とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

今放送できないCM

2024-06-28 23:34:39 | 雑感


今の価値観において何がダメなのかというと:

・つけ鼻が白人への人種差別(黒人マネの顔黒塗り、アジア人マネでの目を釣り上げる動作と同じ)
・「ガイジンヤメマース」の「ガイジン」が差別。
 (日本人基準では今もこれは差別ではないが、在日外国人観点からすると省略語は差別となる認識。例)Japanese(日本人)→Jap(差別としての意味がある日本野郎))

まあ価値観が変遷しているか、あるいは少数派であった人々の「これはやって欲しくない」と言うメッセージがやっと浸透したと言うか・・・

でも外国人→外人は全然日本語感覚的に蔑称じゃないから使ってもいいと思うんだよ。
これで嫌だというのであれば、そうした差別的感情や認識がそもそもにおいてその人に備わっているんでしょう? それにこちらが付き合えと言うのか。
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ゴジラ -1.0 視聴

2024-06-28 20:52:59 | 映像作品視聴感想
・返す刀で別の城に殴り込みじゃー! と言うことでゴジラ強行軍。
・相も変わらずアマプラ無料。マジでいいの? 
 2:04:37作品。

・最初に概要を書いておけば、
 ・ゴジラが銀座上陸前までは設定やセリフに違和感ありありでつっこみまくった。
  (一方舞台そのもの、背景などはよくここまで作り込んだなと感心するレベル)
  主役・準主役の人達の服装はそれなり。
 ・ゴジラが銀座上陸前した時にはもう本当出来が良すぎて大興奮&大満足。

では始めます。

・泥の滑走路。リアル・・・⤵。
 そう、この頃の日本はインフラ整備能力がアメリカと比較して圧倒的に弱かった。
 日本の方が手作業で滑走路をこしらえてたが、アメリカの方はより広い滑走路を重機で難なく作っていく感じよ。

・神木隆之介。敷島。敷島は日本の古来の呼び名。日本そのものである、と。
 (他にも大和や扶桑、みずほだとかその辺り。)

・整備服白いー!! 開幕からおら気になったぞ! もっと茶っけてるだろ! 

・つらい・・・つらたん・・・闘いから逃げてきた男は・・・
 いや、死ね言われたら死ねるか? 
 戦うべきところを逃げて、しかしそれでも自分自身の行動に納得できず、やりきれずにくすぶっている男。

・戦後の東京は違和感ない。何もかもぐっちゃぐちゃで、米軍の残飯食ってる年代だ。
 と言うかよくここまで再現できたな、と言うレベルでレベルが高い。

・違和感あるのは登場人物のセリフ回しと格好。
 平成〜令和のドラマならこれはOKだが、昭和中期はこういう感じではない。
 また話の接合性もやや難がある。

 細かい点を一つ一つ見ていこう。

・服はこんな感じだが、もっと土埃と油で汚れている。顔と髪も然り。
 風呂に入らないせいで、顔と髪がぎっとぎとになっていて、かつ頬も痩せこけていて日に焼けているのが正解に近いように思う。
 あと米軍がDDTもってくる以前の日本はもっとしらみだらけだった。
 立ち食いで食べている椀が綺麗。もっと汚れがあったりひび割れ・欠けがあるはず。
 あと服はどこか破れていたりささくれだっていたり、つぎが当たってるはず。

 みんな血色よくて幸せそうなのに凄い違和感ある。終戦直後はもうちょっと疲れ切ってた。

・赤ちゃんも幸せそうなんだよねー。
 もっと痩せてるはず。あともっと泣くと思う。

・「やっとですか」も違和感。
 本当はあの時の敷島は「この赤ちゃんどうしよう」から「あの時の母親を見つけないと」「でももう見つかるかも分からない」と言うところから「最終的にはどうなるか分からんが、この子は食わしてやらんと」になったはず。
 なので、女性との再開の時には見つかることやこちらを探し当てて出てくることを想定した「やっとですか・・・」ではなく「うぉっ、いたっ! 」がより正しいように思う。
 あるいは「やっとですか・・・」を採用するなら、その再接触が2〜3日後の方がしっくりくる。

