とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

7兆年に一度の美少女について

2016-12-23 20:43:48 | 芸能



ということであるが、これがどれだけアホな単位か考えてみよう。


5000年前 文明誕生(7兆年の0.00000007146%)
20万年前 ホモ・サピエンス登場(現在のヒト)。(7兆年の0.00000286%)
38億年前 有機体生物誕生(7兆年の0.05%)
45億年前 地球誕生(7兆年の0.06%)
135億年前 宇宙誕生。物理現象の誕生。物質とエネルギーがわかれ、原子と分子が現れる。(7兆年の0.193%)

ということで、現在に至るまでの宇宙史が500回繰り返せればこの子が登場する、という計算であるが、いや、本当こういう二つ名をつけられた子は迷惑だとは思うし、名付けの人はもうちょっと考えた方がいいのではと思う。
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資本課税は実現するか

2016-12-23 20:32:16 | 海外・国内政治情報等
作家の佐藤優氏は、著作「いま生きる階級論」の冒頭で、ピケティと河上肇の著述から「格差や貧乏を是正するには、行き過ぎた資本の再分配、つまり資本課税をするべき」という旨の論旨、つまり習性資本主義を引用している。

が、この資本課税は実現するだろうか。
私は、最初、これは実現不可能であろうと思った。理想論であり机上の空論である、と。
こうした再分配における理想論というのは、基本的に消失するように思われる。
世の中の理想論は、その人間社会が織り成す流動性に負けるのだ。資本主義を謳歌したアメリカのえげつない勝利と、最初は理想論を掲げていたが、国内産業に無理がたたって敗北したソ連という国家の現実が、それを如実に物語る。

但し、現在は「ありえないことはありえない」と捉えるべき現実が出てきてしまった。トランプ大統領の登場である。
無論これも捉えきれることのない、人間社会の流動性の発露の結果であったが、「トランプはありえない」「トランプ当選は不可能だ」と踏んでいた我々の予想は覆った。

と同時に振り返ってみるべきものがある。「資本税はありえない」「資本税は不可能だ」。本当に不可能なのだろうか? 
いや、それでもやはり不可能にかなり近いわけだが、もし1世紀後辺りになって、ネットの情報が十全となり、労働対価を得ずに資本利得を貪る資本層の全貌が明らかになった時、その方向への舵を切ることになる--かもしれない。

ただ、資本主義が悪いことが無い面もある。資本の集積と増大による、国家の運営である。
資本が大きくなることは、血流が多くなり、流れる電力量が大きくなることと同じく、その肉体や装置が十全に健全に動くことに他ならない。
--但し、それが体全体や機器全体への各部位に流れ込めばの話であるが。
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中国紙:「日本の「模倣」は批判されず、中国は「パクリ」と批判される理由 」

2016-12-23 18:02:44 | 海外・国内政治情報等
思うに世界のことはパクリパクラレが常道だと思います。
アメリカだって日本の「カイゼン」を導入している。

ここに、
・正式な手続きを踏んだか
・あるいはオリジナルに尊敬の意があったり、模倣したのにオリジナルを主張するなど、模倣の際にはそれをせねばならないが、それとは逆に情動にそぐわないことをしていたり、権利の侵害をしていたりしないか。

などがある。

だから、ディズニーのライオンキングがジャングル大帝レオのパクリだと非難されたり、あるいはアトランティスがナディアのパクリだと非難されたりするのは、これはアメリカでも同様なのだ。
改良や価値の付加ではなく、人間としてきちんとしているかどうかが非難の有無に直結しているのである。

日本でも東京オリンピックのエンブレム騒動があったように、そうしたオリジナルを認めないことは批判へと繋がる。
中国でその例が常態化しているだけである。


日本の「模倣」は批判されず、中国は「パクリ」と批判される理由
2016-12-23 16:12
http://news.searchina.net/id/1625855?page=1

 パクリという言葉から中国を連想する人は多いはずだ。中国国内ではありとあらゆる製品の海賊品やコピーが流通しており、パクリと批判されても致し方ないところだが、中国人からすると、中国ばかりが「パクリ」と批判されることが不満のようだ。

 中国メディアの駆動之家はこのほど、中国がパクリと批判される一方、日本の場合はあくまでも「模倣」と形容され、批判されないことが不公平であると主張する一方、日中の違いがどこにあるのかについて比較する記事を掲載した。

