とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

年金運用--社会制度の緩やかな破綻

2017-08-07 22:30:14 | 国内社会批判
もう直接的に言ってしまえば、年金運用は破綻している。
ただ、国家がそれまで約束していた年金を「もう破綻しています」と言うと大変に問題があるため、国民への説明では誤魔化して誤魔化して、ソフトランディングに破綻させようとしているのが日本政府の現在の意思だ。
何せ、今の若者世代が「せーの」で一斉に年金を払うことを辞めてしまうと、現在の老人に払う年金がなくなるのである。

年金の運営・経営状態もあまりよろしくない。
別の事例から話をしたい。


かつて日本航空が破綻しそうになったことがある(実質倒産)。

その危機に京セラの稲盛和夫氏がトップに着任した結果、経営が改善した。
稲盛氏がやったことは、不採算路線の運休とそれに伴うリストラ、そして何より全く管理できていない資金管理(どこからどこへ金が流れたのかを全く把握していない)を是正したことだった。
具体的には、路線一本一本の収支が稲盛氏就任前には把握されていないという、スーパーどんぶり勘定であった。
きっとそのどんぶりは銀河系の直径くらいの大きさであったろう。

破綻前、同時多発テロ時のJAL担当者は「資金繰りは、勘と度胸と人海戦術」と言う昭和の経営者でも言わないだろうというガバガバ経営コンパイル社真っ青のことを平成でもやっていたという。
(ちなみに2009年9月の調査では同年11月に現預金が枯渇するという調査結果が判明)。

さて、これがおそらく年金にも言える。


経営とは何も営利の企業経営のことのみを指すのではない。国家組織にも、そして国家が運用する媒体そのものにも、「経営」は必ずついてまわる。
これを考えなければ「収支」と言うものはついてまわらないからである。

国家が収支を考えない場合どうなるか。それはフランスが実例をもって教えてくれる。
フランス国王・ルイ14世は豪奢な限りを尽くした。即金が、いくら使ったかの収支表を見せたが、国王はそれに関心が全く無かったと言う。
このルイ14世の残した借財に困り、後のルイ16世が清算しようとしたところ、回り回って暴動が起き、革命が起き、そして自身が処刑されたというのは誰もが知るところである。

年金運用とは、企業経営と同じく、世の中の動向を察知し、事前に手を打ち、そして世の中に即した形で、その運用形態を変化させることにある。

かつて、自動二輪のメーカーである「ホンダ」での本田宗一郎の他に、もう一人いた経営者、藤沢武夫が、不況に入る前に、バイクの減産を計画して履行したことと同様である。
これを年金でもやらなければいけない。

「今それをやっているんだ! 」と言う官僚の反論もあるとは思うし、政治家との都合でよく調整しているとは思う。
但し、私が言いたいのは、その調整ではない。調整をかけると希望的予測との調和を図らなくてはならなくなり、そしてやがて、現実には現実的手段が取れなくなる。

次の画像は、昔あった希望的観測の残骸だ。




10年ほど前、「年金はその半分が税金でまかなわれるので大丈夫」と言う論もあったのだが、そうでない現実は、日本政府の対応そのものが、その行方を指し示している。

例えばこうだ。


「75歳まで働かないとつまらない」と政府が国民の意識改革中
2017.08.06 15:00
http://www.news-postseven.com/archives/20170806_602749.html

 いま、年金の受給開始年齢を「75歳」にしようとする計画が進められている。そのために、政府は国民を65歳以降もできるだけ長く働かせようとしている。高齢で介護が必要になったり、日常生活に支障が出るような病気もなく、自立して健康に生活できる年齢を「健康寿命」と呼ぶ。

 2015年に米国ワシントン大学が世界188か国を調査したところ、日本人の健康寿命は男性71.1歳、女性75.5歳で世界トップだったと発表したが、それでも男女平均で75歳には達していない。政府の「75歳年金受給開始」は、健康寿命が尽きても働けというに等しい。年金政策に詳しい社会保険労務士の北村庄吾氏が指摘する。

「厚生年金の保険料は今年18.3%まで引き上げられる。給料が上がらない中、現役世代にこれ以上年金の負担を強いるのは無理です。しかも少子化で働き手、つまり年金の担い手も少なくなっていく。

 労働力人口が減る中で、政府の『一億総活躍プラン』というのは“一億死ぬまで働け”ということなんです。誰も死ぬまでは働きたくないから、政府は国民に“65歳を過ぎても、70歳を過ぎてもまだ若い。75歳まで働かなくてはつまらないでしょう”という意識改革をしている」

◆「75歳」ではもらっても楽しく使えない

 しかし、それは暗黒の老後を意味する。経済ジャーナリストの荻原博子氏が語る。

「健康寿命は個人差が大きいものの、高齢者で趣味にお金を使うのは70歳代前半までの人が多い。80歳を過ぎると毎日散歩をして足腰が弱るのを防ぐのに精一杯、90歳になるとバスにも滅多に乗らなくなります。年を取るほどお金は使わない。

 それでも、人間というのは自分が死ぬとはなかなか想像しようとはしないものです。『明日死ぬかもしれないからお金を使おう』ではなく、『このまま長生きするとお金が足りなくなる』という不安の方が大きい。だからお金を使わない。それでも年金を75歳受給にして、高齢者がやっとたっぷり年金をもらえると思ったときには、そのお金を楽しく使える健康な体ではなくなっていたというのでは老後の楽しみも何もなくなってしまう」


楽しいも楽しくないも、そもそもどうしてこういう論が議論として上がってきてしまうのかというと、人口比予測の失敗により年金が払えなくなる将来が現実的に到来するからだ。
いや、「払えない」と言うのは正確ではないかもしれない。より正確に近づけて言うには、「税金を投入すれば払えないこともないが、しかし家計が苦しくなる」がいいだろうか。



さて、一歩踏み込んで年金と言うものはそもそも何であるのかを考えてみよう。


年金 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E9%87%91

歴史

年金の本質は定期金である。カスティーリャ王国の公債(フーロ、juro)としてカルロス1世のときに大量発行された[3]。

民間人を対象とした強制加入の年金制度は、1889年に世界で初めてドイツ帝国初代首相オットー・フォン・ビスマルクが始めた[4]。


と言うことであるが、正直な話、名目上は年間に貰えるお金のことであるが、実質的には、老後は働き口もなくなり、あるいは働いても成果があまり出ないので、お金を安定的にもらって、余生をゆっくりと過ごしましょう、というのが日本における現在の社会的に持っている現実的な意味合いだ。

上記で「日本における現在の社会的に持っている現実的な意味合い」と、「日本における現在の」をわざわざ入れたが、じゃあ過去は違ったり、あるいは外国では異なるのだろうか。

アメリカ陸軍では38歳で年金が貰えるようだ(そして親戚から電話がかかってくるらしい)。
日本の昔では年金は55歳から貰えた。

これが

コメント
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