・①「お兄さんが悪いんだよ」
 ②「あんな場所に居座ってたら」
 ③「迎えに行ける訳ないでしょ」
 これも違和感。
 ①は完全庶民の言い方。②は普通。③はちょっと上品になってる。
 ①に寄せるならば③を変更すべき。
 今風ならば「迎えに行ける訳ないし」だが、これを当時に合わせると「迎えに行ける訳ない」で止める。「でしょ」はちょっと上品味がある。

・「ねー」の言い方もイントネーションを工夫すべき。
 平坦の「ね→」ではなく、当時であれば「ね⤴ぇ⤵」か「ね⤴」がより適正。
 この平坦の「ね→」は少女であれば言う。大人の女性は言わない。
 大人の女性であれば「ね⤴ぇ⤵」か「ね⤴」になる。

・「あんなところに置いていける訳ないでしょ」
 これも平成〜令和味ある。昭和中期ではない。
 これも私のイメージだが、何も言わないか、もしくは顔を横にちょっと振って「赤の他人に赤ちゃん頼んだ自分が何言ってるんだ」と言う感じ。
 状況説明ではなく、登場人物の心情を吐露すべき。

・「ついて来ないで下さい。」
 セリフに違和感なし。ただ足取りが軽すぎる。疲れて元気もない、十分に食えてもないのでもっと足取りは重くすべき。

・鍋が綺麗すぎる問題。廃墟からとってきたんだったらもっと汚れてさびてるでしょ。
・「それ終わったら帰ってもらえますよね」
 これも違和感。何? 敷島は性格悪いの? 
 より適正だと私が思うのは「悪いんですが・・・それ終わったら帰って下さい」「こっちもどうすべきなのか分からないし、明日食えるかも分からない」。

・「怖いねー」これもNG。言い方としては「怖いねえ」。この最後の長音を伸ばすのではなく、「え」をきっちり言う。

・なんか敷島冷たいな! &ちょっと性格悪いな! 
 個人の家族構成や事情をずけずけ聞くのは昭和の価値観としてあった。

・「よかないですよ! 」
 いやちょっとは察せよ、自分が望まない子供だったらどうすんねん。

・「バカなんですか!? そんな赤ん坊連れて太平楽できる身分じゃないでしょう! 」
 段々敷島のことが嫌いになっていくのだが、これは映画のストーリーの流れとして正しいんか? 
 太平楽できる身分じゃないのはそうだけれども、赤ちゃん結局引き取ってしまう人情がある人間だと・・・

 こういうのはクールな知性キャラの敷島じゃなくて、もっとガサツな大男に静かに諭されると言うのがこのセリフとして適合する。
 ガサツな大男に静かに「馬鹿かお前は。どうやってその赤ん坊をこれから食わす気だ」とその心情は分かるがどうしようもないだろうという逡巡と共に、目を合わさずに言う、と言う感じに。

 敷島にしゃべらすのであれば「気持ちは分かりますが・・・しかしその子のご飯を食わせるあてがない・・・」と本来の人倫を踏襲すべきものの、それを実現する物資がない現実に煩悶するシーンになるんではないかと。

・倒れかけた柱と破れた障子。
 でこれ超細かい話なんですが、つぎがあたって補修されている障子が破れているんであればかなり良かった。
 あとランプだが・・・当時このランプってこういう時に使用されていたか分からない。
 空襲で電気通ってない→ランプと言う選択肢だが、当時はランプに油を回せないほど物資が窮乏していたんではと。

・「そんな浮浪児みたいなナリしててもジリ貧でしょ」
 いやー敷島性格悪いな! この投げやりな言い方は平成〜令和の映像界での言い方だと思うのだが、敷島の適正な言い方としては「失礼だと思いますし、この界隈は皆大体同じですが・・・しかしもっときちんとした格好と生活ができるんじゃないかと・・・このままじゃ何もできない・・・ジリ貧だ」が個人的には言ってほしかった。
 「浮浪児みたいなナリ」だったらもっと服はビリビリ、つぎはぎ、そして着重ねすべき。
 パッと見た感じでは周囲と大差ない。

