原文から重要な部分が省かれていて問題として不適切になっているのでご注意ください。 pic.twitter.com/eIpuetlmR3
— 灯爺とろおち🔞 (@akariya_troche) July 13, 2021
これが分からない場合、発達障害になるということです。
と言うところから私の考えた脚本案:
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川田耕作は悩んでいた。金がない。
元はと言えば、友人の連帯保証人になってしまったのがいけないのだが、一方で、自分の住宅ローンの返済期限が近づいている。
そこで親類に借金を頼み込むことにした。妹の家庭は一般的な家庭だがそこに頼み込んで見ることにした。
何回か尋ねるも、けんもほろろの対応である。妹側は家族としては認めるが、しかし金は出せないという回答であった。
それでも何とかと恥を偲んで妹の家に尋ねていったある日、姪がチーズケーキを作ってくれると言う。
川田はチーズケーキは好きでも嫌いでもなかった。だがそんなことはどうでもいい。今は金だ。金が必要なんだ。川田はゆったりとした社会的焦燥と苛立ちを自分に感じながらも身の内に隠していた。
ただ、それがゆっくりとゆっくりと溜まっていったその先に、どうしてもそのキャパシティーを超える目に見えない線があり、それをその時の川田は自身の気持ちを制御しきれなかった。そんな状況だった。
チーズとかどうでも良い、ケーキなんて食っている場合か、でも相手は子供だからそんなことを言うわけにもいくまい。子供に対する情操教育として、周囲の大人が直接的な文句を言う訳には行かない。
それでも焦る気持ちはのらりくらりとやって来て、自分をいつの間にか苦しめる。
そんな川田の口は知らず知らずの内に相手を苦しめる嫌味を言ってしまった。
「ケーキは大好きだよ。チーズが入っているのはダメだけどね」
言ってしまった後に、川田は後悔した。自分はなんてことを言ってしまったのだ、と。
これは何がいけないんだ? そう、俺が悪いんだ、金が無い俺が・・・!
もっと言えば、何で世の中に借金なんてあるんだ、金と言うものがあるからこうしたことが起きるんじゃないのかっ・・・! この場を気まずくさせたのは俺だっ・・・だがそれ以上にこうした帰結に巻き込んだ、社会や周囲の状況がいけないんじゃないのかっ・・・
別の自分が自分の中でささやく「でも、その状況を承諾したのはお前だろう」。
そう、最終的には俺が悪いっ・・・でもっ・・・でもっ・・・
言ってしまったことに対する場の気まずさがあったのは確かなのだが、一方において川田はその煩悶が顔に出てしまったようだった。
気遣った姪がフォローする。
「でもおじさんが食べれなくても、家族とか食べれたらきっと嬉しいかなって」
「結構ここに来るまでに失敗したんだけれども、成功したのを食べてもらいたくって」
「人は失敗するからね。でも人はやり直せるはずだって」
川田は気力を失ったが、同時に憑き物も落ちたようだった。
「ありがとう、すまん、ごめんね」
と姪に礼を言い、紙箱にペーパーナプキンと一緒に丁寧に入れられたチーズケーキを力なく受け取り、川田は自宅のアパートへ帰った。
川田は未婚で女房も子供もいなかった。
川田は一人でチーズケーキを食べた。
それは普通のチーズケーキで味は普通のおいしさだったが、この時の川田にとっては川田の一生にとっての忘れられない美味しさになった。
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と、ここまで考えた場合、誰がいけなかったのか、何がいけなかったのかで言えば、社会が悪かったのだと言うことができるであろう。
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