とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

「ぐわああああ」があるスレ

2019-12-21 22:43:08 | 文章・日本語・言葉
1.ダイの大冒険→いつの間にかクロコダイルスレに
2.大昔の日本人「ふぐ食ったろ→ぐわああああ→その部分取り除いて食ったろ→ぐわああああ」
  必ずこんにゃくの話題が入り、「なぜ食えないものを似た上に木の灰まで入れようとして食ったのか」が話題になる。
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自由発言を社会妨害する世論封じと、それに対抗するための対世論封じ作戦

2019-12-21 21:37:30 | 海外・国内政治情報等
自由社会の言論を守るための個人的論考としてメモする。

1.
自由社会では基本的に言論が自由である。
王様の耳はロバの耳であることは、王様自身のプライバシーに関わることなので、口外や噂の流布は能動的にしてはならない。
ノルウェーのマッタ・ルイーセ王女が占い師と結婚しようとそれは王女の勝手であり、ノルウェー国民は関心を持たなかった。
が、マッタ王女の結婚後の活動が商業ビジネスに転じた時、ノルウェーのマスコミは厳しく非難した。地位をビジネスに利用しており、社会的な役割配置として適切ではない、と。

言論においてはどの範囲で口をつぐみ、どの範囲で公論をすべきかというと、それは個人の範囲か、周辺社会の範囲かによる。
個人のプライバシーには立ち入るべきではないが、社会を通して他者と交わる時にその活動が適切か、公金の配分は適切であるか、あるいは国際社会としてそれは論ずるべきかと言う点でそれらが規定される。

現代においては、それらが基本的に遵守されるものの、これが明確に規定されていなかったがために線引きが曖昧であり、そしてそれらが適用されなかった若干のケースもある。

例えばロシアは言論が政府によって統制されており、自由選挙は存在するものの、選挙の投票そのものは監視される。
チベットでは中国共産党による監視カメラが街中の至る所にごまんとあり、自由な活動ができない。
北朝鮮は言わずもがなで、韓国は反日種族主義を書いた著者が30人の人間に取り囲まれ、サングラスをかけた男に襲われた。

そうした中、大衆心理や社会心理として反論ができない構造が存在する場合もある。

これは陰謀論や差別主義と言う言葉などで現れる。
いや、私は陰謀論を支持したいのではない。ありもしない世界のトップを想像しては、それらの少数の人が、大衆を傷つけようと意図すると言うのは馬鹿げていると思う。また差別を助長したいとも思わない。むしろアジア人は世界で差別をされる側であろう。

2.
あらゆる言論を陰謀論で片付けるのも自由主義の範囲で良くないようにも思われる。

日本の側から見れば、「真珠湾攻撃陰謀説」が代表的なもので、当時の米大統領だったルーズベルトが日本の真珠湾攻撃を知りながらそれを放置していたと言う話が陰謀説に分類され、事実とは異なる想像や想定と規定される。

ただ、私個人の意見としては、高度な政治情報・軍事情報のやり取りにおいて、過去と現在に続く自らの正義性を保つために、「知っていた、知らなかった」と言う政治的操作を行うことそのものについては、未だにそうした操作が「ある」と言う想定を残しておかないといけないように考える。
そうでないと、政府発表を全て鵜呑みにする善良かつ無思考な市民しか残らないためである。

ここで諸説あるものの内、その一つを「陰謀論」として片付けると、自由な意見が出ず、我々は過去と現代の正義性を保つがために補強された言論は、真実へのフレキシブルな対応ができず、ストレッチをしていなかった社会的体躯は、とある時にアキレス腱を断裂せしめてしまうことにもなりかねない。

ここにあるべきは、単なる想像や想定ではなく、事実の積み上げによって見えてくる真実への到達を目的とした、言論の自由の確保であり、事実の積み上げによってなされるその言論は陰謀説として排除すべきものではないのではないかという話である。

現在においてはそうした活動に名前や呼称がない。
よって私が勝手に「自由発言を社会妨害する世論封じと、それに対抗するための対世論封じ作戦」と書くことにする。

3.
差別もその範疇にある。
何かと不都合があると差別と言う概念を盾にする場合があるが、差別とは、とあるルールが決まった社会の集合体・共同体の中で、「出自・病気・怪我・職業・外見・性差・年収・宗教・文化・年齢・兄弟(長兄か次男以下か)」の中で、社会公共性の高いサービスを受けられなかったり(権利の非平等)、あるいは無根拠に蔑視されたり(差別概念の心理的励起)などのことであり、それを是正する理念が差別に対する差別解消の社会課題である。
簡単に言えば、不足分の凹を埋めましょう、と言うことであるのだが、アファーマティブアクションがすぎるがために逆差別へ繋がる社会運用の弊害もある。あるいは凹埋めではなく凸出しと言う具合にして、自分は差別されているのだから、他より多く貰いたいし、社会はそれを与えるべきだという論は、差別解消につながらない。飽くまで差別解消はスタート地点の平準化である。