・「パンパンにでもなれって? 」→「そんな顔されても・・・」
 つまりこの敷島のやり取りは前提として、この女性に陰にパンパンになれと言う最低の言葉を投げかけているんであって、しかもそれが当然だという感じでも言ってる。
 昭和中期は当然ながら女性蔑視はあった訳だが、「売春をしろ」と言うほどには品がない訳ではなかった。こういう言い方をする人間は(私個人の感覚として)周囲から蔑視される。
 細かい話であるが、当時の社会から見た女性への価値観と言うのは、お嫁さんになって家族を作って・・・(この過程において女性が労働上こき使われているのは当たり前と言う感覚)と言う感じではあるが、それを踏み越える話、つまり家庭から出て売春をする、あるいは売春をしろなどというのは日本社会の一般から見て倫理的にあり得ない話だ。

 なので、私個人の諸雑感においては、昭和中期だからこういう会話をしているのではなく、基本的に敷島の個人的な倫理観が低く、かつ性格も悪いのでこういう会話になっているように感じる。

 この解釈自体と言うか受け手の感覚自体が無理筋だと言うのであれば、会話の前後性が整っておらずめちゃくちゃなのだ。

・文句言いながらも赤ちゃんのために米くれたおばちゃん本当いい人。ババアホッコリ。

・機雷除去の高額の仕事を受けてきた敷島。
 「お仕事ありました? 」
 「あるにはありましたけれどもね。」 
 この時代敬語あるある。仲の良い男女でも敬語。

 で、それを命の危険があるから高いんだ、と言う話をしゃべってまう敷島。
 いや普通はちょっとそれとなく嘘をつくでしょう。
 「仕事はあった、当面の金の心配はいらない」「どういうお仕事? 」「復員省のだ」「まあ・・・」「ちょっと帰れなくなるかもしれないが、まあ当分の辛抱だ」脱いだ上着から綺麗に折り畳まれた油紙につつまれた募集要項を発見→「何これ、機雷除去って書いてあるじゃない! 」「まあ・・・大丈夫だよ」「何言ってるのよ! このお金でこの仕事って・・・もう一回死にに行くようなものよ! 」みたいな。
 あれよ、マイゴジにおいては今の状況をめっちゃ登場人物に言わせている感あって違和感ある。

・「これが特別扱い・・・」と言って桟橋を降りていく敷島。
 なんでそんなに足取り軽いんだよおおお。
 いやもっと貧困に困窮してるならもっと元気なくて未来見えなくて足取り重くて、それでもなお未来を見ようとして元気を出そうとして歩いて、でも特別扱いの船のはずがボロ船になっているのに絶望しながらも力なくかつ力強く歩いていけよおおお。

・「野田です」あれ・・・? この人どこかで・・・ 
 調べる。吉岡秀隆! あー! なんであのウルトラ優良物件の内田有紀と離婚したんだよ自分! 
 と言うか表には出ない個々の心情とかあるんだろうね。これ以上触れない。本当すみません。

・秋津淸治(佐々木蔵之介)、水島四郎(山田裕貴)の演技やよし! 

・とここでやっとシンゴジが海外に受けなかった理由が分かる。
 シンゴジはなあ・・・全然違和感無かったけれども、昭和の特撮に寄らせすぎだったんだよ! 好きだったけど! フォントとか画面のぼやけ具合とかが。
 で、マイゴジの場合は全部これらがクリアになって現代風になっている。

・クレヨンの絵。うーむ戦中にクレヨンがあったとは思うのだが、金が出てきたと言う展開をここで描いているのか? 

・新築敷島家。家が新しい。ここはいい。だが、食器や鍋が全部ピカピカなのは本当違和感ある。
 いやー当時の製造技術的に、もっとなんか新品でもくすんでいる感じじゃないか? 
 あともっと茶色の煮物系が8割くらい占めているのが当時の料理じゃないか? 

・「フィルムがもったいない」うおおおお! こういうの見たかったんだよ! おい! 
 当時は手巻き式! で、フィルム貴重! ギリで庶民にカメラが渡ってる! 

・銀座に事務の仕事で働きに出ると言う典子。「いい加減自立したいなって思ってたんですよ。このままじゃ浩さんお嫁さんも貰えやしないし」バカヤロー! 敷島お前が典子を貰うんだよ! 
 敷島ァーッ! 嫁に迎え入れろよォーッ! 
 (水島ァーッ! 帰ってこいよォーッ! のノリで)

 あれ? あの時のよれよれ服を着ていたほろほろのべらんめえ口調の典子はどこに行ったんじゃい? 料理出した辺りからいきなり上品になったぞ? 

