これは幼少期にこれと同じこと、そしてそれと真反対のことを言われいた記憶がある。
一つは、「戦争とかで世の中が混乱すれば今やっていることだって安泰じゃなくなる。公務員も銀行員もどうなるか分からない。」
もう一つは「勉強していい大学に行けば、将来色んな可能性が広がるのよ」
で、本人の心の内側においては、どういう風に体系化して思っていたのか私には分からないが、本人の内発的感覚ではそう思っていたことは確かなようだ。
上記2つの見解の内、前者はそんなもんかなあと思っていたがいつの間にかすりこまれた。
今現在の社会がそうなっていないことについて、時々思い出してはハッとなっている。
後者の方は、もう馬に鞭を走らせて、馬を走らせたい方向に走らせるための言動としか捉えられないような、そんなこちらの心理的葛藤や消耗を無視して言及していた形での言及だったので、私は学習性無力感に襲われ、ただただ話を聞いて反論をしなかった。自分の意見を述べたり、反論をしたりすると、その後これを言及した本人がヒステリックになって手がつけられなくなり、通常の生活が破壊されるがためにそうしていたのであり、これは一種の生活上の防衛策だったのである。
時間が十分に経ったとある日、私は反論を試みたことは何度かある。
「そこまで言うんだったら自分でやればいいじゃん(自分はもう心理的に限界)」
「どおおーしてそういうことを言うのよおおお」
と言うことで、会話は成立しなかった。
ここまで育て上げている私は愛情があるのよ、ほらっ走ってほらっ走ってほらっ走ってという姿勢が正しくて、それ以外には何もないと言う感じだった。
走らされている馬からすれば、もう意味も分からず走らされて、それが是認されて、本人の意志や悩みや心理的葛藤や精神的消耗、それらの解決においては、やるべきことのリストの外にあったように思われる。
そんな牧場からは馬は脱走する。
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