 中国では、もはやパクリが当然のことであるかのように繰り返されているが、記事は日本も同じようなものだと主張。かつては中国の唐文化をパクリ、現代では米国のビジネスモデルをパクッていると論じた。

 しかし、日本の場合は「模倣」と呼ばれ、中国のように「パクリ」とは言われない。その理由について「日本は模倣しつつも改善やイノベーションを加えようとする」ことが中国とは異なると分析した。それによって完全なるコピーではなくなり、改善が加えられることで批判されなくなるのだと論じた。

 一方で記事は中国にもパクリではなく、イノベーションを加えることで成功した模倣例があると紹介。その代表が中国最大のショッピングWEBサイトを運営するアリババだ。アリババは「商業施設運営」と「メディア」という異なる2つの業界からヒントを得て、模倣し成功を収めたという。つまり、いかにして出店者を募り、広告で収入を確保するかというビジネスモデルだ。この点でアリババは、ただのパクリではなく、2つの異なる業界の方法を模倣して結合することで大きな成功を収めたのであり、日本式の模倣と似ていると論じた。

 記事はこのように、イノベーションを加える日本の「模倣」を高く評価する一方で、アリババのように単なるパクリではなく、模倣からオリジナルの方法を生み出すような企業が増えれば、中国も「パクリ大国」とは言われなくなると主張しているが、中国の現状を見る限り、他国や他社が成功したものをそのままパクるケースがあまりに多く、パクリ大国の汚名脱却にはまだまだ時間がかかると言わざるを得ない。

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ブラック企業大賞2016大賞決定

2016-12-23 18:00:47 | 労働
電通に逆らっても死なないことが判明した。


ブラック企業大賞
‏@black_award
https://twitter.com/black_award/status/812195386219606016/photo/1

【ブラック企業大賞:株式会社電通】何人もの労働者がこの企業によって殺された。電通は日本を代表する大企業である。それは輝かしい意味でではない。社会的に決して許されない人権侵害を続けた代表的企業である。ここに、強い怒りを込めて「ブラック企業大賞2016」の大賞を授与する。




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そもそも1日8時間労働とは一体何なのか--電通社員自殺と日本軍敗退に見る仕事と労働の本質

2016-12-23 12:35:04 | 労働
一日8時間労働だのなんだのとは言うのだが、しかしこの時間既定とは一体何であるのだろうか。
箇条書きに近いが、今回はこれを整理する。

1.昔は8時間労働という制限が無かった。


8時間労働のうち、集中しているのは「たった3時間」説 | TABI LABO
http://tabi-labo.com/275761/in-an-8-hour

8時間労働に根拠はなかった?

そもそも8時間という労働時間も、人間が集中できる時間に基づいて決められたわけではありません。産業革命時代の遺物であって、現代の情報化時代には適していないのです。

18世紀後半、工場は24時間稼働のため、労働時間は10~16時間という過酷なものでした。しかし1817年、活動家のロバート・オーウェンは「仕事に8時間を、休息に8時間を、やりたいことに8時間を」というスローガンのもと、労働時間の短縮を提唱しました。

しかしながら、この8時間労働制がスタンダード化するには1世紀近くを費やしました。1914年、自動車のフォード社は8時間労働制を取り入れた上に給料アップを行い、世間を驚かせたのです。そして、大幅な生産性の増加を果たしました。

このように、信じがたいかもしれませんが、そもそも8時間労働は人道的見地から開始されたものだったのです。



2.原始狩猟採集では一日の労働時間は3~4時間(週21~28時間)
サバイバル宗教論 佐藤優 P219

人間は何時間働けば一日の食べ物を得ることができたのか。これについても最近の実証研究があります。ニューギニアやアフリカの先住民には、狩猟採集を基本に生活している人たちが現在でもいるわけですが、その人たちに対する調査研究があり、三、四時間程度という結果が出ています。一日三、四時間働けば、一日食べていくことができるわけです。ということは、八時間労働とか七時間労働というのは、狩猟採集時代の人間と比べて働きすぎということになります。


3.
ということで、今決められている一日に8時間、週に40時間というのは、上記の理由で決められた経緯はあるものの、それは果たして絶対的な基準であるかどうかは考える余地がある。
ロボットやコンピュータによる自動化、高速化で6時間の労働で儲けが出るのであればそうすればいいのだし、もしかしたら4時間、いや、1時間の労働でいいのかもしれない。
え? それはダメだ? 何を言っているのです。一分も働かずに労働対価を受け取れる権利も無いのに、巨額の利益を受け取っている資本家がいるじゃあありませんか。

4.
一方で、戦争や緊急事態で24時間、可能な限り働かなければならないケースも存在する。
戦時下、8時間過ぎたので、防御のための銃撃やめますとはいかないわけである。

5.
もっとも、軍隊の中でも歩哨などは交代があるので、時間の制限がある。

6.
ちなみに大昔の古代ローマあたりの軍隊と言うのは、人間の動物としての性質ここにありと言うべきか、冬季には戦闘を自然的に止めるような周期であった。

7.
ということで、労働や仕事に関する事例を羅列してみたが、これを総合してどういう風に捉えればいいのだろうか? 
人間とは、その社会や組織機構の中で、自分の体力の限界まで働くべきだろうか? それとも効率を追い求め、労働時間を削減していくべきだろうか? 

8.
答えは二つの観点とその観点ごとに二つ、計四つある。”緊急時”と”平時”、及び、”管理”と”兵隊”である。
また、これを更に一歩踏み込んで考える為の思考の補助線が一つあるが、それは後述に委ねたい。

緊急時、例えば戦争や災害、火災などがある場合には、それこそ労働時間を無視してものごとの消化に努めなければならない。
それでは平時の企業の運用などに関しては、生命の危機に瀕するまで限界に至るまでの仕事に努めるべきであろうか。答えはノー。
無論、コマとなる人間達は、誠意を持って自分の能力値を最大に引き出した仕事をせねばならないが、人間というヒト科の動物は必ず休息や睡眠を取る必要がある生命体である(ロボットとコンピュータなら別)。これを無視して長期的運用をするとなると、替えの人材が次々と入ってきて、使えなくなった人間は廃棄できるのであればそれは正しいかもしれないが、しかし当然ながら人道的な問題がある。
まず、仕事の考え方として、緊急時であるならば平穏な暮らしを取り戻せるように制限時間などなく働き、平時であるならば計画的に働き平穏な人生を送れるような着地点を目指すべきである。

また、緊急時でも長期的運用をするのであれば、それは緊急時であろうとなんだろうと兵隊の運用時間と兵站を既定し、それを管理せねばならない。
それが出来ぬのであれば、管理が失敗しているのである。
兵隊は組織の運用目標に全力を挙げて呼応すべきであるが、管理はそれを長期的に出来るようにコントロールすべきである。
マンガ「軌道警察パトレイバー」で後藤隊長が「寝れる時に寝とけ」と指示を出すのはこの辺だ。

9.
旧日本陸軍軍人である牟田口廉也は、兵站と戦線を考えずに、根性と精神と信仰のみで戦争をしようとし、インパール作戦で大失敗を犯した。
勝てる運用能力、物資、作戦の三つが無いのに、戦争に突っ込んでいった。
説教を講釈し、訓示を垂れている時に将校ばバタバタと倒れていく。
ちなみに皇室でも同様で、儀式が余りに長い為、儀式最中にバタバタと倒れる様もある(枢密院議長の日記)。

ここから日本人向けの話になる。
これは日本人に特有の気質であるが、どうも日本人は全体的な組織運用においては、計画を立てるのが下手なようだ。現実的目標を立てられないのである。
いや、もっと言うと、組織運用に可能な目標ラインを努力と根性と精神克己で乗り越えてきたので、その悪習を断ち切れないでいる。

例えば、電通での残業100時間というのは、目標に到達する為の必要条件であったのだろうか? 
答えはイエスなのだが、本来目指すべきなのは、労働人員資源を十全にメンテナンスしながら、その組織を運営していくことである。
自動車で例えるならば、車の部品をストレスを与えないようにメンテしながら、随時各部署をアップグレードして、目的地まで安全運転で辿り着くのが正解であるように思う。
私は電通をあまり批判したくはない。ネットで悪し様に言われているが、基本的には人の組織なので、良い人も悪い人もそれなりにいるとは思うからで、改善することもままあるだろうからなのだ。
あるいは顧客がそうした注文をしてくるので、それに応えるのが問題であるようにも思う。
電通がそういう体制であるからということを良いことに、メーカー側はこちらは金を払っているからと過度の注文を広告代理店に出すのがそもそも間違いではないのか。
広告代理店にそんな無茶を要求するメーカーはどこなのだろうか? 