・あと隣のおばちゃん本当いい人で良かったマジで。ババアホッコリ。

・女性向けスーツ新調したのはいいけれども、当時はこのA型・・・と言うべきなのかな、ウェストが脇付近から絞り込まれているデザインだが、当時はこういうデザインのものが無かったはず(あるとすればウエストで絞り込むタイプ)。
本当は↓こういうの。



もうめっちゃね、平成の小学校の参観日でおかん連が着てきてそうなイメージがあるスーツを着ててもう違和感ある。え? 平成の小学校の参観日はこういうリクスータイプではなくてセレモニースーツ? その通りで・・・え? これも情報が古い? 
いや言うて、最初に戻ってみれば、この大きく襟が出てたタイプは終戦直後無かったっしょ? ・・・しょ? ・・・しょ? あれ自信無くなってきた。

・ゴジラとの再遭遇。
 シンゴジラでも思ったが、機銃掃射が全く効いてないあの表現やよし! 

・敷島気絶からの病院目覚めコンボ。
 で、毎度目覚めのシーンで、どの映画でも思うんですが、ああいう状態で目覚めた直後は人は上手くしゃべれないと思うんですよ。あとまぶたの重さが表現できてない。
 あと眠りについたり、死の間際に力を失っていく様とか。
 いやこれは役者を責めている訳ではなく、表現として本当に難しい演技だから仕方もない。
 ただそれの演技が上手い役者を見たことがなくてな・・・いつもここが消化不良になっとる。
 (ダメな例:「AVALON」での登場人物がラストで死ぬシーンが芋ーティブアクト。「スニーカーズ」でビショップ(ロバート・レッドフォード)が目覚めるシーンも同じく。) 

・サザエさんカット! サザエさんカットだ! うおおおお! 
 昭和の一瞬だけ流行ったと言う! パーマする金は渡しているってことだな。
 あとこの襟の形はギリギリこの昭和で出てないと思う(細かい)。
 カーディガンの色ももうちょっとあの物資が足りない昭和の色だったと思うんだよ。
 この色はねえ・・・おしゃれすぎる(平成初期〜中期ぐらいでやっと出た色)。
 全体として服装はおしゃれに間違いなく仕上がっているけれども、これは令和のおしゃれなのであって、昭和のおしゃれじゃないように思うんだよね。もっともっさい感じがする。

・「私はあなたの人生にこれっぽっちも関われないの? 」
 =もっと私を求めろと言う最上級の上品な言い方。

・「あなたが何かを背負っているなら、私にも分けて欲しいんです」
 ああああ台詞回し上品すぎて好きいいいい。脚本はよくやった! 

・ああー油紙。そうそうそうなんすよ。
 で、油紙はね、きちんと持っていてもどこかでしわくちゃになるんですよ。
 まあ本当丁寧に保持していたならこの綺麗な油紙はこういう状態で出てくるのはありえる。昔の人は丁寧だったからね・・・。

・海の撮影。やはりカメラの移動速度はゆっくりの方がいい。
 脳が「これは作られた情報だ」と認識してしまう。

・真空管ラジオ。あれ? こんな小さかったか? と。
 別の作品だともっと今の小型冷蔵庫並にでかかった気が・・・
 と思ったが、どうもこのサイズのラジオは実現できていたっぽい。
 (多分疎開先の田舎だと小型のが流通していなかった)

 私の想像していた真空管ラジオ:
 
 
 (本当ねえ・・・昔の人の丁寧さが現れてて本当に好き)

 マイゴジに出てきた真空管ラジオのサイズがこんな感じ。
 
 (こちらも木の削り出しと仕上げがものすごく上手く行ってていい。)

・ゴジラ登場 うおおおお! こええええ! 過去イチで怖い! 
 これはヤバい! 

・おなじみふっとばされる電車車両。

・ああーそう、昭和の女性はこんな感じで姿勢良かった! ってそれどころじゃない! 

・人間が一方向に逃げてるけどもうちょっと逃げているエキストラ頑張れ! 
 自分らはあれか? マラソン中盤でペース配分しながら走っているランナーか? 
 もっと全力でもみくちゃに走れ! 

 あとあれ! 一方向に逃げるんではなくて、横に逃げるヤツも何人か入れろ! 

