とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

「神様はじめました◎」見ました(感想三回目)。

2015-11-01 23:37:30 | 映像作品
第二期の「神様はじめました◎」であるが、その感想。

・全体的にやや失速。第一期の12話くらいのテンポ。
 若干テンポは速くて良し。
 法廷速度の80%で走っていたような感じだったが、いや、こちとらF1とかゼロヨンとか、ブッチ切ったやつを見たいのですよ・・・とは言いつつも、元が女子向けのマンガであるので、私のような物言いは無粋であるか。
 いや何、グレンラガンとかキルラキルとか、アニメ界のマクラーレンと比較するのはいかんことかもしれないが、どうしてもテンポの良さを求めてしまう(1期のテンポに問題は無かった)。

・何? 金か? 金の問題か? 予算があればテンポ良くなるのか? 

・高須さああああん! 高須克弥さあああああん! ここに金ブチ込んで下さああああい! 

・改めて考えると、一人の女の子の主人公に男がわらわら寄って来る逆ハーレムの構成となっている。

・山崎バニラさんの暴走が楽しい「こっち来いよ、噛まねーよ」

・やはりというか、物語にはカタルシス(心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され、気持ちが浄化されること(三省堂辞書))が必要で、今回のものはそれが無かった(1期はあった)。マンガ原作であるから、どこのエピソードを12~13話構成としてアニメに抽出するのかが難しいのであるが、期を通して、「主人公に課された課題とその克服」を描くというのがベストシナリオであって、今回の製作はその抽出が困難であったのだろう。
 中途半端で終わった感が否めないが、しかしいい作品であることには変わりない。

・その点グレンラガンはこれが秀逸であった(人類どころか生命の封印に対する解放、そして絶対的絶望に対する克服という究極的課題があったので。見た後は超スッキリする)。

・という「必ず終局的にスッキリする」というストーリーを楽しむのではなく、この作品が織り成す面白さを享受できればいいのだろう。フランス料理に比較して、日本のご飯と味噌汁と焼き魚はカタルシスが無いとか言っても、その比較には意味が無い。それぞれの持ち味が発揮されればそれでいいのだ。

・私が仮にこの作品を書いたとなると、「日本が今落ち込んでいるという社会的課題から、日本神道の視点をもって、このように生きればいいんだよ&現状をブチ破って次の未来へ」的な説教アニメに変わる。うーん、面白くなさそうだ。

・キャラクターが全員立っているというのが面白い。
 女性が求める理想の男性像がこういうものなんだな、というのがよく分かる(そして私にはその理解が無かった)。

・天狗のバリエーションよくあれだけつけられるな、と感心。これは「うしおととら」を読んでいた時でも同感だった。

・よく調べ上げている。だが、京都の鞍馬山であれば京なまりの方が良かったのかも・・・と(花の慶次ではきちんと地方弁を話していました)。
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「神様はじめました」見ました(感想二回目)。

2015-11-01 02:05:25 | 映像作品
先日の感想追記。

・最終話では、主人公が神楽舞で邪気を撃退していた。この神楽舞を考えてみよう。あの踊りの順番は一般的には少し冗長のように思われるかもしれないが、実は宗教的に重要な意味がある。

 日本神道においては、右と左は区別されうる重要な概念だ。例えば二礼二拍手一礼の時、我々は特に拍手の礼法には意識をしない。

 だが、神主さんは拍手前の手を合わせる際に、左右の手を同じ位置に合わせたあとから、左手の位置を一関節分だけ上にずらし、そこから拍手する。拍手が終わった後には、その上下に位置をずらした左右の合わさった手を、元の同じ位置にずらす、というのが見られると思う。どういうことかというと、これは一般教養での宗教学の先生の受け売りだが、日本神道では左が強く、右が弱い、という規定なので、何かの力を起こす火を持つ左手を若干上にすることで、その世界からちょっと力を借りて、そこで拍手をし、そして拍手が終わったら、借りた力を元に戻す、とのことだった。
 あるいは神楽舞の舞台に上がる演者もよく見てみよう。左足を上の段に上げてから、体重移動をし、右足を同じ段に移動させる。左足のみで一歩一歩上がっていくスタイルである。よって主人公が「右、左、前」とやっていたのは実は邪気を祓い、世界を清めるという意味において、神道では重要な概念であったのだ(しかしそれであるならば演目の振り付けは左から入るべきではなかったかな? とも思うのだけれども・・・)。

 日本の伝統芸能を、こうしたポップでコミカルな形で、しかもある程度正しく描いた、この「神様はじめました」という作品は、重要な位置づけであり、尚且つ、良い仕事を為したと言える。素晴らしい。

・最終話で、「人」という字を手の平に書いて飲む。この描写が本当に上品で良かった。こういう品のある所作が描かれた作品は少ないように思う。

・土地神である主人公が上記の神頼みをするというのはどうも妙でもあるのだが、新人の神様の初々しさがあってこれも良かった。

・風神:乙比古神
 ベリーショート短髪オカマキャラはグレンラガンのリーロンとかぶる。
 声が似ていたので声優は同一人物かと思ったが違った(乙比古:高橋広樹さん、リーロン:小野坂昌也さん)。

・人間とは弱弱しいと巴は吐くが、真に弱いのは巴自身、という描写がある。
 この強い、弱いとは一体何だろう? 
 単純に肉体の強さ、精神の弱さ、ということだと思うが、この精神的な弱さというのは、自己内部に持つ志向性の耐性力、遂行力など意志ことである。これは周囲にとりまく社会環境や、あるいは影響を与えられる心情に大きく左右される。
 特にこの物語の中での弱さというのは、社会関係性を失うことによる喪失感に対し、どうすれば良いのか分からず精神的に耐えられなかったことを指している。人や、それが想像する人外(この場合は野狐)も社会関係性、即ちストロークを求める、という前提で物語が成り立っている。簡単に言えば、寂しさに耐えられないということだ。

・最終話での祭りの設営を沼皇女が行ったというのはご都合主義だが、まあこのくらいのデウス・ウキス・マキナがあってもいい。

・第二作目の「神様はじめました◎」で、手水舎の位置が逆。向かって右ではなく、左が正解。

・本殿っぽいところに直接寝泊りしているみたいだけれど、いいのかな? と思ったが、神様だからいいのか。

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