それであるので、本当は過剰な労働をしなくても、その労働時間を8時間以下に短縮していくのが、本当の本来の社会のあるべき姿なのではないのだろうか。

10.
仕事の実施とは目標値への到達である。その目標値はどうやって決めるのか? そう、組織や上司が決める。もっと言えば、管理職や経営陣が決める。
旧日本軍は敗退した。なぜかと言うと目標値の設定に失敗したからだ。
目標値とは、日本人の生存と社会保障ではなく、差別的な敗戦の恥辱を受けないことを目標に、それが達成しなければ死すべきだと言う話しであった。
物資と運用、武器、兵器からすれば、どこまでの戦線が現実的であり、どこからが現実的でないかが見えなかったかという話もされるが、もう一歩踏み込むと、日本人の社会的生活と安全保障が目標値ではなく、日本人の精神のあり方が目標になっていたからではないか。

会社員が過労で自殺する。これは、企業の目標値の設定に成功しているが、社員の目標値として失敗している。
本来であれば、生命と生活の為に社員は働くべきであったが、それが過ぎて死んでしまう。
しかし企業としては、社員の基本的な一人の能力以上の成果を手に入れ、不足分は補充すればいいので、成功している。
社会的倫理には反しているかもしれないが、しかし利益が出ているので資本主義社会には、その内容にそぐう結果になっているのである。

私個人の経験を言うと、長時間残業を命じられてそれをこなし、サブリーダーを努めるも、評価が一向に上がらなかったことがある。
(私が仕事が半人前以下という可能性もなくはないが、しかし私個人の主観観点において、評価が無かったのがおかしいように思える)
そもそも評価システムが機能していなかったという組織構造的欠陥が、当時のその職場にあったというのも問題ではあったのだが、更に一歩踏み込んで考えると、その仕事がなぜ発生したのかというと、「親会社から子会社に課せられている労働時間ノルマというものがあり、子会社がそれを達成できなかった為、それを急遽消化する為に、私が選ばれてそれを消化した」という構造が存在したという見方が正しい(実際にそのように言われた)。
2007年の8月のことであった。


11.
仕事と労働とは、本質的には目標の設定とその達成だ。
そして我々が仕事を考える時、多くの場合はその達成にしか目を向けない。
無論その達成行為そのものはあって然るべきで、なくてはならない。
ただ、その目標設定も同じくらいに必要なのだ。

そしてそれが実際の手持ち札で、持ち駒で、持っている武器で、その体力で、実現可能かどうかを見なければならない。
ポーカーにおいて、ブタのカードでレイズ(掛け金の上乗せ)をするのは正気ではないし、ゲームプレイヤーとしていいカモだ。
本来であれば、カードをそれなりに整えて勝負しなければならない。

であるが、日本人はまさしくこのカモである。相手のカードを読まないだけならまだしも、自分の手持ち札が何であれ、根性で何とかなると思っている。
賭場の中では「おのぼりさん」そのもので滑稽だ。ブタのカードしか流れてこない流れなら、ミニマムベット(賭けの中でゲームを続けるならば義務的にかけなければいけない最少額)を、文字通り最小に抑えなければならない。

そうではなく、今の日本に必要なのは、実態として社会や世界というゲームの賭場で、どこで勝つべきか、どこで「負けるべきか」(そしてどのタイミングが一番ダメージが少ないか)を考えるべきなのである。負けても勝っても継続してゲームに参加し続け、そして勝ちを拾うべきチョークポイントで必ず勝つ、という思考が必要なのである。



12.
今までの時代は頑張れば頑張っただけリターンがあった。今では違う。成熟した資本主義では、資本のみが増大し、賃金がそのままになって、格差が増大し、社会全体的な成長が見込めず、富の配置が不健全な構造となる。尚且つ、これからは、ITによるコンピュータ化と技術と機械化によって、人の労働がロボットとコンピュータに代替され、自動化、高速化、正確性の保持、長時間労働、安価での生産が可能になる。その時、雇用は提言し、賃金が低下する。前出の論と併せれば、ますます格差は開くことになる。

こうした構造的な歪は、今の仕事の構成構造のままでは、社会全体の下層個人を救うことができない。
現代社会は個人生命と個人人権に基調をおいた価値観となっている。
必要なのは仕事の効率化、労働時間の低減、及び、個人収入の増加である。
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