・ああー! 初代の映像にならなかった写真オマージュ! うおおおお! 

・実況も初代オマージュ! うおおおお! 緊迫したこの状況でも、こののっぺりした感じの実況がよおお! 本当好き。

・すげえプロ根性だよ! あとこの時代生中継できないだろ! 
 とつっこんだけれども、放送機材は録音録画だ! 

・戦車! そう! この時代はこの戦車ですわ! 行っけえええおらあああ! 

・爆音の時の無音の構成はこれでよし! 完璧! 

・すまんゴジラさん、〇〇の本社がもうちょい先にあるんでそこ狙ってくれんか。
 あそこは私の人生を破綻させた会社でな。

・そう、爆風から最初は順向きの風があるが、その後逆向きの風が起きる。これは原爆のオマージュなんだろうか? 

・おい敷島! なんでお前はちょっと頼りなさそうなんだよ! 

・神木隆之介いいぞ! 自分の近しい人を失った時の反応はこんな感じだよ! 演技がいいぞ! 

・爆炎とローアングルのゴジラ! これも今までに無かった! 
 (ローアングルの巨大な爆発後の煙群は新鮮だ! )
 あとギリギリきのこ雲にしなかったのも納得感あって腑に落ちる。
 と言うのもきのこ雲にしたら「これは原爆の否定なんですよ」と言う特定のテーマへのオマージュとして受け止めてしまう。
 なので、きのこ雲かな? そうでないかな? と言う一段抽象度を高めて曖昧にすることで、「総ての災厄の象徴」あるいは「総ての災厄と数えられるものの内の一つ」と言うところにゴジラを落とし込んでいる。いやこれ本当私も納得。溜飲下がった。
 さんざっぱら他で言われているだろうけれども。

・ゴジラの鳴き声もいい! どうやってんだろう? 
 いや鳴き声のサンプリングや加工もそうだけれども、巨大生物がもう抗えないレベルで存在するというのを一瞬かつ直感で分からせる。音割れを意図的に仕込んでいるんかな。
 あとは音の階層を重層的に合成しているとかかな。

・ひと仕事終えてすっきりしたような顔のゴジラ。
 ゴジラは毎度、「単に人間とか関係なく東京を通過する」だけなんだけれども、話が通じない&どうにもできないと言う象徴なんだよなあと。

・それでいつも思うのが、

 が、DASH村の城島を思い出すんだよ! 


・あああああ〜この映画は小物と言うか大道具に違和感が出る。
 終戦直後の割に物資が綺麗なんだよ。首都圏だからこういうのがあるのかもしれないけれども、個人的にはバリケードはこういう綺麗なもんじゃなくて、ペンキが剥がれかかっていたり、バリケードの木材がところどころささくれだっていて「ありあわせの木材で急遽バリケード作りましたー」と言う感じの方がいい。

・ああああー! なんでこの時代に半透明のコートがあるんだ! (怒)
 あと半透明のプラスチックコートに腕章があって、多分安全ピンでつけていると思うけれども、穴が空いたら使えないだろ! 
 初代ゴジラをもっとよく見て! 
 衣装ー! 衣装は何をして

・だから傘が綺麗すぎるんだよ! もっとボロボロの使ってただろ! 

・典子死んでもうた! 

・いやもう何でしょう、喪服がある=喪服を着ている人は、空襲被害もゴジラの被害も免れたんか? いや違和感が・・・

・あと献花の花も調達はできんしょ的な。

・あーこの状況(典子の葬式の後の「許してくれないんですか」のシーン)で、敷島の目に光がありすぎる。
 光を失ってからのギョロついた目に変化させる方がいい。

・うおおお! カーテンの柄! そうよく持ってきたなこれ! 
 (と言うより撮影場所の設備にあったものそのままか? )

・うーんこんな映写機あったか? 平成の頃でもOHPだったのに・・・

・「日本政府も、米軍も当てに出来ない今、我々しかこの国の未来を切り拓くことはできないんだ」

 私に刺さる。いつの間にか助けて貰おうとおんぶにだっこになってた。
 困った時こそ自助独立でやる。自分がやらずして誰がやるのか。

・「我々だけがなぜ、貧乏くじを引かねばならんのですか」
 その通り。だからこそ貧乏くじを引き続けた男どもや女性たちには感謝の念と慰労の念を死んだ後であっても送り続けなければならない。


・もっとこのシーンは敷島をうつむかせて顔を陰にし、表情を見させない方がいい。
 と言うかここまで人生において黒い体験をして怨嗟と怒りを続けて持っているのは私くらいなんかね。

・「なんでノリちゃんを嫁に・・・! 」
 いいぞ佐々木蔵之助! そこで敷島に上から喧嘩パンチで右フックだ! 
 ・・・ってあーやらんか。いやそこはぶん殴れよ! 

