若者たちが直感的に意識したのが「しがらみのない人間関係」をいかにつくり上げるかということだったのではないでしょうか。彼らはLINEやフェイスブックといったSNSを活用することで、適切な距離感を保ちながら、柔らかなつながりを維持しているように見えるのです。
かつての若者は地方から都市、大学から企業と環境が変わるたびに人間関係のリセットを強いられてきました。しかし、SNSの時代の学生たちの人間関係は就職後も学生時代の延長線上にあり、それが「何かあったらよろしく」というソーシャルキャピタル(社会関係資本)として機能している。そのことは働くことや企業選択に対する意識にも影響を与えているに違いありません。
また、彼らは小学生の頃から『ワンピース』を読んで育ったワンピース世代でもあります。お互いのスキルも弱点も認め合い、仲間と一緒にいろんな冒険をして、何かを乗り越える環境がモチベーションになる。日本企業の競争相手が海外になればなるほど、そうした新しい形のネットワークや価値観はより重要になるはずです。この世代をいかに見守り、育てていくか。それは今後の社会の成長にとっても大切です。
----------
関西大学社会学部教授 安田 雪
コロンビア大学大学院社会学専攻博士課程修了。東京大学大学院准教授などを経て、2008年より現職。著書に『パーソナルネットワーク』『ルフィの仲間力』など。
---------->
安田さんは現代の若者を「ワンピース」という思考の補助線を引いた上で、作業仮説としての論を分かりやすく展開し、読者に提供している。分かりやすいことは大変良いことであり、社会分析において重要なことである。
だが、これでは不足している。
真実は一つであるが、その分析・意見・観点・観測は無限に存在する。
リンゴが一つあっても、その切り方は無限にあるように、一つの切り方ではリンゴの元の性質を見誤ってしまう可能性がある。安田さんの意見だけでは不足だ。
かつて邱永漢氏(故人)が、「お金は寂しがり屋で、仲間がいるところに集まりたがるんです」と言った。私はこれを真実であり、真実でないと考えた。
確かにお金はある人のところへ集まる。すると不労所得などが出てくる。
しかしこの言葉を表面的に捉えれば、金銭に人格的なものが備わっているような意味がある。
邱氏は、お金を説明するときに人格という思考の補助線を引いたことによって、お金に対する人々への説明を行ったが、やはりこれだけでは不足である。
翻って安田さんのワンピース型若者論は、ものごとの一側面を捉えた結果にすぎない。これをして全体論と言うにはまだ遠いのではないかと私は考えている。
今の若者が不況と震災にあえいである種の諦観があるのは本当だと思う。が、ここで震災や大型不況や政権転覆(あえてこう言う)という苦難に対し、大企業は生き残った。なので、安定と収入を求めるのであれば、大企業か公務員ということになる。
もっともその中でも更にバイタリティーのある層はベンチャーへと向かうだろう。
それが社会における多様性確保に繋がるからだ。
しかし、自分と同じ方向を向いている人のい意見に関しては、それが人ごとに異なる。この為、自分とは違う違和感を必ず覚えることになる。
それの表明をするとなるとどうしても批判のような文体になってしまう。
著者の方が万が一見ることになってしまったら、下記の批判をご容赦いただきたい。
まずはこちら。
<2013年8月21日(水)09:20
ワンピース世代のやる気の源泉は「一緒に乗り越えること」
(プレジデントオンライン)
PRESIDENT 2013年7月15日号 掲載
若い世代でも自分に自信がある人ほど、大企業への不信感からベンチャーを選ぶという。彼らの仕事観には、LINEやフェイスブックなどのSNSが影響している。
近年の大学生の仕事観を考えるうえで、「仲間」は欠かせないキーワードです。彼らは好景気や物価の上昇を経験したことがなく、両親の仕事も自分の将来も不安定であるのが当たり前だった世代。さらに東日本大震災を経験し、日本の技術もマスコミも信頼できないことを実感しました。
彼らは、「欲しいものは誰もくれない。自分たちで生み出していかなければならない」ということを知り尽くしています。そんななかで、唯一自分たちの力だけで可能だったことが、誰かと手をつなぐことでした。
ただ、彼らの求める「仲間」とは、震災以降にもてはやされた「絆」とは少し異なります。日本社会はこれまで「絆」を「しがらみ」と呼び、どこか疎ましいものとしてとらえてきました。こうしたことを背景に、若者たちが直感的に意識したのが「しがらみのない人間関係」をいかにつくり上げるかということだったのではないでしょうか。彼らはLINEやフェイスブックといったSNSを活用することで、適切な距離感を保ちながら、柔らかなつながりを維持しているように見えるのです。
かつての若者は地方から都市、大学から企業と環境が変わるたびに人間関係のリセットを強いられてきました。しかし、SNSの時代の学生たちの人間関係は就職後も学生時代の延長線上にあり、それが「何かあったらよろしく」というソーシャルキャピタル(社会関係資本)として機能している。そのことは働くことや企業選択に対する意識にも影響を与えているに違いありません。
また、彼らは小学生の頃から『ワンピース』を読んで育ったワンピース世代でもあります。お互いのスキルも弱点も認め合い、仲間と一緒にいろんな冒険をして、何かを乗り越える環境がモチベーションになる。日本企業の競争相手が海外になればなるほど、そうした新しい形のネットワークや価値観はより重要になるはずです。この世代をいかに見守り、育てていくか。それは今後の社会の成長にとっても大切です。
----------
関西大学社会学部教授 安田 雪
コロンビア大学大学院社会学専攻博士課程修了。東京大学大学院准教授などを経て、2008年より現職。著書に『パーソナルネットワーク』『ルフィの仲間力』など。
---------->
安田さんは現代の若者を「ワンピース」という思考の補助線を引いた上で、作業仮説としての論を分かりやすく展開し、読者に提供している。分かりやすいことは大変良いことであり、社会分析において重要なことである。
だが、これでは不足している。
真実は一つであるが、その分析・意見・観点・観測は無限に存在する。
リンゴが一つあっても、その切り方は無限にあるように、一つの切り方ではリンゴの元の性質を見誤ってしまう可能性がある。安田さんの意見だけでは不足だ。
かつて邱永漢氏(故人)が、「お金は寂しがり屋で、仲間がいるところに集まりたがるんです」と言った。私はこれを真実であり、真実でないと考えた。
確かにお金はある人のところへ集まる。すると不労所得などが出てくる。
しかしこの言葉を表面的に捉えれば、金銭に人格的なものが備わっているような意味がある。
邱氏は、お金を説明するときに人格という思考の補助線を引いたことによって、お金に対する人々への説明を行ったが、やはりこれだけでは不足である。
翻って安田さんのワンピース型若者論は、ものごとの一側面を捉えた結果にすぎない。これをして全体論と言うにはまだ遠いのではないかと私は考えている。
今の若者が不況と震災にあえいである種の諦観があるのは本当だと思う。が、ここで震災や大型不況や政権転覆(あえてこう言う)という苦難に対し、大企業は生き残った。なので、安定と収入を求めるのであれば、大企業か公務員ということになる。
もっともその中でも更にバイタリティーのある層はベンチャーへと向かうだろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます