とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

中国で統合失調症患者を見つけることの困難性

2018-03-25 11:24:49 | 海外・国内政治情報等
日本「公安に監視されている」
中国「公安に監視されている」

日本のは明らかにあれだが、中国だと9割型事実のような気がする。

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保守と技術をどう結びつけていくか

2018-03-25 06:34:12 | 哲学・社会
今までさんざっぱら言われているであろう内容を使い、あたかも私が「新発見しました」と言わんばかりに記事を書いていく。
確かに私から見れば、私が私なりに独自の考察をしているのであるが、しかしそれは既に世の中で当然のごとくに言われていることであろう。だが構わない。ここは私の考えの整理の場でもあるのだから。
それでは始める。



日本の政界は保守であるという。

保守と言うのは既存の体制を「保って守る」だから、現行システムが安定している場合はわざわざリスクを冒さなくてもいいのだし、それこそ下手に動けば、損害を被るかもしれない。だから革新には手を付けない方がいいのである。

政治家は特にそうだ。政治は数千年も行っている人類の本能の発露とも言うべきもので、これは変わらないだろう。

官僚はと言うと、これはまた保守中の保守であるが、しかしこれは仕方もないことであろう。出世と結びついていくからだ。

じゃあ政官財の「財」はどうかというと、これまた保守で、社会の躍進を担うべき財がそれではどうするの、とは言いたいものの、責任問題だとか、雇用のための利益を出さないといけないだとかでいろいろ縛りがあって、動けない。

それではその政官財に連なるメーカー製造業はどうかというと、これもまた保守だ。


何から何まで保守なのは、リスクを冒して自分の首を締めたくないからである。
しかし、その思考ではいけない。

近代技術史の傾向を見れば、資本集約と技術革新の波は世界の歴史トレンドとしてまだ続く。
と言うことは、現在の技術革新とは過去にとって遺物になる可能性があり、現在の高性能は過去の平準技術であることになる。
枠からはみだした技術こそが、イニシアティブを握り、利益を出す素材になる。

しかし保守志向こそは、その枠からはみ出たがらない。
これではだんだんと茹で上がっていくカエルのようである。
自身の生存のために、いち早く「どうなっているか分からない外界」へ出ていかなければいけないのに、今いる場所が安全だとしてそこから動けないのである。

この保守と技術革新のジレンマはどうやって解決していくべきなのだろうか? どうやって保守と技術を結びつけていけばいいのだろうか? 



答えは「選択と集中による部分的試行である」。

元々保守と言うのは、失敗による非難と失脚を回避して、自分の席を守ることに固執する。
しかし失敗と言うリスクなくして躍進はない。
よって、リスクを先んじて考慮し、リスクを低減し、失敗を前提とした計画を立ててしまえば良い。


まず、当たるか当たらないかが分からない技術革新については、今あるアイディアを並べ、実現可能性、収益継続性など、多々の項目に重み付けをして、投資対象、着手対象を決めていく。

そして製品化し、それが当たったところにどんどん投資をしていく。



言わば、未開墾の土地に農作物を増やす場合、どこの土地を選定し、どの作物を植えればいいのか分からない。
よって、先に調査をし、種を巻いたら、芽生えてきて成長しそうなところに、肥料と水を集中的に、丁寧に注ぎこむのだ。




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