・おー! この型のバイク知らないけれども、これはいい。
 と言うか何で現代でこの型のバイクが流行らないんだ? 

・「橘宗作さんやね」と言っている人事課の人。
 あー、この人いい味出している。名前が分からない。
 あと設定的に関西訛りの人が戦後の東京で仕事をしている、と言うのが分かる。
 (多分東京が壊滅で人がいないから大阪→東京に転勤した。)

・ああああ神木隆之介の声が高い・・・いやこのハードボイルドな展開だともっと野太い方が・・・

・整備服汚れてる! もうちょっと油汚れあってもいいと思うが、そうこれでいいんだよおい! 

・「俺達は戦争に生き残っちまった。だからこそ・・・! 」
 そう、
 私が経験したのは戦争でもなんでもドラマチックなものじゃなかった。
 本当にちっぽけな理由で私が潰された訳だが、しかし

・木製三角定規! しかも使い込まれてる! よく見つけてきたなこんなの! 

・「今度の戦いは死ぬための戦いじゃない、未来を生きるための戦いなんです! 」
 うむ。

と言うことで見終わった。

・「原子怪獣現わる」、初代、「シンゴジラ」と見続けた感想であるが、ぶっちぎりでこれが怖い。あの電車が吹っ飛ぶシーンが秀逸であった。
・精神的テーマ性としては、「なぜ死ななかった」から「生きてて良かった」に日本のイデオロギーが転換されたと言うこと。
 皆あの極限状態で「死んでこい、それが唯一の正義だ」と言った思考から、「一人の人間として生きているべきなんだ」に変換する、それを指し示しているのが良い。
 最後全員敬礼するじゃん。生きてても生きて無くとも、純粋に真正面から全力で戦った男には敬礼をするんだよね。

・シンゴジラでも同じコメントをしたが、画角の問題が解消されている。
 今までのはどうもミニチュアをミニチュアとして撮っていたから、サイズ感に問題があったがそれが解決していた。
 古い映画と見比べているからそう思っているんじゃないの? と言う意見もあるだろうが、エヴァンゲリオンでのサキエル戦でもこの問題は現存していたから、解決したのは最近だと思う。
・初代のオマージュであれば、あの「さようなら、さようならあーッ! 」までやって欲しかったところ。
・あと、私はゴジラファンでも映画マニアでもないので、鑑賞前に聞いていた「ディープなゴジラファンだったらここが初代のオマージュか、と言う」と言うようなことを聞いていたので、ゴジラファンはそんなマニアックなことを言うんだなあと思ってたら自分がまんまそれを言ってた。
・ゴジラは一旦沈静化したが、「他にもいるかも(初代)」「ギリギリで食い止めたがどうするかは分からないし、再起動するかもしれない(シンゴジラ)」と動揺に、完全に死滅していない(典子の首とゴジラの水中再起)と言うのがお約束であると同時に新しかった。

・なんか三週間かけて見てたよ! つっこみどころ多すぎるんだよ! 通しで見れない。

・アメリカ人辺りの心を掴んだのは「真正面から戦う男」がいて「それなりにハッピーエンド」だったからだと思う。あと全員で
 映像が素晴らしいと言うのは本当大前提であったとして。

・で、私が思うに、「映画のテーマ性はこのレベルでいいんだ」と言う肩透かし感と言うか・・・これはカドが立つ言い方なので、決して他人には言えないのだが、私が考える映画と言うのは、鑑賞した人間の人生に大衝撃を与えて、視聴した人間を一週間ぐらいぐったりさせて、それでその後の人間の精神性と言うものを良い方向に力強く構成せしめうる、そういうものだと思っていたのだけれども、ゴジラマイナスワンにおいてはそうではなかった。

・一応視聴完了。次回へ続く。
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