そしてその上で、両者が「あなたはここが悪い、あそこが悪い。こっちは迷惑しているんだからどうにかしてくれ」と言うのは問題ないと私は考える。
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資格勉強の要領

2019-12-21 19:04:44 | 会社での出来事
社内で、女性のHさんとお話する機会があった。

Hさんに色々聞くと、資格試験に6回ほどチャレンジしたが、全て落ちてしまったとのことである。
(Hさんが私に相談したわけではなく、私が根堀葉掘り聞き出してしまった)

「どういう方法で勉強していたんですか? 」と私が聞く。
Hさんが答え、私が相槌を打つ。
「えっと、参考書を見て」
「ええ、ええ」
「参考書の各章の最後にある問題を読んで」
「ええ・・・ん? 」
「それを読んで分からなければ、その説明が書いてあるところを読む、と」
「んんん? 」

いやそれ一番ダメな勉強法じゃないか? 例え面倒であっても、参考書はイチから読んで、それを理解した上で問題に挑むべきなのではないか、と。

私は口がふさがらなかった。口あんぐりである。口アングリー・バードである。

これは、既に参考書は一周か二周した上でそれをやっているのであればまだ分かるのだが、初読からこんな感じなのだそうである。
これはいかん。と言うかこの勉強法だと落ちてしまうよ。
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貴重な体験 ポケモンショック

2019-12-21 18:57:10 | 哲学・社会
12/20であるが、ちょっと変則的な出勤になった。

9:12発の電車に乗ったが、急病人がいたので、電車が送れる。
その次のN駅には9:24に到着・出発。
そのN駅通過時に、プラットホームのノコギリ屋根のから溢れる日差しが私の目を直撃したのだが、これがちょっとおかしかった。

何がおかしかったのかというと、赤と緑のモザイクのような閃光が私の目に飛び込んできて、一種のポケモンショックのようになったのである。
無論、そのような色を透過するような建材はその駅のプラットホームにはない。

恐らく、光を照射している途中位置に、高速でノコギリ屋根の三角部分を通過させると、ベンハムの独楽のような要領で、ポケモンショックのような赤と緑のモザイクが作られるのではないのだろうか、と。
そしてこれは他の何かに応用できないか? とも思った。

ともあれ、ポケモンショックなるものの光過敏性発作は私には起こらず無事であった。

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40で引退できるように社会を設計した方がいい説

2019-12-21 18:45:43 | 労働
マクロの労働とミクロの人生設計での齟齬・乖離について。

一般論ではなく、私個人の意見。

私の父は75歳で他界し、その数年前から認知症の症状が出始めていた。
先日のギズモードの記事では、人間の自然寿命は元々38歳である、としていた。

A New Study Shows An Animal’s Lifespan Is Written In DNA — For Humans, It’s 38 Years
https://www.gizmodo.com.au/2019/12/a-new-study-shows-an-animals-lifespan-is-written-in-dna-for-humans-its-38-years/

また、日本の年金については、最初55歳で受給開始で社会制度がスタートしたが、それが60歳となり、今では65歳受給開始、そして現時点で議論されるのは、将来的に70歳受給開始を目処に制度を組み替え直すことである。
一方、米陸軍では38歳から年金が受給開始となる(そして宝くじが当たった時のように、名前も知らない遠くの親戚から電話がかかってくるという)。

様々な観点から導かれるのは、今ある議論でも不十全だということだ。社会はまだ課題を抱えている。

人が一生を平穏に送れるだけの収入の保証(社会水準維持のための運用)と補償(実態的な損失を埋める運用)と保障(セーフティの整備と実装と実際的適用)がなければいけない。

私の知り合いの在日韓国人の人が「私は一人っ子で、兄弟が欲しいなあとは思ったのですが、今なら親の気持ちがわかります。沢山子供を作ろうにも経済的な限界があるのです」と言っていた。

「40で引退できるように社会を設計した方がいい説」と言う突拍子も無いタイトルになったが、現在の人間のDNA設計と社会運用と割り当てられる年金の比率には乖離がある。社会運用に齟齬が生じており、それを埋めなければならない。


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